第2話―世界が滅んだその日―

 世界が滅んでも人類は死滅することはなかった。

 眩い日差しが地上を焦がし、セミの声が煩わしいくらいに鼓膜を震わせる。

 室内にいても肌に絡みつくほどの熱気。それを紛らわせるように団扇で顔を扇ぐが、たいして涼しくはならない。

「暑いな……」

「節電しなくちゃだし、仕方ないっしょ、ジュン」

「わかってるんだけどな、やっぱ耐えられないわ、ケイ」

 都市部郊外の5階建てラブホテル『ロメロ』のフロント内、俺はぐでっと机に顔をうずめた。

 が、机にも熱気が移っていたようで生温く、すぐに顔を上げた。

 俺の隣にいるギャル風の女、ケイも暑そうに椅子の背もたれにぐだっともたれている。

「お客さん、来ないでござるね」

「だな、ウサ。つかこんな狭いところに3人いるから暑いんだって」

「ゲームが終わったら出ていくでござる」

 ぼさぼさに伸びた長い髪から覗く瞳で画面のキャラを追いかける少女はウサ。

 ガチャガチャと操作しているコントローラーが手汗でべったりと濡れていた。

「ウサ、ゲームは1日1時間の約束じゃん? 節電節電」

「わかってるでござる……あ、お客さん、来たみたいでござるよ」

 彼女に言われ顔を上げると30代後半くらいの男がちょうどやってきたところだった。

 少しくたびれているが、質の良さそうなスーツを着ている。

「どうも。お客さん、この店のシステム御存じ?」

 男は、あぁ、とうなずいてポケットから何かのケースを取り出した。

「これで頼む」

「ケイ、在庫確認だ」

 ケイはケースの中身を机にばらまく。

 カラカラ、と音を立てて零れ落ちたのは金色の小さな塊、銃弾だった。

 ケイはそれを数え、手元のノートパソコンを覗く。

「9mmが……45発。この前の遠征で減ってたからちょうど欲しかったところね」

「なら50分だ。指名ありなら40分だな」

 俺がそう告げると、彼はばっ、とカウンターに手を付き勢いよく頭を下げた。

「1時間! 指名なしで1時間にしてくれないか!」

「こっちも商売してるんだ。お情けでやっていけるほど楽じゃない」

「頼む……! ご無沙汰なんだ!」

 大の大人が頭を下げて頼み込んでくる様はみじめに他ならない。

 だがどんな理由があろうとこちらも命がかかっている。

 どうすることもできない。

「その時計、ロレックスでござるな」

「あ、あぁ……そうだが」

 ウサがゲーム画面から視線を外し、男の姿をまじまじと見ている。

 そして口角が不敵な三日月に変わり、こう告げた。

「その時計で10分追加してもいいでござるよ。居住区にブランド品を集めてる変人がいるでござるよ。そいつに渡せば少しでも足しになるでござる」

「こ、これは祖父の遺品なんだ! だから渡せない!」

「なら50分でござる」

「くそ……足元見やがって!」

「リアルな女のほうが足元見てるだろ」

「ごちゃごちゃうるせぇよ!」

 男は怒り任せにポケットから小さな箱を取り出して、それをカウンターに叩きつけた。

「カロリーメイトでござるね。ケイ先輩、これなら追加してもオッケーでござるよね」

「もちろん。ジュンも文句ないでしょ?」

「あぁ……でも、あんたはいいのか? 銃弾より食い物のほうが大事だろ?」

「次の配給まで待つさ」

 本人の同意の上なら問題ない。

 俺はカウンターの下に用意していた紙を取り出して男に渡した。

「これは同意書だ。何があっても自己責任ってのな。目を通して同意したらサインを」

 男はざっと同意書に目を通し、サインをした。

 これで契約成立だ。

「イチ。お客さんだ。ボディチェックを」

 トランシーバーでそう通信すると、すぐに廊下の奥から男、イチがやってきた。

「それじゃあ傷がないかチェックするから奥の部屋に。ってジュン、まだ色々渡してないよ」

 イチに言われて気が付いた。まだ必要なモノを渡していない。

 暑さで頭の機能が鈍ってしまったのだろう。

「これが部屋のカギだ。404号室。時間が来たら部屋の電話を鳴らす。そしたら5分以内にカギをフロントまで。それと……」

ガスマスクと小さな籠を3つ、男の前に差し出す。籠の中には大量のコンドーム。

「籠ごとにサイズが違う。自分に合ったサイズを。あと、絶対に外したらダメだ。これがあんたの命綱だからな」

「命綱……」

「そう。絶対に必要だ、粘膜感染を防ぐために。今からあんたはゾンビとヤるんだからな」

 男は普通サイズのコンドームをとり、イチに連れられ廊下の奥へ。

「あ、そうそう。ようこそ、『ヘルス・オブ・ザ・デッド』へ。ゾンビとの背徳のプレイ、じっくり楽しんでくれよ」

 世界は終わったのだ、ゾンビによって。

 そして俺たちはゾンビによって生かされている。

 ゾンビをキャストに迎えた風俗店、ヘルス・オブ・ザ・デッドで―。


 どのようにして世界が滅んだのか。

それは世界が終わる、数日前に遡る。

「ねぇ、純也。アベンジャーズで一番強いのは誰かって考えてきた?」

「……そう」

「おっ! やっぱりソーだよね! 純也もようやくわかってくれたね! で、今日の部活は何の映画見る?」

「……そう」

「おぉ、SAW。なかなか珍しいチョイスだけど悪くないね」

「……そう」

「キミ、ちゃんと話聞いてるかい?」

「……まぁ、な」

 春、それは新しいことが始まる季節。4月17日、私立A高校、2年3組の教室で俺、柄本純也えもとじゅんやは新しいことに思いを馳せる。

「鎌滝さん、今日もかわいいなぁ……」

 教室の一番前の席で本を読んでいる彼女、鎌滝奈子かまたきなこに俺の視線は囚われて離れない。

 そう、いつもいつも。

 彼女の長い黒髪、大きめの縁付メガネ、うっすらとほほ笑むその口元、本をめくるほっそりとした指、彼女の全てに俺は1年前から惹かれ、あてられていた。

 朝の爽やかな風が春の陽気と桜の花びらを乗せて教室内に舞い込んできた。

 ふわふわと花びらは舞い、彼女の長い黒髪に絡まる。

「ったく、キミねぇ、ずっとあの子ばっかり見て気持ち悪いよ?」

「うるせぇ。こっちは毎日進展しようかしまいか考えてるとこなんだよ」

 はぁ、とため息を吐き俺の視線に割り込んできたのは海老原えびはら大智だいち

 親友であり、同じ映画研究部の仲間だ。

 小柄で童顔、日に焼けて栗色に変わった短髪が特徴的。ぱっと見ただけだと女の子のように見えなくもない。

 子犬のようにかまってほしいと言わんばかりの彼の瞳を躱し、俺はまた鎌滝さんの鑑賞に戻る。

 彼女は髪に付いた花びらにちょうど気付いたようだ。

 フフッ、と小さく笑ってそれを本の間に挟んだ。

「尊い……!」

「キミ、重症だよね。ストーカー、そろそろやめたほうがいいって」

「誰がストーカーだ。俺はただ彼女を見守ってるだけ」

「はいはい。見ることしかできないヘタレチキンくん」

「うぐっ……」

 にはは、と八重歯を見せて嫌味らしく笑う大智に反論できない。

 去年俺は鎌滝さんに一目惚れした。しかし、そこから先に進展できずにいる。

 せっかく2年でも同じクラスになれたのだ。何か発展したいのだが。

「そう、何かきっかけがあれば……」

「きっかけは待ってても訪れないよ?」

「それもごもっとも……」

 鎌滝さんは俺のことなど気にしていないのだろう。視線にも気付いていない、たぶん。

 こちらからきっかけを作らなければ、と思うが行動に移せないのだ。

 この恋のもどかしさは、どこか居心地がよくて、俺は一歩踏み出すのをためらっている。

「そんなキミにプレゼント」

「これ、映画のチケットか?」

「そう。ペア優待券。今週末まで」

「へぇ……で、何見に行く?」

 ばしっ! と、大智に頭を叩かれた。

 鈍い痛みがじぃん、と後頭部からヘタれた脳に浸透していく。

「じょ、冗談だって……」

「キミが言うと冗談に聞こえないって」

 これは友人がくれたせっかくのチャンスだ。無駄にできるわけがない。

「映画ならキミも好きだし、同じもの見たあとだと会話も楽でしょ? 初心者にはオススメかな」

「そんなことまで考えて……」

「まぁ、姉ちゃんからの受け売りだけどね。ちなみにこのチケットも姉ちゃんから。映画デートの前に振られたとかなんとか」

「……不吉だな」

 が、大智からの厚意を無駄にできない。

 こういうのは勢いが大事だ。というわけで俺は立ち上がり鎌滝さんのもとへ。

「ちょ、ちょっと待って。何見るか決めたの? 漠然と映画行こうって言ってもさ」

「大丈夫だ。鎌滝さんの好みはジブリ映画と小説の実写作品。で、今鎌滝さんが読んでるのはちょうど実写映画になってる作品だ。見たいけどいっしょに行けそうな友達がいないってこの前話してた」

「へ、へぇ……そう……伊達にストーカー……いや、見守ってないね」

 そう、俺は1年かけて鎌滝さんを観察した。

 毎日寝る前に脳内シミュレーションで何回も彼女を映画に誘った。

 だから大丈夫。それを現実でやればいいだけ。

「あ、あの……か、鎌滝さん」

「……ん? なにかな? 柄本君」

(うわぁ、鎌滝さん、俺の名前覚えてくれてた! って違う違う!)

 思わずにやけてしまいそうになる頬を引き締めて、俺は言葉を紡ぐ。

「こ、今週末の、20日、え、映画、見に行かない?」

「映画? 柄本君と?」

 メガネのレンズ越しに、きょとんとした瞳が俺を見つめる。

 今、彼女の瞳に俺が映っている。それだけで心臓が高鳴る。

 彼女に鼓動が聞こえたりしないだろうか。顔が熱い。

「ペアチケット、あって。だから、その、小説の実写の映画、行かない、かな……?」

 あぁ、何度もシミュレートしたのに彼女の前ではそれが無意味になる。

 必死に言葉を紡いだ。

 あとは彼女の言葉を待つだけ。

 じっと何かを考える彼女。

 永遠にも似た長い長い時間。その間心臓はどくどくと激しく脈打つ。

 パンクしそうな心臓、耳に重い沈黙。

 沈黙を破るように彼女の口が、ようやく開いた。

「いいよ。映画、楽しみ」

「……やった! ありがとう!」

 思わずガッツポーズを取ってしまった俺を見て、鎌滝さんは「変なの」と小さく呟いた。

 が、そんな有頂天な俺の心をへし折るように、背後から声が響いた。

「へぇ。ジュン、映画行くんだ」

 その声に振り向くと、そこには金髪のいかにもなギャル、塚本つかもと恵那けいなが立っていた。

 金色の長い髪が揺れ、香水だろうか、甘い匂いが漂う。

「恵那……?」

 俺と彼女は幼馴染だ。しかし俺が両親の仕事の都合で3年ほどこちらにいない間にすでに疎遠になってしまった。

 顔を見合わせると挨拶する程度の仲の彼女が、俺に何の用なのか。

「あたしもその映画気になってたんだよね。一緒に行こうよ」

「は……?」

 彼女はグイっと俺を押しのけると、鎌滝さんに顔を近づける。

 まるで甘え上手な子猫のような愛くるしい顔に、鎌滝さんは困惑して俺に目配せする。

「おい、恵那。お前彼氏と一緒に行けばいいじゃん」

「彼氏?」

「そう、サッカー部の皆川。付き合ってるんだろ?」

「違うわよ。あっちが一方的に付きまとってくんの」

 どう断るべきか。頭の中で考えていると、大智に袖を引っ張られた。それも物凄い力で。

 この小さな体にどれだけのパワーが秘められているのか、いまだ謎である。

「ねぇ、ここはひとつ器の大きさってのを見せておいたほうがいいんじゃないかな?」

「器の大きさって……」

「塚本さんがどうして間に割ってきたかはわかんないけど、当日ボクが何とかサポートしてあげるから。それに変に断って鎌滝さんに二人だけのデートでがっついてるって思われても嫌でしょ?」

 ここは大智の言うとおりにするしかないようだ。

 仲良くなる第一歩として鎌滝さんを誘えた、それでよかったではないか、自分にそう言い聞かせた。

「二人でホモホモしくお話して。大事な相談はもう終わったかしら?」

 そう言った恵那はニマニマと意地の悪い笑みを浮かべている。

 こいつが女じゃなければ殴っているところだ。

 俺は溢れ出る怒りを押さえつけ、さも何も気にしていない風を装い言う。

「わかったよ、恵那。一緒に行こう」

「オッケー、ありがと。じゃ、13時半からのやつね。12時にサンシャイン通りの噴水前集合。あ、そうだ。鎌滝さん、ライン、交換しよ」

 急に現れては予定を立て、颯爽と去っていった恵那。まるで嵐のようだ。

「柄本君、映画、楽しみにしてるからね」

「う、うん、俺も楽しみだよ、鎌滝さん」

 まぁ本来の目的は達成したのだ。それで良しとしようじゃないか。


「それにしても塚本さん、急にどうしたんだろうね。キミ、幼馴染だし何かわかるだろう?」

「いいや、わからないな。最近疎遠だし」

 その日の放課後、俺と大智は部室である視聴覚室へ向かう途中そう話していた。

「塚本さんの噂、よく聞くよ。あんまりよくないのがほとんどだけど」

「そうなのか?」

「キミはほんと鎌滝さん以外興味ないよね。塚本さんが他校の男子とっかえひっかえしてるとか、教師に体売ってテストの回答教えてもらってるだとか、エンコーしてるって噂もあるよ」

「あの恵那がか?」

 俺は驚くしかなかった。確かにギャルみたいな格好にはなっているが、果たして彼女がそんなことをするのか、昔を知る俺には考えられない。

「逆に聞くけども、キミから見た塚本さんってどんな人なの?」

「恵那は……」

 言っていいか少し迷ったが、昔のことだ。

 それに大智ならめったやたらと口外しないだろう。

「あいつさ、昔はいじめられっ子でさ。何するにもビビッておどおどしてて、『ジュンちゃん』ってくっついてきたり。で、俺は向かいの家で小さい頃からの付き合いもあるし、守ってあげてたんだ」

「ほうほう……」

「だからあの臆病な恵那がギャルとか、ましてやエンコーとか考えられないんだよ」

「でも、人ってのは変わるよ。昔からずっと一緒の人なんていないよ。それは塚本さんだけじゃない。ボクも、キミもだよ」

 大智はそう言うが、果たしてそうだろうか。

 もちろん人は変わる、ということには賛成だ。だが、それが180度反対になる、なんてことはあるのだろうか。

 そう思うのは、昔の恵那が知らない人になるのが怖いからだろう。

「てか偉そうなこと言って、大智は昔の俺知らないだろ?」

「はは、だね。ま、昔より今だよ。ボクたちは今を生きてるんだからさ」

「なんだよそれ……」

 思わず笑ってしまう。それを見て大智も、ニッ、と歯を見せて笑った。

 が、こういう楽しい話をしていれば注意力も散漫になる。

 廊下の曲がり角、俺は向こうからくる人間に思わずぶつかってしまった。

「ちっ……いてぇなオイ」

 舌打ち混じりに、こちらに見下しの目線を送るのは皆川みながわこう

 だが彼は一瞬俺を見ただけで、落としたカバンにすぐに意識を向けた。

「あ、あの……すいません……」

 けれども俺は思わず目線をそらし、口籠ってしまう。

「ったく、陰キャが……っておい! 魔除けの水晶割れてんじゃねぇか!」

 皆川はカバンについていたガラス玉のストラップを指さした。

安物そうなそのガラス玉には確かにヒビが入っている。

「その……すいません……」

「てめぇ、これが割れたってことはどうなるかわかってんだろうな! 不幸が訪れるんだぞ! 俺に不幸が起こったらお前のせいだからな!」

 そんなオカルトを言われても、と口に出しかけたがさらにこじれるのは面倒だ。

 ぐっと言葉を飲み込み、俺は頭を下げる。

「ちっ……母さんに頼んでまた作ってもらわないと」

 皆川はそう言うと俺を一瞥して、去っていく。

 俺はというと殴られやしないかと肝を冷やしていた。

「純也、キミビビりだよね。昔は塚本さんを守ってやってたんじゃないのか?」

「う、うるせぇ……人は、変わるんだよ」

「それさっきのボクのセリフ」

 そうこう話しているうちに視聴覚室に着き、俺たちは扉を開いた。

「先輩方、お疲れ様でござる! あーし、ちょうど今から映画を見ようとしていたところでございまする!」

 と、言いながら飛び込むようにこちらに走ってきたのは後輩の神宮紗じんぐうさ。1年女子だ。

「先輩方が遅いからあーし心配したでござるよ!」

 目が隠れるほど異様に長い前髪、そこから少し覗くクマのついた瞳とそばかすまみれの頬。

「キミ、また夜更かしでゲームしてたな? だからクマも取れないしそばかすも増えるんだよ」

「あーしがいなくちゃチームランクが落ちるでありますから仕方ないでござるよ」

 紗英はふひふひと笑い、にったりとした笑みを顔いっぱいに貼り付ける。

「はぁ……キミねぇ、もっと女の子らしくしたほうがって。モテないよ」

「あーしはチームのみんなにはモテモテでござるから! 大智先輩に心配される覚えはないでござる」

「ま、まぁまぁ。で、紗英は今日何の映画を見る予定だったんだ?」

 大智と紗英のやり取りはいつも長くなる。そういうわけで俺はさっと話題を変えることに。

「ふっひっひっ。今日はみんな大好き世界の園子温監督の冷たい熱帯魚でござる!」

「それR18だろ。学校でそんなグロイの流すな」

「グロイの、といったでござるな、純也先輩。R18とか言いながらすでに鑑賞済みでござりますな! ならわかるでござりますよね! この作品のグロとエロと狂気の最高のミックスを! それを視聴覚室のおっきなモニターで見る! 楽しみでござるよ!」

 まぁ否定はしない。見たい、が倫理は守らなければならない。

「純也先輩、倫理を守るだけじゃ人生うまくいかないでござるよ?」

「紗英、ボクも純也に賛成だ。今エログロの気分じゃないしね。ゾンビ見たい、ゾンビ」

「なら今日はショーン・オブ・ザ・デッドでござるね」

 そういうわけで、俺たちはゾンビ映画を見て、その後ゾンビ世界で生き残る方法について大議論した後解散した。

 一人の帰り道、俺は恵那を目撃した。サッカー部の皆川と、ハンバーガー店へ入っていく姿を。

「……やっぱ、付き合ってるじゃん」

 その姿を見て、俺の心にはもやがかかったような気持ち悪さが広がっていた。


 時間はあっという間に過ぎていき、4月20日、午前11時30分。

 俺は集合地点であるサンシャイン通りの噴水前に来ていた。

「やっぱり早かったかな……」

 サンシャイン通り、それは駅前の大規模商店街の名前だ。

 ファッション、食品、家電、薬などなど何でもそろう他ゲームセンターやカラオケなどの商業施設もある。

 もちろん、映画館もある。

「今日の予習でもしておくか」

 映画の情報を調べようとスマホを開く。

 と、大智からメッセージが届いていた。

「『家の手伝いで少し遅れる。30分以内には合流できる』、か」

 大智にはサポートとして恵那が邪魔しないか後ろから見守ってもらう任務を任せている。

 決して俺がビビッてついてきてもらうわけではない。

「あれ? ジュン、早いね」

「……恵那か」

 声に振り向くと恵那がそこにいた。

 だが学校の時とは違う彼女の印象に、思わずドキリとする。

 ファッションのことはいまいちわからないが、とてもキレイだ。

「こんな早い時間から来ちゃうってことはよっぽど楽しみにしてたんだ、鎌滝さんとのデート」

「で、デート!?」

 思わず声が裏返ってしまった。

 顔も一瞬で熱くなるのを感じる。

「は? 違うの? あんた、鎌滝さんに惚れてんでしょ?」

「ちがくは……ない……ってわかってるならなんで」

「なんで邪魔するのかって言いたいんだろうけど、あたしは邪魔なんてしないよ。鎌滝さんを安心させてあげるためと、あんたが変なことしないかの監視」

 恵那はニヤッと笑い、俺の瞳を覗き込んできた。

「あんた、あわよくば鎌滝さんとヤリたい、とか思ってんでしょ?」

「ば、ばか! そんなわけ!」

「1ミリも思ってない? ほんとのほんとに?」

 1ミリもそういう気持ちがないかと問われれば、嘘になる。

 恵那の瞳から逃れるように、俺は足元に視線を移す。

「はぁ……やっぱりね。そんなあんたと鎌滝さんを一緒にしておけるわけないじゃん」

「でも鎌滝さんは俺と一緒に」

「あの子はあんまり男の子知らない感じだし、これもデートだとか思ってないし。そんなのなおさら危なっかしいって」

 俺はその言動に少しカチンときた。

 少なくとも鎌滝さんは自分の意志で俺との約束を受けてくれた。

 そんな彼女の意志を馬鹿にされたような気がして。

「お前な、鎌滝さんの何がわかるんだよ」

「何もわからないよ。けど、ちょっと観察したら察しはつくよ。あたし、人を見る目だけは鍛えたつもりだし」

「……そうかよ」

 ここで言い争いをしても不毛なだけだ。

 俺はそれ以降言葉を紡ぐことをやめた。

 黙った俺を見て、彼女も言葉を紡がなくなった。

 噴水が水を吐き出す音が、あたりの喧騒をかき消すように頭の中をうるさく乱す。

 舞い散る水の匂いとともに、恵那の香水の香りが鼻をくすぐり、どうしようもなく彼女の存在を認識せざるを得ない。

 耐えきれない沈黙の時間。およそ20分くらいだろうか。

 ようやく鎌滝さんが現れた。

 真っ白なワンピーススカートを風で翻しながら。

「柄本君、塚本さん、こんにちは。早いね」

『大丈夫、今来たとこ』

 恵那と言葉が被り、思わず睨みつける。

 彼女も俺のことを睨みつけていた。

 鋭い視線が交わった一瞬後、俺たちはふいっと顔を逸らした。

「じゃ、鎌滝さん。そろそろ行こっか」

「うん!」

 こうして俺たちは歩きだした。

 商店街のガラス張りの天井から漏れる日差し。

 それは、今日世界が終わるなんて思えないほどに、眩かった。


「鎌滝さん、せっかく仲良くなれたし、下の名前教えてよ」

「奈子だよ」

「かまたきなこ……じゃあキナコって呼ぶね。あたしのこともケイでいいよ」

「私あだ名で呼び合うなんて初めて……なんか嬉しいかも、ケイ」

「キナコに喜んでもらえてあたしも嬉しい」

 まるで俺がいないかのように盛り上がりながら歩く二人。

 このまま恵那のペースに飲まれていればチャンスは訪れない。

 俺は彼女らの会話に割って入る。

「えっと……俺もあだ名で呼んでほしいなぁ……なんて」

「は? なに言ってるの? キナコ、ジュンのことは柄本でいいからね」

「えっと……そうなの?」

「そうそう。はじめからあだ名呼びなんて距離詰めたら、こいつすぐ勘違いして食べちゃうから」

「た、食べる……って……えぇ!?」

 鎌滝さんが俺のことを見て、顔をぼっと赤らめた。

 なにを想像したのか、と問えるほどの度胸はなかった。

「そ。男はみんな、特にジュンみたいなドーテー君は飢えた野犬みたいだから。ほんと気を付けなよ」

「……うん」

 あぁ、鎌滝さんが俺との距離を取ってしまった。

 恵那の奴、やはり邪魔して楽しんでいるのではなかろうか。

 が、ここで恵那にキレると鎌滝さんに嫌われてしまうかもだし、俺は結局黙るしかない。

「と、映画館着いたね。それじゃチケット買いにいこっか」

「ごめん、ケイちゃん。私、おトイレ」

「まだ時間あるし、気にしないで行ってきな」

 トイレに行った鎌滝さんが見えなくなったところで、俺はふぅ、と一つ溜め息を吐いた。

 今までのモヤモヤが溜まり溜まって、もう一つ溜め息。

「ジュン、溜め息ばっかじゃ幸せ逃げてくよ?」

「お前のせいだろ? せっかく鎌滝さんと遊びに来たのに、これじゃ嫌われる一方だって」

 恨みを込めた目で恵那を睨むが、彼女は知ったことではないとでもいう風にすました顔だ。

 それが余計に俺の怒りを煮えたぎらせる。

「鎌滝さんはずっとお前とばっかり話してるしさ、お前はお前で変なこと言ってさ、やっぱり邪魔しに来たんだろ? 彼氏いる女は違うな」

「違うって。それに彼氏って何よ。あたしはただ」

 恵那の言葉を遮るように、俺のスマホにメッセージの通知が入った。

 彼女と話したところでどうにもならない。会話を遮るように俺はスマホの操作に意識を向ける。

 むっとした恵那の顔がちらりと見えたが知ったことか。

「……大智からか」

 メッセージには「今すぐそこから離れて」とだけ送られている。

 これはどういう意味だろうか、俺は首をひねる。

 間違えて俺にメッセージを送ったのか、俺宛に向けた暗号か、はたまたそのままの内容か。

 なににしろ鎌滝さんがトイレに行っているので離れることはできない。

「あ、ごめんね。おまたせ」

 3分くらい後、鎌滝さんが帰ってきた。

「じゃ、あたしもトイレ」

 が、恵那もトイレへ行ってしまう。

「はぁ……ったく、なんだよ、あいつ」

 大智の指示に従ってこのままどこかへ行ってもいいが、やはり鎌滝さんの印象が悪くなる。

 恵那が着いてくることを許したあの時の自分を殴ってやりたい。

 俺はまた、溜め息を。

「ご、ごめんね、柄本君……」

「え? なにが?」

 申し訳なさそうに上目遣いの瞳が、メガネ越しに俺を捉えている。

「せっかく柄本君が誘ってくれたのに、ケイちゃんとばっかり話して……」

「いや、それは鎌滝さんが謝ることじゃないよ」

「ううん……私が悪いの……えっと……男の子と遊んだことあんまりなくて……だから柄本君と何話していいかわかんなくて……ケイちゃんとばっかり話しちゃった」

 彼女の真摯な瞳が俺に突き刺さる。

 自分が情けなくなってくる。

 そもそも誘った俺が会話をリードしなければいけないのだ。

 なのにそれを放棄して挙句恵那のせいにして。

「俺のほうこそ、ごめん……ほんとなら俺がいろいろリードしなくちゃいけないんだよね……その、さ、俺も女の子と遊ぶの、初めてだから」

「……そっか。それじゃ、初めて同士だし、気、遣わなくていいかもね」

 今度はにっと笑った彼女の表情が俺を捉えて離さない。

 俺は一瞬どういう顔をしていいか迷ったが、彼女と同じく、にっと笑う。

「あぁ、そうだね」

 これでようやく俺もスタートラインに立てた気がした。

「ふぅ……すっきり。って何二人で笑ってるの?」

 と、恵那がトイレから帰ってくる。彼女の質問に、俺は鎌滝さんと顔を見合わせる。

「ん? そうだな……」

「秘密、です」

「だな」

「ちょっと! なによ! あたしがいない間に何があったの! 教えてよ!」

 なんて笑っていたからだ、大智からのメッセージがすっかり頭から抜け落ちていた。

「あ! 純也先輩! お~い! ほら、大智先輩! 早くでござるよ!」

「はぁ……もぉ、キミ、離れろって送ったよね?」

「大智に……紗英!?」

 デートにまた愉快な仲間が増えることとなってしまった。


「あーし、神宮紗英でござる! よろしくでござるよ、先輩方!」

「へぇ、ジュンにこんな後輩がいたなんてね。あたし恵那、よろしく。で、こっちはキナコ」

「鎌滝奈子です、よろしくね」

 女子たちが盛り上がっている隙に俺は大智にこっそり耳打ちする。

「で、大智。どういうことか教えてくれよ」

「キミのサポートに行こうと映画館に向かってたんだよ。けどその途中でこれまた映画館に向かう紗英に会って。で、振り切れなくて今に至る」

 そう言って大智は両手を合わせた。

「いや、いいよ。恵那が来てる時点でもうめちゃくちゃだしさ。今更増えたところでだ」

「この埋め合わせはまた何かでするから! ほんとごめんね!」

「だからいいって」

「大智先輩、早くチケット買うでござる!」

「ジュンも席選んでよ」

 彼女らに急かされて券売機へ。

 すでに恵那が操作してくれていたので、あとは席を決めるだけだ。

「じゃあここだな」

 俺はど真ん中の列を5席タッチした。

『あー!』

 だが、恵那たちが大声を上げる。

「お、おい、なんだよ……」

「あんた何考えてんのよ!」

「そうでござるよ先輩!」

「え? 真ん中、見やすくないか?」

「だからってみんながキミみたいに真ん中が好きってわけじゃないし」

「そう、です……」

「……まじか」

 全員で鬼の形相で睨まれ、蛇に睨まれた蛙の気分だ。

「あたしは最前列ど真ん中! ド迫力で見れるし何より前の人を気にしなくてもいい! 映画見てるのにスマホいじるやつ鬱陶しいし、そんな奴気にせず映画を見れる!」

「ボクは逆に一番後ろの真ん中だね。スクリーン全体が見えるから画面の端の動きとか追いやすいんだよ。それにさ、劇場の全部が見れるからいいんだよ。上映開始の瞬間に一斉にスクリーンのほう向く人たちとかさ、上映終了に伸びする人とか、そういう劇場の空気感を味わえる」

「私は一番端の席かな。映画見ててトイレ行きたくなった時に誰にも迷惑かけずに行けるし、上映が終わってすぐに外に出れるし」

「あーしは横サイドの2~3つ並んでる席がいいでござるね。隣に人がいると気になって集中できないでござるからね。そこだと人が少なくて集中できるでござる」

「見事にばらばらだな……」

 この流れだと同じ映画を違う席で見るということになりかねない。

 まぁそれぞれ映画の見方があるのだ。一映画好きとしてそれにどうこう言う資格は俺にはない。

「それじゃみんな自分の好きな席にするか」

「……あの」

 全員が納得しかけたが、鎌滝さんが控えめに手を挙げた。

 皆の視線が彼女に注がれる。

 彼女はもじもじとメガネをいじりながら言う。

「せっかくみんなで映画見るし、バラバラなのは、いや、かも、です……」

 後半は消え入りそうな声。しかし彼女の言葉はみなに届いたようだ。

「だね。あたしは賛成。せっかくだから一緒に見ようよ」

「あーしも異論なしでござる。知ってる人が隣なら問題ないでござる」

「ま、みんながそう言うならボクも文句ないよ。純也は?」

「俺も、みんなと一緒がいいかな」

「それじゃ決まりね。キナコ、席決めなよ。キナコが決めた席ならみんな文句言わないっしょ」

 じゃあ、と鎌滝さんはさっき俺が選んだ5席を選び、発券した。

「鎌滝さん、端じゃなくていいの?」

「う、うん……柄本君が良いって言った席、気になったし」

 それってどういうことだろうか。

 俺には聞き返すことができなかった。

 その時の鎌滝さんの、伏し目がちで恥ずかしそうな表情に魅せられたせいで。


 こうして俺たちは映画を見終え、満足げな足取りで劇場から出ていく。

「あーし、このトリックはなかなか好きでござるな。どんでん返しがすごくて見応えありましたな」

「あたしも好き。種明かしの瞬間ドキドキが止まらなかったし」

「小説で予習してたけど、俳優さんの演技が重なるとやっぱりいいよね。犯人知ってるけどドキドキしちゃった」

 なんて話している女子の少し後ろで、俺は大智と一緒に歩く。

「どうかな、純也。鎌滝さんの隣だったけど、なんか進展あった? あったよね?」

「……いいや、何も」

 えぇ、と大智に呆れられるが仕方なかったのだ。

 鎌滝さんはとても楽しそうに映画を見ていて、俺が邪魔できる雰囲気でもなかった。

 それに……

「もう片方は恵那だぜ? 手出したら殺すって目線で……」

「ま、まぁまぁ。映画に行っただけでも一歩前進ってことで。ポジティブに考えよう」

 大智にバン、と痛いぐらい肩を叩かれる。

 彼の言う通り確かに前進と考えればいい。

 これがきっかけで仲良くなれればチャンスはいくらでもある。

 一歩踏み込んでよかった。

「ねぇ、ジュン。これからどうする? せっかくだしカラオケとか行かない?」

 スマホで時間を確認する。時刻は15時30分。解散するにはまだ早い。

「だな。遊ぶか。鎌滝さんも、行くよね?」

「うん、いいよ。あ、私本買いたいから、本屋さんにも寄ってほしいな」

「紗英はどこか行きたいところ……紗英?」

 俺の問いかけも無視して、紗英は窓から外の様子を見ている。

 彼女はいつもとは違う、神妙な面持ちだ。

「紗英? 外に何かあるのか?」

「先輩……あーし、夢でも見てるでござるかね?」

「は? 夢?」

 彼女が震える指先で窓の外を指した。

 何が起こっているのかわからない、そう言いたげな彼女の表情を横目に、俺は恐る恐る窓の外を見た。

「……なんだよ、これ。映画の撮影か?」

 窓の外、それはまさにこの世のものとは思えないほどの様相だった。

 路上に飛び散る赤、向かいの店のショーウィンドウは割れ、その足元にはガラス片がびっしりと刺さった人らしき物体。

 だが何よりも目を引いたのが、逃げ惑う人々と、それを追いかける人のような者。

 それを見て俺は全身の血の気が引いていくのがわかった。

「ちょ、待てって。あれって……」

「ゾンビ、よね」

 隣で窓の外を見ていた大智たちも、顔が青ざめていた。

 そう。外にいるのは、映画で見たようなゾンビの群れ。

「これって、本物かな……?」

「そ、そうだよ……映画館の作り物かも」

「そうかも、でござるね……」

 が、その瞬間だった。

 ばんっ! と大きな音とともにゾンビが窓際に張り付いたのだ。

「ひっ!」

 腰を抜かしへたり込む鎌滝さん。

 彼女は今にも泣きそうな顔で外を睨む。

「これ……本当に作り物かな? 精巧すぎるってボクは思うんだけど……」

 大智に言われ、窓に張り付いたゾンビをまじまじと観察する。

 血の気が引き青白くくすんだ肌、生気を失った獣のような鋭い瞳、口元にべったりと付いた赤黒い血。

 そのどれもが、映画で見たことのあるゾンビそのものだ。

「と、とにかく……いったん外に出てみようか」

「う、うん……」

 俺は鎌滝さんの手を引き起こし、出入り口の扉をくぐった。

 どうかこれが嘘でありますように。そう願って。

 しかし現実はあまりにも残酷だ。

 外は窓から見たのと同じで、ゾンビパニック状態。

 建物の外に出たせいで、あたりに立ち込めるむわっとした死の臭いが鼻孔を刺激し、それがどうしようもない現実だと語る。

「夢じゃ、ないみたいだ」

「映画でも、何でもないんだよね」

 そう、これはフィクションでも何でもない。現実だ。

 俺たちの知っている世界は終わってしまったのだ。

 映画を見ていた、たった2時間の間で。


 これが世界が終わった真相だ。結論を言うならば、何もわからない。

 ゾンビの発生理由も何もかもだ。

 何もわからずに季節は過ぎていき、夏になっている。

「ジュン。さっきの人、もう時間じゃない?」

 時計を見ると確かに1時間経過していた。

 部屋の電話に連絡をしてみるが、応答がない。

 5分様子を見てもフロントに来る気配もない。

「ウサ、店番頼む。ケイ、行くぞ」

 俺たちは壁に立てかけているライフルを取り、ガスマスクを着けて部屋へ向かう。

 イチにも応援を頼み、途中で合流した。

「イチ、ケイ。合図で踏み込むぞ」

 二人と目配せし、ライフルを構える。

 ドクンドクン、と心臓が高鳴り、ジワリ、と冷たい汗が首筋を流れていく。

 この瞬間はいつになっても慣れることはなかった。

「3……2……1! 突撃だ!」

 俺は扉を思いきり蹴り開けた。

 その瞬間ガスマスク越しでも鼻孔に纏わり付く血と腐った肉の臭いが襲い掛かってきた。

 俺たちはすぐさま部屋に入り、ベッドへと銃を突きつける。

 そこでは鎖で繋がれ歯も爪も取り除いた女ゾンビと、青白い肌をさらしゾンビとなり果てた男がファックしていた。

「お客様、無許可での延長はご遠慮いただいておりますので」

 俺は必死に腰を振る男の後頭部に銃を突き付け、引き金を引いた。

 バンっ! と乾いた音があたりに響いたと同時、ぐしゃり、と男だったものが女ゾンビの腹の上に崩れ落ちた。

「ジュン、こっちも処理するね」

 今度はケイが、女ゾンビに向かって引き金を引いた。

 客を感染させてしまったゾンビはどういう理由があれ処分する。どこから噂が漏れて評価が落ちるかわからないからだ。

「で、この人はどうして感染したんだ? ゾンビの歯も爪もちゃんと処理してたのに」

 イチがライフルの先端を器用に使い、男の死体を地面に転がす。

「うわっ……この人ちんちんちっちゃっ。ゴムのサイズあってないし。見栄張るから感染するんだよ」

「おい、イチ。ケイが見てるから」

「いいよ、ジュン。あたし、何回も処理してるの見てるし」

「あちゃ~。やっぱり感染してたでござるね」

 と、ウサがやってきた。

「おい、店番は?」

「少しくらい離れても問題ないでござるよ。セキュリティもあるし泥棒が来てもわかるでござる。それより……」

 ウサは男の死体から腕時計を外し、自分のポケットに入れた。

「お、おい……さすがにそれは」

 俺はウサの手を取ったが、すぐにそれを引っ込めた。

 彼女の表情があまりにも冷たく、恐ろしかったから。

「ジュン先輩、甘いこと言ってたら死ぬでござるよ。あーしたちはどうにか生きていかないといけない。生きるには過去とかそういうことに縛られてたら足元掬われるって、わからないでござるか?」

「……」

「ウサの言うとおりだよ」

 と、ケイも言う。その表情に、少しの悲しみを孕んで。

「あたしたちは生きるために過去を捨てる。どんな手段でも生き残る、そう決めたよね? 覚えてない?」

「覚えてるよ……」

 そう、忘れたくてもあの日のことは忘れられない。

「キナコが死んで、あたしたちは名前を捨てて、生まれ変わった。もう過去のあたしたちは死んだの。いい加減本気で覚悟を決めてよ、ジュン」

 あの日、鎌滝さんが死んで、俺、柄本純也も死んで、ジュンが生まれた。

 塚本恵那が、ケイに。

 海老原大智が、イチに。

 神宮紗英が、ウサに。

「ああああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 俺は叫んで、壁に吊るされた男のスーツをひったくった。

 ポケットをまさぐり、ごみくずひとつ残らず掻き出した。

 銃弾、携帯食料、スマホの携帯充電器、そして彼の家族の写真。

 地面に零れたそれを掻き集めて、ひとつ残らずポケットに詰め込んだ。

「あぁ! 忘れてないさ! 俺たちは生き残る! 誰が何と言おうと! 絶対に!」

 そうしないと生きていけない。

 生きるためにはなんだってする。

 それがあの日死んだ俺たちとの約束だから。


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