第5話―奪還作戦―
轟音を立てて進む地下鉄。俺とケイとウサはそれに乗っていた。
俺たちの他にも自衛隊や、武装した市民が乗っている。
自衛隊が長距離移動や物資運搬に使っているのが、この地下鉄だ。
皆、これからの戦いの覚悟を決めているところなのか、緊張した面持ちだ。
「大丈夫よね? あたしたち、帰ってこれるよね」
「それは、俺たち次第だろうな……」
俺は店に残したイチとノアを思う。
イチは十分に強い、ノアを守るにはうってつけだ。彼が俺たちの帰る場所を死守してくれている。
後は俺たちが生き残るだけだ。
地下鉄が物凄い速さで進み、目的地へと刻一刻と近づいていく。
これを降りると奪還作戦が始まる。
「到着まで3分を切った。各自、装備を整えてくれ」
アナウンスが響き、周りの空気がぴりりと変わった。
肌に刺さるほどびりびりとした殺気、そして表には出さないが滲み出てしまっている恐怖。
皆一様に強がりで顔を歪め、ゴクリ、と唾を飲んでいる。
「ケイ、ウサ。俺たちも装備を確認しておこう」
二人は頷いて、自分の得物を確認する。
俺は拳銃が二丁、弾丸は計200発、金属バット。
ケイはカラシニコフ、弾丸800発、鉄パイプ。
ウサはショットガンとスナイパーライフル、弾丸は各100発ずつ。
「確か銃弾は自衛隊がもっと持ってきてくれるのよね?」
「でもそれをもらうには多分駅まで戻ってくる必要があるでござるよ。余裕を持って戦ったほうがいいでござる」
「逃げ時が大事ってわけだな」
マガジンに弾が装填されていることを確認する。大丈夫だ、装備に問題はない。
「そういえば、右京左京見てないな。大将の話だと声がかかったって言ってたが」
「ジュン、またあいつらに会いたいの? あたしはもう勘弁」
「まぁ俺も勘弁だけどさ、あいつらのオーラって言うの? すげぇ強そうだったじゃん」
「もしかしたら第二波、第三波で来るかもしれないでござるね」
この後にも部隊は控えている。第一波の俺たちは遊撃兵といえば聞こえはいいが、いわゆる足軽のようなもの。
戦況を探るための捨て駒なのだろう。
俺はぎりり、と歯噛みし、拳を強く握った。
「お前ら、絶対死ぬなよ。生きて帰るぞ、あいつらのためにな」
二人も深く頷いた。瞳に闘志が宿っている。
「駅が、見えてきた……」
電車の進む先に、光が見えた。それはやがて大きくなり、車両をすべて飲み込んだ。
駅に到着したのだ。
「サンシャイン通り奪還作戦、これより開始だ。皆、健闘を祈る!」
アナウンスが響いたと同時、車両の空気は震えた。
『おぉ!』
と、叫んだ人々の声によって。
ぷしゅぅ、と音を立て、扉がゆっくりと開かれる。
「行くぞ!」
自衛官の男の合図で、皆が開け放たれた扉から勇み出ていく。
そして彼らは駆け足で階段を駆け上り、地上へ出ていく。
その光景はどこかの映画で見た、上陸作戦の様に似ていた。
「ケイ、ウサ、俺たちも行くぞ!」
ガスマスクを被り、俺は一歩踏み出した。
それに続くようにケイもガスマスクを、ウサはペストマスクを被り、足を踏み出す。
そして他の連中と同じように外に飛び出した。
ゾンビ溢れる、死の世界へと。
「作戦が成功した暁には参加者にはサンシャイン通りの好きな店を報酬として与える。もちろん、物資の一部は自衛隊が回収するが、それ以外は好きに使ってもらって構わない。ドラッグストアや服屋で商売を始めてもいいし、カラオケボックスのような娯楽施設を開放しても構わない」
奪還作戦の話を持ち掛けてきた森崎は、こんなことを言っていた。
ここで戦う連中は皆、通りの施設を報酬としているのだ。
もし店を一つ持つことができれば、この先当分はゾンビと戦わずに生活できる。リスクを負わなくてもいいのだ。
かく言う俺たちももう危険と隣り合わせの風俗店とはおさらばし、新しい商売に手を付けようと考えていた。
「もし作戦が成功したらあたしたち3人分のお店がもらえるんだよ!」
「3人分あれば余裕で生活できるでござる! 先輩方、本気で行くでござるよ!」
俺たちは未来のために戦うのだ。
サンシャイン通りはゾンビ発生後、シャッターによって隔離された通りだ。
通りの入口は地下鉄から続く通路と地上の駅からの連絡橋、そして南北にある大通りに繋がる門。そのすべての入口がシャッターに閉ざされ、そこはゾンビはびこる未開の地となった。
天井もガラス張りのため、上からの侵入もできない。
故に中は手付かず、物資も十分にある。だがゾンビの数もわからない。
勝利条件は中のゾンビをすべて駆除すること。敗北条件は、俺たちの全滅だ。どちらか一方が消え去るまで終わらないのだ。
「よし、それでは突入する!」
偉そうな自衛官が、地下鉄から通りに続くシャッターを開いた。
すると、わっとゾンビがなだれ込んでくる。
「うわぁ! 助けてくれぇ!」
突然のことで前に出ていた人間たちは脱落。しかし後方で待機していた人間の手によってゾンビの波はすぐに収まった。
「二人とも、気を抜くなよ。もう戦いは始まってるみたいだ」
目の前でハチの巣になったゾンビの群れ。その肉片を睨みながら、俺は二人に合図を送った。
「だね。本気で行かなくちゃ……」
「あーしもついに本気を出す時が来たでござるね」
「とりあえず俺たちはいつも通り、3人で固まって行動するぞ」
俺たちが他の連中とは違うのはチームワークに長けていることだ。
互いにカバーしあうことで今まで生き残ってきた。
今回もそうできるはずだ。
ケイがまずライフルで敵の動きを牽制、怯んだ敵を俺が拳銃で狙い撃ち、近寄ってくればウサがショットガンで吹き飛ばす。
この連携は完璧だ。
「よし! このまま進むぞ!」
進んで行き、俺たちは気付く。道端に白骨化した死体が転がっていることに。
「あれなにかな? ここが閉鎖されたのってゾンビが出てすぐだよね?」
「ここでゾンビと戦ったやつらの功績か?」
それにしては頭部がキレイだ。ゾンビを倒すには頭部を壊すしかない。ゾンビの死骸なら頭部がめちゃくちゃに壊れているはずだ。
「もしかしたら、共食いかもしれないでござる」
「共食い!?」
「ゾンビがどうして人間を襲うか考えたことあるでござるか? 奴らは肉を欲しているでござる。その過程で仲間を増やしているだけ、あーしはそう思うでござる」
「じゃあここはシャッターで閉鎖されてて人も来ないから、お腹を満たすために共食いしたってこと?」
こくり、とウサは頷いた。
だが彼女の言っていることはただの推測だ。それが本当かどうか確かめる術はないし、今はそんなこと考えている余裕もない。
「ま、そんなことはどうでもいいさ。とにかく進むぞ」
俺たちはゾンビを倒しながら進んでいく。
「あたしたちって思ってたより強い!?」
「あーし達もでござるが、周りも相当の手練れでござるよ」
さすがに今まで生き残ってきた人間たちだ。どこかしこでもゾンビたちと戦い、そのどれをも退けている。
今が昼でゾンビの動きが鈍い、ということもあるがそれを差し引いても十分な強さだ。
まずは地下鉄入り口付近の敵を相当し、どんどん奥へと向かう。サンシャイン通りまではだいたい1キロくらい。
作戦開始10分で300~400メートルは制圧できた。なかなか順調なペースだろう。
「ケイ、ウサ。銃弾は大丈夫か?」
「あたしは大丈夫。まだ補給なしでも行けるよ」
「あーしもまだスナイパーがあるでござる。余裕でござるな」
二人は大丈夫なようだ。
俺たちは次々とゾンビを仕留めていく。
飛び散る血肉で辺りは赤黒く染まり、嫌な脂で地面はぐちゃぐちゃだ。ガスマスク越しでもわかるほど強烈な死臭が鼻をつく。
だがそれでも、俺たちはやめない。勝利まで。
「ねぇ、こんなに余裕だとちょっと心配にならない?」
「なにがだ?」
「ほら、映画だとさ、だいたいこういう場面で今までより強い敵が出てくるのが鉄則」
ケイの言葉を遮り、突如ガラスが割れる音が響いた。それは天井からだった。
見るとガラスの天井が割れ、その欠片とともに大きくどす黒い塊が落ちてきたのだ。
ギラギラと陽光を浴びきらめくガラス片、それと黒い塊。俺の目にはそれがスローモーションのように映った。
その後、ぐじゅり、と生々しい嫌な音とともに塊が地面に落下した。
塊の上にガラス片が降り注ぎ、錆びの混じった水のような汚濁した液体がびゅっと飛び出す。
「なんだ、あれ……」
塊だと思っていたそれには、手足があった。それは手足をばたつかせ、ゆっくりと起き上がる。
「あれも、ゾンビなの?」
起き上がったそれは高さが2メートル近くあった。だが目を引くのはその高さではなく、横幅だ。相撲取り、いや、それ以上に太っている。
「ハリポタであんな体のおばさん見たことあるでござる」
「あの風船みたいに飛んでったおばさんね」
あまりにも醜い体躯で、俺も思わず笑ってしまった。だが、奴もゾンビだ。油断はできない。
「ははは! なんだこのデブゾンビ! 殺してしまえ!」
自衛隊の一人がそう言い、デブゾンビの前へ。そして銃を乱射する。
だがそれは、当たらない。
デブゾンビがゴムボールのように跳躍したのだ。体の肉をばねのようにしならせて飛び上がり、銃を撃った自衛隊の上に着地した。
ばちゅん、とまるで風船が割れるみたいな音とともにその自衛官は死んだ。
「なっ! こいつ!」
「殺せ! 殺すんだ!」
ぼむぼむと跳ねる身体を捉えることができず、周りの連中が潰されて死んでいく。
デブゾンビはそれをあざ笑うかの如く、体中にどろりとした汗のようなものを滴らせて跳ね続けた。
「着地を狙うんだ! それなら空中に逃げられない!」
そう叫んだのは森崎だった。
森崎はデブゾンビの前に躍り出て、銃を撃つ。デブゾンビの標的が森崎に移った。
「ねぇ、ジュン! 森崎が!」
「あいつ、自分を犠牲にしようと……」
そんなことはさせない。あいつは生意気でうざいやつだったが、死んでいい奴ではない。
「あーしに任せるでござるよ! 威力だけならあーしが一番でござる!」
ウサがショットガンを構え、前に出た。
跳ねるデブゾンビに視線を合わせ、タイミングをうかがう。
「1……2……今! 森崎、伏せるでござる!」
デブゾンビの着地の瞬間、森崎は思い切りスライディング。そんな彼の頭すれすれをウサの銃弾が飛んで行った。
ばじゅん! と、肉を抉る音が響いた。ウサは間髪入れずに二発目を放った。
だが、その瞬間だった。
どがんっ! と、爆発音が鼓膜を裂く。強烈な爆風が身体を吹き抜け、思わず腕で顔を覆った。
「ぐっ……! なんだ!?」
「ば、爆発したで、ござる……うぐっ!」
爆風が止み、前を見るとデブゾンビがいたところを中心に5メートル近くが爆発で抉れていた。
伏せていた森崎は幸い被害が少なかったようだが、ウサは違った。
爆発に巻き込まれ、吹き飛ばされ、右腕を押さえうずくまっている。
「ウサ! 大丈夫か!?」
「痛すぎて……死にそうで……ござる……あーし……腕……どうなってるでござる……」
「ひどい……腕の骨が……すぐに診てあげるから!」
ウサの右腕はあり得ないほうに曲がり、肉を突き破り骨が飛び出している。
ぐちゅぐちゅと骨の隙間から血が滲み出している。
ケイは傷口にギュッと包帯を縛り付け、なんとか止血した。
「あたしにできるのは止血くらい……すぐに地下鉄に戻って自衛隊の人に治療してもらって!」
「ま、まだ左腕……使えるで……ござる……」
そう言ったウサだが顔は真っ青だ。決して戦える状態ではない。
「ウサ! 無理しないで! あたしたちの目的は勝つことじゃない! 生きて帰ること! それも誰一人欠けないで! わかったら早く戻って!」
「わかったで……ござる……」
ウサは頷き、ケイの手伝いで立ち上がる。
「あの、この子もお願いします。骨が飛び出てるから、できるだけ早く診てもらえるようにお願いします」
負傷者を運ぶために帰還する自衛隊にウサを預け、俺たちは森崎のほうへ向かった。
「森崎、大丈夫か? ケガとか、ないか?」
「あぁ。君たちのところの子に比べたら、なんてことないかすり傷だ。それより」
森崎は言って、身体に付着したドロッとした液体を指で掬った。
それはデブゾンビの汗のような液体。
「これはガソリンだ」
「確かに、そんな臭いがする」
ツン、とした嗅いだことのある臭いだ。
「でもそれが何でゾンビの身体に?」
「わからない……だが一つ言えるのは、デブゾンビを殺すには銃は使わないことだ。引火してさっきみたいに爆発したらひとたまりもない」
「確かにね。でも、距離をとったらどうかしら?」
ケイがウサの持ってきたスナイパーライフルを手に取り、そう言った。
「爆発での犠牲は防げるけれど、周りの店はどうなる? 物資ごと吹き飛べばゾンビを掃討したとしても勝ったとは言い切れない」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
「いいや、この作戦には居住区の人たちの未来がかかっている。彼らは君たちみたいに強くはない。安心して暮らせる場所だけじゃなく、安全に手に入る食糧や薬も必要なんだ」
そんなことを言い合っている時だった。
ぼじゅり、ぐじゃり、と割れた天井から次々とデブゾンビが入り込んできたのだ。
デブゾンビだけではなく、普通のゾンビも共になだれ込んでくる。
「くそ! まだ来るのかよ!」
「ジュン! 早く構えて!」
スナイパーライフルを構えるケイ。俺も拳銃を構えた。
しかし照準が定まらない。
普通のゾンビを狙っても、射線の間にデブゾンビが跳ねて割り込んでくる。
ぶっ放してもいいが、デブゾンビが連鎖して爆裂したらどうだ。
店が潰れ物資がダメになるだけでなく、強烈な爆風で俺たちも危ない。
「どうしたらいいんだよ!」
「とにかく逃げろ! 逃げるんだ!」
「助けてくれ! まだ死にたくない!」
他の連中もどうしたらいいのかわからず、ただ逃げ惑うしかない。
恐怖に支配された連中は奴らの格好の餌食だ。
ゾンビに食われ、デブゾンビに潰され、みるみる間に数が減っていく。
「君たち! ここは撤退だ! 作戦を立て直す!」
森崎の言葉で俺たちは撤退を決め、振り返る。
が、背後にも天井を割り侵入してきたゾンビの群れが。
退路を断たれ、絶体絶命だ。
「くそ……ここまでかよ……」
死にたくない。死んでたまるか。が、どう足掻いてもこれは俺の死地だ。
諦めて銃を下ろしかけたその時だった。
「南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏!」
と、通りのスピーカーが鳴り、腹を震わせるような低い男たちの声が響き渡ったのだ。
「南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏!」
その音はゾンビの方向感覚をおおいに狂わせた。奴らは触覚を失った昆虫みたくぐるぐると混乱している。
「この声は……」
「えぇ、あいつらね」
「さぁ、死に切れぬ者どもよ! 救済の時間です!」
そう声が響いた。見るとゾンビどもの後ろからやってくる人々が。
そのどれもが能面やひょっとこの面、キツネの面など、お面を被っている。
「我ら南無金剛教が、救いに参りました」
「この左京様の手で救われること、光栄に思いやがれ!」
そしてそれを率いるのは、鬼の面を被った大男と般若の面を被ったロン毛の男、右京と左京だ。
「皆さん、手加減入りません。容赦なく、天に還してやりなさい」
「行くぜおらぁ! 救済じゃぁ!」
右京左京の言葉に応えるように信者共が大声を上げる。そしてゾンビたちに突撃した。
彼らは石材や丸太でゾンビの頭を潰していく。
「さて、左京。我々はあの大きなゾンビを救済しましょうか」
「右京。どっちが多く救済できるか勝負だぜ」
左京は姿勢を低くしたまま駆けだし、デブゾンビの傍らを通り過ぎた。
その瞬間、デブゾンビの胴体が真っ二つになる。
左京の手には血に濡れた日本刀が握られていた。彼が剣を抜く動作も見えなかった。まさに電光石火の一撃だ。
彼がもう一度剣を振るうと、今度はデブゾンビの頭が真っ二つに。
「すげぇ……」
「左京もすごいけど、右京も負けてないよ。見てよ、あれ」
ケイが右京を指さした。
右京はゆっくりとデブゾンビの前に歩み出ると、自らの拳を敵の頭部にねじ込んだ。
重いパンチがデブゾンビの頭をねじり、吹き飛ばす。その怪力はもはや人間とは思えない。
右京は次々とデブゾンビを拳で屠っていく。
「これは、勝てるかもしれない……」
ここからは南無金剛教の独壇場だった。銃火器を使わない彼らにとってはデブゾンビもただのタフなゾンビだ。
俺たちはただそれを眺めるしかない。
「でも、本当に勝てるかな……?」
「どういうことだ、ケイ?」
「わかんないけど、なんだか不安なの……この後にもっと強い何かが出てくるような……」
その時だった。パン! と銃声が鳴り響き、南無金剛教の信者の一人が、頭をぶち抜かれ死んだ。
それに続くように銃声が鳴り、信者が次々と倒れていく。
「今度はなんだ!?」
「ゾンビは俺たち人類を救うために現れた! いわば神の遣い! そんなゾンビを殺す貴様らは、神の敵だ!」
そんな叫び声が聞こえたと同時、どこに隠れていたのか、銃を持った人間が次々と現れ、あっという間に俺たちは包囲された。
「こいつら……腐食箱舟!」
森崎がギリリ、と歯噛みする。その顔には明らかに怒りが沸き上がっていた。
「神の敵を蹂躙せよ!」
彼らの一歩前に出て叫んだ人物に、俺は見覚えがあった。
「あれは、皆川!?」
同じ学校でケイに付きまとっていた、宗教好きの男だ。
「総帥の言うとおりだ! 殺せ! 殺せ!」
「皆川が腐食箱舟の教祖だってのか!?」
あれだけ宗教に熱心だったのだ。こんな世界になってからも何かに縋るために教団を作ったのだろう。
「君たちのやっていることは救いではない! ゾンビを崇拝し、人間を殺すなんて馬鹿げている! 僕の仲間も何人殺されたのか……僕たち自衛隊は総力をかけて腐食箱舟を撃破する!」
ここに奇妙なよつどもえが生まれた。彼らは自らの敵を睨み、一触即発だ。
「森崎、待ってくれ。おい、皆川」
「お前は……どこかで見たことあるな。誰だったか」
「そんなことはどうでもいい。一週間前のことだ。お前は、腐食箱舟の食糧庫のコンビニで、金髪を殺したな?」
俺は前から考えていたことを尋ねる。あの時生きたいと願った彼がなぜ死んだのか。もし自殺ではないならば、可能性はこれしかない。
皆川は少し考える動作をして、確かに、と答えた。
「裏切者には死を。そうしなければ組織の体裁を保てない」
「あいつは仲間のためにも生きると誓った……なのに、殺した……俺は、お前を許さない!」
俺は銃を構えた。森崎も皆川を狙っている。
だが、皆川はなぜか余裕の笑みを浮かべている。その姿は不敵にも見えた。
「俺たちにはまだ戦える力はない。自衛隊ほどの統率力もなければそこの筋肉坊主たちほどの力もない。けれど俺たちはこの場にいる。その理由は少し考えれば、わかるよな?」
「……勝てる何か、秘密兵器でもあるのか」
「ね、ねぇ、ジュン……ちょっと……電話が」
「ケイ、あとにしろ。今はあいつを」
「違うの! ノアちゃんが……ノアちゃんがいなくなったって!」
ケイはスマホを握り締めてそう言った。
ノアがいなくなった、それは今の戦いなどどうでもよくなるほどの事件だ。
「なら、早く戻って探さないとな……まずはこいつを倒さなくちゃ」
俺は銃の引き金を引いた。銃弾が飛び出し、まっすぐに皆川へ向かう。
が、それは皆川の前に躍り出たゾンビに着弾した。
「くそ……! もう一発だ!」
俺はもう一発銃をぶち込む。が、これもまたゾンビによって皆川へ当たることはなかった。
「あはは! やはり俺たちは選ばれた人類だ! 教祖様が俺たちを生かしてくれているんだ!」
「教祖様だと……? まだ別にいるのか!?」
「そう……俺はただの総帥。指示を出し、皆を率いるのみ。俺たちには神にも等しいお方がいる! 俺たちを未来に残すための箱舟のようなお方が! そう、ノア様が!」
「い、今ノアって……言ったの?」
「そうだよ、お姉ちゃん。私がノア。みんなの、神様」
そう言って皆川の後ろから、ノアが現れた。彼女は黒いマントを身に纏い、いつもの無邪気な笑みから一変、何もかもを見下す冷たい表情をしていた。
その表情にふさわしい、肝も冷えるような声で彼女は続けた。
「もう何も知らない子供の私じゃない。私が、ゾンビの女王なの」
そこからはもうめちゃくちゃな戦いだ。
ゾンビも自衛隊も南無金剛教も腐食箱舟も、全てがぶつかった。
飛び散る血はゾンビのモノか人間のモノか、もはやわからない。
はっきりわかるのはこの場にいると危ないということだけ。
「ケイ、逃げるぞ!」
俺は呆然と立ち尽くすケイを連れ、近くの建物へ入り身を隠す。
幸い隠れるところは誰にも見られなかった。
辺りを見渡す。適当な建物を選んだため、ここがどこか知る必要があった。
「ここは……映画館か!?」
俺が無意識に選んだここは、あの始まりの映画館だった。
危機から身を隠せるとはいえ、少し複雑だ。
「ケイ、ここならとりあえず大丈夫だ」
「ジュン……ノアちゃんが……ノアちゃんが……」
ケイはうずくまり、信じられないとでも言いたげにノアの名を呼んでいる。
「俺も信じられないよ。ノアが腐食箱舟の教祖だったってことは」
しかし信じられなくても、合点はいく。
ノアには確かにゾンビを操る力があった。その力があれば人を助けることも、殺すことだって自在だ。
「あたし、もうどうしたらいいのかわかんないよ……」
ケイは涙声でそう言った。彼女の肩は震え、頬には涙が輝いている。
その姿が小学校の時の彼女と重なり、俺は思わず昔のように、ぎゅっと抱きしめた。
「ケイ、大丈夫だから……俺が守るから……」
「ジュンちゃん……」
ケイは昔こうしたら泣き止んだ。そうして今も、彼女はだんだんと落ち着いていく。
肩の震えはまだ収まらないが、涙は落ち着いたようだ。
さっきまで鼻を鳴らしていた音が聞こえない。
「ねぇジュンちゃん……もしかしたらもう言う機会がないかもしれないから、言ってもいい?」
「……なんだ?」
ケイは俺の腕から顔を出し、いまだ湿り気の残る瞳を向ける。
俺の視線とケイの視線が絡まり、まるでメデューサにでも睨まれたかのように動けなくなった。
彼女は一瞬、はぁ、と息を整え、意を決したように口を開いた。
「あたし、ケイちゃんが好き!」
「!?」
今何を言われたのか、頭が理解する前に彼女が続ける。
「小学校の頃からケイちゃんが好きなの! 優しくて強くて守ってくれるケイちゃんが!」
ケイが俺のことを好きだと言っている。それは理解できた。しかし今までの態度とそれがつながらない。
高校で再会してからケイは俺とあまり顔を合わせようとしなくなった。昔のように話せているのもこのゾンビパニックがあったから。
「ほ、ほんとに俺が好きなのか? でも学校での態度とか今までの素振りとか、信じられない……もしかしてからかってる?」
俺がそう言うと彼女はぷぅ、と頬を膨らませ、眉間にしわを寄せる。
「これでもからかってないって言える?」
彼女がそう言ったかと思うと、おもむろに顔を近づけ、唇が触れた。
柔らかな唇と、彼女の女の子の匂いが脳を支配する。
キスをされた、そう理解しても体がそれを拒めない。
「ジュンちゃん……んっ……ちゅる……」
舌が俺の口内に侵入してくる。彼女の舌が俺の口内を蹂躙する。
気が付けば俺も、舌を彼女に絡めていた。
呼吸も忘れるほどのむさぼるようなキスをする中、俺は気付く。
俺もケイが好きだ、と。
子供の頃ケイを守っていたのは彼女が好きだったから。
再開してケイと顔を合わせようとしなかったのは、俺のほうだ。
彼女が昔と変わっていると怖かったから。俺の知らない彼女になっているのが怖かったから。
だから俺は鎌滝さんに逃げていた。大人しい雰囲気が昔のケイに似ていた鎌滝さんに。
「ぷはぁ……! どう、ジュンちゃん。これでもあたしが冗談言ってるとか思ったり、する?」
ケイとの距離が離れ、俺は久々に肺に空気を入れることができた。
活性化した脳が見たのは、今までよりも艶やかなケイの姿。頬が上気し、瞳は湿り、唇の端に彼女か俺のかわからない唾液が垂れ、肩を大きく上下させている。
そんな彼女を見て、俺は自然と口を開いていた。
「ケイ……俺も、ケイが好きだ」
その瞬間ケイの瞳が見開かれる。ぱぁ、と花が咲いたかのように表情が明るくなり、抱き着いてきた。
「嬉しい! ジュンちゃん!」
「ケイ、そのさ、ジュンちゃんってのやっぱり恥ずかしいかも……いつも通りジュンがいいな」
恥ずかしいのはケイと両思いだったから。しかしそれをごまかすためにそんなことを言った。
「わかった。ジュン、大好きだよ」
もう一度ケイがキスをする。今度は唇が触れるだけの簡単なキス。
それでも俺は、ふわふわと浮遊してしまいそうなほど嬉しかった。
「……と、ケイ。ムードを壊して悪いけど、俺たちはここから生きて帰らなくちゃいけない。そうだろ?」
残った理性をフル動員してそう言う。彼女もそれに頷き、今までの甘い顔に、パチン、と鞭を打った。
「そうだね。あたしたちこれで恋人同士だし、なおさら死ねないね。さっきまで諦めかけてたけど、頑張るよ!」
俺たちは立ち上がり銃を構える。この戦場からどう生き延びればいいかわからない。
けれど二人ならやれる気がした。
行こう、と声をかけ、一歩踏み出したその時だった。
背後で何かが蠢いて振り返る。
「ゾンビね。さっさと倒しちゃおう」
「いや、待て……あれは」
奥からやってくるゾンビ。光に照らされて次第にその姿が明らかになっていく。
ゾンビのかけたメガネがきらり、と光る。そのゾンビは俺たちのよく知る人物だった。
「鎌滝さん……」
肌は青白くくすみ、身体のいたるところから血が滴っている。体は痩せ細って枝のよう。顔も腐食し、生前のような可憐さはない。
しかしわかる、彼女が鎌滝さんだと。本能がそう言っているのだ。
「キナコ……ねぇ、ジュン。早くキナコを楽にしてあげよう。この子、たぶん何も食べてないよ」
彼女だったものの口周りには血が付いていない。歯もキレイだ。
痩せこけた身体もそれを物語っている。
「鎌滝さん、ごめん……俺は君を助けられなかった。だから今、助ける」
鎌滝さんに銃を向ける。彼女の顔は、ゾンビだと言うのに少し嬉しそうに見えた。
「ほんとに、ごめん」
贖罪の言葉を述べ、俺は引き金に指をかけた。あとはそれを引くだけだ。
しかしそれは背後から聞こえた声により、遮られる。
「あー! お姉ちゃんこんなところにいたんだ! ずっと探してたんだよ!」
ノアだ。
彼女はぱぁ、と笑顔を輝かせパタパタと走ってくる。
だんだんと近づくノア。一体彼女は何をしてくるのか。
俺は身構えたが、彼女は何もせず、ただ俺の横を通り過ぎた。
そして鎌滝さんのゾンビに抱き着いたのだ。
「会いたかったよ、奈子お姉ちゃん。私から幸せを全部奪った、奈子お姉ちゃん」
ノアは鎌滝さんの顔を見て、にやり、と口角を吊り上げる。
「何しようとしてるんだ、ノア!」
それに何か不安なものを感じ、銃をノアに向けたが遅かった。
「奈子お姉ちゃん。最後に面白いこと、やってよね」
「うがぁぁぁぁぁ!!!」
鎌滝さんが悲鳴にも似た慟哭を上げ、こちらに飛びかかってきた。
しかし彼女も俺たちを無視し、その先、外へ飛び出した。
「あがぁああぁぁぁぁぁ!!!」
苦しげな叫びが商店街内に木霊する。
すると、それを聞いたゾンビがわらわらと鎌滝さんの周りに集まりだしたのだ。
「おい、ノア……! 鎌滝さんに何をした!」
「ノアちゃん! お願いだからやめて! その力があるなら人助けもできるでしょ!?」
「ケイお姉ちゃん。人助けなんてして、何になるの? それで本当に救われる人がいるの? そんなことよりさ、面白いことが起きるから見ててよ」
ノアはキラキラと目を輝かせて外の光景を見ている。
なにが起こるのかわからない、俺とケイは不安にそれを見ていた。
「あああぁぁぁぁぁあ!!!」
鎌滝さんが叫ぶと、周りのゾンビが彼女に噛み付いた。それに連鎖するように、次々とゾンビが噛み付いていく。
「なんだ、あれ……ゾンビが、溶けている?」
するとみるみる間に噛み付いたゾンビが溶け、赤黒い肉塊と化していく。
その肉塊は意思を持っているかのようにぐじゅぐじゅと蠢き、鎌滝さんの身体に纏わりつく。
どんどんとあたりのゾンビが肉塊と化し、それが鎌滝さんに吸収され、大きくなっていく。
気づけば鎌滝さんはおよそ15メートルくらいの巨大なゾンビの塊となっていた。
「見てた、お兄ちゃんたち! ゾンビの合体! すごいでしょ! 誰にも負けないんだから!」
ノアが無邪気に笑う。その無邪気さが、ぞっとする。
「う、撃て撃て撃てぇ! 怯むなぁ!」
自衛隊が銃を撃つ。しかし塊となったゾンビには豆粒のような銃弾は効かない。
巨大ゾンビが気だるげに腕を一薙ぎすると、そこにいた自衛隊の姿がなくなった。
見ると腕の肉に自衛隊が沈み込み、吸収されているではないか。
完全に塊に吸い込まれた自衛隊たち。巨大ゾンビがさらに膨れ上がったような気がした。
「人も吸収してるのかよ……」
「あんなの、ほんとに勝ち目無いじゃない……」
「だから言ったでしょ? あのゾンビは最強なの!」
あんなものを見せられた後だと、自衛隊も南無金剛教も怯え、逃げ惑うしかなかった。
「あぁ! 我らがゾンビ様よ! その神々しいお姿で人類に鉄槌を! そして我々に救済を!」
が、皆川をはじめ腐食箱舟の人間はそのゾンビを称え、歓喜していた。
巨大ゾンビが一歩踏み出す。足元にいる人間はみな、吸収される。
一歩、また一歩ゾンビが進む。
「我らがゾンビ様が鉄槌を下すために歩んでいる! ゾンビ様万歳! ゾンビ様ばんざ……ぶげぇ!」
ゾンビの足元でそれを讃えていた皆川が、足に吸収されていく。
「そ、そんな……俺は選ばれた人間なのに……! 死にたくない! 誰か! だれかたすげ……で……」
皆川が完全吸収され、腐食箱舟の人間もついに散り散りに逃げ始めた。
だが、逃げ惑う人々の中、それに立ち向かう者も。
右京と左京だ。
「なぁ、右京。俺様たちがこいつをぶっ殺したらさ、俺様たちが神様ってことになるんじゃね?」
「神の座に興味はない。私はただ、神の教えのまま人を守り、死者の魂を還すのみ」
「熱心なことで。じゃ、神様の座は俺様が独占するってことで!」
右京と左京が同時に飛び出した。
彼らを屠るためにゾンビが腕を薙ぐ。
しかしその瞬間左京が高速で日本刀を操り、ゾンビの指を切り落とした。
ばちゃぁ! と肉塊が地へ落ちる。切り落とされた肉塊ははじめ熱心に蠢いていたが、次第に動きが鈍り、最後には動かなくなった。
「巨大でもゾンビはゾンビだ。頭を潰せば救済できる!」
右京はゾンビの腕の上を走っていた。彼の足元から肉塊が体を奪おうと伸びるが、彼はそれが届く前に足を上げ先へ進む。
足の回転速度が高速だ。ゾンビを素手で屠れる右京だからできる技なのだろうか。常人にはできないそれをやってのけ、彼はあっという間にゾンビの頭部へ。
そして何発も頭部に拳を突き立てた。
巨大ゾンビがよろめく。やはり巨大でも頭部は弱点のようだ。
「もしかして、あの二人なら勝てるかも!」
ケイが興奮気味に声を上げる。
頭部は右京が、身体は左京が同時に攻めている。巨大ゾンビはたまらずに呻き声をあげた。
「二人とも、早く逃げるんだ! 地下鉄を動かしている! ウサくんはすでに逃げている。あの二人がひきつけてくれているうちにすぐに乗り込むんだ!」
と、森崎の声が聞こえる。俺たちはその声に従うことに。
「ノアも……あれ? いない?」
いつのまにかノアはいなくなっていた。
彼女はまだ何か企んでいる。そんな不安が残ったが、俺たちにはどうすることもできない。
あとは右京達に任せ、俺たちは地下鉄で居住区へ戻った。
「作戦は失敗だ……これだけ犠牲が出て、どんな顔で帰ればいいんだ」
生き残った者は地下鉄から降り、散り散りにその場から離れる。
だが森崎だけはその場で立ち尽くしたままだ。
「森崎、大丈夫だ、誰も責めやしないって」
「そういう問題じゃない! 僕たちは多大な犠牲を払って、あの巨大ゾンビを生み出してしまっただけじゃないか!」
「でもあのゾンビは右京と左京が何とかしてくれてるよ」
ケイも森崎を励まそうとするが、彼には無駄だった。
「あの二人でもどうなるか……きっと負けるさ。その時はもう僕たちは終わりだ」
「森崎!」
俺はたまらず彼の頬を叩いた。彼は一瞬呆然としたが、次の瞬間には怒りをあらわにした。
「何をするんだ!」
「いつまでもうだうだ言ってるな! まだ負けてない!」
「負けたじゃないか!」
「いいや、まだ居住区に守る人たちがいる! 一人でも多く生き残れば逆転のチャンスはある! 違うか?」
森崎は何かに気付いたように、顔に生気を取り戻した。
「いいか? お前は自衛隊だ。人を守ることが仕事だろう? ゾンビを倒すのは二の次だ」
「そうだ。僕は居住区を守らないといけない。もしあいつらが負けた時のために」
そう言って森崎は居住区のほうへ走っていく。
「ジュン、あたしたちも行こう。あたしたちの守る場所に」
あぁ、と頷き、俺たちも走った。
少ししてロメロに辿り着く。が、その前にはイチが血に塗れて座り込んでいた。
「イチ!? どうしたんだ!」
「ジュンか……ボクたちはもう終わりだよ。何も残ってない」
「どういうことだよ」
俺が尋ねると、イチはホテルの入口を指さした。
そこには5体のゾンビの死骸が転がっている。
「あれってあたしたちが捕まえてきたゾンビ!? どうして!? ベッドに括り付けてたはずなのに!」
「あいつら、急に狂暴化したんだ。繋がった手錠を無理やり壊して襲い掛かってきた。だからボクが、殺した、全部」
はぁ、と息を吐いてイチはその場に力なく寝転がった。
彼の瞳に、夕に染まり始めた空が映る。
「ボクたちの生命線のゾンビがいなくなった、もう商売は続けられない。もうキレイなゾンビなんて見つからないよ。ノアはいなくなって、ウサはケガした。それに巨大ゾンビって……」
イチは自嘲気味に笑う。あまりにも多くのことが一気に起こったせいで心が耐え切れなくなったのだろう。
「イチ。立ってくれよ。もう一回、やり直そう」
「そうよ。あたしたちまだ生きてるんだし、何回でもやり直せるわ」
「そんなこと、言われなくてもわかってるよ。けど、今ボクが欲しいのはそんな慰めの言葉じゃない。わかるだろう?」
「そうか……なら!」
俺はイチの胸倉を思いきりつかんだ。そしてしょぼくれた顔面めがけて思い切り拳をぶち込んだ。
「いてぇ! ジュン! なにするんだよ!」
「慰めの言葉がいらないならこうするのがいいかなって」
「違うよ! ボクが欲しかったのは諦める言い訳! 拳じゃない!」
「それはすまなかったな」
そう言った俺の顔に、イチの拳がめり込んだ。びりびりとした痛みが頬から顔全体に広がる。
「これでお相子だからね」
「まったく二人とも、子供っぽいんだから。ま、イチが元気になってくれたなら何よりかな」
ケイは笑って俺たちの赤くなった頬に手をかざした。
痛みで熱くなった頬に、ケイの少しひんやりとした手が心地よい。
「それじゃ、とりあえず居住区で治療中のウサの様子でも見に行ってみる? あの子と合流してからこれからのこと考えよう」
ケイの提案に頷き、居住区へと足を向けたその時だった。
「ジュンお兄ちゃんたち、どこ行こうとしてるのかな? 私と遊んでよ」
俺たちの背後にいつのまにかノアが立っていた。
ノアはくすくす、と笑うと右手を天に向かって掲げる。
すると地面が蠢き、にょきにょきと天に向かって伸び始め、やがて巨大ゾンビへ姿を変えた。
今までどろどろの肉液にして地中を這わせてここまでやってきたため、俺たちにはわからなかったのだ。
「ほら、奈子お姉ちゃんもまだまだ遊びたいって言ってるよ?」
巨大ゾンビの身体に無数の顔が浮かび上がり、その口が言葉を発した。
「に……ク……い……コ……ろ……ス」
「あれは皆川の顔! 取り込まれた人間たちか!」
「ねぇ見て! あれ、右京と左京じゃない!?」
ケイが指さした顔は、確かに右京と左京だ。やはり負けてしまったのか。
「あはは! みんなみんな死んじゃえ!」
「ノア! なんでお前は人を殺そうとするんだ!」
「そうよ! ノアはそんな子じゃないはずでしょ?」
俺たちはノアに問いかける。彼女がなぜこんなことをするのか。
「お兄ちゃんたち、時間稼ぎでもする気? ま、そんなことしても私には勝てないけど。だから教えてあげる。私がどうして人を殺したいか」
ノアは小さく笑い、語り始める。自分の不幸な生い立ちを。
「お兄ちゃんたちは生まれてきちゃいけなかった子って知ってる?」
俺は考えて首を横に振る。
「私は生まれちゃいけない子だったの。だって、私のお父さんには私のお母さんじゃないお嫁さんがいた。お父さんのお嫁さんにはね、子供もいたの。私のお姉ちゃん、奈子お姉ちゃんが」
「そんな……」
鎌滝さんとノアがそっくりだったのは腹違いの姉妹だったからなのか。
「私はお母さんから言われた、生まれちゃいけない子だって。奈子お姉ちゃんをこっそり見ながら教えてくれたの、あなたのお姉ちゃんが全部幸せを持って行っちゃったって」
ノアは忌々し気に顔を歪める。何かに嫌悪するような、そんな顔だ。
「だから私は不幸になった。家も貧乏で、お母さんも私のことをぶった! それに、お母さんが紹介した男の人から何回も何回も嫌な事された!」
次にノアは何か考えるような素振りを見せ、言う。
「えっと……こういう時は犯されたって言うんだっけ。男の人が教えてくれたの。違う?」
俺たちは何も言うことができなかった。
彼女は10歳くらいだというのに、そんなことをされていたのか。現実にそんなことが起こっていたということが受け入れられない。
「私は何回も助けてって言った。誰でもいいから助けてほしかった。でも誰も助けに来てくれない! その間も奈子お姉ちゃんが幸せになってるって思うとすごく腹が立った! だからこんな世界、終わっちゃえばいいと思った! そんな時、ゾンビが出てきて人間をいっぱい殺してくれた。ゾンビが私の言うことを聞くのもわかった。私は救われたの!」
「ねぇ、ノア!」
ケイが声を上げる。
「じゃあどうしてあたしたちと一緒にいたの? あたしたちを助けたの?」
「それは、本物の私」
「じゃあ今のノアは本物じゃないって言うの?」
ノアは頷く。
「私はノアが作った偽物なの。ノアが耐え切れないことがあると私が代わりに辛いことを引き受けるの」
「二重人格ってことね……」
もう一つの人格が生まれるほど、酷いことをされたのか。俺には想像もつかない。
彼女にかける言葉もわからない。
けれどこれだけはわかる。ノアは、助けなければいけない。
「ノア。俺たちはお前を助ける。絶対に酷いことがないように守ってやる。だから、もうこんなことやめてくれ」
俺はノアの目を見た。憎しみと憎悪に歪んだ彼女の目に、俺は映っているのだろうか。
「もう遅いの! 何もかも、終わりなの!」
ノアは叫び、手のひらを天に掲げた。その瞬間動き出す巨大ゾンビ。
ずずぅん、と地鳴りを響かせ巨大な体躯を動かしていく。
「今日で全部全部終わり! 殺しつくしちゃって!」
「終わりじゃない! 終わらせない!」
と、その声とともに巨大ゾンビの腕が爆裂した。
「僕たち自衛隊がいる限り、絶対に終わらせない!」
森崎が自衛隊と、それに戦車を引き連れてやってきたのだ。
戦車ならば巨大ゾンビを倒せるかもしれない。しかし戦車は3台しかない。
「これはぎりぎりの戦いになるでござるね」
「ウサ!? お前居住区で治療してもらってるんじゃ」
「こんな時にじっとしてられないでござるよ。あーしだってまだ戦えるでござる。腕は使えなくても頭が使えるでござるよ!」
ウサの右腕は包帯に包まれているが、それ以外はいつもの彼女だ。
「アルファは砲撃後、後方へ離脱でござる! ベータとガンマは左右に分かれて砲撃準備でござる!」
ウサの声で戦車隊が動く。
砲撃がゾンビに着弾し、大量の肉塊が戦車に降り注ぐ。が、ウサの指示を受けていた戦車隊はそれを躱し、次の砲撃の準備へ移っていた。
「次はベータが右腕を砲撃でござる! その3秒後にガンマが左腕を砲撃するでござる! まずは邪魔な腕を壊すでござるよ!」
ウサの指示で戦車が砲撃する。砲弾は巨大ゾンビの右腕、左腕を吹き飛ばすことに成功した。
巨大ゾンビが呻き声を上げる中、ウサは得意げにニシシ、と笑う。
「人間は頭を使うから強いんでござるよ! ゾンビには考える脳がないでござる! だから負ける運命なんでござるよ! このセリフ言ってみたかったんでござるよね!」
「ゾンビは最強だもん! 負けないもん! やっちゃえ!」
今度はノアが叫んだ。それと同調するように巨大ゾンビが雄たけびを上げる。
すると吹き飛ばされた腕の断面からまるで濁流のように肉塊が噴出し、戦車隊に襲い掛かったのだ。
「ぜ、全員退避でござる!」
が、ウサの指示も間に合わず、二台の戦車は飛び出した肉液の腕に絡めとられ、巨大ゾンビの体内に消えていく。
唯一生き残った一台もキャタピラに肉塊がへばりつき、動けなくなっていた。
「あはは! やっぱりゾンビは最強だよ! あと一台も壊しちゃえ!」
「まだ負けてないでござるよ……最後の一発を撃ち終えるまで、負けはないでござる!」
戦車の砲塔が唸る。撃ち込まれた砲弾が巨大ゾンビの肉を抉るが、すぐに肉塊が噴出し修復してしまう。
「もう砲弾がなくなっちゃった……戦車でも勝てないの?」
全ての砲弾を撃ち尽くした戦車は、ただのガラクタとなった。それを見たケイは顔を歪める。
俺も言葉には出さなかったが、奥歯をぎりっ、と噛んだ。
巨大ゾンビの腕が戦車を掴み、持ち上げた。
「さて、この戦車はどうやって潰してあげようかな? ぺったんこにしてもいいけど、それじゃ面白くないよね?」
巨大ゾンビが大きく口を開け、戦車をその中へ放り込んだ。
「戦車を食った……!」
これで俺たちには反撃の手がなくなった。だが、ウサはそんな状況だと言うのに笑みを浮かべている。
「やっぱり、あーしの勝ちでござるね」
巨大ゾンビが戦車を咀嚼しようと口を閉じたその時だった。
どがん! と巨大な音とともに、ゾンビの顔の右半分が吹き飛んだ。
「な、なんで!? なんで顔が吹き飛ぶの!?」
「そんなの簡単でござるよ。実は一発、弾が残ってた、それだけでござる」
「決死の一撃ってわけね……でも見て! 顔が回復していく!」
吹き飛んだ肉片が損傷した顔面へ集まっていく。
だが、その速度は腕や他の部位よりも遅い。
「頭が弱点ってことは他のゾンビと変わらないのか!」
「あと一発撃ちこめば勝てるかも!」
「でもボクたちにはあいつに太刀打ちできる武器もない! 戦車もない!」
戦車が残した最後の希望。しかし俺たちはそれをモノにする術を持たない。
「いいや! あるでござる!」
ウサは叫んだ。勝利を確信した声で。
「打ち上げ花火でござる!」
「打ち上げ花火って……この前やった?」
あの日屋上で遊んだ花火。打ち上げ花火は目立つからやめておこうと言ってとっておいたのだが、それをどう使うのか。
「ウサ、もし打ち上げ花火をあいつにぶつけるとしても、火力が足りないんじゃないの?」
ケイの言葉にウサはちっちっ、と指を振る。
「あーしが改造したでござる! 火力は軽く10倍を超えてるでござるよ! ミサイルに匹敵する火力かもでござるな」
「最後にそれに賭けるしかないな……ウサ、どこに片付けた!?」
「フロントでござる!」
俺たちは全力で駆ける、ロメロの入口目指して。
「そうはさせないよ!」
しかしノアが入り口前にゾンビを集める。今は雑魚にかまっている時間はないと言うのに。
「くそ! どきやがれザコども!」
「ジュンくん! ここは僕たち自衛隊に任せて先に行くんだ!」
森崎ら自衛隊がゾンビの前に立ち塞がり、俺たちの道を作った。
「僕たち人間の底力、今こそ見せるべき時だ!」
「ありがとう森崎!」
「いいから君たちは早く行くんだ! 僕たちが命を懸けて守ってやるんだ! それに見合った働きはしてくれよ!」
こんな時まで減らず口な奴だ。だが、未来を預けて戦ってくれている。
俺たちはそれに報いなければいけない。
自衛隊のおかげでロメロの中に入ることができた。
フロントを探り、大量の打ち上げ花火を見つける。
「おいおい、結構あるじゃんか。どれだけ隠してたんだよ」
「どんなことがあるかわからないでござるからね、こっそり集めてたんでござる」
「トータル30本ね。一人6本打てるわ」
俺たちはそれを持ち、屋上へ。
屋上の高さと巨大ゾンビの頭の位置は同じ。ここから撃ちこめば確実に仕留めることができる。
巨大ゾンビの頭部はじわじわと回復していっている。
「お……レ……ざ……ま……カ……み……」
「きゅ……ウ……ざ……イ……」
「ぞ……ン……ビ……ざ……ま……」
取り込まれた人間の呻きがとても近く聞こえる。
「お前ら……解放してやるからな」
俺たちは打ち上げ花火を手に持ち、巨大ゾンビの頭部へ向けた。
ゾンビは俺たちの攻撃を察知して腕で顔を隠す。
「ジュン……あたしたちは準備完了だよ」
「あぁ、行くぞ……最終攻撃だ!」
俺たちは一斉に花火に火を点けた。
導火線に火が伝い、ぼんっ! と爆音が響き花火が発射される。
花火は巨大ゾンビの腕に着弾し、ぱぁん! と真っ赤な大輪の花を咲かせた。
「まだまだ!」
二本目、三本目、とぶち込み、ゾンビの腕を壊していく。
が、ゾンビもやられているだけではなかった。
壊れた腕から触手のように肉塊を噴き上がらせ、波打つ肉の壁を作り顔面を守る。
「何やってもあーしたちは止められないでござる!」
「そうだね! 僕らを頼りにしてくれてる人たちのためにも!」
四本目、五本目をぶち込んだ。
が、肉の壁を突破することはできない。
「これが最後ね……あたしたちならやれる、そうでしょ、ジュン!」
「あぁ。これをぶち込んで、映画のヒーローみたいになるんだ!」
俺たちは最後の打ち上げ花火に火を点けた。
花火が勢いよく飛び出し、肉の壁へ。しかしそれの間を縫うように進み、巨大ゾンビの頭に着弾した。
どぱぁん! 最後の花火が咲いた瞬間、巨大ゾンビの身体が力なく崩れ落ちた。
「私のゾンビが!」
「やったぜ! これで俺たちの勝ちだ!」
「ジュン! まだよ! あれ見て! 鎌滝さんが!」
ケイに言われ、俺は屋上から身を乗り出し地上を見た。
巨大ゾンビの頭があった場所には、鎌滝さんのゾンビがいた。
周りの肉体がじわりじわりと鎌滝さんに集まっている。
まだ終わったわけじゃないのだ。
「鎌滝さん……終わりにしよう。ウサのスナイパー貸してくれ!」
ウサのスナイパーライフルはケイが持っていた。
ケイからスナイパーを受け取り、スコープを覗く。
すると、スコープ越しに鎌滝さんと目が合った。
「ごめん、鎌滝さん……俺は君を守れなかった。それに俺は、君を好きなふりをしてた。それで君を傷つけてしまったかもしれない。ほんとに、ごめん」
鎌滝さんが俺を見つめている。
そして、何もかも見透かしていたかのように、二コリ、と笑ったのだ。
「ありがとう」
俺は、引き金を引いた。
「ノア、これで終わりだ」
俺たちは巨大ゾンビを屠った。地上に戻り、俺はノアの前に立つ。
「まだ……まだ負けてないもん……!」
ノアは目に涙を浮かべながらそう言う。負けてない、そう言うが彼女にまだ何か手が残されているのだろうか。
「なぁ、ノア……俺たちと帰ろう」
俺はノアに手を差し伸べる。
「もうこんなことやめてさ、俺たちと一緒にいようよ」
「ダメ……私はまだ戦わなくちゃいけない……私にこの力は私だけのためじゃなくて、私みたいな子すべてを助けるためにあるの。だからこんなところで負けられない!」
ノアが拳を握り、俺の身体を殴る。が、幼い彼女の攻撃は痛くない。
痛くないはずなのだが、痛い。心が、痛むのだ。
こんな小さな体で不幸を背負い、自分と同じ子供のために戦おうとしている。
その姿にどうしようもなく胸が痛む。
「ノア……」
「私はまだ……負けない! お兄ちゃんを、倒すんだ!」
ノアの拳にだんだん力が入らなくなり、彼女はガクリ、と地面に膝をついた。
そしてわんわんと泣き出した。
「私が……私がやらなくちゃいけないの! ノアを幸せにするの!」
「の……ア……ちゃ……ん……」
「え……?」
懐かしい声がした。鎌滝さんの声だ。
見ると鎌滝さんのゾンビが眉間から血を流しながらも、こちらに歩いてきていた。
「だい……じょう……ブ……ノア……ちゃんは……すっごく……ガンバ……た……おね……ちゃンが……しってる……」
そして鎌滝さんはノアの身体を抱きしめた。
「ごめ……ン……ね……ノア……ちゃ……」
鎌滝さんが、ぎゅっと、強くノアを抱きしめる。ノアもそれに応えるように抱き返す。
「奈子お姉ちゃん……! 奈子お姉ちゃぁん!」
「ノア……ちゃん……イッショ……に……いこ……ウ……」
鎌滝さんが泣いた。胸の奥底まで響くほどの大きな声で。
するとあたりからゾンビが湧き出した。
「ジュン! ゾンビが!」
「待て、ケイ! こいつらは、敵じゃない」
ゾンビは俺たちを無視して鎌滝さんのもとへ。そして巨大化したときのようにどろどろの肉塊となり、鎌滝さんとノアに張り付いていく。
「これって、どういうこと?」
「鎌滝さんが終わらせようとしてくれてるんだ……全部全部」
鎌滝さんとノアに肉塊が纏わり付き、巨大なゾンビへと変容していく。
そんな中、鎌滝さんが俺のほうを見た。
「ノア……ちゃん……みたいな……コ……ださない……セカイに……して……」
それだけ言うと、彼女たちの姿は肉塊の中へと消えていった。
「わかったよ、鎌滝さん。俺たちが絶対、そんな世界にさせないから」
巨大ゾンビは俺の言葉を聞き終えると、歩み始めた。
巨大ゾンビが歩くたびに、足元に集まっていたゾンビたちが吸収されていく。
世界中のゾンビが巨大ゾンビにまるで磁石のように吸い付いていく。
「ねぇ、ノアちゃんたちはどこに行くのかな?」
「……幸せな終わりにだ」
巨大ゾンビはゾンビを吸収しながら進み、やがて海の中へと沈んでいった。
その日、他の地域、他の国でも同じようにゾンビが合体し巨大化、それが海の底へ自ら沈んでいった。
そうしてこの世界からゾンビは完全に消え去った。
俺はその日、夢を見た。
鎌滝さんが死んだときの夢だ。
「幸せになって、ジュンくん」
聞き取れなかった彼女の最後の言葉を、ようやく思い出した。
彼女は生前も、ゾンビになっても、変わらず他人の幸せを願うのだった。
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