第10話 ニール・スネイプル

六番通り・九番街 労働者憩いの店

大衆酒場『カンパーニ』



「ああ!? あーはっはっは! ないない、無理無理、無理だニコ。やめろよせ、お前、新月の夜に城門外そとなんて出てみろ! 直ぐに死んじまうぞ」


 酒場の外に置かれた空の樽の上にあぐらをかきながら、ニールは半ば呆れ顔でニコの懇願を一蹴した。


 ニコもその反応を予想はしていたが、面と向かって言われると、その表情はますます曇るばかりだ。


 ニールの傍らで酒が並々と注がれたジョッキを持つ、知らぬ顔の大男もニールと同様にニコの話に否定的な態度だ。


「やめとけ 月無い 暗い夜 危ない 影の人 おまえ 喰う」


 大男を横目で見ながらニールは立て続けに言った。


「なあニコ、お前だってガキじゃねーんだ、言われなくても分かりそうなもんだけどなあ。大体なんの義理があって、そんな世間知らずなお嬢様なんかのお願いを聞かなきゃなんねーのよ。俺には到底理解出来ないね」


 知らぬ顔の大男も、大きく頷きニールの意見に賛成しているようだった。


 ニコはうな垂れながら大きな溜め息をつき、どうにか自分の思いが伝わらないかと考えた。



 ニール・スネイプル。


 ボサボサの深い栗色の髪は子供の頃から変わらない。


 あまり外見にこだわりなどもっていないからだろうか。


 動き易さを重視したその服装は、盗賊が身に付けているものと然程代わり映えしない。


 そのせいもあってか、はたまた気質のせいか、酒場のトラブルによく巻き込まれているようだが、本人はそれをある意味生き甲斐のように感じているらしかった。


 ニールとニコは同い年で住む家が近かった事もあり、幼少の頃からよく近所を遊び回っていた。


 ニールの父親がある程度成功を収めた広域交易商だったためか、彼はリングランド周辺の地理にとても強く、ニコを連れては子供の好奇心を満たしそうな場所を大いに冒険して回った。


 そして二年前に父が亡くなったのをきっかけにその後を継ぎ、立派に事業を切り盛りしていた。



 干し肉を食い千切りながらニールは目を尖らせ、ニコを樽の上から見つめる。


 ニコはその鋭い眼差しを感じとり、やや困惑気味にニールを見上げる。


 この地方には、人間の他にも起源の異なる多数の種族がそれぞれに暮らしていた。


 とても共存とは言い難いが、それなりに暗黙の了解の元に、棲み分けがされていた。

 人間に次いで数の多い赤い目の黒の一族は、人間の子供ほどの体長で、姿は大型のネズミを連想させる。


 知能は人語を理解するほどにあるが、声を発する器官が無いために、人との意思の疎通は難しいようだ。


 この一族にとって人間の暮らす環境はとても居心地の良いもので、人間が排除の動きを見せなければ、特に反発などは見せずに静かに地下街を牛耳っていた。


 身の丈が人の倍程の大きさの、暗闇の死者、青い目の影の一族は、古の文献ではもともと人間だったのではとされる種族だ。


 生命の尽きた後に残った負の感情を一つ一つ拾い上げ、集めたそれを新月の夜に新たな仲間として再生させるのだという文献もある。


 実際にこの地方のあちらこちらで、新月の夜になるとその"儀式"を彷彿とさせる青白く耀く円陣が幾つも見られた。


 だが、未だにその"儀式"が一体なんなのか詳しい事は何一つとして分かってはいなかった。



 一向に首を縦に振ろうとしないニールに対してニコはそれでも必死に説得を試みた。


 だが、当人ではないニールにとって、貴族のわがままと、命を落としかねない護衛行為がどうしても天秤に釣り合わないため納得できないでいた。


 知らぬ顔の男は落ち込んだ顔のニコの肩に手を置くと首を横に振り、同情の念を送る。


 それを見ていたニールも樽から降りると肩を落とすニコに「今回だけは協力してやれないな」といい残し酒場に入ろうとした。


 ニコは去り際のニールの背中に向かって力なく語りかける。


「丘へ、"あの丘"へ連れていってあげたいんだ」


 ドアノブに手をかけたニールの動きがピタリと止まり、そのままゆっくりと振り返る。


「あの丘?ハーフヒルズか?暗がりで風車なんか見せたって喜ばないだろ。嘆きの風の音と軋む歯車の音を聞いて楽しいか?」


「違う、ハーフヒルズじゃない。あの丘は特別な所で……。多分ニールも知らない場所なんだ、確かに道中には彼らが沢山出てくるかもしれないけれど……」


 歯切れ悪くニコは口の中でモゴモゴと話した。


「なんだよはっきり話せよ。お前にとって大切なことなんだろ? お前さ、昔っから大切な大一番でいつも尻込みして、なんも変わっちゃいないのな。それに俺も知らないような場所ってどこだ? 俺は交易屋だぞ、リングランド周辺どころか、大陸半分以上の交易地図だってあるんだ、なめてもらっちゃ困る」


「リングランド南西ワルツランド国境付近、街道からだいぶそれた場所が目的地なんだ」


「おいおい、そこは未開拓地だろ? 確か湿地や森に囲まれて人が暮らすには不向きだ。近場に村なんてないし、ジプシーすら近寄らないな。だけどよ、そんな所に何があるんだ? 大体何でお前、そんな所知ってんのさ」


「たまたまね、たまたま古文献を漁ってたら見つけたんだ。それによれば丁度、青の月、四日後の新月の日にあるものが見られるはずなんだ」


「おい、ニコ。勿体振ってないで全部話せよ。場合によっちゃ俺も協力しないでもないんだ」


 ニコはニールが話に食いついてきた事に相好を崩し、全てを洗いざらい話すことにした。


「目的地は『星の降る丘』、そして僕は彼女に星が降る夜空を見せたい。どうしても見せたいんだ。だから僕は諦めないよ、それにはニール、君の力が必要だ。協力してほしい」


「ほーう、やっとはっきり言ったな。俺も良いこと聞いたわ。『星』の出所は今まで一部のジプシーしかわからなかったんだ。聞いたって教えてくれないし、こりゃ命を賭けてたとしても天秤と釣り合うな」


 ニールは口元をニヤリと上げ、頭の中で何かを考え始めたようだった。


「手伝ってくれるんだね! ありがとうニール」


 ニコはそう言いながら満面の笑みでニールに抱きついた。


「馬鹿、よせ、俺は男に抱きつかれる趣味ないっての!ほら、周りのみんな見てるから離れろって」


 ニールは抱きついて喜んでいたニコの頬に手を当て力任せに引き離そうとした。

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