第5話―裏切者平賀源内―
「おぉ……人がぐちゃぐちゃじゃなぁ。こんなにぐちゃぐちゃにできるとは……うぇっ、気持ち悪いのじゃ」
源内はあたりに転がる死体の山を見て、気持ちが悪そうに目を細める。
『弥栄さん、源内がそこにいるんですか?』
ジェットパックから輝の声が聞こえる。
『源内は江戸を裏切った最悪の科学者です。油断しないように』
弥栄は刃を構えて源内を睨む。しかし源内のほうはにんまりとした笑顔を崩さない。
「そうか、おぬしたちが噂の時空転移者じゃな? どうじゃ? わしと一緒に信長に尽くさぬか? 信長はいいぞ。何でも好きにやらせてくれるのじゃからな」
「僕たちはそんな誘いになんて乗らないよ」
「まぁそう言うと思ったわい。わしも何百年と生きてきたからのぅ、侍というのは頭が固くて解せん。というわけでだ」
パチン、と源内が指を鳴らすとどこからか小太りの男がやってきた。男は白ブリーフ一丁で壱と書かれた覆面をかぶっている。
「壱号よ、例の部隊を」
「でゅふっ……すでに用意できておりますぞ。妖狐部隊、突撃でござる!」
壱号と呼ばれた男がそう叫ぶと、彼らの前に突如として15人ほどのキツネの仮面をかぶった人間が姿を現した。
どこかに隠れていた、とかいうのではなく、突然虚空から現れたのだ。
「なっ!? ど、どこから現れたの!? でもそんなこと関係ない……! 僕たちの敵というなら、倒すだけだ!」
弥栄は刀をぎゅっと握り、距離を詰めるために駆けだした。一方彼らはゆっくりと手のひらを弥栄に突き出すのみ。
いったい何をするつもりだろうか、そう思った瞬間弥栄の身体は後方へ吹き飛ばされていた。
「な、なんで……?」
誰も弥栄の身体に触れていない、それなのになぜか体が後ろへ吹き飛んだ。
何か物凄い力で押し返された感覚だったが、正体が掴めない。
弥栄はもう一度敵へと突っ込むが、すぐまた押し返されてしまう。
だが弥栄は気付いた、吹き飛ばされる瞬間彼らの手が怪しく光ることに。
「あいつらが何かしている……けれど僕は触れられてもいない……妖術!?」
「ESPと呼んでもらいたいのぅ! さぁ、妖狐部隊! おぬしらの力であの侍をぺちゃんこにしてしまうのじゃ!」
「十兵衛殿!」
「あぁ、任された!」
敵の意識はすべて弥栄に向いている。それを利用して十兵衛は小刀を投げた。
小刀はまっすぐに敵の一人へ向かい飛んでいく。
完全なる不意打ち、超能力も間に合わず、敵の喉元に刃が突き刺さった。
ばたり、と倒れる敵。その瞬間仮面が剥がれ落ち、その下の素顔があらわになる。
「こ、子供……!?」
そう、仮面の下は10歳にも満たない少年だったのだ。他の敵も仮面を外し、素顔を見せる。
そのどれもが年端もいかぬ少年少女だった。皆一様に虚ろな目を浮かべ、弥栄と十兵衛を睨んでいる。
「どうじゃ? 驚いたじゃろう? わっぱの時が一番脳が活性化しておって超能力を引き出しやすいのじゃ」
「子供を手にかけるなんて……できない!」
弥栄は後方へ下がり超能力の届かない範囲まで逃れようとする。
だが子供たちは瞬間移動を使い、一瞬のうちに弥栄たちを取り囲んでしまった。
「十兵衛殿……僕はどうしたらいいですか?」
「私にもわからん……こいつらを殺さずに撤退させられればいいが……」
思考を巡らせるがいい考えが浮かばない。
その間も子供たちはじりじりと弥栄たちに迫っていく。
絶体絶命、その瞬間だった。戦場にバイクの音が響き渡る。
「弥栄ぇ! あんたはあたいのライバルだよ! あたいが殺す前に、諦めてるんじゃないよ!」
「政美殿!?」
風を裂き現れたのはバイクに乗った政美だった。背後には輝と太宰もバイクで追いかけてきていた。
「あたいの獲物を奪う奴は容赦しないよ!」
政美はバイクのまま子供たちへ突っ込む。だが彼らの超能力が彼女のバイクを粉々に吹き飛ばしてしまう。
愛車を壊され宙に吹き飛ぶ政美。しかし彼女はここで諦めるほど軟弱にできていない。
「よくもあたいの相棒を……! 絶対に殺す!」
彼女は宙で体勢を立て直し、背負った刃を振り抜いた。
その瞬間、刀が無機質な音を響かせながら変形し、巨大な銃へと姿を変える。
「雷龍刀・バーストモード! ぶっ放してやんよ!」
「政美殿待って! 相手は子供なんだよ!」
「子供でも何でも、戦場に立った時点で敵なんだよ!」
そう叫び、政美は引き金を引いた。
銃口から解き放たれる電を帯びた弾丸。
何発も撃ち放たれるそれを彼らは捌ききれずに着弾してしまう。
着弾した瞬間バチバチっ、と鋭く放電し彼らの身体を焦がし壊していく。
「政美殿! やめて!」
弥栄の叫びも届かず、政美は子供たちが全員倒れるまで撃ち続けたのだった。
辺り一面に肉の焦げる嫌な臭いが立ち込める。
今まで嗅いだことのない不快な臭いに弥栄は思わず顔をしかめた。
「弥栄、あんたは優しすぎる。そんなことじゃ生き残れないよ」
「僕は……政美殿みたく割り切れません……」
「ま、その話はあとにしようか。今はあいつを倒さなくちゃなんだろ?」
政美は銃口を源内へ向けた。だが源内は焦る様子一つ見せない。
「あんた、いつまで余裕ぶっていられるかい?」
「お前ごときがわしを殺せるわけないのじゃ。だから余裕を見せてるんじゃよ、ざぁこ」
「ほざけ!」
政美が引き金を引こうとした瞬間だった。彼女の銃が内側から破裂するようにバラバラに砕け散ったのだ。
「はい、わしの勝ちなのじゃ~。ざぁこざぁこ」
「武器が無くたって!」
「だからわしの勝ちと言っておるのじゃ。そんなに負けるのが好きかの?」
政美は一歩踏み出そうとしたが、足が動かない。
「なんだこれ!? 体が重い……足が岩になったみたいに動かない!」
「これがわしの力じゃ。ザコは埋まっておれ」
どすん! と物凄い音とともに政美の身体が崩れ、地面に叩きつけられた。
「政美殿!」
政美は苦悶の表情を浮かべながら気を失っている。死んではいないことを確認し、弥栄はほっと胸を撫で下ろした。
「次はどいつがかかってくるのじゃ? わしを満足させてほしいのじゃがなぁ」
弥栄は十兵衛のほうを見るが、彼女はまだ回復しておらず動けない。
ならば自分が戦うしかない、弥栄は一歩踏み出そうとしたが脚が思うように動かない。
体も震えている。
未知の能力を使う相手に怯えてしまっているのだ。
「じゃあボクが行くよ。源内、久しぶりだね。その体、また趣味が悪いの作ったね」
と、そう言いながら輝が前に出る。そんな輝を見て源内はにやにやと笑って見せた。
「ほぅ、輝ではないか。おぬしの身体は相変わらず何も変わってないのぅ。まぁ、変わるはずもないか」
「ボクが何も変わってないとでも? 源内、あんたを殺すためにボクは変わった!」
輝が駆けだす。メイド服のポケットに隠し忍ばせていた短刀を両手に持ち、源内へ斬りかかる。
「させんのじゃ!」
だが源内は片手を前に突き出し、超能力を使う。それにやられて輝は吹き飛ぶ、はずだった。
しかし輝は宙に飛び身体を翻す。まるで超能力の軌道を見切ったかのような動きに源内はたじろぐ。
「わしの超能力を躱したじゃと!?」
「そうさ! ボクは超能力の軌道が見える! ほんの少しの空気の歪みや風の動き、それらを読み取ることで超能力は見ることができる!」
源内は必死に超能力を撃つが、輝にそれは届かない。
華麗によけきって見せた輝は源内まであと3歩というところまで来ていた。
輝は地面を蹴り上げて源内との距離を一気に詰める。
「源内! その首、もらったよ!」
輝が両手を交差し、源内の首を狙う。だが源内はそんな状況であると言うのに、笑ったのだ。
にんまりと、まるで悪だくみが成功したとでもいう風に。
「成長したのが自分だけだとでも言いたいようじゃな。じゃが、わしも成長しておるのじゃよ!」
源内がばっと両手を天に掲げると、輝の動きが空中で止まった。
まるで宙で何者かに捕らわれたかのように輝は身動きできずにいる。
「前のわしなら超能力は一点にしか発動できなかったのじゃが、今のわしは四点同時に発動できる! これもこの体のおかげなのじゃな。散るがいいのじゃ、ざぁこ」
その瞬間、輝の四肢が身体から離れて宙に舞った。
「うわぁぁぁぁぁ!!!」
四肢をもがれた輝は苦悶の叫びをあげ、地面に転がり動かなくなった。
「あっはっは! ざぁこざぁこ! わしに勝とうなど一億年早いのじゃぁ! さぁ、次は誰がかかってくるのかのぅ?」
あと残っているのは太宰しかいない。しかし彼は小説家だ、到底戦える存在ではない。
だが彼は源内の前に進み出る。
「太宰殿……」
「ほぅ……そんな痩せた身体でわしと戦うのか? すぐに負かしてやるのじゃ」
「俺っちは……」
彼は震える手をぎゅっと握りしめ、源内の顔を見据えた。その顔には覚悟が宿っている。
そして太宰は叫んだ。
「俺っちは降参するっす!」
「は……?」
弥栄も十兵衛も、源内さえも困惑の顔を浮かべた。
しかし太宰はそんなこと気にも留めず、早口でまくし立てるように言う。
「俺っちはただ取材のためについてきただけっす。そもそも戦える力なんてないっすよ。もし戦っても俺っちは負ける、なら負けないように降参するのも戦略の一つっす。それに一番俺っちが言いたいのは」
太宰は一拍溜めて、また叫んだ。
「源内ちゃん、好きっす!」
『は、はぁ!?』
一同の驚愕の声が重なる。
「源内ちゃんの小さい身体、小悪魔っぽい笑み、くすぐるような声、どれも俺っちの理想の女っす!」
太宰の告白を受けた源内は顔を伏せ、肩を震わせる。逆鱗に触れてしまった、弥栄はそう思った。
しかし結果は違った。源内は顔を天に向け、大声で笑ったのだ。
「あっはっはっ! まさかわしに告白するとは! 面白い男じゃのぅ! 気に入ったわい! おぬしに免じて今日は帰ってやるのじゃ! だがな、侍たち! 次にかかってくるときは、今みたいに手加減はしないのじゃ」
そう言って源内は太宰の手を握り、彼と共に瞬間移動して消えてしまった。
残された弥栄と十兵衛はこの状況を理解するのに数秒時間を要す。
そして何もかも理解した瞬間、叫ばずにはいられなかった。
「太宰の裏切り者ぉ!」
「十兵衛殿、もう動いて大丈夫なんですか?」
「あぁ。それより私よりも政美だ」
源内たちが去り、動けるようになった二人は地面に伏した政美を起こす。
「政美殿、大丈夫ですか?」
「目立った外傷はないようだな。起き上がれるか?」
政美はゆっくりと目を開けて、辛そうに顔を歪めて体を起こした。
「ぐっ……あの野郎……あたいの内側に負荷かけやがった……危うく内臓がパンクしかけたよ。ま、あたいくらいになると内蔵も鍛えてるんでそう簡単に死なねぇけどな」
「そんな冗談が言えるなら大丈夫だろう。ほら、一人で立て」
政美はまだ痛みが走るのか、苦しげに顔を歪めるが立ち上がって見せた。彼女の武将としての意地が立ち上がらせたのだ。
「あの野郎……! 次にあったらぶっ殺す!」
「ねぇ、政美殿。一つ訊いてもいいですか?」
政美は頷き弥栄に続きを促した。
「あの……政美殿は一応僕たちの敵、ですよね?」
「まぁね。あんたはあたいのライバルだよ。もしかして敵だからって助けに来るのがおかしいって言いたいわけ?」
政美が威圧するようにそう言った。弥栄は小さく縮こまり、まぁ、とだけ言う。
それを見た政美ははぁ、と大きな溜め息を零した。
「もちろんあんたたちは敵だよ。さっきだって江戸に攻め込もうとしてたさ。けどね、あたしは江戸に攻め込むより強い奴と戦いたい、強い奴に勝ってあたいが最強になりたいっていう思いの方が強いんだよ。だからあたいが認めたあんたは絶対にこの手で殺す、他の奴に殺されるのはごめんだからね。だから助けに来た」
「それじゃあ今、弥栄を殺すか?」
十兵衛は低くそう言って刀に手をかけた。
「ちょ、ちょっと十兵衛殿! やめましょうよ、そう言うのは」
二人の間に割って入る弥栄。しかし政美は戦う意志も見せず、弥栄たちに背を向けた。
「弱ってるあんたを倒してもあたいが強いって証明にはなんない。それにあたいだって万全じゃない。愛車も愛刀もあのガキに壊されたからね……だから弥栄、源内を殺すまではお互い休戦だ。あいつを殺せるなら奥州の連中だってあんたらに貸してやるよ」
政美の隻眼の鋭い瞳の奥に復讐の炎が宿っている。
「わかった、政美殿。力を貸してほしい。僕たちと一緒に信長と戦って」
「おいおい、信長を殺すってのは契約外だっての。……いや、信長を倒せばあたいはもっと強くなれる……よし、わかった。あたいも信長討伐、やってやるよ!」
「よし、それじゃあ江戸に戻るか」
「待って、十兵衛殿。輝を……」
弥栄はバラバラになった輝のほうを見た。むごたらしく手足を裂かれた身体がごろりと地面に転がっている。
「こんな敵地じゃなくて、江戸で眠らせてあげようよ……」
「そうだな。輝も少しは喜ぶだろう」
十兵衛は輝の身体へ歩み寄り、それを抱えようとする。だが見た目以上の重さで思わずよろめいてしまった。
「お、重い……!? まるで山積みの米俵を持っているようだ……」
「重いって言うのは失礼じゃありませんか、十兵衛さん」
「いや、すまない、輝。だがお前の身体は小さい割に重くてだな……ん? 輝、喋ったのか?」
十兵衛は頭に疑問符を浮かべ、輝を見た。すると輝の閉じられていた目がぱっちりと開かれ、首がぐぐぐっと動き十兵衛を見据えた。
「そうですよ、ボクが喋ったんです。それにしても……もっと早くこっちに来てくれてもいいものを……動けないのって辛いんですよ?」
「え!? じゅ、十兵衛殿!? 輝が喋ってるんですが!? まさか悪霊ですか!?」
「悪霊か……あたいは斬ったことないね……十兵衛、どきな。あたいが斬れるかどうか試してやるよ」
「ま、待て待て! ボクの身体をよく見てみろ!」
慌てて輝は自分のもがれた腕を顎で指す。三人がそこをじっと凝視する。
もがれた断面からは鈍色の鋼や複数のコードが顔をのぞかせていた。本来流れ出ているはずの血も出ていない。
「あんた、機械人形だったってわけか!」
「機械人形?」
「あぁ。全身が機械でできている人間そっくりの奴さ。普通なら単純な命令しかこなせないのに」
「まぁボクはあの源内に作られましたから。特別なんですよ」
そう誇らしげに言って見せた輝に、弥栄たちはまたも驚きで顔を歪めた。
「あぁ見えても源内は自分の発明品を大事にしますから、ボクは完全に壊されなかったんでしょう。ま、今はそんなことどうでもいいです。早くボクを城へ連れて行ってください。いつまでも芋虫のままじゃ辛いので」
「あ、あぁ、わかった……」
城に着いた皆は一様に疲弊しており、さらに輝はメンテナンス行きだ、作戦会議は明日にしようということで解散になった。
「ふぅ……こう気を抜くとどっと疲労が来るな、弥栄」
「そうですね……で、どうして政美殿が僕の部屋にいるんですか!」
「あぁ? いいだろ、別に。どの部屋で休もうがあたいの勝手だ」
「勝手じゃないですよ。それにこの部屋には十兵衛殿も」
「十兵衛ならさっき城下に行ったぜ? 嬉しそうにしてよ」
十兵衛は蝶華の元へ行ってしまった。このままでは弥栄は政美とともに過ごさなければならなくなる。
そうなるならばまずわだかまりを解消してしまわねば、弥栄はためらいもなく政美に言った。
「政美殿。僕が源内と戦っている時、子供を殺しましたよね? 政美殿は戦場に立ったなら子供でも敵だって言ってましたけど、僕はそう割り切れません」
「今はそんなこといいだろ」
「いえ、今後政美殿と一緒に戦うなら、これだけははっきりさせておきたいんです」
はぁ、と政美は大きく溜め息を吐き、頭を掻いた。
「弥栄、あんた勘違いしてるようだから言うけどさ、あたいだって子供を殺すことに抵抗を感じないわけじゃない。あたいだって辛いさ。いくら敵でも子供を殺すのはね」
「そうなんですか?」
驚くように言う弥栄に政美は頷いた。
「あたいはあの時自分が生き残るために子供を殺した。あの十兵衛だってためらってたけれど、本当に死ぬってなったら殺すはずだ。まぁそう言っても弥栄は納得しないだろう?」
「えぇ……僕は納得しません」
「だからあたいは、その罪を背負って生きていく。子供を殺した罪をね。けれど罪を背負うのはあたいだけじゃない、この城でふんぞり返ってる康衛門もそうだし信長もそう、十兵衛も、あんたもだ」
「僕も?」
「そう。子供が戦場に出る世界を作ってしまった罪だ。あたいたちは力を持っている、けれど争いは終わらず、子供まで戦場に出てしまっている。それはあたいたちが力の使い方を間違っているってことじゃないか? だからあたいは、最強になって世界を変える。もう誰も苦しまない世界を作る」
政美の言葉に弥栄は黙るしかなかった。
ただ生きるために子供を殺した、そう考えていた自分が浅ましいように思え弥栄は政美の瞳を見ることができない。
だが政美は真剣な面持ちを一瞬で溜め息と同時に吐き飛ばした。
「はぁ。こんな空気になるってわかってるから話したくなかったんだよ。こんな真剣な話してあたいだってちょっと恥ずかしいしよ……弥栄、あんた責任取りなよ」
「ぼ、僕がですか!?」
「そうだよ。何してもらおうかな……そうだ、あんた十兵衛に告白してフラれたってね。ということは女もいける口だろう? あたいと一夜を楽しもうじゃないか」
「一夜を楽しむ……」
弥栄は一瞬言葉の意味が分からなかった。しかし理解した瞬間、顔から火が出るほど真っ赤になってしまう。
「な、何言ってるんですか政美殿! そもそも僕たちは敵同士ですよ!?」
「敵同士? 大いに結構! 逆に燃えるじゃねぇか! ライバル同士戦場で争う二人が夜になると互いを求めるように激しく燃え上がる……想像しただけで濡れちまうよ!」
「いやいや、それに僕は女が好きってわけじゃありませんから! 十兵衛殿だから好きってだけで、政美殿は」
言い訳する弥栄を黙らせるように、政美は彼女を押し倒した。
政美の顔が弥栄に迫る。その時弥栄は初めてじっくりと政美の顔を見た。
端正に整った美しい顔つき、女性らしいぷっくりとした唇、長いまつ毛。
それに何より目を引いたのが、吸い込まれるほどに澄んだ彼女の瞳だ。片方しか無いということが、さらにその美しさを引き立たせているよう。
「どうした? ぼぉっとしてよ。まさかあたいに見惚れちまったのかい?」
政美が喋るたびに熱っぽい吐息が弥栄の鼻先をくすぐる。弥栄はそのたびくすぐったそうに目を細めた。
「あんた可愛い反応するね。こうやって攻められたことないんだろう?」
「ひゃぁっ!?」
政美が弥栄の耳元に小さく息を吹きかけた。その瞬間ぞわぞわっとした快楽が全身を駆け上り、自分でも驚くほどの甲高い声を上げてしまう。
「声もこんなに可愛いし……いじめたくなるな。さて、どうしてやるか」
「ま、政美殿……やめて……ください……」
弥栄の瞳に涙が零れた。
今から政美に自分の身体を弄ばれてしまう。好きでもない人にぐちゃぐちゃにされてしまう恐怖に耐えられなくなってしまったのだ。
「うぅ……十兵衛殿……助けて……」
その言葉を聞いた政美は彼女を開放し、すたすたと部屋を出て行ってしまった。
「政美殿?」
「興が冷めた。今回のことはまた別のことで補ってもらうからな」
そう言い残して政美は廊下の奥へと姿を消してしまう。
弥栄はほっと胸を撫で下ろした。だが、身体の疼きを叫ぶ自分が内側にいることを自覚せざるを得なかった。
場所は変わり信長の居城、安土城。城内の一室、辺り一面に色々な機械が置かれている研究室に太宰はいた。彼の目の前には四つん這いになった壱号の背に座る源内の姿が。
「お主、太宰といったな。わしのことが好きと申したが、本当かのぅ?」
試すようにニマニマと笑う源内、その表情だけで太宰の背には電流が走るように快楽が駆け抜けた。
「もちろんっす! 俺っちは源内ちゃんが大好きっす!」
「これでもかのぅ?」
源内がパチン、と指を鳴らすとごぅんごぅんと轟音を立てながら、地面から円柱のようなものが5本飛び出してきた。
その中には少年、若い男、若い女、老爺、老婆の身体が液体に浸され、浮かんでいる。
源内はその内の老爺を指して言う。
「これがわしの本当の身体じゃよ。そもそもわしは男じゃ」
「こ、これがっすか? どういうことっす?」
「ここにあるものはわしの身体のスペアなのじゃ。わしは脳だけを移して生きながらえてきた。そうじゃのぅ……ざっと300年は生きておるのじゃ」
「300年っすか……はは、超おじいちゃんっすね」
太宰は源内の話を聞いても、いつものにこにこ顔をやめない。いや、むしろいつも以上に顔が輝いている。
「それでもいいっすよ。俺っちはどんな源内ちゃんでも好きになる自信あるっす!」
「お主、本気か?」
「当たり前っすよ! 俺っちがもとの時代でいったい何人の女の子と付き合ってきたと思ってるんすか? そのどれもが俺っちを満足させられなかった……なら普通の女の子じゃない源内ちゃんこそ俺っちの運命の相手っす! 俺っちの本能もそう言ってるっす、たぶん!」
太宰の目は本気だ。本気で源内を愛すると言っている。
源内もそれを理解して、唇の端をいびつに歪ませて笑う。
「よかろう! お主がそう言うなら本気で愛してみせよ! じゃがわしの一番になれる日はいつになるかのぅ?」
源内はそう言って太宰に覆面を放り投げた。彼はそれをうまく空中でキャッチする。
「これ、なんすか? 参拾って書いてあるっすけど」
「お主の順位じゃ。お主がわしを満足させるたびに順位を上げてやるのじゃ。ただし、他の者も必死じゃからな。うかうかしていると追い抜かれるぞ?」
太宰は無数の視線を感じて辺りを見渡した。するとどこに隠れていたのだろうか、白ブリーフに覆面だけの男が太宰と源内を囲むように立っていたのだ。
彼らの覆面にはどれも数字が書かれている。
「こいつらがお主の競り合うライバルじゃ。せいぜいわしを満足させるのじゃぞ?」
「ふ~ん……で、一番はどいつっすか?」
太宰は冷めた目で覆面男たちを見ながらそう言った。
「一番はこいつじゃ」
と、源内が座っていた壱号の尻を思いきりはたいた。
「あぁん! 源内様! ありがたき幸せなのでござる!」
「フフッ、面白いじゃろう? こいつもお主と同じ時空転移者でな、2010年のアキバという町から来たそうじゃ。こいつがわしの前に現れたおかげでわしは江戸の連中が時空転移をさせたことが知れたのじゃ。他にもこの何とも愛らしい格好を見繕ってくれたりとわしを喜ばせてくれてな」
「へぇ……そうなんすか。じゃあ挨拶しとかないとっすね」
源内は壱号から降りる。立ち上がった壱号が太宰の元へ向かい、握手を求めるように手を差し出す。
「誰だか知らないけど、源内様は拙者のものでござるから。調子に乗らないでいただきたいでござる」
明らかに挑発的な声音で壱号はそう言った。
「調子に乗る? それってあんたの方じゃないっすか? いつまでも一番でいられると思ったら、大間違いっすよ」
太宰は冷ややかに言い、両手を差し出した。しかしその手は壱号の手を捕らえずに、彼の太い首元を捕らえたのだ。
「ぐっ……! ぐるじぃ!」
太宰は壱号の首を絞めたまま、彼を地面に押し倒す。抵抗しようともがく壱号の腕を太宰は足で押さえつけた。
「なにをしている!」
覆面男たちが一斉に太宰を取り押さえようと動く。だが源内は彼らに一言、やめろ、と言い静止させる。
皆が見つめる中、壱号の抵抗が徐々に弱まっていく。じたばたと動いていた足が止まり、今度は痙攣するようにびくびくと震え出した。
「お前みたいなデブでも喉仏を押しつぶすように絞めればすぐに死ぬ」
壱号を絞め落とす太宰の瞳は機械のように無機質、無感情。殺すことにためらいすらなかった。
いつもの飄々としたふざけた口調もなりを潜めている。
「あっ……あがっ……アバ……」
辺りに尿の匂いが広がっていく。壱号が失禁してしまったのだ。
びくびくと大きく痙攣していた彼も、今ではピクリ、ピクリ、と小さく痙攣するのみ。確実に死に迫っていた。
そして彼の身体が動かなくなると、太宰は彼の顔から壱と書かれた覆面を奪い取った。
覆面の下の苦悶に満ちたあまりにも醜い顔に、周りの連中はぞっと身震いする。
「これで一番は俺のモノだ。文句ないだろ?」
「文句? あるに決まってるだろ! 壱号が死ねば俺が壱号になれた! 新入りがでかい顔してるんじゃねぇぞ!」
弐と書かれた覆面男がボキボキと拳を鳴らしながら太宰の前に立つ。巨木のような太い腕だ。
その腕がぎゅんと突き出され、強烈なパンチが太宰に襲い掛かる。
しかし太宰はそれを難なく受け止め、関節とは逆方向にいともたやすくへし折って見せたのだ。
「ぐぎゃぁ! て、てめぇ……!」
「やめるのじゃ!」
弐号の左の拳が、源内の声により宙で止まった。
「太宰。おぬし、何者じゃ?」
言われて太宰は自分の服を脱ぐ。彼の肌を見て、周りの連中はぎょっとしたように声を上げた。
何せ彼の身体には数えきれないほどの痛々しい傷がついていたのだから。切り傷がほとんどだが、火傷の跡も見える。
「俺は、死ねない男なんです。何をやっても死ねなかった。俺は愛する人と幸せの絶頂で死にたかっただけなのに神様がそれを許さなかった! 幸せが壊れるのが怖かったから死にたかったのに……」
太宰は腹の小さな傷跡を愛おしそうに撫ぜながら言う。
「これは俺が5歳の時、初めて好きになった女の子と死のうとしてできた傷。一緒に腹を刺して死ぬはずだったのに、医者に助けられて俺だけ生き残った。8歳の時、一緒に首を吊った、俺だけ縄が切れて死ねなかった。9歳の時、手首を切った、死ねなかった。9歳と6か月、入水、死ねなかった。9歳と10か月、練炭、死ねなかった。10歳……」
「もういい、もういいのじゃ!」
叫んで源内は太宰に抱き着いた。身長差で源内は太宰の腰回りに抱き着くしかなかったが。
それでも源内は太宰を強く抱きしめて、彼の背を優しい手つきで撫ぜた。
「太宰よ……お主はわしと正反対じゃな……お主は幸せが壊れるのが怖いから死ぬ、わしは幸せが常に続いてほしいから生き続ける……」
「……」
「じゃがな、こうも考えられぬか? わしは常に生き続ける……それはお主とともに死んでも、わしは生き残るということじゃ。それでお主も死に切れぬというなら、それでよいではないか。何度も死んで、何度も生き延びようぞ」
「でもそれじゃあ、いつか幸せが壊れてしまう……俺はそれが怖い」
「大丈夫じゃ……わしがお主を幸せにする……約束するのじゃ……」
「ありがとう……」
太宰は膝をつき、源内を抱き返した。子供の身体特有の柔らかな温もりが、太宰の心の傷を癒していく。
今まで会ったことのない存在、源内こそ運命の相手だ。太宰は源内の胸でそう確信していた。
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