第2話―サイバー江戸へようこそ―

「その……輝殿?」

「殿はいらないですよ。ボクはメイドですから」

「め、冥土? ま、まぁいい。それにしてもこの車というもの、やけに早いし揺れるではないか。わ、私は何ともないが車が耐えられるかどうか心配でね」

 車は今、あぜ道を走っている。整備されていない道路で車体が揺れ、そのせいで十兵衛の顔は青白く染まっていた。

「ははは、大丈夫ですよ。車は頑丈ですから壊れません。それにほら、見てくださいよ。弥栄さん、寝てるでしょ?」

「この状況で眠れるとは……神経がどうにかなっているのではないか?」

 弥栄はシートに体を預けて、気持ちよさそうに寝息を立てている。

 そんな弥栄を十兵衛は信じられないとでも言いたげに見つめていた。

「十兵衛さん、酔い止めの薬です。これで少しは気分が落ち着くと思いますよ? あ、別に水なしでいけるタイプなんでそのまま噛んで飲み込んじゃってください」

「かたじけない……うぐっ……あ、甘い……これは本当に効くのか?」

「良薬は口に苦しって言うのはもう昔の話ですよ。今はいろんな味がありますから」

 そうか、と頷き十兵衛は窓の外に目を向けた。

 先ほどまでの乾いた大地は後方へ、次第に草木が生い茂る道が出てきた。

 ススキが生い茂っていることから今が秋であるとわかる。

 それに村だろうか、人の暮らす家々も遠くに見える。

「さて、十兵衛さん。もうすぐ着きますよ。あれがボクたちの暮らす、サイバー江戸タウンです」

 と、輝が指さした先にあるのは30~40メートルはあろうかという巨大な壁だ。

 壁の内側からは何やら光がせわしなく漏れ出している。

「あの壁の内側で人が暮らしていると言うのか?」

「えぇ、そうです」

「なんと……ではあれはなんだ? 人が壁に上っておるが」

 十兵衛は壁の中腹辺りを指さした。

 そこでは10人くらいが壁のてっぺんからロープに吊るされ、なにやら壁に細工をしているよう。

「あれは補修作業ですよ。先ほどの奥州の奴らが壁を壊そうとしたんですよ。この壁はもう200年以上破られていないと言うのに、バカな連中です。そろそろ中に入りますけど、驚かないでくださいね」

 壁の前には関所のように人が立っており、車内を調べてから中へ通される。

 壁の内側に入った瞬間、十兵衛は思わず目を瞑った。

 それはぎらぎらと輝くネオンのせいだ。夜の闇を照らす炎ではない光、電気に目をあてられたのだ。

「ま、眩しいぞ! 何事だ!? 火事か!?」

「違いますよ。電気です。ほら、キレイでしょ?」

 輝に言われ、十兵衛は恐る恐る目を開けた。

 眩いと思っていた電光が次第に慣れてくる。

「確かに、キレイだ……これほどの輝きがあるとは……ここは仏の国か?」

「だから江戸ですって。こんなことで驚いてちゃこれからここでは暮らせませんよ」

 ギラギラとネオン輝く街で、人々が楽しそうに暮らしている。

 料理や着物を売る露店が道路沿いに集まっており、そのどれもが激しい賑わいを見せていた。

 空には筒のような巨大な何かがぷかぷかと浮いている。

「あの浮いているのはなんだ!?」

「飛行艇ですよ。あれで街を監視してるんです。何か問題が起こればすぐに警察が動きます」

「これほどまでに老若男女入り交じり楽しんでいるとは……輝、私を下ろしてくれ! 街を見てみたい!」

「いったん城に戻ってからです」

「城?」

「はい、サイバー江戸城ですよ。ほら、見えるでしょう?」

 輝の視線の先には、街を見下ろすように建ったこれまた一段と輝く城があった。

 びかびかと電飾の色が次々と変わり異様な存在感を放っている。

「あ、あれが城だと……侘び寂びの精神はどこに行ったのだ?」

「侘び寂びなんて時代遅れですよ」

 輝がそう言って鼻で笑った。とことん自分たちの常識が通用しない世界だ、十兵衛はそう思い溜め息を吐いた。


 城に到着した彼女たちは輝に促されるまま上へ上へと進んでいく。

「ふわぁ……僕まだ眠いんだけど……それに喉が渇いて死にそう」

「まぁまぁ。将軍様に会えばそのあとは好きにしてもらって構いませんから」

 やがて最上階へと辿り着くと巨大な扉のある部屋へと通される。扉の横には監視室と書かれたプレートが。

「何これ……? 動く絵?」

「ここに描かれているのは城下町か?」

「はい、ここは飛行艇からの映像を受信して監視する部屋です。このモニターすべてが城下の映像です」

 その部屋には30ほどのモニターが城下町の映像を映していた。

 そして部屋の中央の椅子にどっかりと腰掛ける人物が一人。

「ほぅ……女武士、お前たちが転移者か。歓迎するよ。ようこそ、俺のサイバー江戸タウンへ」

 その人物はイスをぐるりと回して弥栄たちのほうを向いた。

 20代前半くらいの若い男だ。顔には常に自信に満ちた笑みが浮かんでいる。

 男は足を組み、獲物を狙う鷹の目のような視線で弥栄たちを睨む。

「お前たち、名は?」

「あ、僕は」

 弥栄が名乗ろうとすると、十兵衛がそれを制した。

 十兵衛も男に負けない鋭い視線で睨みつけている。

 二人の視線がバチバチと火花を散らす。

「まずそちらから名乗るのが礼儀では?」

「俺が名乗れと言っているんだ。つべこべ言わずに名乗れよ」

「ま、まぁまぁ二人とも、落ち着いて」

 輝が二人の視線を遮るように間に割って入る。が、空気はまだ張り付くようにビリビリだ。

「えっと、この人たちは弥栄さんと十兵衛さんです。で、こちらの方は徳川康衛門とくがわやすえもん様です」

 康衛門はフンっと鼻を鳴らし、足を組みなおす。

「弥栄と十兵衛か。お前たちは武士だろう。少しは力になってくれるだろうな」

「力になるとかどうとかの前に、私たちに説明してくれませんか? ここはいったいどこなんですか?」

 康衛門は輝のほうを向き、くいっと顎を動かした。

「あ、はい。ここは2035年のサイバー江戸タウンです。あなたたちは別の世界、別の時代からやってきた時空転移者なんです。ほら、変な穴みたいなのに入ったでしょう?」

「僕はそんな覚えないんだけれど」

「その時弥栄は気を失っていたからな」

「まぁ方法はどうあれ、あなたたちはこうして時空転移してこの時代にやってきた。それは」

 と、その続きの言葉は、ばんっと開かれた扉の音により遮られた。

「蘇った信長を倒すためっすよ!」

 そして輝が言いたかったであろう続きの言葉を、扉の向こうからやってきた男が言う。

 男は20代半ばくらいでもじゃもじゃ髪、ほっそりとした体だ。だが、顔だけは康衛門と同じで、いや、それ以上に自信に満ち溢れていた。

「そして俺っちも! 信長を倒すために時空転移してきたんす!」

「ちっ……うるさいバカが来やがって……」

 そんな康衛門の悪態が聞こえているのかいないのか。彼はずかずかと弥栄たちに近付き、品定めするようにじろじろとその姿を眺める。

「ほぅほぅ……女武者っすか、こっちは男っぽいけどなかなか可愛いっすね。でも俺っちはこっちの黒髪のお姉さん侍がタイプっすね。どうっすか、お姉さん。俺っちと一緒に自殺しません?」

「お、おい、輝。この男はなんだ?」

「あぁ……こちらは太宰治だざいおさむさん。あなたたちと同じ時空転移者です」

「そうっす! 俺っちは太宰治、元の世界では小説書いてたっす。よろしくっす」

 太宰は人懐っこい笑みを浮かべ、二人に握手を求める。弥栄たちは彼の空気に飲まれ握手してしまう。

「太宰さん。話が進まないので少し黙っててもらっていいですか?」

「っす」

 太宰は頷くと、どっかりとその場に座り込んだ。

 出て行け、という輝の視線が太宰に刺さっているが彼はお構いなしだ。

「まぁその……あなたたちには信長を倒してもらいたいんです」

「信長と言えば、あの信長? って僕たち信長と戦ってたんだけど! ど、どうなったの? 未来なんだから戦いの結果知ってるよね!?」

「あなたたちがいつの時代から来たのか詳しく知りませんが、あなたたちの住む世界とボクたちの住む世界では歴史が違うんです。ですからそちらの戦いの結果というのはわかりません」

「ど、どういうこと?」

「俺っちの世界じゃ江戸時代はここまで続かなかったっすよ。幕府は戦いに負けて、侍の時代も終わりっす」

「けれどボクたちの世界では今も江戸幕府は続いている。世界はこうあったかもしれないという可能性の数だけあるんです」

「十兵衛殿はわかりましたか?」

 弥栄の質問に十兵衛は首を横に振った。

「細かいことはどうでもいい。私たちがこの世界に呼ばれた理由、信長を倒せということだが、お前たちが倒せばいいじゃないか?」

「それはそうもいかないのです……」

 輝はうぅむ、と唸る。

「この国ではもう大きな戦いはありません。大名同士の国盗りは300年ほど前に終わり、今は大国同士の睨み合いと、ほんの小さな競り合いが続いている状況です。戦力は以前よりかは下がっています。だから今この国に信長を倒せるほどの強者はいないのです。今の戦力では信長の進行を食い止めることがやっと」

 康衛門が弥栄たちを睨みながら言う。

「本来ならお前たちのようなよくわからねぇ連中じゃなく、源平合戦の英雄、源義経や那須与一なんかを呼びたかったんだがな。技術班の奴ら、失敗しやがって」

 そんな康衛門をあざ笑うように太宰は言う。

「失敗していろんな時代に穴が開いちゃったみたいっすよ。で、俺っちみたいな戦いも知らない奴が呼び出されたってわけっす。ちなみに時空転移装置はその時壊れて技術者も死んだから、俺っちたちは元の世界に戻れないっす」

「僕たち、戻れないの? 母上と兄様にはもう、会えない?」

「そんなの勝手すぎるではないか! 私たちは望んでここに来たわけではないぞ!」

「うるさいぞ、女ども。話は最後まで聞け。信長の元には、こちら側にいた技術者、平賀源内ひらがげんないがいる。信長を倒し源内を取り戻せば、もう一度時空転移装置を開発できる」

 康衛門の顔は嘘を言っている風には見えなかった。しかし十兵衛はまだ納得いっていないようだ。

「私の時代の信長は強い武将だった。私たちは一度信長の軍に殺されかけている。それとまた戦えと言うのか!」

 声を荒げる十兵衛。しかしそんな彼女を制したのは弥栄だった。

「十兵衛殿。戦いましょう」

 弥栄は静かにそう言った。その瞳には揺るぎない闘志が宿っている。

「な、何を言う弥栄? お前は殺されかけたんだぞ?」

「はい。でも僕は自分が死ぬことよりももっと怖いことがあります。それは何の罪もない民が殺されることです。僕は民を守るために戦います。でも僕の力だけでは足りません。だから十兵衛殿も、力を貸してほしい。僕と一緒に民を守りましょう」

 弥栄は十兵衛の瞳を見つめた。二人の間に時が止まったような静寂が流れる。

 じん、と肌にひりつくような静寂を破ったのは十兵衛だった。

 彼女は大きく口を開けて、さも楽しそうに笑ったのだ。

「ははは! そうだったな! 弥栄はそういう奴だ! 自分の命よりも誰かの命を最優先に考える! そうだ、それこそが武士もののふだ! あぁ、わかった、私も戦おう! だがな、勘違いするなよ康衛門! 私たちが戦うのは民のためであってお前のためではない!」

 十兵衛は康衛門にびしっと指を立ててそう言ってやった。これ以上ないほどのどや顔でだ。

 彼は一瞬ぽかん、とした顔を浮かべたが、すぐにいやらしい笑みを浮かべる。

「かかっ! 面白い! 民を守る刃となるか女侍ども! ならば守って見せろ! 信長をぶち殺してなぁ! おい、輝! こいつらを部屋へ連れていけ。客人として丁重にもてなしてやれ」

「は、はい! 康衛門様! では行きましょうか、弥栄さん、十兵衛さん」

 輝に続き、弥栄と十兵衛は部屋を出ていく。

「へぇ、あんたたち結構やるっすね。じゃ、よろしくっす。お二人さん」

 二人の背後で太宰が楽しそうに笑っている。

 こうして二人は信長を倒すための戦いに身を投じるのだった。


 弥栄たちは輝に案内され、城中腹部の廊下を歩いていた。

「あぁ、そうだ。これ、渡しておきます。携帯デバイス、これで通話や調べ物ができるんですよ」

 輝が彼女らに手渡したのは手のひらサイズの黒い板だ。

 輝は慣れた手つきで電源を立ち上げ、どうすればいいのか説明する。

「ほう、これで離れた場所でも話せるとは……便利なものだ」

「はい、弥栄さんも使ってください。あれ? 弥栄さん、どうしましたか? 気分、悪そうですけれど」

 輝が心配そうに弥栄の顔を覗き込んだ。その顔は青白く染まり、唇ががくがくと震えている。

「はぁはぁ……我慢してたけど、もうダメ……喉が、乾いて……」

「弥栄さん、部屋はこの廊下の突き当りです。そこに飲み物もありますから、もう少しだけ我慢してください」

 弥栄は息を切らしながら、ふらふらと歩く。視線は虚ろに染まり、今何を捕らえているのかすらわからない。

 そんな虚ろな瞳が輝をギン、と睨んだ。

「まずい! 輝! 逃げろ!」

 その瞬間だった。弥栄が野犬のように輝に飛びかかったのだ。

 一瞬のことで油断しきっていた輝は弥栄により押し倒されてしまう。

 弥栄は大口を開けギラギラとした八重歯を煌めかせ、輝の喉元を狙った。

「弥栄!」

 だがすんでのところで十兵衛が弥栄の頭を掴み、輝から引きはがす。

 弥栄はバタバタと暴れ、十兵衛の拘束から逃れようとしている。

 十兵衛はそんな弥栄を地面に抑え込み、無理やり唇にキスをした。

「弥栄……すまない……」

 弥栄の口の端から真っ赤な血がつつぅと垂れた。

 しかしそれは弥栄のモノではない。十兵衛のモノだ。

 十兵衛は自分の唇を噛み切り、そこから溢れた血を弥栄の口に流し込んでいく。

 はじめは苦しそうに暴れていた弥栄だが、次第にそれは収まり、今では赤子が眠るように穏やかに十兵衛のキスを受け入れていた。

 いったいどれだけ口づけを続けていただろうか。

 唇を離した二人は思い出したように大きく息を吸い込んだ。

「ふぅ……弥栄、これで大丈夫か?」

「は、はい……もう渇きは収まりました、十兵衛殿……」

 弥栄が自分の口元に垂れた血を指で拭った。その時に十兵衛の唾液も混ざっており、透明な糸がつつぅ、と指と唇の間にかかる。

「輝も大丈夫か?」

 十兵衛は倒れた輝に手を貸す。輝は彼女の助けで立ち上がったが、なぜか前かがみだし、股間部分を手で隠すようにもじもじとしている。

「どうした? もしかしてどこか打ったか? 痛むのなら見てやろう。アザになれば困るからな」

「い、いや、いいです、十兵衛さん! ちょ、ちょっと! さ、触らないで……あっ……」

「むっ……何やら硬いものが……もしや輝……お前……」

「いやー! もうお嫁にいけない!」

 輝はそう叫ぶと元来た道を走り去ってしまった。

「お嫁じゃなくてお婿じゃないのか!?」

 そんな十兵衛のツッコミだけが静かな廊下に響き渡った。


 部屋に辿り着くと弥栄が途端に不安げな顔を浮かべる。十兵衛はその理由をすぐに察知した。

「弥栄、お前の身体のことだな?」

「はい、十兵衛殿……僕の身体はいったいどうなってしまったんですか? あの時僕は十兵衛殿を庇い、瀕死の傷を負ったはずなのに治っています。それに政美殿と戦った時の異常な力、さきほどの死にそうな喉の渇き、どれもがおかしすぎます」

「そうだな……弥栄、そのことについて謝らなければならない」

 そう言って十兵衛は地面に膝をつき、深々と頭を下げた。

「すまない、弥栄。お前を、鬼にしてしまった」

 鬼、そう言われてもピンとこず弥栄は不思議そうな顔を浮かべる。

 それもそのはずだ。鬼というのは伝承で語り継がれてきたお伽草紙にすぎない。

「書物に綴られた鬼の伝説、その大半は私のご先祖様だ。今は数も減ってしまったが私もそんな鬼の末裔なのだ。人の血を吸い生きる、吸血の鬼なのだ」

 十兵衛の瞳がまっすぐに弥栄を捉えた。

 十兵衛はこんな時に冗談をいう人物ではない。弥栄は十兵衛に続きを促した。

「鬼の力というのは知っているか? 人よりも強い力と、驚異的な回復能力のことだ。心当たりはあるだろう?」

「ありますが……どうして僕が鬼に?」

「お前を助けるためだ。瀕死の傷を負ったお前に私の血を飲ませ、眷属にした。お前に死んでほしくなかったのだ。自分のことよりも家族のことを思う優しいお前が死んでしまう、そんな不条理が許せなかったのだ。本当に自分勝手な理由だと思う、すまなかった」

「いえ、十兵衛殿。顔を上げてください。結果として僕はこうして生きています。生きているだけありがたいですよ」

「そうか……そう言ってくれるだけありがたい」

 十兵衛は小さく笑い、話を続ける。

「鬼は人の血を吸い強くなり、生きながらえる。政美との戦いでお前が見せた力、あれこそが鬼の力だ」

「でも先ほどは十兵衛殿の血で僕の渇きが収まりましたが、それはどういう?」

「お前の血がまだ鬼の血に馴染んでいないせいだ。ある種の副作用ともいえる。これからも少しずつ私の血を摂取し、鬼の血を身体に馴染ませる必要がある。でないと暴走してしまう」

「そうだったんですか……ではもう一つ質問です。鬼の力は僕自身驚くほどすさまじいのですが、その力があれば今頃人の世は鬼の世になっていたのではありませんか?」

 その質問に十兵衛は顔をしかめる。

 だが苦々しくだが、彼女は口を開いた。

「それは鬼の血によるせいだ。鬼の血を飲めば鬼の力を得られる。どこかからその話が漏れ、討伐隊が組まれ、ことごとく鬼、いや、私のご先祖様が殺された。残された鬼たちも血を飲むため里に下りたきり帰ってこなかった、なんてことも多かった。今生きている鬼はほんの一握りだ。もう年老いて力を出せぬ者も多い。鬼は淘汰されるべく生まれた生き物なのだ」

「……そう、だったんですか……」

「里に下りて人を襲えば危険がある。しかし戦場ならば人が消えても問題はない。私も家族を養うために戦場に出ていたのだ。だからお前の気持ちがよくわかる」

 十兵衛はポン、と弥栄の頭に手を当て瞳を細めた。

 まるで妹に接するような優しい瞳だ。

「弥栄、必ず信長を倒し、元の世界に帰ろう。家族が待っている」

「そうですね。帰りましょう、僕たちの世界へ」

「そのためにも今日は休息だ」

 十兵衛は押入れから布団を引っ張り出して床に敷いた。

 そしてごろり、と寝転がるとすぅすぅ、と寝息を立て始める。眠りに落ちるまで1秒もかからなかった。

「十兵衛殿、疲れていたのですね……おやすみなさい、十兵衛殿」

 弥栄も布団を引き、横になる。

 故郷の薄っぺらな布団と違い、ふかふかのそれに横になっただけで瞼が重くなり、睡魔が襲ってくる。

 弥栄はそれに逆らうことなく、あっという間に眠りの中へと落ちていく。

 必ず家族のもとへ帰る、そう思いながら。


 そこから約1時間たったころだ。外はネオンで煌めくが、街人たちは眠りにつく時間で賑わいはない。

 それを見計らったかのように虫たちが騒めき始めていた。

「むっ……眠れぬ……少し眠ったが、頭が冴えてしまっているな」

 十兵衛の瞳はパッチリと開かれ、じっと天井を睨んでいる。

 今日彼女の周りでは様々なことが起こった。それ故興奮してしまった彼女の脳は完全な眠りに落ちることを拒んでいる。

「体も少し眠ったせいで軽くなった気がする……弥栄は、まだ眠っているか」

 十兵衛は起き上がり、部屋の中を足音を立てず、ぐるりと回った。

「何か飲みたいな……水はどこかにあるだろうか?」

 数ある棚の中で一際大きく白い棚、そこに水は入っていた。しかもキンキンに冷たい。

「まるで汲みたてのような冷たさだ……くそ、また頭が冴えてしまうじゃないか……少し散歩でもするか」

 と、外に出ようとして一歩踏みとどまる。

「いや、勝手に外に出ていいものだろうか? 輝に聞いてみるか」

 デバイスを取り出して、教わった操作を慣れない手付きでやってみる。

 3分ほど格闘して、ようやく輝に電話することができた。

『もしもし、十兵衛さん? なんですかこんな夜中に』

 通話先の輝の声色は少し怒っているように聞こえ、十兵衛はペコリ、と頭を下げる。相手に見えていないのにだ。

「すまぬ。先ほどは無礼をした……申し訳ない」

『もうあの事なら気にしてませんよ。でもみんなには秘密で。ボクは可愛いメイドさんで通っているので。ってそんなことのために電話してきたんですか? それなら明日の朝でもよかったじゃないですか』

 輝が怒っていたのは夜遅くに起こしてしまったからだ。十兵衛はもう一度頭を下げ、本題に入る。

「眠れぬので散歩をしたいのだが、いいだろうか?」

『散歩ですか? いいですよ、ただ服は着替えてくださいね。この時代に合わせてくれないと変ないざこざに巻き込まれかねませんから。あぁ、あと、南東のほうには行かないように』

「南東だな、わかった。では、また」

 十兵衛は電話を切ると、戸棚に入っていた服に着替える。

 灰色のパーカーにジーンズという出で立ちで十兵衛は屋敷の外に出た。

「外に出たとはいえどこに行くか……そういえばこれは地図も見られると言っていたな。少し小腹が空いたし、何か食べに行くか」

 デバイスの中にはいくらかお金が入っている、そう聞いていたため十兵衛は店を探す。

 しかし外を歩く人間は片手で数えるくらいしかおらず、そんな者のために開けておく店も無い。

「ムムム……やはりどこの店も閉まっているか……この時間帯に空いている店は……」

 と、十兵衛がデバイスとにらめっこしながら歩いている時だった。

 前を見ていなかった彼女はどん、と男にぶつかってしまう。

「す、すまない」

「ちっ……歩きデバイスは危ないって幕府が常に言っているだろ? 気をつけろってんだ」

 その男は怒り混じりに十兵衛を睨んだ。

「おい、そんな奴放っておけ。それに目立つことはするな。わかってるだろ?」

 が、別の男に諭され、そそくさと闇の中へ消えていった。

「なんだったんだ? あんなに慌てて……もしや、夜盗か?」

 たとえ未来の世界でも悪は許しておけない。十兵衛はこっそりと彼らの後を追いかけた。

 彼らの行き先は街の南東部、輝に行くなと言われていた地域だ。

 しかし夜盗をどうにかせねば、と十兵衛の頭にはそれしかなかった。

「あいつら、一体どこへ……?」

 南東部へ進むごとに辺りのネオンが妖艶な紫桃に変わっていく。

 それに伴いむわっとした甘い匂いが瘴気のように立ち込めており、十兵衛の頭はくらりと揺れた。

 その瞬間、自分が今どこにいるのかを理解した。

「ここは遊郭か? 輝が行くなと言っていたのはこのことだったか……」

 周りにいる男たちが十兵衛のことを舐めるように見ている。彼女は視線でそれらを射殺し、怪しい男を追跡する。

 その男たちが入ったのはひと際古い建物だった。看板には「百合の園」と出ている。

 とたん聞こえてくる女の悲鳴。十兵衛は待ってましたと言わんばかりにそこへ飛び込んだ。

 中では真っ白な髪で赤い瞳の若い女が男二人に誘拐されようかという場面だった。

「こ、こいつさっきの!? まさかつけてきたのか!?」

「殺してしまえ! 早くこいつをかっぱらうぞ!」

「女を無理にさらおうとする不届き者……刃の錆びと化せ!」

 十兵衛は刃を抜く。抜き身の刃で男の手首を落として見せた。

「さぁ、次は首を落として見せようか? 死にたくなければ、今すぐ去れ! そして二度と悪事を働こうと思うな! もし悪事を働けば、その時は私が斬る!」

「ひ、ひぃ! お助けを!」

 男たちは情けない声を上げて消えていく。誘拐をしようというのに、肝の小さい男たちだ。

 十兵衛は刃に付いた血を振り落とし、鞘に納める。

「大丈夫だったか? ケガなど、していないか?」

「え、えぇ……お侍様……あたしは何も。それよりも、あたしが気持ち悪くないのですか?」

「気持ち悪い?」

「えぇ……まだ20歳なのにあたしの髪は老婆のように真っ白。瞳も血のように赤い。あたしは生まれながらに死神なのです……」

 女がぎゅっと自分の身体を抱いた。自分を十兵衛の視線から守るように強くだ。

 だが十兵衛は彼女の髪を優しく撫でる。

「いいや、私はそうは思わない。髪はいつか誰でも白くなる。それがお前は少し早かっただけだ。それに瞳の色も、ほら、見てみろ。私も赤いだろう?」

 十兵衛は地面に落ちた男の血を舐める。するととたんに目が真っ赤に燃えた。

 女はそれを見て、安心したように息を吐いた。

「まぁ、なんだ……人には人の魅力がある、それだけだ。それにお前が死の神ならば、私は鬼の神と呼ばれている。同じだよ」

「お侍様……そうだ! お礼をさせてください! お侍様ならタダで」

 女の言葉を遮るように、ぐぅ、と十兵衛の腹が怪物のように深く呻いた。

 それを聞いた女は、ぷっと噴き出して笑った。とても可愛らしい笑顔で。

「あはは! お侍様、お腹が空いておりましたのですね?」

「すまぬ……何か食べるものをくれないか?」

「いいですよ、お饅頭もお団子もありますから。お茶を入れるので少し待っていてくださいね」

「わかった。えっと……私の名は十兵衛だ。名を聞いても?」

「あ、そうでしたね。あたしはちょうと申します。十兵衛様」

 そう言って蝶華はにっこりとほほ笑んだ。十兵衛の胸は、それを見てドキリ、と大きく高鳴った。


「うむ! 団子も饅頭もうまい! いくらでも食べられるぞ!」

 目の前に出された団子と饅頭を十兵衛は次々と口の中へ入れていく。

 蝶華はおいしそうにそれを平らげる十兵衛を見ながらニコニコとほほ笑んでいる。

「うふふ、十兵衛様は色気より食い気なんですね」

「腹が減っては戦はできぬからな。っと、それはそうと聞きたいのだが、なぜ誘拐されそうになったのだ? それにこんな騒動が起こったと言うのに誰も来やしない。どうなっているのだ?」

 蝶華はあぁ、と呟き顔を曇らせる。

「いや、言いたくなければいいのだ。つまらないことを聞いた」

 蝶華は大丈夫だ、と頷きゆっくりと口を開いた。

「そうですね、まずは騒動が起こったのに誰も来ないことですが、この遊郭は幕府の管轄ではないのです。ここにいるものはみな幕府がよしとする方法で稼ぐ手段を持たない者たち、家族と生き別れたり、親が働けない体だったり、様々です。あたしたちのやっていることは本当はいけないことですが幕府は目を瞑ってくれています。しかしここでの騒動も見ないふりなんです」

 十兵衛は何も口に出せなかった。何を言えば正解なのかわからなかったからだ。

「いえ、いいんです。あたしたちはここに流れ着いた時から自分の身は自分で守ると決めています。守り切れなかった時、それがあたしたちの決められた終わりなんです。ですからあたしは今日、さらわれることも知っていて、受け入れようと思っていたのです」

「さらわれることを知っていた?」

「えぇ。あたしを買おうと大金を出してきた男がいたのですが、あたしは女しかお客に取りません。ですから丁重にお断りしたのですが、何度も何度もやってきて、それで口論になりさらってやると宣言されて……」

「大金が出るのだろう? なぜ客として取らなかったのだ?」

「あたしは男の人が怖いのです……幼いころ最愛の父に弄ばれ、村の男たちに身体を売ることを強要されて……あたしは命からがら逃げ、ここに流れ着いた。ですが男を客として取るのはやはり怖い。だからあたしは女しか客を取らないのです」

「それでは儲からないのではないか? そもそもお前は見た目が怖がられているのだろう? 客を取れるのか?」

 蝶華は得意げに黒髪のかつらを被ってみせた。

「これを被れば白髪は隠せます。赤い目も薄暗い明りじゃわかりません。一夜、いえ、一刻を共にするだけの相手なら大抵これで騙せます」

「なるほど……だが女同士だとやはり」

「いえ、それは偏見ですよ、十兵衛様。女同士の色恋はもはや当たり前です。あ、十兵衛様は読みましたか、太宰治の人間失敗」

 蝶華は先ほどの曇り顔から一変、キラキラと目を輝かせながら一冊の本を十兵衛に手渡した。

 表紙には美麗な女二人が見つめ合っている絵が描かれている。

「主人公の女が次々と女と恋に落ち、恋人と自殺しようと決めるのですがいつも生き残ってしまい、共に死ねる運命の女を探す物語なのです! これこそ女同士の色恋の究極の形だと思うのです!」

「そ、そうか……」

「そうだ! 十兵衛様にそれを差し上げます! あたしはもう何十回も読んでいますので気にしないでいいですよ」

「ではありがたく……」

 十兵衛はページをめくり文章を追っていくが、すぐさま睡魔に襲われる。

 10行ほど読んだころには十兵衛の意識は完全に夢の世界に消えていた。

「あら……十兵衛様ったら、眠ってしまいました。起きている時は凛々しいのに、寝顔は可愛らしいですね」

 蝶華は十兵衛を布団に横たわらせ、自分も十兵衛の隣に潜り込んだ。

「十兵衛様、おやすみなさい、よい夢を」

 チュッ、と頬に軽く口づけをし、蝶華も眠る。

 彼女の寝顔はとても安らかなものだった。


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