サイバー江戸合戦記
木根間鉄男
第1話―時空の裂け目―
時は戦国時代。武士が全国統一を目指し、群雄割拠の戦いを繰り広げる中、また一人戦いに身を投じる者がいた。
「本当に戦に行くのかい、
「はい、母上。僕の決意は変わりません。必ず褒美を持ち帰ってきます」
とある農村、そこで生まれ育った弥栄は今、戦いに行こうとしている。
まだ14歳という若さながら。いや、当時でいえばもう大人だ。
しかしながら成熟しきっていない低い身長、まだ細い腕、幼さの残る顔立ち。その全てが戦争を知らないことを物語っている。
「すまない、弥栄……本当なら俺が……げほっ!」
「いいえ、兄様。兄様は体が弱いのですから僕に任せてください。そのために幼い頃から剣術を学んでいましたから。その代わりに兄様は母上を守ってください」
「本当にすまない、妹を戦場に行かせるなど……」
弥栄は女の身でありながら兄の代わりとして戦いに行くのだ。
だがそれは彼女が昔から望んでいたこと。自分を育ててくれた家族を助けたい、それが彼女の望みなのだ。
「兄様、僕は今から男です。もう兄様の妹ではありません」
「そうか……よし、頑張って行け、弥栄」
兄が弥栄のさらりとした髪をとかすように頭を撫でる。
彼女は気持ちよさそうに目を細めた。
「では、行って参ります、母上、兄様!」
こうして意気揚々と、胸に希望を抱き弥栄は旅立った。
のだが……。
「どうしてこうなってるの!?」
旅立って3日目、彼女はすでに戦場にいた。
辺りに南蛮からの新兵器、鉄砲の音と武士たちの叫び声が響き渡り、おびただしい土煙があたりに渦巻いている。
「なんで初戦が信長となの!? わけわかんない!」
あまりの理不尽加減に思わず素が出るほど。
今この戦いは、後に長篠の戦と呼ばれることになる武田軍と織田軍の戦いだ。
彼女は武田軍につき、現在奇襲を仕掛けるために森の中に隠れている。
が、戦いは劣勢だ。遠くで銃弾に倒れる馬の悲鳴が嫌というほど彼女の鼓膜を震わせた。
「弥栄、そんなに騒ぐな。敵にばれるぞ」
「小太郎はどうしてそんなに落ち着いていられるの?」
弥栄の隣にいるのは彼女の同郷の友、小太郎だ。
もう一人の兄のように彼女と仲が良かった彼。彼は弥栄よりも1年早く戦に出ていた。
「どうしてって、こっちには無敵の鬼神殿がいるからな」
「鬼神?」
「あぁ、俺たちの大将、
「うん、来てすぐに戦いだって……」
武田軍に召集され、城に着いてすぐに戦場に出された弥栄にとっては右も左もわからない。
簡単な作戦の説明の後、兵装をまとわされて戦場に放り出されたのだから。
「お前たち、戦いに集中しろ」
と、声がかかり彼女は振り向いた。そこにいたのは180センチはある長身に血のように真っ赤な甲冑を身に纏った武将だ。
仮面で顔が隠されてどのような人物かわからないが、その威圧感から弥栄は本能的にその人物が鬼神十兵衛だと理解した。
「ここはすでに戦場だ。他の部隊は今戦っている。油断するな」
男にしてはよく通る声で十兵衛はそう言う。
「わかりました、鬼神殿」
小太郎が頭を下げるのに倣い、弥栄も頭を下げた。
「私は極力味方がやられるのを見たくない。わかるだろう?」
その言葉に弥栄は頷く。
「よし、お前たちも戦闘準備をしておけ。もうじき奇襲を始めるぞ」
そう言って十兵衛は刀を抜いた。刀身が陽光に照らされ、血を求めてギラリと煌めく。
弥栄も刀を抜くが、安物のそれは十兵衛の獲物よりも輝きが劣る。
「い、今から戦いが……」
刀を持つ弥栄の手が震えている。彼女は深呼吸し、それを抑える。
今から戦いが始まる。兄の代わりに戦いに出ると決めた時からずっと覚悟していた。
けれどいざ戦場の空気に触れると、自分が想像していた以上に恐怖が沸き上がってきていた。
「死にたくない……死にたくない……」
遠くから聞こえる断末魔の悲鳴が耳に張り付いて離れない。
彼女はそれを振り払うように頭を振った。
そんな彼女を見て、十兵衛は一歩前に出て言う。
「落ち着け、心配するな。私が全て片付ける。お前は死なないさ」
「十兵衛殿……」
十兵衛の一言で弥栄の震えは収まっていた。
それほどまでに十兵衛の言葉には信頼と安心があった。
「さぁ、行くぞ! かかれぇ!」
『おぉ!』
十兵衛の声に合わせ、みな自分を鼓舞するように叫んだ。
そして一斉に茂みから飛び出し、手近の敵に斬りかかっていく。
それは弥栄も同じで、戦場になれないへっぴり腰で敵に斬りかかった。
しかし彼女のゆるりとした剣筋は敵の刃に簡単に受け止められてしまう。
互いの剣がしのぎを削りあい、ぎぎっ、と嫌な音が響いた。
「へへっ、そんな剣じゃ倒せないぜ? さてはお前初めてだな? 俺が殺してやるよ!」
「死ぬ……? 嫌だ……死にたくない!」
「剣が震えてるぜ? 怖いか? 死んだらそんなこと関係ないけどな!」
敵の剣がじりじりと弥栄に迫る。もうすぐそこまで死が迫っている。
そんな時十兵衛の、落ち着け、という言葉が脳裏に響いた。
「ぐっ……そうだ、落ち着け……特訓を思い出すんだ……」
特訓で何度も剣を振ってきた。その感覚を手に呼び起こすのだ。
弥栄は自らの精神を集中させ、剣と一体と化す。
「やぁっ!」
彼女は一瞬力を緩め、しのぎから逃れるとすぐさま相手の懐深く潜り込み、刃を腹へと突き刺す。
そして薙ぐように振り抜いた。
とたん吹き出す血。それが弥栄の頬を濡らした。
相手は驚いたように目を見開いたまま地面に崩れ落ち、二度と動かなくなる。
「はぁはぁ……僕が、倒した……人を、殺した……」
弥栄の手に残る柔らかな肉の感触。人を突き刺す感覚だ。
しかし戦場は彼女に感傷の間も与えない。
次々と兵が彼女に向かい攻撃する。
「くっ……こんなの……耐え切れない!」
「伏せろ!」
と、十兵衛の声が聞こえ、彼女はとっさに頭を下げた。
弥栄の頭すれすれに十兵衛の刀が振り抜かれ、彼女に襲い掛かろうとしていた敵の首が全て地に落ちた。
「十兵衛殿!」
「馬鹿者! 前に出すぎだ! 新兵だろう、後方へ下がれ!」
十兵衛の怒声が弥栄の鼓膜を震わせた。
しかし彼女はその言葉に怯まず、反論する。
「いいえ、下がりません! 僕には大事な家族がいるんです! 家族のために武功を上げねばならないので、下がるわけにはいかないのです!」
「ほう、そうか。家族のためとは、なかなか殊勝な心掛けだ。では私と共に行こう。私が敵を蹴散らす、お前は討ち漏らした敵を討て」
「はい!」
こうして弥栄は十兵衛と共に行動する。
十兵衛の剣さばきは見事なものでバッタバッタと敵を薙ぎ倒していく。
しかもただ敵を倒しているのではない。味方の動きを見て、やられそうになっている仲間を助けるように敵を倒しているのだ。
十兵衛に助けられた兵は士気を上げ、さらに敵に立ち向かう。
この部隊は十兵衛中心に回っていた。
一方弥栄はというと十兵衛の討ち漏らしを堅実に倒していく。
近くに十兵衛がいる、それだけで弥栄は恐怖に打ち勝ち、敵を倒すことができていた。
そして10分もしないうちに、目の前にいた敵軍はすべて討ち倒されていた。
「ほら、鬼神殿の力はすごいだろ?」
と、自分のように自慢する小太郎。
十兵衛の戦いぶりは鬼神の名に恥じぬものだった。弥栄はそれを思い出し、心底十兵衛が敵ではなくてよかったと思う。
「そうだね。ほんとすごい……僕もこんな強くなりたいな」
「はは、女のお前には無理だよ」
「それは秘密だから黙ってて」
「おっと、すまんすまん」
と、小太郎がにやにやとした表情を浮かべた瞬間だった。
ずどんっ! と一際大きな銃声が響いたと同時、弥栄の顔に血しぶきが飛び散っていた。
「え……?」
突然のことに弥栄は目をぱちくりさせた。それもそのはず、先ほどまで彼女の前にいた小太郎の頭が吹き飛んだのだから。
頭を無くした小太郎は糸の切れた操り人形のようにガタリ、とその場に崩れ落ちた。
「嘘……小太郎……? 小太郎!」
「伏兵だ! 皆、刀を抜け! 応戦だ!」
十兵衛がそう叫んだと同時、どこに隠れていたのか敵の大群が弥栄たちを囲みこんでいた。
それに敵はみな手に火縄銃を持っている。
火縄銃の凶弾が味方の兵を襲う。刀しか持たない十兵衛軍はとたんに窮地に立たされた。
「新兵! 嘆いている暇はないぞ! 立ち上がれ!」
小太郎に縋り付いていた弥栄は、十兵衛によって無理やり立たされる。
ここは戦場で小太郎の死を悲しむ暇はない、弥栄は刃を握る手に力を込めた。彼のためにできることは、敵を倒し生き残ることしかないのだ。
敵に斬りかかろうとするが銃弾に阻まれ攻撃することができない。
「十兵衛殿! どうすればいいですか!?」
「くそ……私たちはすでに囲まれている……それにこの数と強さ、きっと敵本隊だろう。ということは前線はすでに抜かれているのか」
「十兵衛殿!」
十兵衛は低く唸った後、部隊に向かい叫んだ。
「全員退け! 前線は抜かれている! それを殿に知らせるのだ! しんがりは私が務める! 誰でもいい! 本丸に辿り着け!」
十兵衛の命令で皆撤退していく。しかし背を見せた兵たちはすぐさま銃で撃ち抜かれてしまう。
「新兵! お前も退け! 本丸に援軍を求めてくれ!」
「嫌です! 僕も十兵衛殿と戦います!」
「なに?」
弥栄はギリリ、と奥歯を噛みしめ敵を睨みつけた。
「あいつらは小太郎を殺した。仇を討ちます! それにあいつらが勝つと僕の故郷の家族がどうなるか……信長は征服した国の民を皆殺しにすると聞きました。僕は家族を守るために戦います!」
「家族のために稼がなければならないんじゃないのか?」
「確かに稼がなければなりませんが……家族の命のほうが大事です! 僕は家族が殺されないように戦うのです!」
それを聞くと十兵衛は仮面の奥でふっと笑った。
「その覚悟、面白いぞ! 新兵、名前は?」
「弥栄と申します!」
「弥栄か。わかった。その名、勇姿ともに私は決して忘れはせん! さぁ、ともに戦うぞ、弥栄!」
「はい!」
「まずはあの厄介な火縄銃をどうにかするぞ。遮蔽物に隠れながら近づくのだ。火縄銃は装填に時間がかかる。その隙を突き、近付くのだ!」
「わかりました、十兵衛殿!」
弥栄は十兵衛の言うとおり、岩や木を遮蔽物にしながら敵に近付いていく。
弥栄は照準から逃れるように姿勢を低くして駆ける。
「弥栄、今だ! 飛べ!」
「はい! 小太郎の仇!」
敵まであと数メートル、弥栄は隠れていた岩に上りそこから思い切り飛んだ。
そして彼女は刃を突き立て、敵の喉元を貫く。
「よくやった! さぁ、次の敵を狙え!」
十兵衛は敵を薙ぎ倒しながら弥栄に指示を出す。
その指示を受けながら戦う弥栄だが、二人だけでは形勢を覆せない。
弥栄の腕は疲労で震え、刀を握ることを拒んでいる。
十兵衛も初めのような勢いは無く、敵一人を倒すことがやっとのようだ。
「はぁはぁ……十兵衛殿……退きましょう」
そう言って十兵衛を見た弥栄は気付いた。後方の茂みから火縄銃が十兵衛を狙っていることに。
だが十兵衛はそれに気付いていない。
「十兵衛殿! 危ない!」
弥栄は叫ぶ。そこで初めて十兵衛は自分が狙われていると知るが、逃げるには遅すぎる距離だ。
このままでは十兵衛が殺される、弥栄はとっさに十兵衛を庇うように立ち塞がった。
「弥栄! なにをしている!?」
「十兵衛殿は、生きてください」
その瞬間だった。弥栄の鎧を貫通して銃弾が胸を抉った。
弾は心臓を避けたが、彼女の肉を抉りおびただしいほどの血を噴出させる。
「弥栄! くそ……!」
十兵衛は狙撃した敵に一瞬で近付き、その首を落とした。
そして弥栄に近付き、彼女の身体を抱え上げる。
「じゅうべえ……どの……ぼくをおいて……にげて……」
「私を助けた者を置いて逃げることができるか! それにまだ助かるかもしれない! 気をしっかりと持て!」
十兵衛は草むらに身を隠しながら、じっと息を潜める。
だがこのままでは見つかるのは時間の問題だ。
「弥栄、死ぬなよ。私が何とかしてやるからな」
十兵衛は弥栄を地面にそっと下ろし、傷の具合を確認する。
甲冑を貫通するほどの威力を食らったのだ、傷口からはドクドクとどす黒い血が溢れ出していた。
それに血が足りず弥栄の顔は蒼白に染まっている。
「まずは止血だ。服を破るぞ」
十兵衛はもしもの時のために携帯していたさらしを巻くため、弥栄の上着を破った。
そうしてあらわになったのは少しぷっくりと膨らんだ弥栄の胸だ。
「弥栄、お前、女だったのか。女の身でありながら家族のために戦うとは……お前みたいな奴は死んではだめだ……頑張れ」
十兵衛は慣れた手付きで傷口にさらしを巻く。しかし一瞬で白いさらしは真っ赤に染まり、じっとりと血が滲み溢れてくる。
「くそ……血が止まらない……弥栄……」
十兵衛はぎりりっと奥歯を噛みしめた。
自分を守った弥栄が死んでしまう。それはどうしても避けねばならないことだ。
「仕方ない……私の力を分け与えるしかないか……」
十兵衛はそう呟くと仮面を外した。
仮面の下には鬼神とは程遠い絶世の美女の顔があった。
次いで兜を脱ぐと、さらりとした長い黒髪があらわになる。
なんと十兵衛も女だったのだ。
「掟を破ることになるが、そんなことどうでもいい。私を助けた弥栄を死なせるわけにはいかないのだ」
十兵衛は自分に言い聞かせるようにそう呟き、自分の親指に歯を立てた。
彼女の鋭く尖った犬歯は簡単に自身の肉を噛みちぎる。
漏れ出た血を口に含んでから弥栄の顔に自分の顔を近付け、唇が触れ合い二人の距離はゼロとなった。
「んっ……んくっ……」
十兵衛は舌を器用に使い、弥栄の口を無理やり開かせると自分の血を流し込んだ。
十兵衛の血が弥栄の口の中にゆっくりと注がれていく。弥栄はそれをこくり、こくりと喉を鳴らして飲み込んでいった。
するとどうだろうか、みるみる間に弥栄の顔色が戻っていくではないか。
「弥栄、すまない……お前を生かすためなのだ」
十兵衛は弥栄の傷口を優しく撫でた。傷口からはもう血は流れ出ていない。
「だがまだ安心できないな……この場から生きて帰らねば」
彼女はもう一度弥栄を抱えると茂みの奥へ奥へと進んでいく。
絶対に生きて帰ると強い意志を抱きながら。
「いたぞ! 追い詰めろ!」
「討ち取れ!」
「もう追いついてきたか……味方の軍は何をやっている!」
隠れながら逃げていた十兵衛だが、敵は増える一方で囲まれてしまう。
味方からの増援が来る気配もない。完全に孤立してしまっている。
十兵衛は弥栄を一度地面に置いてから額に浮かぶ汗を拭う。彼女の額にはじっとりと汗が浮かんでいた。
疲労と焦りからくるものだ。
「ここまでだ、観念しろ!」
「数は20……このくらいならば、殺せる!」
十兵衛はもう一度刃を握りなおすと、一番近くの敵に向かって飛びかかった。
ふぁさりと舞う黒髪に混じり、敵の喉元から噴き出した血が宙に飛び散る。
「さぁ、私の糧になってもらうぞ」
と、十兵衛は倒した敵の喉元に噛み付き、飛び出る血をゴクゴクと飲み干していく。
血を飲むごとに彼女の目が深紅に染まる。
彼女の異常な行動を見て回りの兵がたじろいだ。
十兵衛はその隙を見逃さない。
血を吸いつくした敵兵を投げ捨て、背を低くして一気に距離を詰めた後、横一線に刃を薙いだ。
横に並んだ3人の兵士の首が宙に舞う。
それが地面に落ちる頃には別の兵士が5人、十兵衛の凶刃に倒れていた。
「な、なんだこいつ!?」
「人じゃない! 早すぎる!」
「えぇい! 討ち倒せ!」
「遅すぎだ。私には全部見えている」
十兵衛に斬りかかる兵士たち。しかし一瞬後にその胴は真っ二つに斬り伏せられる。
それを見た残る兵士たちは逃げようと背を向けるが、十兵衛にばっさりと斬り伏せられてしまった。
「これで全部か……くっ……」
十兵衛の目から赤が消えた。それと同時に彼女はがくり、と膝を付き荒い息を吐く。
「はぁはぁ……奴ら、諦めてくれればいいが……」
しかし十兵衛の思いとは裏腹に敵兵が次々とやってきている。
彼女は刃を地面に突き立て、それを支えにして立ち上がる。
「また力を出せるまでに、逃げなくては……」
彼女は弥栄を抱え、足を引きずるように歩く。
背後に迫る大軍。もう彼女に勝ち目などない。
「生きるんだ……そうだろ、弥栄……」
生きたい、そう願った十兵衛の前で奇妙なことが起こった。
突如目の前の空間がぱっくりと大口を開いた。それは何かの比喩ではなく、本当に空間が開いたのだ。
「な、なんだ、これは……」
空間の先は真っ暗で何があるかわからない。十兵衛は恐る恐るそこに手を伸ばす。
びりり、と痺れた感覚が走り、彼女は思わず手を引っ込めた。
「なんなんだ、これは……この奥は、どうなっている?」
空間に空いた穴の裏側も真っ暗だ。まるで真っ黒な紙がその場に浮いているよう。
だが十兵衛たちにはその穴をゆっくりと調べる暇はない。
背後ではすぐそばまで敵兵が迫ってきていたのだ。
「じゅうべえ……どの……」
弥栄のうわ言のような呟きが十兵衛の決意を固めた。
「もしこれが仏様が私たちを助けるために作ってくださったのなら……えぇい! 一か八かだ!」
このまま逃げていても助かる可能性はない。ならばこの謎の空間に飛び込むことに彼女は賭けた。
意を決して穴に飛び込む十兵衛。
その瞬間彼女の全身に電が落ちたような衝撃が走り、この闇と同じように意識が黒の中へと消えていった。
「う~ん……なんか頭がぐらぐらする……」
闇の中から先に意識を取り戻したのは弥栄だった。
ガンガンと響く頭を抱えながら彼女はゆっくりと起き上がり、辺りを見渡した。
「あれ? ここどこ? 戦いは?」
彼女は景色を見て頭に疑問符を浮かべる。
なにせここは先ほどまでいた戦場ではなく、草木も生えていない枯れた大地だったからだ。
空は黒い雲に覆われ、今がだいたい何時なのかすらわからない。
吹き抜ける風は乾燥してカラカラだ。季節感もわからない。
「えっと……そうだ、僕は十兵衛殿を守って……」
弥栄は自分の胸をさする。血の付いたさらしが血でじめっと濡れていたが、傷は痛まない。
「あれ? 全然痛くない……おかしいなぁ……って、え!? 誰、この人!?」
と、弥栄は隣で倒れている十兵衛に気が付き、ぎょっとした。
「すごいキレイ……髪長いしまつげも長い……あれ? この甲冑、十兵衛殿の……も、もしかして、十兵衛殿って女?」
心配になり十兵衛の顔を覗き込む弥栄。その時弥栄の瞳が、ぱちりと開いた十兵衛の瞳と交わった。
「ん……ここは……おぉ、弥栄、気が付いたか」
「じゅ、十兵衛殿!? ほ、本当に十兵衛殿なんですか!?」
「大きい声を出すな……頭に響く」
十兵衛は痛む頭を押さえて気が付く。
「あぁ、そうか。弥栄は私の兜の下を知らなかったのか。そう、私が十兵衛だ」
「十兵衛殿! 無事だったんですね!」
「そういう弥栄こそ、無事だったか。傷は痛むか? 気分がよくないとか、そういうこともないか?」
「いえ、むしろなんだか体が前より軽くなっている気がします」
弥栄は元気だとアピールするように剣を振って見せた。
ブンっ、と力強い音が乾いた大地に響く。
「そうだ、弥栄。ここはどこかわかるか? 生憎、私には見覚えがない場所でな」
「申し訳ないですが僕にもわかりません……」
「そうか……」
十兵衛は顎に手を当て何か考える素振りを見せる。
「十兵衛殿? 何か考え事ですか?」
「いや、私たちはよくわからない穴に入り、ここに来た。あの穴はなんだったのだろうかとな」
「は、はぁ……穴、ですか……」
「すまない。これ以上は混乱するな。そうだな……とにかく、歩いてみるか。いつかは村か何かに辿り着くかもしれない」
弥栄は、この辺りに村などあるのだろうか、と思ったがぐっとそれを飲み込んだ。
今は行動して何か手掛かりを見つけたほうがいい、そう思い一歩踏み出したその時だった。
ぶぐんっ! と何かが唸るような低い音が二人の鼓膜を震わせた。
「い、今の音はなんでしょうか?」
「獣のようには聞こえなかった。だが警戒はしておけ。なにが起こるかわからんからな」
ぶごごんっ! ぶごごんっ! と音が二人のほうへ近づいてくる。
それにつれその音の正体がはっきりとしてくる。
土煙を巻き上げやってくるそれは二つの車輪を持つ鋼鉄の塊だ。
「あれは……なんでしょうか?」
「馬? いや、車輪がついているな……それにあの体……剣と同じで鋼でできているのか?」
「十兵衛殿! 人が乗っています! 鋼鉄の馬? みたいなのに人が!」
鋼鉄に乗っている男は全身をぴっちり覆う黒い皮のような素材でできた服を着ている。二人が見たこともない衣装だ。
「ちっ! 敵か! どこまでもしつこい連中だ、江戸の奴らめ! それに甲冑にただの刀だと? ふざけたマネしてやがる!」
「あの人なに言ってるのかわかりますか?」
「わからん。が、私たちを敵だと思っているようだ。止まってはくれそうにない」
十兵衛は刃に手をかける。臨戦態勢だ。
「待ってください、十兵衛殿。僕に任せてください」
「弥栄?」
「なんだかさっきから体が暴れたがってうずうずしてるんです」
十兵衛の前に出た弥栄の瞳が深紅に染まり始めた。
刀を抜き、口元に不敵な三日月を浮かべる。
「今ならなんだって出来そう! あの変な奴だってぶっ殺せる!」
そう言うと弥栄は鋼鉄の馬へ向かい駆けだした。
「なんだあいつ!?
バイクと呼ばれた乗り物が弥栄に迫る。このままでは弥栄と正面衝突だ。
だがぶつかる一瞬前、彼女はさっと身を反らしバイクを避ける。
それだけではなかった。迫り来るバイクに刃の腹を押し当て、それが通過する勢いを利用して真っ二つにぶった斬ったのだ。
「鋼鉄のバイクを、斬ったぁ!?」
信じられない、というような男の叫び。しかしその声は爆破するバイクに彼の魂ごとかき消されてしまった。
「弥栄、お前……」
「すごいよ、十兵衛殿! 僕の身体が僕じゃないみたい! すごく軽いし、敵もゆっくりに見えるし! なにより僕ってこんな力強かったっけ!?」
誇らしげにそう言う弥栄。しかし十兵衛はそんな彼女のことを心配そうな眼差しで見ていた。
「弥栄、力に溺れるなよ。身を滅ぼすぞ」
「何か言いましたか、十兵衛殿?」
十兵衛は先ほどの言葉をもう一度述べようとした。だがそれはバイクの駆動音によりかき消される。
「新手だね」
弥栄は嬉々として音がした方を向いた。
「へぇ。あんた、ただの刀でバイクを斬るとはやるじゃねぇか。あたいの血が騒ぎやがる」
そこにいたのは漆黒のバイクに乗り、右目を眼帯で覆う若い女だった。
隻眼の女は先ほどの男と同様黒い皮の上着を纏っており、バイクが揺れるたびに女性らしい大きな膨らみがぶるぶるとシンクロして揺れている。
女は勝気な瞳で弥栄を睨みつけた。
「あんた、あたいと一騎打ちしなよ」
「へぇ、面白そう。けど、今の僕は強いよ?」
「ほざけ。あたいだって国一つ背負ってる身だ。簡単に負けるわけねぇやい」
「ってことは将軍?」
「はっ! あんなちんけな肩書と一緒にすんな。あたいはな、族長だよ。奥州連合会7代目族長、
そう叫び政美はエンジンを吹かし、弥栄に突進した。
「僕は弥栄。何の肩書もない、ただの弥栄だ!」
弥栄も叫び、突進する。
「やめろ、弥栄! 無茶するな!」
「大丈夫です、十兵衛殿! 任せてくださいって言ってるでしょう?」
弥栄はにっと笑う。あらわになった異様に尖った犬歯がギラリ、と輝いた。
「ぶった斬る!」
「そう簡単に斬らせるかよ!」
弥栄は先ほどと同じで寸前で躱し、バイクに一太刀浴びせようとした。
が、バイクは急ターンし、弥栄の攻撃を躱す。
それどころか後輪で土煙を舞い上げ、弥栄の視界を奪ったのだ。
「ははっ! これでとどめだよ!」
政美が刃を抜く。鞘から抜かれた刃が瞬間青白いスパークを帯び始めた。
「あれはただの刃ではない? 卑怯者め!」
そう叫ぶ十兵衛だが政美の耳には届いていない。
政美がこの一撃で弥栄を仕留めることに全神経を集中していたからだ。
「逝っちまいなぁ!」
「目が見えなくても、耳で聞けばいい! そんな五月蠅い馬に乗ってるなら、なおさら耳が役に立つ!」
振り下ろされた政美の一撃を弥栄は受け止める。
バチバチ、と青白い火花が二人の間で散り始める。
「あたいの剣を受け止めただって!? ちくしょぅ! なら、これでどうだ!」
政美がバイクのエンジンをさらに吹かせる。バイクの勢いをつけて弥栄の剣を押し返す作戦だ。
必死にこらえる弥栄だが、その足はずずずっ、と地面の中へ沈んでいる。
このままでは押し切られてしまう。弥栄は考えを巡らせ、どうすれば勝てるかを考える。
(剣をいったん緩める? ううん、そんなことしたら一瞬で押し切られる。押し返せる力もない……それならこの馬をどうにかすれば)
「十兵衛殿! 刀を投げてください!」
「なんだと?」
「いいから早く投げてください!」
「わかった。なにをするかはわからんが、お前を信じる! 必ず勝てよ!」
十兵衛は弥栄に向かって刀を投げる。
宙に舞った刀を受け取ると、それを回転する前輪に思い切り突き刺した。
「正気か!? 腕がもげるぞ!」
「そんな覚悟がないと勝てない!」
だが彼女が突き刺したのは前輪のゴムの部分だ。バイクの構造を知らない彼女だが、本能が勝つために無意識にそこを突き刺したのだ。
刃はへし折れてしまったが、ゴムは裂けた。
空気が抜けていき、地面との摩擦を失った前輪がぐったりと地面についた。
これで勢いを利用した攻撃もできなくなる。
「そ、そんな……あたいのバイクが……」
「僕の勝ちだ! 覚悟!」
弥栄の刃が政美に届く、その瞬間だった。
刀を握っていた弥栄の手が震え、たまらず得物を落としてしまう。
「あんた! なにバカなことしてんだよ! あたいに情けをかけるつもりかい!?」
「ち、違う! 手に、力が……」
と、その時だった。
「姉御! 江戸の奴らが追って来てます! 早く撤退を!」
バイクが大勢やってきて二人の戦いを無理やり終わらせる。
「ちっ……これじゃあたいの顔が立たないじゃあないか……弥栄、この雪辱、次に会う時に必ず晴らす! その時まで死ぬんじゃねぇぞ! あたい以外の奴にぶっ殺されたら、その時は地獄まで会いに行くかんな!」
そう言い残して政美はバイクの群れを引き連れて逃げていった。
弥栄はというとがくり、と地面に膝をつく。プルプルと震える手を黒に戻った瞳でぼぉっと眺めていた。
彼女の全身には立っているのがやっとな程の疲労が襲い掛かっていたのだ。
「あ、あれ……? 僕、力が……さっきまで元気だったのに」
「弥栄、力の使いすぎだ」
「力って……?」
「それはな」
と、またも十兵衛の言葉を遮るようにエンジン音が鳴り響く。
だが今度はバイクのモノではない。4輪で走る鋼鉄の塊たちだった。
それらは隊列を組んでバイクを追いかけていく中、一台が弥栄たちの前に止まった。
不思議そうにそれを見ていた弥栄たちの前に、塊から人が出てくる。
「君たちが時空転移者だね。とりあえずまぁ、乗ってよ」
その人物は少年とも少女ともとれる中性的な顔立ちで、茶色の髪を馬のしっぽのように結っている。
それに白と黒のやけにフリフリとしたこれまたよくわからない衣装を着ていた。
「こ、これに乗るのか?」
「そうすれば君たちが欲しがってる情報をあげるよ。ここがどこか、とか、君たちがどうやってここに来たのか、とかね。あぁ、大丈夫。ボクは君たちの味方だから」
急にわけのわからないモノに乗ってきたわけのわからない人物に大丈夫と言われても信用できるわけがない。
二人は訝しげに顔を歪めるが、それに乗ることにした。
自分たちが今どういう状況にあるのか教えてくれる、それを知る機会を逃すわけにはいかなかったからだ。
「あぁ、そうだ。自己紹介がまだだったね。ボクは
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