第3話―終わった世界の歩き方―

1.ここで起きた全てのことにおいて当店は一切の責任を負わない。たとえゾンビになったとしても全て自己責任である。

2.女ゾンビの拘束を解く行為や怒りを起こす激しいプレイはお断り。

3.粘膜感染を防ぐためゾンビの口内や傷口を触る行為やそれに通じるプレイはお断り。

4.ガスマスクとコンドームは何があっても外さないこと。

以上の項目は命に関わります。必ず確認のうえ、署名してください。

これが「ヘルス・オブ・ザ・デッド」の利用条件だ。

対価は銃弾・食料、電池、その他には衣類や娯楽品など。

「ジュン、倉庫見てきたんだけどゴムがこれで最後」

「結構確保してたと思ったんだけどな」

「ほら、最近居住区での物資供給が安定してきたでしょ? だからちょっと贅沢して遊びに来てるって人が多いの」

 生きていくための商売、しかしこれを続けるにも備品として必要なものがある。

 客の安全を確保しなければ商売は続けられないのだ。

「でもなぁ……」

 ケイの杞憂の目から逃れるように外を眺める。

 外はカンカン照りで、ぎらぎらと太陽が輝く。

 鳴り響くセミの声も、どこか暑さで苦しんでいるように聞こえた。

「とりあえずあと何日くらい持つか計算してくれるか?」

 ケイはオッケー、と返事をしパソコンとにらめっこに戻る。

「俺もちょっと倉庫見てくるわ。他に足りないものあるか探すよ」

 ケイにフロントを任せ、俺はいったん外へ。

 倉庫はこの店の地下駐車場だ。銃弾や服、薬などを保管している。

 普段はシャッターを閉め、万が一のためにカードロック式の警報システムも導入してある。

「うぐっ……暑いな」

 地下駐車場までの道のりはほんの30秒もない。だがそれでも暑いものは暑いのだ。

 気分が滅入るな、そう思いながらシャッターに手をかけたところで背後に気配を感じた。

 腰のホルスターにしまった拳銃を構え、勢いよく振り向いた。

「物騒なものはしまってほしいな、ジュンくん」

 そこにいたのは細い眼に迷彩服の長身の男。

 自衛隊の森崎奏もりさきかなだ。

 19歳という若さだが、この騒動のせいで訓練校からすぐに自衛隊に配属されたらしい。

「森崎、どうしたんだ? こんなところまで来てよ」

 俺は拳銃を構えたまま森崎に尋ねる。

 彼は困ったな、とでも言いたげに眉をへの字に曲げた。

「客じゃないなら来ないでもらえるか? 自衛隊が近くうろついてると客も寄り付かねぇし」

「いやだなぁ。自衛隊である僕がこんなふしだらな店で遊んでいくわけないじゃないか」

「じゃあ何だ?」

 森崎は今度は待ってましたと言わんばかりに口角を吊り上げ、ずいっと顔を近づけてきた。

 自らの額に、俺の拳銃の先がくっつくほどに。

「摘発だよ。居住区の近くにこんな店があるのは問題だ。わかるだろう? 君たちが、この辺一帯の風紀を乱すことになっているんだ」

 居住区。それは自衛隊が定めたゾンビを殲滅され、安定した生活を送れる地域を指す。

 彼らはゾンビを排除し、街の入り口となるような場所をバリケードで固め、今後ゾンビが入らないように見張りも立てている。

 彼らの最終目標は日本をすべて居住区に戻すこと。

 そのため日夜ゾンビ退治に勤しんでいるのだ。

「居住区の人から聞いたよ。君たちが足元見て高額な要求をしてきたって」

「は? リアルな女のほうが俺たちより吹っ掛けてきてるだろ。居住区にもそういう人たちがいるんだろ? なら先にそっちを取り締まれよ」

「彼女たちは自分の身体を使って稼いでいる。でも君たちは違う。ゾンビだ」

「俺たちは命がけでゾンビを……って平行線になるな。やめよう」

 俺は溜め息一つ、構えていた拳銃を下ろした。

「で、俺たちに何をさせようって? 摘発見逃すから、何かしろって魂胆なんだろう?」

「話が早くて助かる。君たちにはA小学校に行ってもらう」

「小学校に? なんで?」

「居住区の運営もかなり安定してきた。この機会に学校を開こうと思ってね。そこで勉強道具を取りに行ってもらいたい。報酬は、そうだな……1か月目をつぶってやる。それでどうだ?」

「ちっ……不良自衛隊が」

 俺たちのほかにも居住区外で商売をしている者がいる。

 武器や薬、食料の販売が主だが、生身の女で風俗を開いている奴らもいる。

 自衛隊はそういう管轄外で稼ごうとしている人間のもとに行き、商売の許可を出す代わりに居住区外での任務を任せるのだ。

 今居住区が拡大しているのも、すべてがすべて自衛隊のおかげ、というわけではないのだ。

「行ってもいいが、俺たち総出でも量は取ってこれないと思うけども?」

「必要なのはそこに目当てのものがある事実と、ちょいとばかりの小細工でね。持てるだけ持ち帰ってもらえればいいが、残りは固めてわかりやすいところに纏めておいてくれよ」

 あくまでも自衛隊の手柄にするつもりなのだろう。

 そんなクズの手助けをするというのは癪だが、その気持ちはわからなくもない。

 彼らも生きるために手段を選べないのだ。

「わかったよ。ただ、ゾンビを殲滅してもいいだろ? その時は」

「3か月だ。殲滅できたら、の話だけどもね」

 そう言うと森崎はひらひらと手を振り、居住区のほうへと歩き出した。

「ちっ……舐めやがって」

 シャツにじっとりと汗が染みこみ、背中に張り付いている。

 その不快感と森崎への怒りを込め、思い切りシャッターを蹴った。

 瞬間、ビー! とけたたましい音が響く。セキュリティだ。

「はぁ……やっちまったよ」

 俺はシャッターを開けて、すぐにセキュリティを解除する。

 耳を裂くような警告音が、まだ鼓膜の奥で残響を繰り返していた。


「じゃあウサは留守番頼むな。ゲームばっかりするんじゃないぞ」

 俺たちは装備を整えてホテルから出て、一番近くの居住区へ向かう。

「あぁもう! 暑い! 死ぬ!」

「イチ、うるさい。余計暑くなるし」

 数分も歩かないうちにイチが文句を言いだす。

 が、彼の文句も当たり前だろう。

 何せ俺たちは真夏だというのに、厚手の長そで長ズボンに手袋なのだから。

 そう、これは対ゾンビ用の衣装だ。

 奴らの返り血や肉片が肌に付着するのを防ぐためには必須なのだ。

「ゾンビと戦わなくちゃいけないんだから、我慢しなくちゃ」

 なだめるケイもすでに額は汗でぐっしょりと濡れ、汗の玉がつつぅ、と首筋を伝っていくのがわかる。

「こんなのボクが出る必要あった? ジュンとケイだけで十分だよ」

「いや、前に殺した分のキャストを補填しなくちゃいけないだろ? ゴムとかも回収しなくちゃいけないし、男手が必要なんだって」

「男手って……ボク、普通の女の子よりも小さいのに? 頼りにならないと思うけどなぁ」

「お前えぐいほど力あるだろ。こんな時だけ見た目悪用するな」

 ブゥブゥと文句を垂れるイチをいなす。

 その苦労だけでさらに暑さを感じるのは気のせいだろうか。

 極力日陰を選びながら歩き、ようやく居住区の入口へ。

 各居住区には人の出入りやゾンビ防衛のための詰め所が設けられている。

「どうも、今から3人、探索に出る」

 詰め所の自衛官に俺はそう言う。

 自衛官は、わかった、といい、リュックサックを3つ、俺たちに手渡した。

「支給品は大切に使ってくれ。探索が終わればカバンを返却に来い」

 カバンの中身を確認する。

 9mm弾と7.62×39mm弾が1ケースずつ、カロリーメイトとペットボトルの水が2つずつ、懐中電灯、電池、発煙筒、ライター、防犯ブザー、それとぐるぐる巻きにされたワイヤー。

 探索に行く人間はその一式を自衛隊から支給品としてもらえるのだ。

 さらに言えば探索で手に入れた物の半分は自分の物として持ち帰ることができる。

 それゆえ居住区から探索に出る人間が多いが、帰還率はあまり高くないようだ。

「イチ、9mmくれ。7.62やるから」

「いいよ。って、あー! 前は鯖缶入ってたのに入ってない!」

 イチが噛みつくように自衛官に言ったが、自衛官は無言で突っぱねる。

「ちぇっ……探索に出てあげてるっていうのに、もうちょっと労ってよ」

「イチ、カロメ一個やるから黙ってくれないか?」

「仕方ない。ジュンに免じて許してあげる」

 損を被ったのは俺だというのになんという上から目線。

 が、これでイチが黙ってくれるなら安いものだ。

 ただし、俺のカロメ分はしっかりと働いてもらおう、と心に決めた。


 居住区から離れるにつれ、生活の色が消えていく。

 路上に乗り捨てられた自動車、割れて散乱した窓ガラス、地面に貼り付く赤茶けた染み。

 かつて人で賑わっていたであろう道も、今となっては何の気配もない。

 この光景を見るたびに、世界は終わったんだと無理やりにも思い出させられる。

「ジュン、まずはどうする? 学校行くの?」

「いや、まずは物資調達だな。コンビニかドラッグストアに残ってればいいんだけど」

 そういう店でまず持って行かれているのが食料と薬だ。

 俺たちの商売に必要なゴムには手を付けられず放置されていることが多い。

「化粧品とかシャンプーもあったら嬉しいんだけどなぁ」

「おいおい、こんな状況でもオシャレを気にするか?」

「女の子はオシャレしてなんぼなの。たとえゾンビだらけの世界でもね」

「ジュン、ケイ、静かに……ゾンビだ」

 イチが静かに、と口の前に指を立ててしゃがむ。

 俺たちもそれに倣いしゃがみ、足音を立てずに近くの車の陰へと身を隠す。

「2つ先の信号に5体いる」

 イチが言っているところはここからだいたい500mくらい。

 距離があり見えにくいが、確かに何か動いている。

「さすがね、イチ。視力2.0は伊達じゃない!」

「ありがとね。で、どうする?」

「5体か……周りにも潜んでそうだし、回避したいな」

「けどその先にコンビニがあるよ?」

「なら突破だな。リスクを冒してでも手に入れたいものもある」

 突破すると決めたが、相手は5体。どう戦うか。

「昼間だし、銃使っちゃう? 増えてもどうせ鈍いし余裕だって。そろそろボクのライフルが火を噴きたいってうずうずしてる」

 ゾンビは感覚が研ぎ澄まされている。

 そのため強い光に弱く、昼間は行動が鈍い。

 だが聴覚が優れているために発砲音で寄ってくるのだ。

 かといってバットか何かで応戦したとしても、一撃で屠らなければ返り討ちの危険がある。

「いや、銃弾は温存しておいたほうがいい。学校にどれだけゾンビがいるかわからない」

「じゃ、潔く正面突破ね」

 ケイは背負ってきた金属バットを握り、ガスマスクを着けた。

そしてマスク越しの瞳でゾンビたちを睨みつける。

「いつもの作戦で行くよね」

 イチもバットとマスクを装備し、応戦の構えだ。

 俺も装備を整え、敵を睨む。

「ボクとジュンで奴らの足を潰す。ケイは頭を」

「オッケー」

 行くぞ、そう合図し俺たちは車の陰を転々としながらゾンビに近づく。

 あと数十メートル。俺はイチと目配せする。

「ジュン! まずは一体目!」

「おう!」

 車の陰から飛び出し、ゾンビのもとへ走る。

 足音でこちらに気付いたゾンビだが、昼間の奴らの動きは足腰の悪い老人と同じくらいだ。

 のっそりとした動きで近づいてくる奴ら。俺たちの狙いはその足だ。

 イチと共にバットを振り乱し、思い切り足をぶん殴った。

 腐食した肉に吸い込まれるようにバットが潜り込み、骨が砕ける嫌な音が響く。

 バットを振り抜くとともに足を失い崩れ落ちるゾンビ。

 そして、倒れたゾンビの頭にケイがバットを振り下ろしてフィニッシュだ。

 脳漿をぶちまけ、ゾンビは完全に物言わぬ死人へ逆戻り。

「ジュン、まだまだ行くよ!」

 日頃のストレスの捌け口としてゾンビをぶん殴っていく。

 こうして連携し、俺たちはゾンビを全て屠った。

「周りに他の気配もないし、大丈夫そうだね」

 イチはガスマスクを外し、ふぅ、と安堵の息を吐く。

 俺も暑苦しいガスマスクを外し、信号機に体を預けるように持たれた。

 ケイもカバンから水を取り出し一息ついている。

「何回やってもなれないね、この感じ」

「確かにな。毎回命懸けだし」

 どんな状況であれゾンビと戦うのは命懸けだ。

 はじめは映画のようにうまくいくかと思ったが、現実はそうでもない。

 常に緊張の連続で感覚がおかしくなってしまいそうだ。

「こんなこと、いつまで続くんだろ……」

「……だな」

 それは誰にもわからない。

 現在自衛隊がわずかな生き残りの学者たちとゾンビ研究をしているが、打開策は見つかっていない。

 もちろんゾンビの発生原因もつかめてはいなかった。

「キミたち、そんな暗い話ばっかりしないでよ。もっと楽しい話しよう」

 そういってイチがバカ話を始める。

 イチのこういう前向きでいようという気持ちが俺たちの助けになっていることは確かだった。


 5分ほど休憩し、俺たちはコンビニへ。

「お、結構いろいろ残ってそうだな」

「お菓子もカップ麺もまだ残ってる! ジュースもまだまだあるし、穴場見つけちゃったかも」

 棚には多くの商品が陳列されており、その量は俺たちでは持ちきれないほど。

 入口にゾンビが集まっていたせいで誰も入れなかったのだろうか。

「久しぶりのポテチだ! それにボクの好きな海苔塩味! あぁ、おいしぃ!」

「おい、イチ! 勝手に食うなって」

「そう言うジュンだって、今じゃがりこ開けようとしてたよね?」

「二人とも、ほどほどにね」

 と言うケイだってグミを食べている。

 久々のお菓子にテンションが上がり、俺たちはすっかり警戒を怠っていた。

 こんなにモノが残っているのは、むしろ罠だということに気付かなかったのだ。

「てめぇら! なに勝手に漁ってんだ? これは俺たちのものだ!」

 そう叫びながらスタッフルームの扉を勢い良く開けて出てきた3人組の男。

 金髪ロン毛とモヒカンとスキンヘッド。見た感じ大学生くらいだろうか。

 なぜか上半身裸の彼らは皆、手にクロスボウを持ち、その先端は俺たちに向いていた。

「ここは俺たち「腐食ふしょく箱舟はこぶね」の食糧庫だ! 勝手に漁った罪は重いぜ」

「腐食箱舟……?」

「新興宗教だったはず。ゾンビが自分たちを助けるために現れたっていういかれたゾンビ信仰者。ほんとにいたんだ……」

「人を殺して回ってるって噂、ボク聞いたことあるな。居住区の襲撃とかもやってるらしいよ」

「ごちゃごちゃうるせぇ! おめぇら両手上げて床に伏せろ!」

 痺れを切らしたモヒカンがクロスボウの引き金を引いた。

 勢いよく発射された弓矢が俺の頬をかすめる。

 じんわりとした熱い痛みが頬に走り、血が伝っていくのがわかる。

「次は頭ぶち抜くぞ」

 怒りを孕んだ静かな声に、俺たちはおとなしく従うことに。

 彼らは一人ずつ俺たちにつき、頭にクロスボウを向けた。

「さて、こいつらどうしちゃいましょうか、アニキ」

「どうすっかなぁ……」

 リーダー格なのだろう、金髪が俺たちを舐めるように見定め、叫んだ。

「女は奥に連れて行け! 楽しみがいのあるギャルだ。男のほうは……さっさと殺せ!」

『うい!』

 モヒカンが俺の背を踏みつけ、頭にクロスボウをくっつけた。

 ちらりと見た彼の瞳は殺すことにためらいを持っていないのかとても冷たい。噂は本当だったようだ。

「さて、そういうことで死んでもらう。俺たちもお楽しみの最中でな。早く戻りたいんだよ」

 彼らは本気で俺たちを殺そうとしている。

 が、俺たちだってこんなところで、しかもこんなバカみたいな野蛮な連中に殺されたくはない。

「俺たちは死ぬわけにはいかねぇんだ」

 俺は手を上げた時に袖に隠した防犯ブザーを出し、口で思いっきり栓を引っ張った。

 ビリリリリ! とけたたましい音がコンビニ内に響き渡る。

 その音に驚き耳を塞ぐ彼ら。それが隙を生んだ。

「ケイ! イチ!」

 俺は仲間たちに合図を送り立ち上がる。と、同時にホルスターから拳銃を引き抜き、モヒカンの腕とモモに一発ずつ銃弾をぶち込む。

 体勢を崩したモヒカンの背後に回り、組み伏せる。

 そして銃口を彼の後頭部へと突き付けた。

 ケイもイチも俺と同じように敵を組み伏せ、無事形勢逆転だ。

「さて、これで形勢逆転だ。残念だったな」

「くそ……」

「じゃあここにあるもの、全部もらおうか」

「全部!?」

「命が惜しくないか? それとも、命より食料のほうが大事だっていうのか?」

 彼らは黙る。

 こいつらは俺たちを殺そうとした。故に手加減してやる必要もない。

「さぁ、どうする?」

「どうするもこうするも……おめぇらにやるものなんて何一つねぇよ」

「何?」

「どうせお前たちはここで死ぬんだからな! やれ!」

 金髪の叫び声が響いたと思うと、スタッフルームの扉が開きクロスボウを持った女が二人現れた。

 下着姿の彼女らは中学生くらい。その腕には青紫色の小さなアザが。注射痕だろうか。

 カタカタとクロスボウを持つ手が震えているが、その瞳は完全に俺たちを殺さんばかりに見開かれている。

「撃て! こいつらを殺せ!」

 彼女らはぎりり、と歯噛みし今にも引き金を引こうとしている。

 今俺たちが彼女らを組み伏せようと動けば、モヒカンたちは自らの得物を取り戻し俺たちに反撃するだろう。

 彼女らがクロスボウを撃った場合はどうだ。

 あれだけ手が震えていれば照準なんて合わないだろう。だがそれが怖い。

 軌道を予想できなければ避けることも難しい。外れることを祈るのみだ。

「どうした! 早く撃て! 殺せ!」

「待って!」

 彼らの声を掻き消すようにケイが叫んだ。

 が、それが一転して優しい声音でこう紡ぐ。

「あなたたち、こいつらに無理やりさせられてたんでしょ? 苦しいよね? あたしたちは自衛隊の手伝いでここに来たの。助けてあげるから、それを下ろして?」

 まるで幼子を諭すように優しくそう言ったケイに、彼女らの手の震えが収まる。

「つらかったよね? こいつらに脅されてたんでしょ? 大丈夫だから。あたしたちが守ってあげる」

「おいガキども! おめぇらはもうシャブ無しじゃ生きれねぇ体なんだ! 自衛隊に預けられても死ぬよりつれぇ日々が待ってるだけだぞ! 今こいつらを殺せば好きな時にシャブをやらせてやる! だから、殺せ!」

 また彼女らの手が震える。

 彼女らの頭はきっとパンクしそうなほど働いているのだろう。

『うわぁああぁあぁぁぁぁ!!!』

 それがついにオーバーヒートしたのか、彼女らは叫びクロスボウを地面に叩きつけた。

 そして店の出口へ向け走っていく。

「おい! どこに行く! 助けろ、ガキ! 殺すぞ!」

「ぐがぁぁぁぁぁ!!!」

 金髪の叫び声を掻き消すように腹の底まで震わせるような唸り声が響いた。

 出口には、まるで待ち伏せていたかのようなゾンビの群れ。

 彼女らは混乱した顔を浮かべ、ゾンビに首筋を噛まれた。

「ちっ……騒ぎすぎたか!」

 防犯ブザーに銃声、それがゾンビを引き寄せてしまったのだろう。

 雪崩のように店内に入り込むゾンビ共。

 俺たちは迎撃態勢を整え、それを撃ち抜いていく。

「ねぇ! どれくらいいるの!?」

「多分20体くらい!」

「あんたらもいないよりましだ、手伝え! 死ぬぞ!」

 金髪たちにクロスボウを返し、押し寄せるゾンビたちと応戦する。

 が、彼らは何も攻撃せず、ただ胸元で祈りを捧げるのみだ。

「こ、こいつらは神の使いだ……殺すなんて、できない。そ、それに俺たちは選ばれた人間なんだ! だから噛まれない!」

 そう叫ぶモヒカン。だが、次の瞬間には彼の足にゾンビが噛み付いていた。

「ひっ! な、なんで!? 俺は選ばれた人間なのに!」

「お前は選ばれなかったんだ! けど俺は……ぐあぁ! い、痛い! 噛まないで! 助けて! 助けて!」

 今度はスキンヘッドもゾンビに噛まれた。

 俺は彼の足に噛みつくゾンビの頭をぶち抜く。

 錆びた銅のような色に腐食した脳漿が辺りに飛び散る。

「選ばれた人間なんていない! こいつらは人間を全部食い殺す気だ! わかったか!」

「ひぃ!」

 金髪は震える手でゾンビの頭を撃ち抜いていく。

 そう、この世界で生き残るには何かに縋っていてはいけない。

 頼れるのは自分の力と、生きたいと願う意志だけだ。


 コンビニの真っ白な床や天井が、真っ赤に染まった。

 肉片が辺りにべったりと付着し、血の水たまりが広がる。

 そんな死の充満した空間で、最後まで立っていたのは俺たち人間だった。

 そう、俺たちは立っていたのだ。地面に這いつくばる二体のゾンビを見下しながら。

「お前ら……どうしてこんなことに……」

 それはモヒカンとスキンヘッドの成れの果てだった。

 金髪はそれを見て、涙を流す。友を失った悲しみと、彼らが異形と化してしまった悔しさに。

「とどめはあんたがさしてやるんだね。そのほうがこの人たちも報われる」

 イチはそう言って金髪に銃を手渡した。

 彼はそれを手に取り、銃口をゆっくりと友だった者へ向ける。

「ごめんな……」

 その一言とともに、銃口が火を噴いた。

 鳴り響く銃声は彼らの死を悼むようにも聞こえた。

「さて、ジュン。こいつ、どうする?」

「こいつは女の子に酷いことをした。あたしは絶対に許せない」

 金髪自身も死に直面し、自信の罪を悔いたのだろう。

 その顔には穏やかな諦めが浮かんでいた。

「殺せ。俺も、あいつらのところに行く。あいつらが寂しがってるからな」

 俺は手に持った銃を、元の鞘へ戻した。

「俺はお前を、殺さない。ここでお前を殺せば、俺は本当の人殺し、お前たちと同じになる」

「ま、そうよね。ジュンならそうすると思った」

 ケイはふふ、と笑う。

 そしてポケットからスマホを取り出して電話をかけた。自衛隊にだ。

「あんたは自衛隊に差し出す。この店もだ。自衛隊が来るまで時間があるから、それまで待ってろ」

 俺は金髪に軽く応急処置を施していく。

 ケイたちは必要なものをカバンに詰めている。

その間気になっていたことを問うことに。

「そういや、腐食箱舟ってどんな教団なんだ?」

「いや、俺もよくわかんねぇんだ。ダチから飯がもらえるって勧誘されてよ。で、入ってみたら毎日飯もらえるし、酒もドラッグも女もあった。居住区にいるよりずっと楽しくてさ」

「どういう教えか、とか教祖はどんな奴か、とかくらいはわかるだろ?」

「ゾンビが愚かな人間に制裁を与えるために現れた、だからゾンビは神の遣いだって言ってたっけな。教祖は会ったことねぇからわからねぇわ。そもそもこっち側にいる奴はたいてい俺と同じの理由なんだよ。だから教祖とか正直興味なかったし」

「そうなのか……でもお前の友達は信じてたよな、祈ればゾンビに食われないって」

 俺の問いに金髪は溜め息を吐き、寂しそうな顔を浮かべた。

「あいつらだって本気で信じてたわけねぇよ。ただ、こんな世界でいつ死ぬかわからねぇってなると、ちょっとでも自分は大丈夫って希望がほしいだろ。それが目に見えないものに縋ることになってもさ」

 俺はそれ以上言葉を紡ぐことができなかった。

 俺はケイたちがいたから大丈夫だっただけで、彼女らがいなければこちら側に落ちていたかもしれない、と思ったからだ。

「よし、これでいい。ただ応急手当だからあまり動くなよ。余計酷くなるかも」

応急手当が終わり、俺たちはコンビニから出る。

「入り口にはゾンビが入ってこれないようにワイヤーを張っておく。出る時気をつけろよ」

 支給品のワイヤーを入り口に張り、俺たちはようやく目的地へ向け歩き出す。

「おい、あんたら。ありがとな、助けてくれて。俺、生きてやり直すから。死んだあいつらのためにも」

 金髪のそんな声を背に聞きながら。


「さて、時間たっちまったがようやく到着だ」

 時刻は午後3時を過ぎたころ。俺たちはようやく目的の小学校にやってきた。

 グラウンドのフェンスに上り、双眼鏡で中の様子を確認する。

「森崎が俺たちを寄こしたのに納得だ。校舎内にうじゃうじゃいる」

「パニックが起こったのって週末だったでしょ? 学校休みだったのに何でいっぱいいるんだろう?」

「何か災害が起こったとき学校が避難所になるだろ。だからみんな学校に逃げた。けどそこで感染が広がった、って感じかな。で、昼間の太陽から逃げるために校舎内に避難してるってところだろう」

 俺はフェンスから飛び降り、久々に学校の土を踏んだ。

 湧き上がってくる郷愁を頭を振って吹き飛ばす。

 今は懐かしさに浸っている余裕もないのだ。

「じゃ、目的の再確認だ。校舎内から勉強道具を持てるだけ持って帰る。持てなかった分はどこかに集めておくってことだな」

「ジュン、女ゾンビを探すことも忘れないでね」

「あー、そういえばそうだったな……」

 色々あり忘れていたが、新しいキャストも探さなければならないのだ。

「よしっ! じゃあ作戦会議だね! ここはボクの母校なんだ。だから任せてくれよ」

 イチはそう言って地面に校舎の見取り図を描いていく。

「それじゃまず探るべきは東棟1階の職員室だね。教員用の教科書やらテキストを集める。そこから上の階に上がって理科室、家庭科室、音楽室と回って西棟の教室に。教室は各学年一つか二つ回ればそこそこ集まるはずだよ」

「そんなに回ると荷物増えちゃわない?」

「集めたものは東棟1階の図書室に置いておく。図書室なら広いし、職員玄関に一番近い。何かあってもすぐに逃げられるよ」

 そしてイチはポケットから防犯ブザーを取り出した。

「で、探索の間これを中庭で鳴らしてゾンビを釘付けにする。まぁ一つじゃ足りないからキミたちのも使うけどね」

 防犯ブザーは自衛隊が対ゾンビ用に改良した物だ。

 省エネで連続2~3時間は鳴り続ける。

「よし、それでいこう」

 こうして作戦会議が終わり、俺たちは足早に校庭を突っ切り、中庭へ向かう。

 中庭は手入れがされておらず草木が生い茂っていた。

「さて、それじゃ使うからね」

 防犯ブザーを3個一気に鳴らすとけたたましい音が辺りに広がった。

 中庭の木々に反響してだろうか、やたらと音が頭に響く。

 それにゾンビが反応して、窓際にわらわらと群がっている。

「リミットはこれの電池が切れるまで。行くよ!」

 こうして俺たちは探索を開始する。

 防犯ブザー作戦は大成功で俺たちは楽に物資集めができた。

 東棟を回り終えるころには、図書室の長机3つ分の教材が集まっていた。

「我ながら完璧な作戦だね! うるさいけど!」

「あぁ! 確かにうるさい! けど本命のいい女ゾンビはいないな」

 俺とイチは窓際のゾンビたちにも目を光らせるが、これと言っていいゾンビはいない。

 そもそも人前に出せるゾンビは条件が厳しい。

 腐食があまり進んでおらず顔の判別がつく。体に傷が少ない。四肢の欠損などもっての他だ。

 そういうゾンビとなるとやはりここ数日でゾンビになったものとなる。

 が、居住区外の生存者も減ってきた今となっては見つけるのが困難だ。

「俺思ったんだけどさ、机とかこんなに小さかったか?」

 教室を探索していて気が付いた。俺たちが勉強していた机とイスはこんなにも小さかったのか、と。

「確かにそうかも。うわっ……このイス、お尻きつい」

「それは尻がでかくなっただけだろ」

「太ってないよ! 最近痩せたんだから!」

 と、言ってケイが俺の頬を殴った。毎度のこととはいえ、めっちゃ痛い。

「ま、まぁまぁ……ほ、ほら、あの時から成長したってことだし、喜んでいいんじゃないかなってボクは思うんだけど……ごめん、何でもない」

 ケイに睨まれてイチも黙ってしまう。

「成長かぁ。あの時の俺たちって未来がこんなになるなんて、思ってなかったよな」

「思ってなかったって言うか、こんな未来がありえないの。普通ならあたしたち高校卒業、大学、就職、で結婚して子供もできて、それでいろいろあっておばあちゃんになって死んじゃう、そんな人並みのぼんやりした未来だったのにね」

「ま、今はそんな話やめよう。暗くなる。もっと明るい話にしようぜ」

 暗くなりそうな雰囲気を、思い出話で無理やり明るく盛り上げる。

 そうこうしながら2時間ほど作業に没頭した。

「はぁ……結構疲れるな」

 各教室と図書室の往復、さらに言えば教科書などの荷物を持ってだ。

 体力の消耗が進み、俺は図書室の椅子にドカッと座る。

 水に口を付けると、気が付けばあっという間に一本分飲み干していた。

「これくらいあれば十分だろ……」

「あれ? 森崎に大口叩いたのにもうリタイア? ゾンビ全部倒してもいいだろって言ったんでしょ?」

「あれは撤回だ。もう体力がない」

「なんだ、情けないの」

 からかうように言うケイ。しかし彼女の顔にも明らかに疲労が見えていた。

 イチも初めのような勢いもなく、次第に口数も少なくなっていた。

 この暑さが余計に皆の体力を奪っている。限界が近いだろう。

 耳障りなブザーの音も慣れてしまったのか、それとも疲れからか耳からシャットアウトされていた。

「今日はこれくらいでいいだろう。そろそろ防犯ブザーも止まる頃だ。結構集まったし、森崎も納得するって」

 俺の言葉にケイたちも頷く。

 俺たちは集めた物資を無理ない程度にカバンに詰め、撤退の準備をする。

 空には夕暮れが訪れ、オレンジの光が窓から降り注ぐ。

 懐かしさを呼び起こす光に、俺は夜光虫のように誘われて窓際に立つ。

 オレンジが校舎を染め、殺したはずの過去の自分自身を呼び起こした。

 セピアに色褪せた記憶、それが脳裏に浮かんでは幼い日の笑い声とともに消えていく。

「懐かしいな……」

 俺の呟きに誘われるように二人も窓から外を見る。

 その横顔はあまりにも子供らしい。

 無邪気さがある、という意味ではなく、母の作る食卓を想像し帰路を急ぐ子供のような幼さだ。

「うん……懐かしいね。残酷なくらいに」

「あの日に戻れないってわかってるのにね。ほんと、残酷だとボクも思うよ」

 懐かしさという罪を孕んだ夕日が徐々に夜に沈んでいく。

「早く、行かないとね」

 ケイの声で俺たちは窓を離れる。

 が、俺の視線が中庭で動く何かを捉えた。

 ゾンビにしては動きが素早いその何かを追うように、俺は双眼鏡を覗いた。

「お、女の子だ! 女の子が、生きてる!」

 中庭にいたのは、小学校低学年くらいの女の子だった。

 長い黒髪をはためかせ、華奢な四肢を華麗に動かし、まるで絵本の中のお姫様のように踊っている。

 ゾンビがいる学校でなぜ女の子が。

 そんな疑問を感じる前に俺の体は動いていた。

「ちょ、ちょっとジュン! なに走ってるの!? 女の子って!?」

 ケイたちが着いてくるのを確認することもなく、俺は走る。

 少女の顔を見た瞬間、俺は彼女を助けなければと思った。

 なぜなら彼女の顔が

「鎌滝さん……!」

 死んだ鎌滝奈子に瓜二つだったから。

 少女を助けなければ、俺はまた鎌滝さんを失ってしまう。

 俺の勝手な自己満足だ。

 だがその自己満足が今の俺の原動力だった。

 中庭に飛び出し、少女の身体へ飛びつき抱きしめた。

「大丈夫か!?」

「え!? ……う、うん」

 頭にクエスチョンマークを浮かべる彼女。

 しかし説明している暇はない。

 俺は彼女の四肢に噛みつかれた痕や傷跡がないか調べる。

「よし、見えるところにケガはないな。じゃあ次は服を脱いで」

「バカ! 子供相手に何しようとしてるの!」

「いてぇ!」

 ケイに思い切り頬を殴られ、俺の身体は軽々と宙に浮いた、様に思えた。

 実際はばたっと地面に崩れ落ちただけなのだが。

 そうだとしても物凄い威力だ。頬の肉が抉れてしまったのではないか。

「ロリコン」

 そしてイチの見下すような瞳で、俺はようやく我に返った。

 彼女らが数秒来るのが遅れていれば、俺は犯罪者になっていたところだ。

 ケイが少女の顔を覗き見て、一瞬驚きの表情を浮かべる。

 しかしそれはすぐになりを潜め、今度は優しげな母親のような顔を浮かべた。

「大丈夫だった? このお兄ちゃんに変なことされてない?」

「うん……」

「よしよし、いい子だね。今まで怖かったよね? お姉ちゃんたちと一緒に楽しいとこ、行こっか」

 こういう時のケイの優しさは凄まじい。

 少女はケイに抱き着き、母親に甘えるようにぎゅっと幼い体をくっつけたのだ。

「ふふ、可愛いね」

「お前、将来は保母さんとか向いてるかもな」

「……将来があったらね」

 バカ、とイチに小突かれ、しまった、と思った。

 が、ケイはあまり気にしていないようで少女と戯れている。

「あたしはケイだよ。こっちのお兄ちゃんたちはジュンとイチ。あなたはお名前、言えますか?」

「ノアちゃんって言うんだ。名前も可愛いね」

 ノアと名乗った少女は、えへへ、と嬉しそうに笑う。

「じゃあノアちゃんはどこから来たのかな?」

 と、その瞬間だった。

 パリーン! と耳を裂くような音が響いたと思うと、ドグン、と何かが落ちたような音が背後から聞こえ、思わず肩がびくりと震えた。

 何が起こったのかは容易に想像がつく。

 が、その想像がただの杞憂でありますようにと願いながら、俺たちはゆっくり振り向いた。

 そこには割れたガラス片が突き刺さりながらも立ち上がるゾンビの姿が。

 防犯ブザーに反応していたゾンビの負荷に、窓ガラスがついに耐えられなくなったのだ。

 そのゾンビを皮切りに、割れたガラスからどんどんとゾンビが降ってくる。

 しかも何とも間の悪いことに日は沈み、防犯ブザーも叫ぶのを止めてしまった。

「どうする? まだ夜になったばっかだし、かろうじてゾンビは見えるよ。暗くなる前に逃げよう?」

「だな……ノア、少し静かにできるか?」

 ノアは自分の手で口を塞ぎ、こくこく、と頷いた。

 行くぞ、と合図をし、俺たちは小走りで中庭を横切る。

 幸いゾンビたちは気付いていない。

 このまま校庭を突っ切れば脱出できる。

 その後はゾンビの少ない裏道でも通ればいい。この辺りの地図は頭に叩き込んできた。

「大丈夫だ……走るぞ!」

 俺たちは急ぐあまり、ノアのことを考えられなかった。

 ノアはその小さな足で俺たちに追いつこうと必死に走ったが、転んでしまった。

 それに気付いたケイが急いでノアのもとに駆け寄る。

「ノアちゃん! 大丈夫? 痛くない、痛くないから泣かないで」

 じんわりと目に涙を浮かべるノア。しかしケイの言葉で泣くのは必死に耐えていた。

 だが、彼女が自分の傷口を見てしまった瞬間、それが壊れた。

 尖った石で擦りむいた膝からは、どくどく、と痛ましげに血が流れている。

 俺が見ても痛そうだ、と感じる傷を見て彼女は驚いたように目を見開き、それよりも大きく口を開いた。

「うわぁぁぁん!!! 痛いよぉぉぉ!!!」

「の、ノアちゃん! 大丈夫だから! ほら、痛いの痛いの飛んでけー!」

「痛いの! 歩けないの! もうやだぁ! ケイお姉ちゃぁん!」

 ノアが泣き叫ぶ。

 俺がノアと同じくらいの頃は感じなかったが、子供の泣き声というのはあまりにも甲高く、声量がでかい。

 それに反応してゾンビたちがこちらに向かってやってきていた。

「け、ケイ! ゾンビが来たよ! 早くノア泣き止ませて!」

「無茶言わないでよイチ! そんな簡単に泣き止まないから!」

「あぁもう! 走るぞ!」

 俺はノアを抱え、走った。

 甲高い鳴き声が耳のそばで響くが、そんなことすら気にならない。

 死の恐怖が間近に迫っているせいだ。

「ケイ! この手は使いたくなかったけど仕方ない! 森崎に電話だ! 助けを寄こせって! あのコンビニの物資全部やるからって!」

「わかった!」

 ケイの電話が終わった頃には、俺たちはグラウンドのフェンスに辿り着いていた。いや、追い込まれたと言ったほうが正しいか。

 目の前にはどこにこれだけ隠れていたのかというほどのゾンビたちが俺たちを包囲するように迫ってきている。

 ざっと見ただけでも100はいるな。

 そのどれもが血に飢えた瞳で俺たちを睨み、獣のような生臭い吐息を吐いている。

「森崎はなんだって?」

「すぐ来るって」

「それだけか?」

「ううん、嫌みも言ってたよ。全部倒しても構わないと言ってなかったか、だってさ。あたし、森崎と同じ思考回路してて嫌になっちゃった」

「はは、ざまぁみろだ」

「二人とも、冗談言ってる暇ないよ。このままじゃ全滅かも」

 俺は抱えたノアをちらりと見る。

 痛みに慣れたのか泣き止んだ。しかし大粒の涙がまだ瞳に居座っている。

「ノア、ごめんな。ちょっと下ろすぞ」

 俺はノアをゆっくりと地面に下ろし、代わりに拳銃を二丁、手に取った。

 イチもライフルを構え、戦闘態勢だ。

「ケイ、お前が先にフェンス上れ。俺たちが守ってやるから」

「でも……」

「勘違いするなよ、先に逃げろってわけじゃない。先に向こう側の敵を片付けろってことだ。そのあとにノアをそっちに渡すから、しっかり守れよ」

 ケイが頷き、フェンスに手をかけた。

 その瞬間逃がさないと言わんばかりになだれ込んでくるゾンビたち。

「お前らの相手はこっちだ!」

 俺とイチがゾンビに応戦する。

 イチがライフルで奴らを牽制し、俺が拳銃で正確に頭をぶち抜く。

「ジュン! 1時! 10時! 3時の方向!」

「あぁ! っと、イチ! 弾切れだ! 時間稼げ!」

「オッケー! よし、終わったね? 今度はこっちが弾切れ! 12時! 1時! 援護して! 近いよ!」

「わかってる!」

 俺とイチはうまくコンビネーションを取りゾンビを倒していく。

 ゾンビパニックで3か月以上も生き残ったのだ。イチとの連携は抜群だ。

 だがそれでも多勢に無勢だ。数が違いすぎる。

「ジュン! こっちは大丈夫! ノアちゃんを!」

 フェンスの上からケイの声がかかる。

 俺は地面にうずくまるノアを抱えて立ち上がった。

「ノア、大丈夫だ。絶対に守ってやる。だからケイのところに行ってくれ」

 ノアはこくり、と頷きフェンスにしがみついた。

 そしてたどたどしいながらも登っていく。

 そしてフェンスの上のケイがノアを背負い、ゆっくりとフェンスを降りていく。

「イチも登れ! 早く!」

「ありがと、ジュン!」

 イチもフェンスを登っていく。

 俺は一人でゾンビを撃ち抜いていく。

 しかしあまりにも敵の数が多く、間に合わない。

 しかも弾切れだ。

 弾を込める間に、撃ち漏らしたゾンビが迫ってくる。あと少し手を伸ばされればやられる。

 しかしその瞬間だった。頭上から降り注いだ弾丸が、ゾンビの身体をハチの巣に仕立て上げたのだ。

「ジュン! 早く登って来て! こっちももう弾丸が少ない!」

 イチの援護射撃に助けられ、俺はフェンスに捕まる。

 フェンスに足をかけて登っていくが、もう真後ろにゾンビが迫っていた。

「くそ……ダメだ」

 助からない。やはり過去を捨てきれず鎌滝さんに似たノアを助けたことが原因なのか。

 いいや、彼女は何も悪くない。

 そうだ、俺はノアを助けられたのだ。それで死ねるなら、まだましだ。

「諦めるな! ジュン!」

「ジュン! お願い! 早く登って! ジュン! ジュンちゃぁん!」

 イチとケイの涙混じりの声がやけに遠くに聞こえる。

 諦めと同時に、体に襲い来る強烈な疲労感。もう何もしたくない。

 このままフェンスから手を離してしまえれば、楽になれるのに。

 そんな考えが頭をよぎったその一瞬だった。

「あああぁぁぁあぁぁぁ!!!」

 ノアの絶叫が、俺から思考の一切を消し去った。

 思考が消えた俺の頭に浮かんだのは、まぎれもない本能の言葉だ。

「死にたくない」

 俺は懸命に手足を動かし、フェンスをよじ登った。

 多分その姿は傍から見れば殺虫スプレーをかけられたクモが最後の力で壁を這い上るような、そんな惨めさがあったろう。

 だが、そのおかげで生き延びたのだ。

「い、生きてる……やった……生きてる!」

「ね、ねぇ、ジュン……あれ、見て……」

 ケイが指さした先を、俺はフェンスから見下ろした。

 そこには、まるで諦めたように散り散りになるゾンビの群れがあった。

「うあぁぁぁぁ!!!」

 ノアは変わらず泣き続けているのに、ゾンビはそれを無視して去る。

 今までこんなことがあっただろうか。

 前にも何度かフェンスを登り逃げ切ったことがある。

 だがその時もフェンスに顔を近づけて襲ってこようとした。

 諦める、ゾンビにそんな思考はない。

 ならばどうしてこんなことになったのだろうか。

「……ノアの、おかげか?」

 一瞬頭をよぎる想像。ノアには、ゾンビをコントロールする力があるのではないか。

 普段はそれを意識していないが、無意識に発動してしまった、と。

「いや、ばかげてるな。疲れてるんだ、俺は」

 俺は頭を振って思考を現実に戻す。

 そしてフェンスを降りきった時、背後から当てられた眩い光に目を細めた。

「まったく。大口叩いてた君が僕たちに頼るとはね。けれどこれで貸しができた。どう返してもらおうか」

 その光は、自衛隊の車のヘッドライトだった。

 運転席の森崎は面倒くさそうに、それでいてどこか安堵したように笑っていた。


「ノアちゃん、今から消毒するからね。ちょっと痛いけど、我慢してね。ほら、3つ数えたら終わるから泣かないで。いーち、にー、さーん。はい、終わり。次はお薬塗るからね」

「すげぇ手際だな。子供の扱い慣れてるなぁ」

「まぁね。いとこのお姉ちゃんの子、結構面倒見てたし」

 後部座席でイチは電池が切れたように眠っている。その横で、ケイはノアの手当てをしている。

 俺は助手席に座り、その光景を後部ミラーで眺めた。

「ジュンくん、いつの間にあんな子供をさらってきたんだい?」

 森崎は運転しながらもちらちらミラーで後ろを確認し、ニタニタとした意地悪い笑みを浮かべた。

「さらってねぇよ。迷子になってたところを助けただけだ」

「ふ~ん……ま、いいけどね。で、どこの居住区から逃げてきたのかとか分かってるのか?」

「いや、聞いてないな」

 俺は後ろを振り返る。

 ノアの手当てがちょうど終わったところだ。このタイミングで聞くのがいいだろう。

「なぁ、ノアはどこから来たか、わかるか?」

「……わかんない」

 ノアは少し考える素振りを見せたが、そう答えた。

「ジュン、あたしに任せて。ノアちゃん、お父さんとお母さんはどこにいるの?」

「いないよ。パパもママも、初めからいないの……」

「……じゃ、じゃあ、お姉ちゃんとかお兄ちゃんはどうかな?」

「ん~? お姉ちゃんはケイお姉ちゃんだよ……う~ん……ケイお姉ちゃん、私、眠いなぁ」

 ふわぁ、と大きな欠伸をするノア。

 大泣きした疲れと、今までの緊張が解けた脱力で眠たくなってしまったのだろう。

 彼女はケイの膝に頭をぽふり、と乗せてそのまま気持ちよさげに寝息をたて始めた。

「あらら、寝ちゃった」

「結局わかったのは孤児だってことだな。とりあえず周辺の居住区にいなくなった子供がいないか聞いてみる。その間僕たちで預かる」

「は? 自衛隊でか?」

「それ以外何がある」

 訝しげに睨む森崎に、俺は思わず言葉を濁した。

 森崎に預けておけばノアは安全に生きることができるだろう。

 しかしそうしてはならないと俺の本能が叫ぶ。

 彼女は偶然かもしれないが、ゾンビを退けた。

 それがもし彼女の力で、自衛隊がそれを知れば研究材料にされてしまうことは明らかだ。

 大勢が生き残るために一人の少女を犠牲にするのだ。

 それに、ノアはあの鎌滝さんに似ている。そんな彼女が俺たちの前に現れたのは果たして偶然なのだろうか。

 何かとてつもない運命が、俺たちを巡り合わせたのだとすればどうだ。

「ジュンくん、さっきからどうした? 黙りこくって。それに顔色も悪い。もしかして車酔いか? やめてくれよ、吐くなら外へどうぞ」

「いや、違う……」

 もしも運命があるのだとして、それがどういう道を辿るのであれ、俺は従う。

 今までの受け身な俺は、死んだのだから。

「森崎、ノアは俺たちが育てる」

「な、何を言ってる? 第一あんな不適切な環境でこんな小さな女の子を育てられるわけないだろう?」

「いや、ヘルス・オブ・ザ・デッドがある限り俺たちは飯に食いっぱぐれることはない。それにあの二人を見てみろよ」

 俺は後部座席を指さす。

 ノアの頭を撫でながら寝落ちするケイ。一方ノアも彼女に頭を撫でられてか幸せそうな寝顔を浮かべている。

 まるで歳の離れた姉妹のように見える。

「あんたにあの二人を引きはがすって残酷なことができるかな?」

「引きはがすって言っても君たちの店と居住区は目と鼻の先だろう?」

「でも常に二人が一緒にいられるわけじゃない。あぁ、かわいそうなノア。大好きなケイお姉ちゃんと離れ離れ」

「ちっ。また面倒なことを」

 森崎は舌打ちして、溜め息を。

 彼の吐いた息には諦めと、呆れが混ざっているように思えた。

「わかった。だがこれも貸しだ。また何かあれば真っ先に君たちを使うからな」

「いいぜ、別に。何でも来いってんだ」

 どうせこの先も理不尽な頼みを押し付けられるのだ。

 ならノアを預かろうが預かるまいが結果は同じ。

「っと、雨が降ってきたな。昼間はあんなに晴れていたのに」

 森崎に言われて俺は窓を見た。

 窓ガラスにぽつりぽつり、と小さな雫が衝突し、それはやがて弾丸のような大粒の雨に変わった。

「まぁ夏だしな。急に天気が悪くなるのも納得だ」

 車は進み、昼間のコンビニの横を通り過ぎた。

 コンビニの前には自衛隊の車両が2両止まっており、物資を運ぶ準備をしていた。

「そういえばあのコンビニ。君は生存者がいると言っていたが、誰もいなかったぞ」

 森崎の言葉に耳を疑った。俺は確かにあの金髪を残してコンビニを去った。

 彼は改心した。それに治療したとはいえあの足の傷では歩くのも困難だろう。

 逃げた、とは考えにくい。

「いや、いたはずだぞ。金髪の大学生くらいのが。腕と足に包帯巻いてるんだけど」

「金髪……あぁ、そういえば死体の中に金髪がいたな。他に比べてえらくキレイな死体だったから覚えているよ。そう、君の言う通り包帯を巻いていた」

「死体、だと?」

 俺の言葉に森崎は頷いた。

「あぁ。あれは自殺だろうな。口にクロスボウ突っ込んで死んでたよ」

「自殺……? そんなはずない。あいつは友達の分まで生きるって言ってた」

「でも死んでいた。きっとゾンビ化しそうだったから、そうなる前に死んだんじゃないか?」

 俺はあの時金髪のケガの具合を見た。その時にゾンビの血肉が付着していないかも確認した。

 大丈夫だったのだ。なのに、彼は自殺した。

 俺が見落としたのだろうか。

「そうだ! 何か減ってなかったか? 食料が少なくなってたとか」

「君、入り口にワイヤー張ってただろ? ワイヤーは切られてなかった。それに人の入った痕跡もない。もしかしてその彼が誰かに殺された、とでも言いたいのか?」

「あいつは腐食箱舟のメンバーだった」

 森崎はその名前を聞くと嫌そうに顔を歪めた。

「何か知ってるのか? その教団について」

「いや、僕も詳しくは知らない。ゾンビを祀り上げる異質な宗教ってことくらい。ただ、最近居住区を抜け出して教団に入る奴が多くてね。噂じゃそいつらが居住区の警備情報をリークして、警備の隙をついて居住区襲撃をやってるって」

 彼はさらに顔を歪め、唇を噛んだ。

 強く噛んだせいでつつぅ、と顎下へと血が流れていく。

「あいつらは、僕の友人を殺したんだ。居住区に乗り込んで、そこの警備をしていた友達をね。だからあいつらが許せない。もし今度であったら、すぐに僕に連絡してくれ。今回のようなへまはしない」

 森崎の怒り混じりの瞳の奥で、静かな炎が燃えている。

 それは飲み込まれそうなほどに熱く揺らめいていた。

 その後は特に会話することもなく時間が過ぎ、ようやくロメロに辿り着いた。

 俺はケイとイチを起こし、車から降りる。

「ジュンくん、じゃああの事、よろしくね。もし情報を持ってきてくれたら色々目を瞑ってあげるから」

 そう言い残して森崎は大雨の中車を走らせる。

「くしゅん! うぅ……さむっ」

 ぼぉ、と車を見ていた俺の横でケイが大きなくしゃみをする。

 そういえば俺たちは外に長くいたせいで汗だくだ。

 汗で濡れたシャツが冷たく体に張り付いているうえ、この雨だ。

「風邪ひく前に早く風呂入るか」

「そだね」

 今日はいろいろなことが起こり、疲れてしまった。

 俺はホテルの部屋で熱い風呂に身体を浮かべる。

 疲労がお湯に溶けていくようだ。まさに極楽気分。

 あぁ、今日も生きているんだな。珍しく、そう思ってしまった。


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