第7話―パノラマ島へ―

 信長掃討作戦のため、皆が準備をし、あっという間に作戦前日の夜が訪れた。

「弥栄、少しいいか?」

「えぇ、いいですよ、十兵衛殿」

「城下に行こう。会ってほしい人がいるんだ」

 十兵衛は弥栄を連れて城下へ向かう。江戸の夜は相変わらずネオンが煌めいている。

明日、信長との決着をつけに行く弥栄たちのことなどお構いなしに世界は廻っていく。

そう、弥栄たちにすべきことがあるように、街行く人にもやらなければならないことがある。それが世界を変える戦いか、生きるための商売か、その違いしかない。

 そんな人々の営みのネオンを眺めながら弥栄は十兵衛についていく。

「あ、あの……十兵衛殿? ここって……遊郭、ですよね? ちょっと僕には早いかなぁって……」

 町のネオンが次第に妖艶な色に変わり、街行く人の雰囲気も変わってくる。

 そういうことにまだ慣れていない弥栄は頬を赤く染め、できるだけ辺りを見ないように下を向いて歩く。

「大丈夫だよ、弥栄。別にこのあたりの店に行こうというわけじゃない。言っただろう? 紹介したい人がいる、と」

 やがて十兵衛は蝶華の店の前で立ち止まった。

「ここ、ですか? 十兵衛殿が会わせたい人がいるっていうところは」

「あぁ、そうだ。蝶華、いるか?」

 十兵衛の声に蝶華はまるで飼い主が帰ってきたときの犬みたく嬉しそうに勢いよく店から飛び出してきた。

 が、十兵衛の隣にいた弥栄を見て、恥ずかしそうに頬を染めて扉へ隠れてしまう。

「蝶華、大丈夫だよ。弥栄もお前の髪と目を気持ち悪いなんて思わない」

「あ、あの、そういうことではないのですが……あ、いや、それもちょっとあるのですが……うぅ……十兵衛ってばマイペースすぎます……」

 そう言いながら蝶華はまだ恥ずかしそうに頬を赤らめながらも十兵衛たちの前に出てきた。

「……キレイな人」

 弥栄は蝶華を見てただ一言、そう呟いた。

 真っ白な長い髪、吸い込まれそうなほど大きな真っ赤な瞳、端正な顔立ち、すらりとした体つき、そのどれもが絶妙なバランスで、弥栄は思わず見惚れてしまう。

 一方の蝶華はキレイだと言われ少し恥ずかしそうに、だが嬉しそうに、ありがとう、と言った。

「蝶華、紹介するよ。弥栄だ。私と同じく武士で、ともに死地を潜り抜けた大切な仲間だ」

「あ、えっと……弥栄って言います。よろしくお願いします、蝶華殿」

 弥栄はペコリ、と蝶華にお辞儀をする。

「あたしは蝶華と申します。よろしくね、弥栄様」

 蝶華も弥栄に倣い頭を下げた。

「それでだな、今日二人に会ってもらったのは、ちゃんとけじめをつけておきたかったからだ。私の勝手だけれど、こうしないと先に進めないと思ってな」

 十兵衛はそう言うと弥栄の前に立ち、思い切り頭を下げた。

「弥栄! すまない! 私はこの蝶華を愛している! だからお前の好きを受け止めることができない!」

「えっ? ちょ、ちょっと十兵衛? なに言ってるの?」

 十兵衛の言葉に困惑を浮かべたのは蝶華のほうだった。

 彼女は説明してほしそうに弥栄を見つめる。

「あの……僕は十兵衛殿のことが好きになってしまって……それで告白したんですけど……」

「ごめんなさい、弥栄様……辛いこと、言わせてしまって……それに十兵衛も十兵衛よ。なんであたしを紹介なんてするの? 弥栄様がかわいそうでしょ?」

「い、いえ、僕は大丈夫です。十兵衛殿が好きになった人ってどんな人か気になってましたし、こんなにキレイな人なら納得です。あはは、僕なんて勝てっこないや」

 弥栄はそう言って笑って見せた。だがその笑いが本当の笑いではないことくらい彼女たちは見抜いていた。

「弥栄……」

 言葉をかけようとした十兵衛を蝶華が制する。

 今どんな言葉をかけたって弥栄の傷を抉るだけ。蝶華にはそれがわかっていたのだ。

「それで、十兵衛? あたしにも何か言いたげだけれど、何かあるのですか?」

「それはだな……私は何度も弥栄と接吻をしてしまったんだ! 蝶華が好きという気持ちがありながら弥栄と」

 十兵衛の言葉を最後まで聞く前に、蝶華は彼女の頬を強く叩いていた。

 頬に付いた赤いアザ、十兵衛はそれを押さえながら申し訳なさそうに顔を歪める。

「そうだよな……やはり、許されないよな……」

「十兵衛、違います。あなたがあたし以外の人と接吻したというのは別にいいのです。あなたがそう言う態度をとるから弥栄様があなたのことを好きになってしまったのです!」

「蝶華……」

「確かにあなたは女同士で好きになることに悩んでいた。けれど弥栄様も同じように悩んでいたと思います。なのにあなたは……謝るのはあたしじゃなくて、弥栄様にです」

「すまない、弥栄! すべて私が悪かった!」

 弥栄は一連のことにポカンとするしかなかった。

 だが、自分の胸の内に感じていたもやもやを蝶華が代わりに吐き出してくれて、少し気分は晴れていた。

「そうですね! 確かに十兵衛殿が悪いです! 僕だって十兵衛殿に接吻されなければこんなに好きになってなかったかもしれないですし! だから十兵衛殿に罰を与えます!」

「罰か……あぁ、どんなものでも構わない……好きにしてくれ」

 弥栄は小さく、はぁ、と溜め息を吐いた。こういう馬鹿正直なところも、惚れてしまった理由の一つだったから。

「十兵衛殿は蝶華殿を幸せにしてあげてください。僕よりも好きな人がいるって振ったんですから、その好きな人のためならなんだってできますよね?」

 弥栄はそう言うと十兵衛の返事も待たずに踵を返す。そしてそのまま城へ向かって歩き出した。

「弥栄! 待ってくれ!」

「来ないでください!」

 追いかけてこようとする十兵衛に弥栄は叫んだ。

 その声色には、涙が隠れていた。

「十兵衛殿……僕はあなたに会えて、あなたを好きになれて本当に良かったと思っています……でもあなたには好きな人がいる。その人は僕に敵わないくらい素敵な人だ。僕はあなたの隣にいられない、もう好きになれない、そうわかった……追いかけてこられたら、また好きになってしまう……迷惑なんです、その優しさが……」

「弥栄……」

「十兵衛殿を好きな僕は今夜、死にます。明日からは十兵衛殿を慕っている僕に、あの時初めて会った時の僕に戻ります。そうなればいつもみたいに優しくしてほしい。でも今だけは、今だけは優しくしないでほしい! 死ぬのが、怖くなってしまいますから……」

 そう言って弥栄は走り去ってしまう。

 その後ろ姿を十兵衛は追いかけない。いや、追いかける資格がなかった。

「弥栄……」

 十兵衛は彼女の名を呟き、泣いた。自分をこれほどまでに慕い、思ってくれた相手を傷つけてしまった。

 恋がこれほどまでに傷つくことを知ってしまったのだ。

「十兵衛……よく頑張りましたね……あなたは間違っていない……これも、あの子のためになります、きっと……」

 蝶華の言うとおり、これは弥栄にとって一つの成長だ。

 弥栄は蝶華の存在を知るまでは心のどこかで十兵衛を諦められないでいた。もしかしたら、万が一、自分にもチャンスが回ってくるかもしれない、そんな甘い考えを持っていた。

 しかしそれが打ち壊されたことで弥栄は進むことになる。

「十兵衛殿……」

 走るたびに涙が零れ、流星のように後方へ消えていく。

 その涙に込められたのは十兵衛への愛だ。

 涙が枯れたころ、弥栄は十兵衛への愛を捨て去り、次の自分へと成長する。

 痛みを知り、大人になっていくのだ。


「よし、それではパノラマ島攻略作戦を開始する!」

 翌日の朝、江戸の港に康衛門の叫びが響き渡った。

 港に集まった精鋭たちは一様に鼓舞の雄叫びを上げた。その中にはもちろん弥栄たちもいた。

「パノラマ島は敵の本拠地だ。敵勢力も未知数、どんな罠が待っているかもわからない。だが俺たちが勝てば世界はまた平和になる! 俺たちの手で平和を取り戻すぞ!」

『おぉ!』

 パノラマ島、そこは江戸から300キロほど離れた人工の孤島だ。

 本来は研究施設として作られたそこだが、品種改良し年中咲く桜が植えられ、観光やデートスポットとして開放された。

大変人気があったが、5年ほど前研究所から有毒ガスが漏れ出し大惨事となった。

そのため現在は誰も立ち寄らず、人々の記憶から忘れられようとしていた。

「皆のもの! 出撃だ! 舟に乗れ!」

 康衛門の合図で皆5人程度に分かれてモーターボートに乗り込む。

「では十兵衛殿、行きましょう」

「あ、あぁ……だが私と一緒で大丈夫か、弥栄?」

「えぇ。もう昨日までの僕じゃありませんから。やっぱり十兵衛殿は優しいですね、そういうところ、お慕いしております」

 弥栄はそう言って笑う。その笑みは無理に作っている笑みではない。

 十兵衛はどういう表情を作ればいいか困ったが、弥栄に倣い、笑うことにした。

「よし、そうだな。行くぞ、弥栄。頼りにしているからな!」

「えぇ、十兵衛殿!」

「っと、あたいも乗っけてくれよ。運転技術ならあたいがダントツだからね」

「じゃあボクも。ここまで来たんですし、最後も共にさせてください」

「俺っちも行くぜ。源内ちゃんを守らないといけないっすからね」

「太宰はすぐにそういうことを恥ずかしげもなく言うのじゃ……」

 弥栄、十兵衛、政美、輝、太宰、源内は同じ船に乗り込み沖へ向かう。

 最後の敵、信長を倒すために。


「バイクで風を切るのもいいけど、ボートもなかなかいいな! 海風が髪をなびかせる感じといい飛び散る水しぶきといい、さいっこうに気持ちいいや! あたい、海賊になる!」

「政美はこういうときでも暢気だな。風や波を楽しむ余裕があるとは」

「十兵衛! あんたにはそんなこと言われたくないな。あんただって暢気に団子食ってるじゃないか!」

「これは戦の前の腹ごしらえだ! 腹が減っては戦はできぬというだろう!? なぁ、弥栄!」

「僕に振らないでください……」

 舟の上では皆、やいやいと騒いでいた。戦場に向かっている、それは皆わかっていることだ。

 しかしこうも晴れ渡った空の下、キラキラと輝く海原の上、颯爽と波を切るボートに乗っていれば浮かれてしまうのも無理はない。

「源内ちゃん、パノラマ島ってどんなところなんっすか? 年中桜が咲いてるって話っすけど」

「そうなのじゃ。島のあちこちに桜が植えられ、辺り一面ピンク色のそれはそれは絶景なのじゃ。その桜は実はわしが品種改良してな」

「一生そういう研究だけしていれば信長も生まれなかったとボクは思うんだけど?」

「ならば輝、おぬしは生まれておらんかったぞ?」

「そうっすよ! 俺っちも源内ちゃんに会えなかったっすから! もしもの話なんてするだけ無駄っすよ」

 なんて話しながらボートはパノラマ島まで半分くらいのところまできた。

 まだまだ日は高い。眩い日差しを受けながらカモメたちが優雅に空を舞っている。

 が、空が一瞬にして黒く染まった。それはもちろん、空が曇ったということではない。

 本当に一瞬にして、日の光が失われたのだ。

「な、なんだ!?」

 突然の出来事に、皆武器を持ち辺りを見渡す。そして気付いた、光を奪った正体に。

「あ、あれって……城? それにしては腕が生えてるような……」

「私も腕が生えているように見える……源内よ、あれはなんだ?」

「あれは……ロボットなのじゃ! 超巨大ロボットじゃ!」

 それは城のような見た目をしていた。海上から飛び出した城、それは50メートルはあろうかという巨体で日の光を隠してしまっている。

 そんな城の側面には人間の腕のようなものが付けられ、ゆらゆらと揺れていた。

「おいおい……もしかしてあいつ……敵なのか!?」

 政美のその疑問に答えるように、城が腕を薙いだ。腕の射程にいたボートたちはばらばらと砕けながら宙に浮きあがる。

 それに乗っていた人々は海面に強く叩きつけられるように落下し、浮かんでくる頃にはもう二度と動くことはなかった。

「あれは信長の兵器だ! 我々の行く手を遮る気だ! 各員全力回避!」

 先頭を走っていたボートから康衛門の声が響いた。それと同時に皆、城を迂回するように舵を切るが、巨大な腕のリーチからは逃れられず、あえなく沈没してしまう。

 逃げきれぬとわかり、銃や飛び道具で応戦するものもいたが、相手は城だ。並みの攻撃では表面を少し傷つけるのみ。

 致命的なダメージを与えることなど敵わず返り討ちだ。

「くっ! こんなデカブツ、相手にできるかよ! 鈍いから何とか躱せるが……長くもたないぞ!」

 政美のドライブテクニックのおかげで何とか間一髪で避けてはいるが、少しでも彼女の手元が狂えばそこで終わりだ。

 ギリギリの戦い、長引けば長引くほど彼女たちは不利になってしまう。

「政美殿! また腕が! 今度は上から!」

「避け切ってやらぁ!」

 政美が大きく舵を切ったその時だった。エンジンがごぅん! と悲鳴のような唸りを上げ、動きを止めてしまう。

「なっ、なんだぁ!? おい! 動けってんだよポンコツ!」

「オーバーヒートじゃ!」

「エンジンを吹かしすぎたから熱が出すぎたんです!」

「なんでもいいから早く避けてくれ! 政美! 避けろ!」

「十兵衛、無理言うな! もうこいつは動かない! あたしらはここで終わりだよ!」

 政美がハンドルを強く叩く。どうか動いてくれ、と願いながら。

 しかし奇跡は起こらない。モーターボートはうんともすんとも言わない。

 迫る腕が彼女たちにはやけにスローモーションに見える。

 これが死ぬ前の感覚なのか、皆そう思っていた。

「待って……腕が……本当に遅い?」

 だが、弥栄は気付いた。迫る腕の速度が本当に遅くなっていることに。

 そう、まるで何かに遮られているかのようにぎりぎりと腕が軋み、やがてそれは宙で動きを止めたのだ。

「何が起こったのだ……?」

「あ、あれっすよ! 大仏様っす!」

 太宰が指さしたそこにいたのは、これまた巨大な大仏だった。

 大仏の太い手が、城の腕を掴み抑えていたのだ。

「まさか仏様が私たちを見かねて助けに来てくれたとでも?」

「仏様は皆に平等なはずですよ、十兵衛殿。僕たちだけを助けに来たなんてことは……」

「でも実際に大仏様が」

「二人ともよく見るのじゃ! あれもロボットじゃ! 超巨大大仏ロボなのじゃよ!」

 言われて弥栄たちは大仏をよく見た。源内の言うとおり、確かにどことなく機械的だ。

 それにぎしぎし、ごうごう、と駆動部と動力部が叫ぶ音が響いている。

「巨大大仏ロボ……まさか、あの噂は本当だったとは!」

 大仏ロボを見てそう叫んだのは康衛門だった。彼は驚愕とも喜びとも取れる顔を浮かべ、なおも叫ぶ。

「ははは! まさかまさか! そうか! やっと重い腰を動かしたというわけか、貴族の連中は!」

「貴族? それってもしかして」

 輝がわかったとでもいうようにハッと驚きの顔を浮かべた。だがそれが信じられないかのように目をぱちくりさせながら大仏ロボを見る。

「ようやく動いたな! 京よ! 天皇よ!」

「その声は……徳川の者か? まだ生きておったのか、しぶとい奴よのぅ」

 康衛門の声に応えるように、大仏から老人の声が聞こえた。とてつもない威厳がある声に、弥栄たちの背にビリビリとした何かが走る。

「ね、ねぇ、輝……京って、何?」

「京、それはこの戦乱の世で唯一どことも戦をしない不戦の誓いを立て、貴族、いえ、天皇を中心とした政治をしている国です。もし不戦の誓いを破り進攻しようものなら圧倒的な力で返り討ちにする、という噂があったのですが……あれを見れば納得です」

 巨大大仏は掴んでいた腕をあっという間にぐしゃぐしゃにしてみせた。

 その凄まじい力を見れば、彼らがどんな技術力を持っているか一目瞭然だ。

 あれほどの技術、江戸でさえ持ち合わせていない。

「で、天皇様が信長討伐とはどういう風の吹き回しだ? 耄碌してトチ狂ったか?」

「黙れ小童! 朕はまだ現役ぞ!」

「はいはい。で、なんの魂胆があるんだ? もったいぶらずに教えろよ」

「取引だ」

 その言葉に康衛門は眉をひそめる。

「朕がお前たちに力を貸し、信長討伐を助ける。その代わり、信長討伐の暁には康衛門、お前は将軍の座から降り、政治の全権を京に預けよ。300年越しの大政奉還といこうではないか」

 それを聞いて康衛門の口角はピクリ、と動いた。輝はそれを見てやばい、と思った。

 何せあの支配欲の強い康衛門だ、それが政治の権利を渡せ、と言われれば断るのは目に見えている。

 そして彼が断われば大仏ロボも帰ってしまい、自分たちは城ロボットに粉々にされてしまう。

 それだけは避けるべき事態だ。だが輝には何もすることができない。いや、何もできない。

 輝ごときの人間が、あの天皇に口を利くことなんてできないからだ。それは他の皆も同じだ。

 誰もが天皇の声を聞き、この人物には話しかけることができない、そう感じたのだ。

「ほぅ……その理由を聞こうか?」

 唯一話せるのは康衛門のみ。将軍の器がそうさせている。

「お前たち武士が政治を仕切るようになって何年たった? 源平の戦が終わった頃ゆえ、もう1000年になるな。しかしどうだ? 国同士の争いは止まず、一向に国が一つに、いや、平和にならない。ならばそんな野蛮な連中に政治を任せられぬ! 戦しか頭にない戦のための政治は終わらねばならぬ! それが民の真の願いだ!」

 それを聞き、ますます康衛門は口角を吊り上げた。口が裂けてしまうのではないか、そう思うくらいに。

 そしてその口がぱっかりと開くと、天まで響くほどの笑い声が上がった。

「かはははは! そうだな! 確かにお前の言うとおりだ! 俺たち武士は戦のための政治しかできない! 平和のためと言いながら、戦いを広めていただけだからな! よし、その提案、受け入れよう!」

「なっ……」

 康衛門の言葉に輝たちは呆気に取られてしまう。まさか受け入れてしまうとは、それは誰にも予想できなかったからだ。

「だがな、こちらの言い分も聞いてくれ。提案するのが遅い! それになぜ300年前幕府に負けた! お前たちが負けたせいで幕府は存続し戦の世も収まらなかった! 俺たち徳川家はメンツもあるため自分から政治を手放すこともできない……それを手放せるなら万々歳だ!」

「そちらがメンツを大事にしていたように、朕たちにもメンツがあるのだよ。いがみ合う京と幕府が手を取り合う状況になる、それが一番大切なのだ。後の平和を築くためには、我々が平和を体現せねばなるまい」

「はは! そりゃそうだ! ならさっさとやってくれや。俺も早く隠居生活がしたいんでな」

 康衛門の言葉のすぐ後には、大仏ロボの腕が城ロボットの核部分をぶち抜いていた。

 弥栄たちはそれを口をあんぐりと開けてただただ眺めるしかできなかった。


 大仏ロボの助けもあり、その後の刺客も楽々と倒して見せ、弥栄たちはパノラマ島へ到着した。

 しかし到着できたのは弥栄たちを含めたわずか20人程度。9割以上がここにたどり着く前に海の藻屑と消えてしまっていた。

「うわぁ……本当に桜が咲いてる……キレイ」

 島には今も桜が咲き乱れ、海風に揺れてピンクの花弁がはらはらと宙へ舞い散っている。

「ここに信長が……」

「信長のサーバーは地下の研究室じゃ」

「だが一筋縄ではいかせてくれないようだ」

 上陸した弥栄たちを排除するため、桜の木々をかき分けて機械の侍たちが突撃してきた。

 その数はこちらの20倍以上。圧倒的な兵力差だ。

「行くぞ! 武士として最後の戦いだ! お前たちの生き様、ここで見せてみろ!」

 康衛門の号令で生き残った兵たちは機械兵に勇猛に立ち向かっていく。

 自分たちの誇りを示すかのように。

「私たちも行くぞ!」

 刃を握り直し突撃しようとする十兵衛を康衛門が制する。

「お前たちは輝を連れて信長を倒しに行け! 古の侍よ、お前たちがいたからこそ、ここまで来れた。お前たちには未来を変える力がある! だから行け! 俺たちの未来を作ってくれ!」

「康衛門……任された! 必ず時代を切り拓いてみせる!」

 生き残った侍たちに守られながら弥栄たちは研究所まで辿り着いた。

 しかし研究所内にも機械の侍は潜んでいた。

「ここはあたいに任せな! あたいだって侍だ、最後に暴れてやりたいのさ!」

「政美殿……」

「何しょぼくれた顔してんのさ、弥栄! あたいはあんたを殺すまで死にやしないさ!」

「政美殿、ここは任せたから……絶対、僕を殺しに来てよ」

「そんなラブコールされちゃ、絶対行くしかねぇじゃねぇか!」

 敵兵を引き受けてくれた政美を背に、彼女たちは奥へ奥へと向かっていく。

 政美が暴れてくれているおかげか、弥栄たちを遮る敵の数は少なく、奥へと楽に進むことができた。

 だが辿り着いたサーバールーム、そこにいたのは体長2メートルはあろうかという巨大な鬼型ロボットだった。

「待っていたぞ、侍たち」

 鬼ロボットが話す。

「我は信長。お前たちを導く存在だ」

「お前が、信長?」

「違うのじゃ! 本体はサーバーの中! あれはネットワークを通じてロボットに会話させているに過ぎないのじゃ!」

 だがそんな理屈、弥栄たちにはどうでもよかった。彼女たちが気になっていることはただ一つだけだ。

「信長……どうして戦いを起こした? 僕たちはそれが知りたい」

「あぁ、そうだ。私たちには守りたいものがある。お前がそれを壊そうとする理由が知りたい」

 鬼ロボットは何か思案するように黙った後、目を光らせて答える。

「意志の統一だ」

「何?」

「我がこの国を統治し、国を一つにする。国民皆、我の言う方向を向き、我の示した正義を信じる。それにより戦で分かたれたこの国を穏やかな国にする」

「なっ……!?」

 信長は戦を無くすために戦をしていた。驚く弥栄たちだが、彼女らの胸の奥には納得できない自分がいた。

「だけど、侵略した国の何の罪もない人を殺したと聞いた。そんなことで国が穏やかになるものか!」

「いいや、穏やかになる。我に従わぬ者を消したからな。反乱分子は切り伏せて黙らせる、それが最も効率的なやり方だ」

 何のためらいもなくそう言ってのける信長に、弥栄は刀を強く握りしめた。

「そんなやり方での平和は、違う! 僕たちはわかりあっていけるはずなんだ! 争いなんてしなくても!」

 そう叫び、弥栄は鬼ロボットに斬りかかった。しかし硬い装甲で覆われた身体には、小さな傷しか付けることができない。

「あぁ、そうだ! 私たちはわかりあえる! 愛する心があるからな! だが機械のお前にはそれがない! だからわからないのだ! 私たちが愛し、わかりあえるということを!」

 十兵衛も鬼ロボットに斬りかかる。だがやはり傷を付けることはできない。

「弥栄、十兵衛、わしも戦うのじゃ!」

「お、俺っちも! なにができるかわかんないっすけど!」

「いいえ、源内殿たちは輝殿と信長の本体を壊してください! こいつは僕たちが引き受けます!」

 行かせまい、と源内たちを攻撃しようとする鬼ロボットの攻撃を弥栄は受け止める。

 その隙に源内たちはサーバーを司るメインコンピューターに辿り着いた。

「時間を稼ぐのじゃ! これから大詰めじゃからな!」

「わかりました!」

 弥栄と十兵衛は源内たちを守るように鬼ロボットの前に立ち塞がった。

 しかし彼女たちの攻撃では鬼ロボットを破壊できない。いや、今の彼女たちでは、だ。

「十兵衛殿!」

「弥栄!」

 弥栄は右腕を、十兵衛は左腕を横に伸ばし、互いの口元に近づける。

 そして彼女たちは同時に、互いの腕に噛みつき血を啜った。

 一瞬で彼女らの瞳が赤く染まり、身体の奥底でドクンドクンと黒い欲望が暴れ始める。

「僕たちは本物の鬼だ。偽物の鬼になんて、負けるはずない!」

「絡繰りの鬼よ。本物の鬼の力、とくと味わえ!」

 鬼の力でパワーアップした彼女たちは鬼ロボットと互角に戦えている。

 それを横目に源内たちはサーバーを壊す最後の戦いに入った。

「で、源内。ボクだけが信長を殺せるって言ってたけど、どういうことなのです?」

「お主を作るときにウイルスを仕組んでおいたのじゃ。ネットワーク内のすべてを破壊する強力なウイルスなのじゃ」

「な、なんでそんなもの……」

「もしものための保険じゃ。おぬしを作る時から信長のような完全自立したAIの構想はしておったし、それが暴走するというリスクも考えておったのじゃ。ま、わしは技術の探究者、暴走した信長も魅力的での……ついそっちについてしまったのじゃ」

 つい、で済まされる問題ではないのでは。輝はそう言いかけたが口をつぐんだ。

 今はそんな言い争いをする間ももったいないからだ。

 はやく信長を倒し、弥栄たちを戦いから解放しなければならない。

「で、ボクはどうしたらいいんですか? そのウイルスはボクのどこにあるんです?」

「それはな……」

 源内は一呼吸溜めてから言い放った。

「ちんぽじゃ」

『は……?』

 輝と太宰の声が重なった。二人とも自分の耳を疑い、もう一度源内の言葉を聞くことに。

「ちんぽじゃ!」

 だが源内の言葉は正常に聞こえていたようだ。二人は頭を抱えてうずくまってしまう。

「源内ちゃん! 今この状況わかってるっすか!? 冗談言ってる時じゃないっすよ!」

「じゃから冗談じゃないのじゃ! 本当にちんぽなのじゃ!」

「ほ、本当にボクの……ち、ちんちんが?」

「あぁ。おぬしは考えたことないのじゃ? なぜ自分は機械の身体なのにちんぽが付いており、しかも勃起するかと」

 輝は首を横に振る。

「それはお主のちんぽからウイルスを射精するためなのじゃ!」

「えっと……源内ちゃん、それって別にちんぽに付ける機能じゃなくないっすか?」

「もし指先に付けてみるとどうなるのじゃ? 機械の端子部分に触れただけでアウトじゃ。じゃがちんぽなら普段隠しているし、端子に触れることもないからのぅ」

 太宰は納得しかけている自分がいることに頭を悩ませる。だが設計してしまったものをどうこうすることはできない。

 覚悟を決める時なのだ。

「わかったっすよ、源内ちゃん。さぁ、輝ちゃん! ちんぽを勃起させるっす!」

「わしのドスケベ腰ふりダンスで勃起するのじゃ!」

「だ、ダメだよ……緊張して……おっきくならない……」

 輝は恥ずかしそうに股間を押さえ、もじもじとしている。

 そうこうしている間にも弥栄たちは戦っている。実力は互角、しかし相手は機械だ。

 疲れを知らない。長期戦になれば弥栄たちのほうが危うくなってしまう。

「うむむ……どうすればいいのじゃ……そうじゃ! 太宰! 扱いてやるのじゃ! お主も男じゃし、竿の扱いには慣れておろう?」

「慣れてはいるっすけど……男にやったことなんてないっすよぉ……でも、こんな時につべこべ言ってられないっすよね! 輝ちゃん、ごめんっす!」

「ひゃぁっ!?」

 太宰は輝のパンツの中に手を突っ込み、股間をいじってやる。しかし一向に大きくならない。

「ダメっす、源内ちゃん!」

「この国の平和がかかってるのじゃぞ、輝! しっかりするのじゃ!」

「こ、こんな時にそう言われても……うぅ……」

「そうじゃ! 好きな人にされていると思えばいいのじゃ!」

「す、好きな人……? えっと、康衛門様……この手は康衛門様の手……」

 輝は目を瞑って康衛門のことを想像する。すると自分の股間に熱が集まっていくような気がした。

「太宰! 康衛門のマネじゃ!」

「はいっす! えっと……輝よ、俺の手で触れられて気持ちいいか? すごく反応しているぞ? 将軍である俺の手は気持ちいいか」

「あっ……康衛門様……」

 輝の身体はびくびくと震え出し、息は上がり頬も紅潮する。瞳をとろんとさせ、完全に出来上がっていた。

「太宰ちゃん! 輝ちゃんの、おっきくなったっす!」

「でかしたのじゃ、太宰! さぁ、輝よ。この端子にちんぽを突っ込むのじゃ!」

 源内はサーバーの輝専用ポートを解放し、その端子が輝の股間をぐっぽりと飲み込んだ。

「にゃっ、にゃにこれぇ! しゅごいきもちいいのぉ!」

「そりゃそうじゃ、オナホールを改造して作っておるからのぅ。輝! 信長にぶっかけるのじゃ!」

「あっ! だ、だめ! しゅぐ出りゅぅ!」

 輝の身体が一際大きく震え、絶頂の叫びをあげた。

 その瞬間ネット上に放出される、何もかもを白く染め上げる輝のウイルス。それは信長をキレイに漂白したのだ。

 その瞬間鬼ロボットも、この島にいるロボット兵たちも機能を停止する。

「ロボットが、止まった……? 源内殿、信長は?」

「消滅したのじゃ」

「私たち戦いに必死で見ていなかったのだが……どうやって倒したのだ?」

「そ、それはボクの威厳にかけて、秘密です……」

 この戦いの結末を知る者は太宰と源内と輝のみ。

 彼らは目を合わせ、この呆気なくも恥ずかしい結末を墓までもっていこうと決めたのだった。


「えっと……確かこの辺にあったはずなのじゃ……」

「源内殿、何を探しているんですか?」

 戦いが終わり、一段落ついたころ、源内はごそごそと探し物をしていた。

 弥栄はそれを不思議そうに見つめている。

 と、そんな折、政美がやってきた。体は傷だらけだが、元気そうだ。

「ったく、急に機械どもが止まったから何事かと思ったが、信長を倒したそうじゃないか! やったな、弥栄!」

「いえいえ、政美殿こそ。政美殿が敵を食い止めてくれたおかげで信長のもとまで辿り着けたのですから。さすが政美殿です」

 弥栄は笑顔で政美に感謝を示す。

 感謝を告げられた彼女は恥ずかしそうに頬を掻く。

 素直に感謝されたことが恥ずかしかったから、ということもあるが弥栄の笑顔が何とも可愛らしく、胸を刺すほどのものだったからだ。

「あったのじゃ!」

 源内の叫び声に皆が振り向いた。

 源内は物で溢れた倉庫から光線中のようなものを取り出してきた。

「これじゃこれじゃ。照射型時空転移装置。昔作ったんじゃが、こちらからしか送ることができなくてな。帰ってくる術も無くお蔵入りしておったんじゃが……」

 源内は時空転移装置をまじまじと眺め、よし、とうなずく。

 どうやら問題なく作動するようである。

「これでお主たちは元の世界に帰れるのじゃ。まぁ試作型でエネルギーも少ないから二人が限度じゃが……」

「二人っすか。じゃあ俺っちは残るっす。何せ俺っちは源内ちゃんっていう運命の人を見つけたんすから! だから弥栄ちゃんと十兵衛ちゃんで元の世界に戻ってほしいっす」

「そうですね、弥栄さんも十兵衛さんもあちらの世界で守りたい人がいると言っていましたし、戻ったほうがいいですよ」

 太宰も輝も二人を見送るムードだ。しかし政美だけが納得できないように唇を尖らせている。

「弥栄、あんたはあたいのライバルだよ。決着つかないまま帰したくなんてないさ」

 だが政美も大切なものを守りたいという意志が何よりも強いものだということは知っていた。

「けど、守りたいものがあるなら、いいさ。あたいの都合で引き留めるわけにもいかないしね」

 故に政美は弥栄を諦める。弥栄の守りたいものを尊重しての結果だ。

「それでは弥栄。私と共に帰るか」

 十兵衛は弥栄に手を差し伸べる。しかしその手が震えていることを、その理由を、弥栄は見抜いていた。

「十兵衛殿、帰りたくないんでしょう? 無理しないでください」

「む、無理なんてしていないさ! 源内! 早く私たちを帰してくれ!」

「蝶華殿を置いていくなんて、僕は許しませんから!」

 弥栄はそう叫び、十兵衛の頬をぶった。ひりつく頬を十兵衛は押さえもせずに叫び返した。

「私だって蝶華と共にいたい! けれど私は鬼だ! 鬼として故郷の者たちを守らなければならない! それが鬼の責務なのだ!」

「なら僕だってもう鬼です! その責務は僕が引き受けます! 僕が十兵衛殿の守りたかったものを守ります! それに十兵衛殿は約束を破る気ですか? 蝶華殿を幸せにするっていう約束です!」

 言われて十兵衛はハッとする。確かに弥栄と約束した、蝶華を幸せにする、と。

 だがそれは蝶華のためだけではない。弥栄のためでもあるのだ。

 自分を好きになってくれたのに、それに応えられなかった、そんな弥栄の思いも踏みにじることになってしまう。

「だから十兵衛殿はこっちの平和な世界で、蝶華殿と幸せになってください……僕は家族を、鬼を守ります……この人と!」

 そう言って弥栄は手を握った。政美の手を。

「えっ? あ、あたいかい?」

「えぇ、そうです、政美殿。政美殿は僕のライバルでしょう? ならちゃんと決着つくまで戦いましょうよ、僕の大事なものを守りながら。それに政美殿は最強になって世界を変えるんでしょう? でももうこの世界は平和になる。その機会は無くなっちゃいますよ?」

「あんた、あたいを挑発しようってのかい?」

「それに……」

 弥栄は小悪魔的ににやりと笑うと、政美の唇にキスをした。

 突然のことに政美は顔から火が出るくらい真っ赤になってしまう。

「もしかしたら僕のこと、落とせるかもしれませんよ? ふふ、真っ赤になっちゃって、政美殿って案外初心だったんですね?」

 にやにやと笑う弥栄。これが一つの恋を終え、成長した彼女の姿だった。

「あぁもう! ついていってやんよ! ただ一つ言っておくがな、あたいの女になるにはそれ相応に強くなってもらわないと困るからな! あたいを殺せるくらいにね!」

「今の僕なら政美殿を惚れ殺せるかもね」

「言ってろ、馬鹿が。あんたを殺すのはあたいだ。ぶっ殺すのも、惚れ殺すのもね!」

「えっと……じゃあ弥栄と政美が転移するってことで、いいんじゃな?」

 源内の言葉に二人は頷いた。

 別れの時、弥栄は十兵衛の前に立ち、彼女の瞳を見据えた。吸い込まれるような黒く、大きな瞳だ。

 自分が惚れた瞳。それに別れを告げる時なのだ。

「では、十兵衛殿。僕は戻ります。お体に気をつけてくださいね。あと、食べすぎもダメですからね」

「わかっておるわ。弥栄も元気でな。向こうではまだ戦いが続くだろうが、死ぬなよ」

「大丈夫です。僕はもう鬼ですから。あと、最後に……ちゃんと最後まで蝶華殿のことを愛してあげてくださいね」

 十兵衛はその言葉に、ニコリ微笑んで返した。

 その笑みだけで十分だ。弥栄は背を向け、歩き出す。

「源内殿、頼みます」

「あぁ、わかったのじゃ……さらばじゃ、古の侍よ! そして今を生きる女侍よ!」

 源内が時空転移装置を二人に向け照射する。

 その瞬間眩い閃光が二人を包み、皆目を瞑ってしまう。

 次に目を開いた時には弥栄たちの姿はなかった。

 皆、いなくなった者を思い何も言わない。

「さぁ、帰ろうか。江戸に」

 沈黙を破る十兵衛の言葉、それに頷き皆その場を後にした。

 帰るべき、安息の地へ向かって。


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