第15話 リングランド第五門、開門
「ゴードン、ちょっと広域の地図を見せてくれ」
ニールは目的地の確認のため、ゴードンを誘う。二人は出発の準備のため一旦詰所に入り、それに続いて兵士等も各持ち場へと戻っていった。
「おい、スネイプル。軽装備で初めて顔を見たのだが、お前の連れてきた警護役の女性はメル・トーリアではないか?」
扉を閉めるなりゴードンが質問してくる。ニールは「ああ」とだけ言い、壁に張り付けてある地図を凝視していた。
「スネイプルよ、付き合いは長いがいまいちお前の事がわからん。お前は一体何者なのだ。なぜ傭兵を飼っている。それにもう一人の道化もだ、奴の顔…… どこかで見たことがある気がするのだが」
ゴードンは浮かぶ疑問を次々とニールに当ててきた。出発前に不安な要素を一掃させておきたかったのだろうか。
「なんだよ、おっさん。今日はやたらと突っ込んでくるのな。別に隠す必要もないし、答えてやらないでもないけどさ」
ニールは面倒臭そうに頭を掻くとゴードンを
「むぅ。部下やお前達の命を守るためだ。不安要素は消しておくべきである」
もっともな意見を真っ正面から述べるゴードンに、ニールは「はいはい」と答え、二人を随伴させた理由を手短に話し出した。
「ソールはな、北国出身者。奴の持つ特別な力が今回は必要なんだ。それ以上は企業秘密で話せない。危険な人物じゃないのは確かだ。メルはそのままの意味さ。護衛には優秀な戦力が必要だろ?」
「まるで質問の答えにはなってはおらぬがまぁ良しとしよう。お前がこの件に本腰を入れているのは分かったからな」
「理解が早くて助かるよ」
「ふんっ若造が。それと、銀貨を二枚置いていけよ、地図はただではくれてやれんからな」
ゴードンは皮肉混じりにそんな言葉を締めに吐いたが、その顔はとても穏やかであった。
暫くしてゴードンが詰所から現れ、ニコの前にやってきた。そしてニコの右手を取ると、その掌に二つの物を置き、握り締めさせた。
「それはな、『
二人は揃ってゴードンに礼を言った。彼は優しい笑顔でそれに応じ、
「ねえニコ、お願いがあるのだけれど」とアンドレアが小さく声をかけ指輪と共に左手を差し出してきた。
「あ、う、えーとどの指にはめるのかな」
戸惑うニコをリードするようにアンドレアは「この指がいいわ」という。
少しはなれた場所で二人を見ていたソールはメルにぼやきにも似た台詞を吐いた。
「なんだありゃ。見てるこっちが恥ずかしくなるよ」
「あれでいいのよ。今、二人は二人だけの特別な
「まあな、入る余地はなさそうだけどさ、と言うより入りたかねーな、ハハ」
「なにいってるのよ、あんたが入れてもらえるわけないじゃない……」
「あん? なんか言ったか」
「なんでもないわよ、相変わらず耳だけはいいのね」
「そうさ、昔っから耳だけはな! はは。ん? なんだその耳だけはって! おい、メルっ!!」
メルは一人で小芝居をしているソールを無視して言った。
「あら、隊長さんが来たわ。そろそろ出発みたいね」
ゴードンが検問所の脇から屈強そうな馬に乗ってやってきた。そして、閉ざされたアヴェリノア門の前で立ち止まる。一呼吸置いてから背筋を伸ばすと号令をかけた。
「リングランド第五門、開門!」
号令に合わせて兵士が二人がかりで大きなレバーを押し倒すと、脇の塞き止めてあった水路に水が勢い良く流れ込み水車が滑らかに動き出した。
歯車の軋む音と共にゆっくりと門が開き始めた。
少しずつ、しかし確実に開いてゆく重厚なアヴェリノア門をアンドレアは感慨深げに見つめていた。
明日の自分すら想像する事を良しとしない家柄での抑圧された毎日。
しかし、それがたった一人の青年の手でいとも容易く変わっていく。
今、まさに目の前で開いてゆくこの重厚な門の、その遥か先を想像する事を許してくれる。
心の深淵ともいえる場所に固く鍵をかけしまっておいた暖かい何かが今、アンドレアの中で溢れそうになっていた。
門が完全に開くとそこには終わりの見えない真っ直ぐに延びたアヴェリノア街道と、何者にも邪魔にされず普段よりも輝きを増す幾千もの星々がどこまでも広がっていた。
黒く生暖かい風がニコの頬を撫で上げると、いよいよといった感じで勇ましい顔つきとなった。
「お、いいねその表情。俺はお前のその顔がさ、たまらなく好きなんだ。昔を思い出すよ」
横に並ぶニールがいつになく真面目に言った。
そんなニールの言葉が、少しこそばゆくも感じたが、何時しか出掛けた冒険の度にニールはそう言っていたのを思い出した。ニコは口元を改めて引き締め直し「うん。ありがと」と素直に返事をした。
開いた門の両脇にある
一斉に走り出す馬群。
先頭には、こぶし程の大きさの黄月欠石がはめ込まれた兜を被る馬が走り、二列目に松明を持つニール、それに並走してゴードン、すぐ後ろの参列目にニコ、さらに続いて四列目にメルとソール、最後尾にもやはり黄月欠石を持つ兵士が地形に合わせ騎馬隊のように陣形を保ちながら走っていく。
ニコとアンドレアを中心に置く隊列は
馬術の練度が低いとすぐにでも崩壊するその型だったが、暫く駆けても型を維持した様を見てゴードンは口元を上げ呟いた。
「やるではないか青年達よ」
今までに経験したことのない馬の移動速度にアンドレアは驚き、振り落とされないよう必死にニコにしがみついた。
途中、何度もニコに行先を聞こうとしたアンドレアだが「今はまだ話せないよ、舌を噛んじゃうってば」と軽くかわされてしまった。
頬を膨らませ膨れっ面になったアンドレアだったが、それでもこの些細なやり取りに、なんとも言えない充実したものを感じていた。
次第に暗闇に目が慣れてくると、門を出た時には見えなかった様々なモノが見えてきたことにアンドレアは気が付く。
真っ先に目に飛び込んできたのは、青白くどこまでも輝くアヴェリノア街道だ。
両脇の茂みが街道に沿うようにして淡く光っている。
目を凝らして見てみると、とても小さな花が群生し、その花弁や葉がそれぞれに輝いていた。
この花のお陰で馬も躓くことなく走れるのかと理解できた。
次に目に入ってきたのは街道から外れた場所に点在する集落であったり、畑や柵に囲われた牧場といった農作地の存在だ。
城壁の外の世界は危険な未開の地。そう勝手に思い込んでいたアンドレアにとって、それは今までの考え方を覆す衝撃的な事実として確かにそこに存在していた。
そんなささやかな発見がアンドレア自身の作り上げてきた世界を一つまた一つと破壊していき、同時にまったく別の新しい世界を作り上げていった。
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