第5話―戦争に正義なんて存在しない―
「どうして靂の捜索に行かないんですか!」
コスモスの操縦室でナクアは羽場にそう怒鳴った。
靂がカリギュラⅣとともに地球に墜落して三日、だが彼らはなんの捜索も行っていなかったのだ。
「あいつは大気圏で燃え尽き死んだ! 死人の捜索に出るほど我々も暇じゃない!」
「死んでないです! らむねさんが言ってましたよ、靂が地球に墜落してから少し後、通信が来たって。呻き声だけだったけれど、あれは確かに靂だって! 靂は生きてるんです! だから捜索隊を出してください!」
「ナクアさん、そう声を荒げないで。落ち着いて」
と、ササメがやって来てナクアをなだめようとする。だがナクアは簡単には引き下がれない。
何せ大切な相棒がいなくなってしまったのだ、生きてどこかで助けを待っているかもしれない、そう考えるといてもたってもいられなくなってしまう。
「ササメさん! お願いです……靂を……靂を助けに行ってあげてください……うぅ……」
ついにナクアは耐えきれなくなり、泣き崩れてしまう。
ササメはナクアのもとに寄り、彼女の頭を優しく撫でた。
「助けに行きたいのはわたくしたちも同じです……ですが、できないのですよ」
「どうして!? パイロットが足りないっていうならボクが行きます! だから!」
「いいえ、そういう問題ではありません……靂さんの落下した場所が問題なのです。シミュレーターで計算してみたのですが、どうやら靂さんはロシアの海岸沿いに落下したようです」
なら、と言うナクアをササメは穏やかになだめる。
「ただ、その場所は少々厄介なのです。地球軍の中でも黒い噂のある、ソビエト革命軍の基地が近くにあります。もしも彼らに我々の存在が知られれば、厄介なことになります」
「ソビエト革命軍……?」
「えぇ。地球戦のために配備された部隊ではありますが、その実集まっているのは宇宙戦の適性がない老いた兵たちです。しかし彼らは戦えないからこそ、イーマンへの怒りを募らせている。彼らにしてみればイーマンは得体のしれぬ宇宙人なのでしょう。それを殲滅せんとしているのです。戦いを止めようとしている我々も、彼らにとっては敵になりえるでしょう。いえ、問題なのはそこではありません。部隊の隊長である、ウルフという男が問題なのです」
「ウルフ……? どういう男なんですか?」
「彼は拷問卿として過去、名を馳せていました。噂というのは、今も彼は拷問を続けている、というもの。拘束したイーマン兵士をわざわざ地球に送り、彼が拷問して情報を引き出している、とか」
「拷問って……それは条約違反でしょう!?」
戦争をするにしてもルールは必要だ。ルールがなければただの野蛮な殺し合い、それどころか地球、もしくは宇宙を再生できないほどに傷つけてしまう可能性がある。
非人道的な大量破壊兵器、例えば核や細菌兵器の使用の禁止、降伏した相手の殺傷の禁止、コロニー落としの禁止、など様々だ。
その中には拷問の禁止も含まれている。
「えぇ。ですから隠れて拷問を行う施設がある、とわたくしは踏んでいます」
「そんな……じゃあ靂も?」
「いえ、彼らが相手にするのはあくまでもイーマンです。ただ、その秘密を知られればたとえ同じ地球人だろうと……靂さんには何とか自力で脱出してもらいたいのですが……」
「じゃあ、待つしかできないっていうの!? そんなの、あんまりだよ!」
ナクアはササメを振りほどき、ブリッジを走り去る。
行くあてなどない。ただ足の赴く方へと走ると、そこは医務室だった。
「お願い、霹さん! 靂が危ないんです! 眠ってる場合じゃないでしょう!? 大事な妹なんでしょう!? お願いだから、靂を助けてあげて……」
彼女は眠る霹の手を握り、祈った。
どうか、どうか靂を助けてくれ、と。
彼女の涙がポタリ、霹の頬に落ちた。その時、霹の瞳がやや動いたのだった。
「どうだ、靂。狩りは楽しいだろう?」
「う~ん……楽しいかどうかはまだあんまり……」
「帰って獲物を食えばその良さがわかるさ。自分の仕留めた命を食う、生きるということがどういうことかわかるぞ」
「へぇ……それはちょっと、楽しみかも」
墜落して三日、靂はウルフ率いるソビエト革命軍の兵士たちと狩りに興じていた。
この三日で靂はずいぶんと彼らに可愛がられていた。
こんな僻地でいつ来るかわからない敵の襲撃を待ち構えているのだ、外界との接触はほとんど無いに等しい。そこにちょうど自分の娘、もしくは孫くらいの年齢の女の子が来れば可愛がるしかないだろう。
靂は靂で、長期休暇をもらったと嘘を吐き、彼らとコミュニケーションを取りながらジュラの情報を引き出そうとしていたが、まだ成功していない。
だが、怪しい場所は見つけた。サナトリウムの地下室だ。
彼らは常に地下室に警備を付けている。あからさまに怪しすぎるのだ。
「この下は食料や武器をしまっているんだ。つまみ食いするバカもいるし、退屈しのぎに火薬を盗んでいくバカもいる。だからこうして見張ってるんだ」
警備の兵に尋ねるとそう答えていたのを思い出す。
警備は朝晩交代制、皆が寝静まった深夜にも地下を見張っている。
これを怪しむなという方がおかしいのである。どうにか地下室に潜り込む手段を探ろうとしたが、いまだその方法もわからない。
「いや、今日は外で食べるか。こっちのほうが雰囲気出て楽しいぞ、靂」
「そうなんですか?」
「あぁ。キミみたいな年頃の子はこうして外で料理して食うってこともしないだろう?」
「そうですね、新鮮な体験です、ウルフさん」
「よし! じゃあ早速獲物を捌いてみろ! と、言いたいが女の子には酷だろう。わしがやっておくから、火おこしの手伝いをしてくれないか」
「わかりました」
(うぅ……外でこんなことしてる暇ないのに……いや、でもこうして仲良くなれればぽろっと秘密を話してくれるかも……でもそれっていつになるんだろう……? ナクア、心配してるんだろうなぁ……)
通信で助けを呼べばこっそりとやって来てくれるかもしれない、けれどジュラを置いていくのは気がひけた。
それに万が一中立部隊のピース・ルーラーの存在がばれれば厄介なことにもなりかねない、彼女はそう思い仲間には連絡していなかった。
「よし! それじゃあ食べるぞ!」
なんだかんだで食事が始まった。
靂は自分が仕留めたウサギ肉を串に刺し、炎の中へ。パチパチと燃え盛る炎の中でウサギ肉がジューシーに色付いていく。
「うむ、そろそろ食べ頃だな。出していいぞ。熱いから気をつけて食べるんだぞ」
「はい、ウルフさん。ふぅ、ふぅ……あむっ……あちちっ! あっ! すごくおいしいです! いつも食べてるのと違う味がしますね、調味料変えたんですか?」
「自分で仕留めた獲物だ。その達成感が最高の調味料、なんてな、アハハ!」
「さすがウルフ隊長はいいこと言うなぁ!」
「よっ! ウルフ隊長!」
こうして仲間と共に火を囲み、食事をするのに酒は欠かせない。兵士たちは始まったばかりなのにもうべろべろに酔っぱらい、ウルフを囃し立てていた。
「ウルフ隊長、俺あの話聞きたいなぁ。隊長がどうして拷問卿って呼ばれるようになったかって話!」
「それは飽きるほど話しただろう?」
「でもめっちゃかっこいいからまた聞きたい! それに靂ちゃんはまだ聞いてませんし、せっかくだから聞かせてあげましょうよ!」
「どういうお話ですか? ちょっと興味あります」
「よし、聞かせてやろう! わしの昔話を!」
酒が入り、気が大きくなったウルフは得意げに昔話を話し始めた。
「わしがまだ戦場に出たばかりの頃だな、わしはどこにも属さず金で雇われる傭兵をやっていた。靂は知っているか、その時代、半世紀前の戦争を?」
「半世紀前……? 戦争ってしていましたか? 学校でもそんな話は聞いてません」
「あぁ、歴史にも残らない、日々のニュースで3分も報道されないような小さな戦争がな。それは国と国ではなく、自らの神の教えの正当性を説くための宗教同士の戦いだった。おかしいだろう? 科学が発展した21世紀に、いまだに神を信じ、その教えを守るために戦うなんて」
ウルフは酒をあおり、ウサギ肉にかぶり付いた。口周りについた肉汁を袖で拭い、また話し始める。
「確かに神は偉大だ。このウサギも酒も、神の恵みだ。だがそれを口にできるのは、わしら人間の力によるもの、そうだろう? わしらがウサギを撃ち殺し調理する、酒も作り出す。神は地球に恵みをもたらすが、人間に恵みを与えないのだ。口を開けているだけでは何も得られない、わしらは奪うしかない。いや、話が逸れたな……そう、戦争の話だったな」
ウルフはもう一度酒をあおる。靂もそれにつられ、水をあおった。
「わしには神の教えなどどうでもよかった。ただ金が欲しかった、だから戦ったのだ。だがな、ある戦いでわしは迂闊なことに捕まってしまったのだ、敵軍にな。そこでわしは拷問にあった。自分たちの信じる神をお前も信じるのだ、と」
「それでウルフさんは、神様を信じたんですか?」
「いいや、信じなかった。もし信じたとしても、待っているのは教徒としての安らかな死だ。彼らにとって死は最高の救済だったのだ。だから教徒になった仲間は皆、殺された。彼らの言葉で言うなら、救われたのだ。わしは居もしない神を信じて死ぬなんて耐えられなかった、それは酷い拷問よりも最悪なことだ」
ウルフはそう言い、右目の傷跡をなぞった。
「その時に付いた傷だ。体のほうにもまだ傷があるぞ。わしは拷問を100日耐え抜いた。彼らはわしの拷問を楽しみにするようになり、わしはおもちゃとして生かされ続けていたのだ。だが、運命の100日目、わしのもとに神が恵みを与えてくれた。間抜けな兵がわしの前で拳銃を落としたのだ。わしはすかさずそれを拾い、彼らに復讐した。気が付けば彼らは皆、死んでいた」
「……」
ごくり、靂は生唾を飲んだ。それは自分の知らぬ戦場の話。
過去に本当に起こった話なのだ。それを聞き、どうしようもない苦しさを覚えてしまう。
「生きて帰ったわしは今度、拷問する側へと回った。自らがされた拷問を敵に行う。わしは神の教徒でもない、ただ金のために拷問する。そのために容赦はしなかった。数々の敵を拷問し、そしていつの間にかわしは拷問卿と呼ばれるようになっていたのだ」
ウルフは話し終わり、タバコに火を点けた。紫煙が燻り、宵闇の星空に消えていく。
「なんだか、悲しい話ですね……」
「悲しい? なぜだ?」
「あなたはそれで救われたんですか? 拷問されたからやり返して……でもそれで満足なんですか?」
ウルフは口から煙を吐き出し、悲しげな眼を浮かべた。
「お嬢ちゃん……キミに何がわかるんだ?」
ぽつりと放たれたその言葉はずしん、と靂の腹の奥底に響き渡った。
ウルフの目が語る、戦争を知らない子供が知った風な口を利くな、と。
「いえ、ごめんなさい……」
何を言ってもダメだ、靂は謝り口をつぐんだ。
ウルフはじっとタバコの煙を見つめ、それをぽい、と地面に捨て立ち上がる。
タバコの火を踏んで消すと、彼は酒の瓶を一本奪い、森の奥へと消えていく。
周りの誰もウルフを追いかけない、もちろん靂もだ。
「食い終われば片付けておけよ。わしはしばらく、一人になる」
ただその言葉を残して、ウルフは宵闇の森へと姿を消した。
その後、サナトリウムに戻った靂だが、寝付けずに海岸線をぷらぷらと歩いていた。
食堂でサンドイッチを作り、それを食べながら夜の海を歩く。
海特有の潮の匂いと、べたっとした風、それが彼女には懐かしく感じる。それは母なる海から生まれ落ちた地球人特有の感覚だ。
宇宙で生まれた者には海が嫌いなものが多い。匂いだったり風だったり、その理由は様々だ。ならば彼らは何を懐かしく思うのか、靂にはわからない。
「夜の海っていうのもいいよね。なんだか幻想的」
月に照らされ輝く海を見ていると、ふとその先に漂う人工島に目が行った。
「確か昔宇宙ステーションだったところ……今でも軍の宇宙船がここに着陸するって……」
かつてのロケット打ち上げ台がギラリ、輝いて見える。ただ、それ以外は何もない。打ち上げ台だけが忘れられたみたいにポツリ、そこに立っているのみだ。
「ん? あれって……船、だよね?」
そんな人工島に向かっている小型の船を靂は見つけた。
「どこから来たんだろう? このあたりに港はないし……そもそもあの人工島は軍が管理してるから一般の船は近寄れないんじゃ……」
なにかおかしい。靂はそう思い、食べかけのサンドイッチを包んでカバンに詰める。
それと交換に双眼鏡を取り出し、暗視モードで辺りを観察する。
「この近くに船が出入りできる場所があれば、そこが怪しい……」
靂の嫌な勘がざわざわと騒いでいる。そしてこうも叫んでいるのだ、このチャンスを逃すな、と。
彼女は目を凝らし辺りを観察し、見つけた。
岸壁の下に、大きな横穴があることに。その大きさはちょうど船が通り抜けできるくらい。
そしてその岸壁の上にはサナトリウムが。
「もしかしたらあの横穴って、地下に繋がってる?」
彼女は辺りを見渡し、誰もいないことを確認してその横穴まで走った。突き出した岩から岩へとなんとか飛び移り、ようやく横穴へ到着する。
「ここに何かある……ジュラ……もしここにいるなら、生きていてよ」
ふと、ウルフが拷問卿と呼ばれていることを思い出した。もしかしたらジュラは拷問されているのかもしれない。
そう考えると靂の足は自然と早まった。
横穴の奥にはあからさまな扉があった。その扉を躊躇無くくぐると、研究施設のような場所へ出る。
無機質な壁が彼女に冷たい印象を抱かせた。
「何かの研究施設……? でも何だろう、この臭い……むせかえるみたいな臭いがあたりに染みこんでる……」
すんすんと鼻を鳴らし、靂はあたりの臭いを嗅ぐ。生臭く、纏わりついてくるような嫌な臭いだ。
その臭いを彼女は嗅いだことがあった。
「そうだ……狩りで捕まえたウサギを捌いてる時も……あの時の臭いに似てる……」
それはむせるほどの命の臭いだ。それがあたりに染みこんでおり、ここがただの研究室ではないことを物語っている。
「狩った動物をここで捌いてるから……ってことじゃ絶対ないよね」
靂は手近の扉を開けて中に入った。
「毎回思うが、出荷って面倒だよな」
「!?」
声がする。靂はとっさに近くの机の裏へと隠れた。
こっそりとそこから部屋の様子を観察する。
そこには革命軍の兵士が2名、無機質なベッドを囲むように立っていた。あとはどう使うかわからない機械たちが所狭しと並べられている。
何の部屋だろうか、靂は兵士の会話に耳を澄ませた。
「そうだよな。あの小さな船で何回往復するんだって思うぜ」
「もっと大きな船を使えばいいのに」
「そしたらこっちに入ってこれないだろう?」
「わざわざ横穴から入ってこなくても」
「バカ。俺たちのやってることは正規軍にばれちゃいけないんだ。もし海岸で積み込みでもやってみろ。宇宙から監視されて、何やってるかバレちまう」
(正規軍にばれちゃいけない仕事……なんだろう?)
靂は目を凝らし、ベッドの上を観察した。そこには、何やら人が横たわっている。
よく見るとそれはイーマンだった。イーマンが眠らされている。
兵士二人は機械をごちゃごちゃといじり、イーマンの首元に首枷のような輪っかを付けた。
首輪には何やら電極のようなものが生えており、それが彼らの手元の機械に繋がっている。
「よし、準備完了だ。電源入れるぞ」
兵士がそう言い、機械の電源を入れる。ぐおん! と巨大な音を立てて動き出す機械。
だがイーマンに何の変化もない。しばらくすると機械が止まり、彼らは首元の電極だけを外す。そしてそのイーマンを大きな木箱に詰め始めた。
(あの人たちは何をやってるんだろう……? まぁいいや。他の部屋に行こう)
靂はこっそりと部屋を抜け出し、廊下を歩いて行く。
次に入った部屋で、彼女は絶句する。
それは今まで以上に命の臭いが充満する部屋だったからだ。
深い赤が染み付いた壁や床、見たこともないが人を傷つけるために作られたのだとわかる器具の数々。
「拷問部屋だ……」
ここにいるだけで靂の耳の奥には拷問を受けた人たちの悲鳴が聞こえてくるよう。
それはただの幻聴だ、部屋の空気が生み出す幻想だ。だが彼女はそれを塞ぐように、耳を押さえしゃがみ込む。
「はぁはぁ……ここ、最悪……おぇっ!」
染み付いた血や肉片、臓物の臭いに靂は嗚咽を覚えた。鼻の奥深く、脳にまで達しそうな死の臭いに彼女は怯え、すぐさま部屋を飛び出した。
「はぁ……この部屋、ほんと最悪……ジュラ、無事でいてよ」
彼女はジュラの無事を祈り、次の部屋の扉を開いた。
そこは牢屋だった。数多の牢に、イーマンが詰め込まれている。
「ここは、牢屋……もしかしたらジュラも」
彼女は一番近くの牢に顔を近付け、囚われた人の顔を見る。
「ひ、ひぃ! 来ないで!」
「助けてくれ! 俺は何もしていない!」
「え……? 子供?」
そこにいたのは、子供のイーマンだった。年齢はバラバラだが、どれも18歳未満。一番下は小学校低学年くらいの子供まで。
彼らは皆、怯えた表情で靂を見ていた。
靂は戸惑う。なぜこんな子供たちが牢に捕らわれているのか、と。
「助けて! もう痛いことは嫌なんだ!」
「ごめんね、私は人を探してるんだ……その人を見つけたら戻ってくるから、待ってて」
靂は牢を一つずつ探り、ジュラを探した。
そして最後の一つでようやくジュラを見つけた。
彼女はただ一人、牢にいれられている。
「ジュラ!」
「……はは、あんた。来たんだ」
靂の声で振り返ったジュラ。うっすらと笑んだその頬は会った時よりも細くなっていた。
目には輝きがなく、ただただ、力なく笑んでいるだけだ。
「何しに来たの? あたしを笑いに?」
「違うよ! ジュラを助けに来たの! ねぇ、逃げようよ」
「なんであんたがあたしを助けるの? あたしはイーマン、あんたは地球人よ。敵同士なのにどうしてよ」
「敵なんて関係ないよ。私は戦争なんてしたくない。だからあなたが誰であろうと助けるの」
「はっ! あたしの仲間殺しておいてよく言うよ! 戦争したくないって言いながら、結局人殺してるんだから」
「それは……」
靂は言葉に詰まった。それについては言い訳のしようがない。
「それにあんた、この三日ずいぶん楽しそうに生活してたみたいね。そんな暖かそうなコートまで羽織ってさ。でもあたしはどう? まともなものも食べてないし、水だって泥水と変わらないものを飲まされた。ここにいるイーマンたちの悲鳴でもう気が狂いそう! あたしたちはあんたの偽善に付き合うためにここにいるんじゃないの!」
「偽善なんて……私は、本当に戦争なんてしたくないし、ここの皆だって救いたい! 私は戦争を止めるために、平和のために戦うの!」
「へぇ……じゃああんたにここで行われてること、教えてあげるよ。ここはね、イーマンのゴミ捨て場なの。戦いで負けたイーマンが捕虜になってここに送られてくる、それだけじゃない、イーマンとして生まれた子供が地球人の親に捨てられてここに送られてくるのよ。ほら、見てよ。ここにいる子供たちは皆、親から捨てられたんだよ」
靂は改めて辺りを見渡した。皆、怯えたり恐怖を浮かべたりしている。
だが、彼らが靂を見る瞳には憎悪と怒りが混じっていた。
イーマンは宇宙で突然変異して生まれた子供だ。そう、その親は地球人なのだ。
親は得体のしれぬ進化をした子供を恐れ、この施設へと捨てたということなのだ。
「ここで行われてるのは拷問だけじゃない。イーマンの奴隷化だ。ここに連れてこられたイーマンは首輪を付けられ、最終的に出荷される。ボタン一つであたしたちに苦痛を与えることができる最低の首輪をね。その行き先は農業コロニーだったり、工業コロニーだったり。あたしたちが人間よりも丈夫だから人間以上に働かされるの。ううん、それがただのコロニーならまだまし。どこかの研究施設で実験材料にされたり、ミッドナイトアジアの風俗店に流されたり……」
「そんな……」
「もしかしたらあんたが日々食べてたものは、ここから出荷されたイーマンが作ってたかもね」
「嘘だ……そんなこと、あっちゃいけないよ……」
靂は肩を震わせる。戦争の裏で行われているこの残酷な行為に、怒りを覚えたからだ。
彼女は怒りに任せ、ぎゅっと拳を握り締めた。爪が手のひらに食い込み、血が滲む。
その痛みは彼女たちが受けたものに比べるとたいしたこともない。いや、今までぬくぬくと過ごしていた彼女には、イーマンたちの痛みを知る権利さえない。
「どう? あんたはこの最低なことしてる地球人と同じ種族さ。それでも助けるっていうの?あんたは同族殺してあたしたちを救うのかよ?」
「……救うよ」
「は……?」
「私は救うよ! たとえ全世界を敵に回しても、ジュラ、あなたを!」
靂は血の滲んだ手を牢の中へ。そしてその手で、ジュラの頬に触れた。
ジュラの頬にうっすらと靂の血が付き、赤くなる。
「ばっ! そ、そんな言い方するなよ!」
「え?」
「そんな告白みたいな……あぁもう! なんでもない!」
「んん? あ、そうだ! これ、私の食べかけだけどサンドイッチ、お腹空いてそうだし、力出ないでしょ?」
靂はカバンからサンドイッチを取り出してジュラに差し出した。彼女はそれをものすごい勢いで引ったくり、がつがつと平らげてしまう。
「食べかけなんて渡すなよな」
「そう言ってぺろりと食べちゃったじゃん……」
「うるさい! ま、いいや。とにかく、ここから出ないとね」
「でもどうやれば」
救い出す、と言った靂だが彼女はノープランだ。
うむむ、と唸る靂にジュラはにやにやと笑って見せた。
「あんたノープランなの? じゃ、あたしのプランで脱出するから。あんたみたいなマヌケが来たら逃げてやろうって練ってたのよ」
そう言って彼女は服の中から拳銃を取り出して、にんまり笑う。
「ここは暇だからね、直しておいた」
「でもそれでどうするの?」
今度はジュラが牢から手を伸ばし、靂の頭をグイっと引っ張った。そして靂の顎下に銃を突きつけ、不敵な三日月を浮かべる。
「いいから、何も言わずあたしに従え」
「た、助けて~、脱走だぁ」
「ほら、あんたたち退きなさい! でないとこの子の頭を吹き飛ばすわよ!」
「こ、怖いよぉ」
で、その方法がこれだ。ジュラが靂の頭に銃を突きつけながら、地下の廊下を進んでいく。
地球人の靂を人質に取れば彼らも攻撃できないと考えての方法だ。
だがその裏では騒ぎに乗じて他のイーマンたちが海岸沿いの横穴から脱出する、という寸法だ。
「ちょっとあんた、やる気あるの? そんな演技じゃ大根役者もいいとこよ。もっとビビりなさいよ!」
「そういうジュラはやる気十分だね……もしかして演技好きなの?」
「まぁね。こんな戦いがなけりゃ女優でもなってたわよ。てかそんなことどうでもいいの! ほら、早くあたしをアーク・サーヴァントまで案内しなさいよ」
そう、彼女たちの最終目標はアーサーだ。
靂が革命軍と仲良くなりながらもこつこつと修理していた機体。まだ2割程度しか直っていないが、太陽光からエネルギーを充填させることに成功している。
エネルギーは十分あるため、カリバーバスターを撃ち放てる。
それを使えばこのサナトリウムを吹き飛ばすくらい造作もない。
「ほら、早く道を開けて! こいつがどうなってもいいの!?」
「くそっ! 卑怯だぞ、イーマンめ!」
「あんたすごいわね……どんどん道開けてくよ。あたしなら人質ごとぶち殺すのに。そうしないってのは信頼されてるってことかな?」
「まぁこの三日暇してたわけじゃないからね。って、そんなリスクあったのにこの作戦にしたの?」
ここで革命軍の兵たちと仲良くなったことが活きてきた。
周りの兵士たちは靂を殺せない、とどんどんと道を開けている。
気が付けば靂たちは地下から抜け出し、サナトリウムからも出てきていた。
あとはアーサーまで逃げ延びるのみだ。
「よし、作戦通り……あいつら、下で仲間たちが逃げてるってことも気付いてないみたい……あとはあいつら殺してあたしたちも逃げるだけ!」
「ねぇ、やっぱり本当に殺すの? 逃げてこの事密告すればそれでいいんじゃない? きっとこの部隊は解体されるよ」
「いいえ、その情報は上に揉み消されるわ、絶対。こんな悪はこの世にいちゃいけない、今ここで摘み取らなくちゃいけないの。それとも何? あたしを救うって言ったのは、口だけだったの?」
「それは……」
「まぁいいわ。引き金を引くのはあたし。あんたはじっと見てればいいわ」
ジュラがそう言った瞬間だ、靂の頬に高速の何かがかすめた。
虫か何かだろうか、そう思った靂の顔に生温かな液体が飛び散る。
「あ、あああぁぁぁぁぁぁ!!! い、痛いぃぃぃ!!」
「じゅ、ジュラ!?」
気が付けばジュラが手を押さえ、うずくまっている。その手からはだらだらと血が溢れ出していた。
地面には赤い液体の付いた銃が転がっている。
「な、何が起こったの……?」
「狙撃された……最悪だ……!」
くそ、とジュラは吐き捨て立ち上がろうとする。だが、その足にも銃弾が襲い掛かり、彼女はずざり、地面に倒れこんでしまう。
「まったく……最近の子供は行儀が悪いな。銃を隠し持ち、逃げだすとは」
そう言って闇の中から現れたのはウルフだった。猟銃を構え、ジュラを狙っている。
「へへっ……育ちが悪いものでね……」
「どうやらそのようだな。その目付き、気に入らない。まだ何か企んでいる目だ。違うか?」
「さぁね。あたしはこの通り腕も足も撃たれたし、銃もあんな遠くにある……それにあんたに狙われてる……勝ち目なんてないよ」
「それにしては余裕そうだ。何か隠しているんだろう? いや、お前はもともと逃げる気なんてなかった」
ジュラは驚き、目を見開いた。だがそれも一瞬、すぐに不敵な笑みを浮かべウルフに悟られないようにする。
「いいや、取り繕わなくてもいい。おまえの目的は達成されない」
「あたしの目的? 老いぼれのあんたにはわからないよ」
「地下のイーマンの脱出のための時間稼ぎなのだろう? だが残念だ。彼らはもういない。わしの狙撃部隊が全て殺した」
「……は? はは、まさか。そんなわけないじゃん。あんたたちの部下は地下の脱走にも気付かない無能ばっかりなんだよ?」
「無能? わしの兵士がか?」
その時、ガチャリ、と銃を構える音が重なって彼女たちの鼓膜を震わせた。
靂たちが辺りを見渡すと、いつの間にか革命軍の兵士に囲まれていた。
それだけではない、サナトリウムの窓から、屋上からも狙撃兵が狙っている。
もう逃げ場なんてない。
「わざとだよ。わざとお前の策にはまってやったのだ。お前も地下の奴隷もみんな、ゲームの駒に過ぎないのだ。下の部隊はただの道化、本命は上の狙撃部隊だ。まぁ彼らがいなければうえで楽しめもしなかったがな」
「そんな……でも、そんな回りくどいことしなくてもこの人数で囲めば地下であたしを倒せたんじゃ……」
「それはな……退屈だからだよ。わしらは暇なんだ。これはゲームなんだよ、ただの暇つぶしのな。狩りの対象がどう足掻くかそれを予測して賭ける。だが残念なことにこいつらはみんな逃げきれないに賭けている、わしもだがな。面白味も刺激もなくて残念だ。罠にはまった哀れな子ウサギよ。さぁ、靂、こっちにおいで」
「え……?」
ウルフが靂に優しく声をかけた。靂は思わずたじろぎ、ちらり、ジュラのほうを向いた。
だが彼女も困惑で何も答えない。
(ウルフさん、私がジュラと繋がってるって気付いてないの……? この人たち、まだ私のこと信用してる……それならあっちに戻れば、アーサーを取りに行く隙ができる? でもそしたらジュラは? ジュラはどうなるの?)
靂は最悪の未来を想定した。
自分が一歩踏み出した瞬間、ジュラがハチの巣にされ殺されてしまう未来だ。
ジュラを助けるために今まで動いていたというのに、そんなことはさせない。
彼女は覚悟を決めて、ウルフを睨みつけた。
「私は……ジュラを助ける!」
靂はジュラの前に躍り出て、天に携帯端末を掲げた。
一斉に銃口が靂を狙う。冷たい殺意に睨まれ逃げ出したくなる気持ちを必死に抑え込み、彼女は叫ぶ。
「私とジュラを逃がして! じゃないとここの地下の施設を、全世界に配信する! 実はこっそり録画してましたぁ!」
ウルフはそれをあんぐりと口を開けて見ていた。だが、少ししてガハガハと高笑いを始める。
口から臓物が溢れるのでは、と思うくらいの笑い方だ。
「お前は本当に退屈だなぁ、靂! わしが思った通りに動いてくれる! どうだ、みんな! 賭けはわしの勝ちだ!」
「え……?」
「お前は自分が助かるというのにそこのイーマンを庇う、それがわしがベットした予測だ。やはりお前はそうするよな、退屈なくらいにお人好しなのだから!」
「い、いや、何言ってるの!? ほんとに配信しちゃうよ!? あなたたちが銃で私を殺しても、指がちょっと動くだけで配信できちゃうんだから!」
「そんなこと、お前の指すら動かせないほどに穴を開けてやれば十分なことだ。本当に最後のチャンスだ、靂、こちらに来い。今ならまだ間に合う。わしらは本当にお前を殺したくないのだ。孫のようなお前を……」
ウルフの目が潤んでいる。
「ウルフさん……」
「騙されちゃダメよ。あいつ、嘘しか言ってないわ。どうせそっちに行っても捕まって風俗に沈められるのがオチよ」
はぁ、と溜め息交じりにジュラは冷たく言い放った。
靂はキッとウルフを睨みつける。
「わかったわかった。もうお前たちに用はない。ここで死ぬか」
ウルフの言葉は氷のように冷たい。そう、子供が飽きたオモチャを手放すみたいにあっけないくらい。
ズガガガガガ!!!
銃声が響き渡った。
靂もジュラも目をぎゅっと瞑る。あっという間に目前に迫った死を見ないように、ただ、強く瞳を瞑ることしかできなかった。
銃声の残響は海にまで響き、波の音と不思議なハーモニーを奏でた。それが靂たちの鼓膜をくすぐる。
(これは、死の音……? 海の音だ……そうか……人は海から生まれてきて、海に還るんだ……不思議だ……心地いい……でも、硝煙の匂いが最悪だなぁ……ん? ほんとに、死んだの?)
靂の耳は海を感じている。鼻は硝煙を感じている。何なら胸の鼓動も感じていた。それならば彼女は今生きているのではないか。
彼女は恐る恐る目を開けた。そしてそこで見たのは、自分たちを守るように立つ巨大なアサルト・ギアだった。
『お待たせ、靂ちゃん!』
「え? その声って……」
『もう安心! お姉ちゃんが助けに来たよ!』
「お姉ちゃんだ!」
その機体から響いたのは、靂の最愛の姉の声だった。
霹の機体は十字目が特徴のクロスライト。だが通常のクロスライトとは兵装が違う。
右腕にはレーザーアックスを、左腕には巨大なシールド、両肩にバルカン銃、さらに背には大型ジェットパックといった重兵装だ。
そう、それが霹専用の機体、クロスライト・オメガの特徴だ。
オメガは威嚇するかのように兵たちの足元へバルカン銃を撃ち放つ。
『あなたたち! 人の妹に何してるの! さぁ、靂ちゃんを返してもらうわよ!』
「お前、どこの軍だ? わしらにこんなことをして、ただで済むと思ってはいないだろうな?」
ウルフはオメガを前に怯むことなく凄んで見せた。
アーサーに対して戦車で突撃したような連中だ、アサルト・ギアに恐れなんてないのだろう。
「わしらに歯向かうということは、地球軍を裏切るということになるぞ?」
『何言ってるのかな? 私たちは別に地球軍でもないし、何ならあなたたちはまだ自分が地球軍と繋がってると思ってるの?』
「わしらはソビエト革命軍だ、れっきとした地球軍だぞ!」
『この人たちはそう言ってるみたいだけど……靂ちゃん! それが間違いだってこと教えてあげて!』
言われ、靂は申し訳なさそうに端末の画面を見せた。
「えっと……これ、録画してるんじゃなくて、ライブ配信なんですよね。だからこのやり取りもそうだし、何なら地下の施設とか捕まってたイーマンとか、全部この宇宙に拡散されてます」
「は……?」
ウルフが呆気にとられたような間の抜けた声を上げる。靂の隣ではジュラがニマニマと笑っていた。
「そう! あんたたちがあたしたちをこうして取り囲むことも想定済みだったってわけ! 取り囲まれちゃったらあたしたちに勝ち目なんてないし、だからこうしてライブ配信して世界中があんたたちの敵になるように仕向けたってわけ! さて、今頃イーマンの皆はどう思ってるかしら?」
ジュラが不敵にほほ笑んだ瞬間だった。
空から流星のごとく速度で一機のアサルト・ギアが下りてきた。それは、どしん! と、地面に落下し、激しい砂埃を舞い上げさせる。
やがてその砂煙が消えて機体が姿を現し、靂は思わず絶句する。
「あれは……クラッシュ&スラッシュ!? うげぇ!」
そして忌まわしき訓練の記憶が蘇り、嗚咽を漏らす。
『ジュラ! 無事か!? すまん、遅れた!』
「あたりまえじゃんか! あたしは無事よ! てか遅すぎ。あたしをどれだけ待たせるわけ?」
『道が混んでたからな、ハハハ!』
クラッシュ&スラッシュのパイロット、ミカエルの笑いにジュラは肩をすくめる。
「宇宙に道なんかないじゃない。ま、いいわ。さて、あんたはもう頼れる仲間もいない。どうせアサルト・ギアと戦えるような連中もいないんでしょう? 降伏を認めてあげるわ。ただし、あたしたちイーマンの奴隷にするけれどね!」
「ちょっとジュラ! 何言ってるの!? 奴隷なんてダメだよ! この人たちはこの動画でもう立場がないんだから、あとは地球軍に任せようよ」
だが、ジュラはキッと靂を睨み、吐き捨てるように言い放った。
「地球の連中があたしたちイーマンの受けた苦しみを解放してくれるっていうの? この苦しみを解放してくれるのは……イーマンによる復讐だけよ!」
そしてジュラが銃で撃ち抜かれ赤く染まった手のひらを宙に掲げると、クラッシュ&スラッシュの大木のような腕がサナトリウムを押し潰し、カミソリのようなシャープな足が辺りの兵士を切り裂いた。
ほんの少し動いただけで革命軍の兵士たちの半数以上は戦闘不能となる。これが最先端の兵器と、行き遅れた兵士たちの力の差だ。
人間は兵器に敵わない、それがわかっていながらもウルフは果敢にそれに立ち向かおうとする。
「おまえたち! 残った武器を掻き集めてあのデカブツを落とせ! それと生き残った狙撃兵はあのガキどもを殺せ! イーマンのガキだけじゃない、靂も殺せ! わしらの顔に泥を塗った報いを受けさせるのだ!」
残存兵の攻撃が靂たちへと向かう。だが、靂はオメガに、ジュラはクラッシュ&スラッシュに守られ、ケガ一つない。
「お姉ちゃん! 私はいいから、ウルフさんたちを助けてあげて! あの人たち、悪いことしてたけど本当は優しい人たちなの! だからこんなに残酷な死に方なんてさせちゃダメ! ちゃんと罪を償わなくちゃ!」
『靂ちゃん……わかったわ。お姉ちゃんに任せて!』
霹は頷き、ヒートアックスをクラッシュ&スラッシュへと振り下ろした。
だが、クラッシュ&スラッシュの太い腕がアックスを受け止めてしまう。
『ほぅ、あんた、俺とやろうってのかい? そっち側につくってことは、もうあんたはイーマンの敵だ! 殺されても文句なんて言うなよ!』
ハンマーの猛攻がオメガを襲う。オメガはなんとか盾でそれを防ぎ、隙を見つけクラッシュ&スラッシュの可動式コックピットを攻撃した。
だがクラッシュ&スラッシュは片足を地面に突き刺し、もう片方の足は広げてコンパスのように円を描き、オメガの攻撃を跳ね返す。
そしてその隙にコックピットを移動させ、上半身を刃とした。
『くっ! 早くなった……! こいつ、やけに戦闘慣れしてる!』
刃はハンマーよりも圧倒的に軽い、それゆえ手数が一気に早くなる。
一撃の強さに重きを置いたオメガには、その手数の多い攻撃に対処しきれない。
『ははは! どうした!? この程度で終わりなのか!?』
アサルト・ギア同士の規模の大きな戦いには人間など割り込む隙がない。周りの兵はその圧倒的な力を見せられ、逃げ惑うしかない。
『げほっ! はぁはぁ……く、苦しい……』
「お姉ちゃん!? そっか、病み上がりだから戦えないんだ……」
刃の猛攻を受け、機体にダメージが蓄積される。それと比例してまだ体力の戻らない霹の体にもダメージが蓄積されていく。
「お姉ちゃんが戦ってくれてるんだ……私が何とかしないと!」
靂は急ぎ足でアーサーへと向かう。アーサーは戦えるコンディションではない、だがカリバーバスター一撃分のエネルギーはある。
それで敵の動きを止めることができれば姉とともに逃げ切れる、そう判断したのだ。
靂は走る。額に汗を垂らし、風を切りながらただひたすらに走った。
「はぁはぁ……急げ、私!」
二機の戦いの隙間を縫い、彼女はついにアーサーへと辿り着いた。
「アーサー……戻ってきたよ、私に力を貸して」
彼女はアーサーを見上げた。大気圏を突破した際のボロボロな体、だがアーサーは靂の声に応えるように、ぶぉん、と赤く発光した。
「行くよ、アーサー!」
靂はコックピットに乗り込もうとした、その瞬間だ。
「待て、靂」
背後のウルフの声に、彼女は振り返った。見ると、頭部から血を流したウルフがハンドガン片手にそこに立っていたのだ。
「ウルフさん……」
「靂、わしは本気だ。これが本当の最後通告だ。こちらに来い、靂。お前に戦いは似合わない」
「え……?」
「お前は優しすぎる。そんなお前が戦いに汚れるのを、見たくはないのだ……」
「じゃあ何? 私はここでお姉ちゃんを見殺しにしろっていうの? そんなの絶対できないよ! それに、どうしてあなたがそんなこと言うの!?」
「わしはお前に孫を重ねていたんだ……戦争で死んでしまった、かわいい孫だ……あいつは何も悪いことをしていなかった。お前みたいに優しかった。なのに、なのに戦争に巻き込まれて殺されてしまった! どうしてあの子が死ななければならなかったんだ! だからわしはイーマンを許せない!」
「だからって何の罪もないイーマンの人たちを捕まえて拷問するなんて酷いよ! そう、あなたは同じよ! あなたのお孫さんを殺したイーマンと同じ! それは復讐でも何でもない! ただ、悲しみの連鎖を生み出しているだけ!」
靂はそう言い放ち、コックピットに滑り込んだ。
ウルフが銃を放つがもう遅い。靂はもうコックピットの中だ。
「ウルフさん、ごめんなさい……私はあなたが言うみたいに優しくなんてない……私は戦いを止めるためには、もう手段を選ばない! アーサーお願い!」
靂が叫ぶと、今度アーサーは青白く発光した。
それは靂の心のうちに燃える怒りの炎と同じ色だ。そして同時に、戦争という愚かな行為に対する悲しみの青だ。
アーサーは靂の怒りと悲しみに応えるように、カリバーバスターを撃ち放つ。
一条の光が夜の闇を貫いた。
その射線上にいたものは等しく浄化される。ウルフも、サナトリウムも、兵士たちも、そして彼らが持っていた怒りも悲しみも何もかもが、無へと還っていく。
そしてわずかに逃げ遅れたクラッシュ&スラッシュの右腕も光の中で焼失した。
「ウルフさん、皆さん……ごめんなさい……」
靂は膝から崩れ落ち、泣いた。わずか三日だが、彼らは自分を世話してくれた、思い出があった。
そんな彼らの命の重さに、靂は耐え切れず泣いてしまったのだ。
しかしそれを手放そうとは思わない。たとえ何があろうと、彼らの魂を平和な世界へと導くのだ、と固く誓うのだった。
『靂ちゃん、逃げるよ!』
霹の機体が動かなくなったアーサーの手を取り、上昇する。
「お姉ちゃん……私……」
『とにかく今は逃げるのよ! あいつの腕が吹き飛んだ、今がチャンスなの!』
「ねぇ、お姉ちゃん……戦争って、残酷だ。正義って、何なんだろう……私は、良いことをしてるの?」
『……それは、お姉ちゃんにもわからないよ……わからないから、戦ってるの。私が戦えば、ちょっとでも幸せになってくれる人が増えるって信じてね』
靂はぎゅっと手を握り締めた。
だがその手には何も掴めない。望んだ平和は彼女の手から零れ落ちてしまう。
まるで砂を掴むように、あっさりと、さらさらと。
「私はジュラも戦争の恨みから救えなかった……私には、何も救えないの?」
「お前は何を考えているんだ!」
無事にコスモスへと帰還した靂を待っていたのは、羽場の怒声だった。
「お前の配信のせいで我々の存在が全世界にばれてしまった! それだけじゃない、アーサーも、その力もだ! アーサーを隠していたのは戦いを激化させないためだ! 我々が隠し持ち、必要な時だけその武力を行使する、そのはずだったというのに!」
「ご、ごめんなさい……」
「謝って済む問題ではない! それともなんだ? お前はこの責任を取れるというのか!?」
「まぁまぁ、落ち着いてください。今回の一件で地球軍の隠された汚点を見つけ、排除することができた。それで良しとしましょう。それに、あなたが騒いでいるほど我々の存在は騒がれてはいないですよ」
ササメがいつものようにニコリと靂に笑いかけて見せた。まるでもう大丈夫だ、と安心させるみたいに。
しかし靂自身自分がやったことの重さは承知している。逃げるためとはいえ、軽率な行動をとり仲間を危険にさらしてしまった、それは理解していた。
しょぼんと落ち込む靂の頭をササメは撫で、携帯端末でニュースを見せる。
「これを見てください。イーマン側が大きく攻勢に出たみたいです。現在各コロニーはイーマンの襲撃に遭い、その手に落ちています。彼らは着々と地球への足掛かりを作っているようです。このニュースに比べればあなたがやったことは些事にすぎませんよ」
「些事……それで済むなんて……」
「いいや、だからと言ってお前に罰がないわけじゃ」
「艦長」
ササメはいさめるように言い、首を横に振った。羽場は納得いかない風な表情を浮かべたが、ササメの言葉には逆らわなかった。
「靂さん、あなたに必要なことは休息です。事態はわたくしたちがどうにかします。あなたはゆっくりと休んでください、体も心も疲れているでしょう?」
「でも私が迷惑かけた分は働かないと」
「いいえ、わたくしは隊長ですよ? 部下の失敗はわたくしが何とかします。あなたは自分がやったことを反省している、それだけで十分です。あとはわたくしたちに任せて、おやすみなさい。それとも命令したほうがいいですか? 靂さん、あなたは休息をとりなさい、とね」
「いえ、命令しなくてもいいです……それじゃあ私はこれで……本当に、申し訳ありませんでした」
靂はペコリ、二人に頭を下げるととぼとぼとブリッジを後にした。
「はぁ……私、ほんと何やってるんだろ……」
靂は思わず溜め息を漏らし、自分の手のひらを見る。手のひらに少し傷が付いていた。
どこで付いたかも覚えていない傷を触ってみる。まったく痛みがない。
傷が浅いからか、それとも傷の痛みよりも彼女の心の傷のほうが痛いのか、自分ではわからない。
「どうしたの、そんなに暗い顔で。いつもの靂みたいに元気に笑いなよ」
「え?」
声のしたほうを向くと、ナクアが立っていた。彼女は手に持っていた缶ジュースを靂に手渡す。
「はい、これ、あげるよ。飲んで元気だしな」
「ナクア……ありがと……」
靂はプルタブを開け、ジュースを喉に流し込んだ。
ぬるい。それが彼女が初めに思ったことだ。
「ナクア、これって……」
ナクアを見ると、彼女はポリポリと恥ずかしそうに頬を掻いた。
「靂を待ってたんだ、ずっと……さっきからここで待ってたし……なんなら、三日前からずっと……」
靂はもう一度ジュースを喉に流し込む。このぬるさは、彼女の手の温もりだ。
それを感じ、靂の瞳がジワリ、熱くなる。そして彼女はそれを抑えることなく、ナクアに抱き着き泣いた。
「うわぁぁん! ナクア……ナクアぁ……!」
「ちょ、ちょっと!? れ、靂!?」
「うわぁん! 私、私ぃ……怖かったよぉ……寂しかったよぉ……! ナクアぁ!」
「ぐすっ……ボクだって、寂しかったんだから……でも、ちゃんと帰ってきてくれて嬉しいよ、ありがとう、靂」
ナクアも靂を抱きしめ、泣いた。待ち望んでいた相棒の帰還に涙したのだ。
二人はしばらく再会を喜び合った後、あてもなく廊下を歩く。このまま別れてしまうのはなんとなくもったいない気がしたからだ。
「あっ、そうだ! 私、お姉ちゃんに会いに行かなくちゃ! 助けてくれたお礼もちゃんと言えてないし、元気になったか確認しないと」
「そうだね。ボクも靂のお姉さんにはちゃんとお礼しないと。靂を助けに行ってくれてありがとうって。霹さん、目覚めてすぐに靂を助けに行くって飛び出したんだよ。ササメさんの制止も振り切ってね。よっぽど靂のことが大事だったんだね」
「昔からずっとお姉ちゃん、私のこと助けてくれてたから……今度は私がお姉ちゃんを助けたいんだけどなぁ……結局前もお姉ちゃんに助けられちゃったし」
靂は大きく溜め息を吐いた。自分のためにまた姉が傷付いてしまった、それは彼女にとって耐えがたい。
「助けられてばっかりだしなぁ……何かお返しがしたいんだけど」
「気持ちがこもってればなんでもいいと思うよ。そういうので大切なのって、モノじゃなくてどれだけ感謝の気持ちがこもってるかってことだし」
「じゃあお姉ちゃんの好きそうなお菓子でもお見舞いに持って行ってあげよっと」
二人は売店でお菓子を買い込み、医務室へと向かった。
室内にはうっすらとオレンジの明かりが灯るのみ。衝立に囲まれ、内側は見えない。
「もしかしてお姉ちゃん、もう寝ちゃってるのかも……そっと行こうか」
二人はこっそりと霹が眠るベッドへと近付いた。
「はぁ、まったく……無茶をするな、キミも」
「あはは、ごめんなさい、ヨルハ」
ベッドから声が聞こえて、靂は思わず息を殺し壁にぺたりと張り付いた。
(お姉ちゃんと、キミシマ先生? 何話してるんだろう?)
「靂? なんで隠れようとしてるの?」
ナクアの問いに靂は、しっと口の前に人差し指を立てた。どうして自分でも隠れてしまったのか不思議だ。
だが、この二人の間に割って入ってはいけない、と彼女の勘が叫んでいる。
「キミは病人なんだからおとなしくしていなければいけないというのに……アサルト・ギアに乗って、しかも大気圏を突破しただって? よくもまぁそんなことを……医者としてキミの身体に興味はある、解剖させてくれないか?」
「あ、あははぁ、遠慮しておくよ。でも心配してくれてありがとね」
「まぁ私も医者のはしくれだからな。心配もするさ」
「本当にお医者さんだからってだけ?」
キミシマが言葉に詰まった。それをごまかすみたいに無理に話題を変えたことがはたから聞いていた靂にもわかった。
「そうだ! キミのケガが早く治るようにお茶を持ってきたんだ。さぁ、飲みたまえ」
「お茶って、キミシマ家秘伝の?」
「あぁ。これさえ飲めばどんな病気もケガも治る」
「苦いから嫌なんだけど……まぁ、効くっていうなら」
苦いお茶、靂の舌の上でいつぞや飲んだお茶の味が思い出され顔をしかめる。
衝立の奥から霹の嗚咽が聞こえてくる。どうやらお茶を飲んだようだ。
「はは、良薬は口に苦しというだろう?」
「けどこれ、苦すぎ……」
「我慢しろ。子供じゃないんだから」
なんて言って二人は笑いあっている。
「さて、ケガ人はそろそろ寝る時間だ。お休み」
「やばっ! キミシマ先生出てくるよ!」
靂はナクアを引っ張って近くのベッドへと身を隠した。布団を頭から被り、目元だけこっそりと外を覗く。
「ねぇ、なんでボクたちが隠れなくちゃいけないわけ? 別に悪いことしてないでしょう?」
「そ、そうだけど……」
衝立にキミシマの影が映る。それはつかつかと病室を出ていこうとしている。
だがその後ろで、霹の影が彼女を追いかけていた。
「待って、ヨルハ!」
「え? なに?」
振り向いたキミシマを、霹はぎゅっと抱きしめる。
「ごめんね……あなたを一人にして……寂しかったでしょう? 本当に、ごめんなさい……私、もう離れないから」
「霹……」
「ヨルハ、愛してるよ……」
そして、二人の影は重なった。そう、それはまるで……
「キス、してるみたい……」
「みたい、じゃなくて本当にしてるよ……」
「でもキミシマ先生女の人だよ? それにイーマンだ……」
ナクアはそれには答えずに、ただじっと二人の影を見つめている。彼女が今どんな表情を浮かべているか、暗闇の中では靂にはわからない。
「ねぇ、ヨルハ……久しぶりに、しちゃおっか……?」
「ケガ人はしっかり休むこと。変に体動かしてまた傷口が開いたってなれば妹さん悲しむわよ」
「そ、そっか……じゃあ、我慢する」
「えぇ、そうしてちょうだい。それじゃあ、おやすみなさい」
キミシマが出ていき、霹も明かりを消して眠ってしまった。だがそれでも、靂たちは布団の中から出ることができなかった。
キスをした二人のシルエットが脳裏にべったりと焼き付いていたからだ。
その衝撃が薄まり、二人はベッドからこっそりと這い出て医務室を出る。
「はぁ、すごいの見ちゃった……まさかお姉ちゃんが……女の人を好きだなんて……」
靂の心臓はバクバクと高鳴っていた。いつも一緒にいた姉の知らない一面を知ってしまったから。
「女の子同士のキスかぁ……う~ん……女の子同士好きになるのは本人たちの自由だけど……私には全然わかんないなぁ。ナクアはどう?」
「……」
「あれ? ナクア?」
ぼぉっと固まったナクアの肩を揺さぶって見せた。だが彼女は何も応答しない。まるで電池の切れたおもちゃみたい。
「ナクアにはちょっと刺激が強かったのかな?」
「ねぇ、靂……」
「ん? 何?」
不思議そうに尋ねた靂の顔に、ナクアは一瞬で近付き、その距離が0になる。
靂の唇に触れた柔らかな感触、はじめ彼女はそれが何かわからなかった。だが、次第にそれがナクアの唇だとわかり始める。
しかしなぜ彼女がそんなことをしたのか、理解はできなかった。
「な、ナクア……?」
「ほら、これが女の子同士のキス……すこしは、わかった?」
「わかったって……何が……? え……? もしかして、ナクア……」
靂が言葉を発する前に、ナクアは駆け出した。その勢いはまさに脱兎。
彼女はみるみると靂との距離を離し、廊下の奥へと消えていった。
取り残された靂は、ふと自分の唇を触る。
唇に残る、柔らかなナクアの唇の感触。
「ナクア……あなたは、何を思ってるの?」
その夜、靂はもやもやとして眠ることができなかった。
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