第12話 セントストン橋での出来事



 ニールから極力石畳の通りは避けてこいと言われていた。ニコは指示通りに土を踏み固めただけの、大通りから何本か入った狭く入り組んだ路地を選び合流地点へと進む。


 どの家の窓も暗闇の脅威からその身を守るように固く鎧戸が閉じられ、その隙間からは淡い光だけが薄く漏れていた。




 ーーーーーーーーーーーーー




「なんで大通りを避けるのさ、路地裏じゃ進みずらいし、馬の移動も容易じゃないと思うけど」


 ニコは思ったままのことを口にした。


「そりゃ素人の考え方な。確かにお前の言ってることは間違っちゃいないさ。でもよ、お前は見つかったら駄目な立場なのわかってるか?」


 ニールは鋭い視線をニコに送る。


「あ! そうか、蹄鉄の音!」


「ご名答! 普通は夜中に馬は走らない。馬の足音、特に蹄鉄の音はよく響くんだ。あそこら辺は石作りの立派な建物ばかりだし、静かな夜とくりゃ避けて通るのが賢明だな。夜警団に見つかりたくなきゃね。ああ、それと、どういうわけだか一定のリズムは赤い目の一族も呼んじまうんだ。新月の夜は、奴ら気が立ってるから余計な揉め事を避けるためってのもあるな」


「なるほど。そこまで考えてなかったよ、よくそこまで先が見えるね。」


「いやさ、商売柄、取引のときに人目を避けろなんて条件出してくる奴なんかもいてさ」


「へー。なんだか危ない話になってきたねえ……」


「ああ、それとな、夜警団や警備兵なんかに出くわしたらなるべくお前に視線を集めとけ。無理に目立つように素通りしたっていい。短時間でなるべく相手側の情報を沢山引き出すんだ。同時に相手の口調もよく聞いとけよ、大体口の聞き方でそいつの素性が判るから。それがわかれば対応もしやすいしな」


「対応って言ってもどうするの?」


「そうだな、相手の話し方が丁寧だったら病人を連れているっていやあ大体通してくれるだろ。ま、お前の演技もなるべく大袈裟にな。丁寧に話す奴は大抵いいとこ育ちの坊っちゃん兵だ。お人好しな奴も多い、騙しやすいな」


「じゃ丁寧じゃない人は?」


「おう、話し方が雑な奴は手強そうに思えるけどよ、そこはモノを言わせるんだよ」


「モノ?」


「ああ、単純さ。金を握らすんだ。雑な話し方の連中に育ちのいい奴なんか皆無だ。嘘をついた所で何の解決にもならない、それどころか怪しまれる一方だ」


「相手の出方を見て対応ね。わかったよ、なんとかなりそうだ」


「ああ、それからさ、夜警やらされてる兵士は総じて位の低い奴らだ。でもプライドだきゃ一丁前にもってやがる。それを上手く利用しとけ。そうだなあ、汚い話だけど例えば……」



 ーーーーーーーーーーーー



 二日前のニールとの話を思い出しながらニコは合流地である大聖堂マール・モールを目指した。


 道中、何度となくアンドレアがニコに話し掛けてきたが、舌を噛むからとそれを遮るように避け、移動に集中した。


 きっと色々と聞きたいのだろうと察しは付いたニコだったが、今はまだその時ではないと判断したのだった。



 王都を南北に二分するように流れるクロウ河。そこに架かる歴史ある眼鏡橋セントストンの手前でニコは一旦下馬しをた。


 対岸は所々で篝火が炊かれ、ゆっくりとうねるように流れる水面にいくつも光の道を映し出していた。


 ここを渡ればマール・モールまではすぐなのだが、来たときには居なかった警備兵と見られる風貌の男が橋の脇にあるトーチ台に一つ一つ火を移していた。


 ニコは馬に付けていたバックから黒い麻のローブを取り出すとアンドレアに懸けこう言った。


「決して何も喋ったら駄目だよ、只の一言も」


 そして下馬したまま馬を引き警備兵の前をなに食わぬ顔で通りすぎようとした。


「おい、お前、止まれ。素通り出来るとおもってるのか、ああ?」


 案の定呼び止められたニコは黙ったままニールの用意した通行許可証を懐から取りだし提示する。警備兵はそれを無愛想にかすめ取り、見合せながらニコに質問をしてきた。


「おい、商人がこんな時間にこの区域に何の用だ。それにその馬に跨がっているのは誰なんだ? こんな日の夜に出歩くのは余程だろうなあ、納得のいく理由を説明してくれ」


 なんとも卑しい口調で偉ぶった素振りの兵士。そんな高圧的な態度にもニコは冷静さを失わず、ニールに言われた通りの対応をした。


「はい、これは例のアレです、まさか兵士様が知らされてないわけではありませんよね。早く運び出さないと取引先の大旦那様に叱られてしまいます、通して頂けませんか」


 兵士は腕組みをして少し考える素振りを見せたあと、おもむろにアンドレアに近づき下から顔を覗きこんだ。


「ほほう、こりゃあたまげた。上物だな。よし、行っていいぞ。お前の旦那様に宜しくと伝えておいてくれ、俺も番が終わればしけこむとしよう」


「ありがとうございます、ではこれで」


 ニコはうつむきながら苦虫を噛み潰したような顔をした。そして腰に付けたポーチから、銀貨を二枚取り出すと無言で兵士にそれを差し出した。


「へへ、商人はそうでなくっちゃな、ご苦労さんよ。そーいやあ城壁の近くで影がでたなんて話がさっきあったらしいぞ、気を付けろよ」


 軽く会釈しニコは足早にその場を去った。長い橋を渡りきり再び騎乗しようとするとアンドレアから一つ疑問が投げ掛けられた。


「ねえニコ、例のアレってなに? あの兵士さんたら私の顔を覗きこんできたけれど、とっても不快な顔だったわ」


 ニコは戸惑いを見せることなく坦々とその問いに答える。どこか乾いた感じすら滲ませていた。


「アレってのはつまり娼婦だよ」


 予想もしなかったその返答にアンドレアは背筋に悪寒が走り、同時にニコに対して怒りに似た感情が腹のそこから込み上げてきた。


 太陽を雲が遮るような早さでアンドレアの表情が変わったのを見上げながら、彼女の次の出方をニコは待つことにした。


「娼婦ですって? 私を娼婦と偽り兵士さんを欺き、あの橋を渡ったの? そういうことなの?」


 口調を強めアンドレアはニコに追及した。しかしニコは悪びれた様子もなく、むしろアンドレアが間違っていると言いたそうな言い回しでそれに返答する。


「君の怒る理由がわからないや。いや、本当はわかるさ。君を嘘でも娼婦と偽った事に対してだね。もし、それに腹を立てているのだとしたら、体は籠から抜け出せたかもしれないけれど頭のなかはまだ籠の中にいるんだね」



「なぜ? なぜそうなるの。こんな言い方したくはないけれど私を侮辱したも同然よ?」


 喧嘩腰なアンドレアは、その口調をさらに強め心底怒っているようだ。しかし、ニコは一向に態度を変える素振りは見せない。


「君は一時でも自由を望んだ。狭い籠から羽ばたく自由を」


「だからといって、私を娼婦と同等に扱うの? 話が全く見えないわ」


「君と娼婦と何が違う? 同じ人だよ。同じ自由の檻の中の人さ。彼女ら娼婦は自由の名の元に身を売るんだ。君等貴族はその権利を守り、そこから税を取る。君が知らないだけでそうして社会は成り立っている。僕こそ皮肉なんか言いたくないけれど、社交場が眩ければ眩いほど、その裏には暗い影が出来るんだ」



 ニコは足元を見ながら話を続ける。


「世界は何かで満たされている、だがそれは万人に行き渡るものではない。北で幸せな者がいたなら南では泣く者がいよう。東で働くものがいれば西で寝る者がいよう。誰かが富を得たのなら誰かは富を失うのだ。世の中とはそういうものだ……もうずっと昔の哲学者の言葉でね、みんな平等ではいられない、理想郷は夢の中ってことだ」


 こんな状況下の中であっても危険を顧みずにアンドレアに必死に自分の想いを伝えようとした。


 対してアンドレアも真剣なニコに凛とした態度で応えた。


「あなたの伝えたいことがわかったわ。わたし、自分の物差しでしか世間を見ていなかったのね。そうね、知らないうちに世界には物差しが一つしかないって思い込んでいたみたい、わたしが間違っていたわ」


 ニコは鞍から垂れ下がるあぶみに足を掛け、勢いをつけて馬にまたがると星空をみるように頭を持ち上げた。


「アンドレア、君は間違ってなんかいない、知らなかっただけなんだ。ただ、もしも誰しもがその事に気付けたなら、世界はまた違ったものになるのにね。さて、大分時間をつかっちゃったね、先を急ごう」


 アンドレアは小さく頷きニコの背中にゆっくりともたれ掛かった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る