第18話 合宿開始 後編
第十八章 合宿開始 後編
合宿初日 午後二時十五分
午後からは練習に来た少年野球チームを相手に、試合形式で実戦経験を積ませる。
当然、陽菜に投げさせると勝負にも練習にもならないので、投手は喜美がメイン。しかし変化球はイニングごとに一種類までの制限を課し、コントロールと投球術の重要さを教え込ませていた。
「奈月!指示だしの判断が遅いわよ!グラウンド上では全体を見渡せるあなたが全員の目にならないといけないんだからね!」
「は、はい!すみません!」
バント処理に対する、穂澄への送球指示が遅れた奈月に叱責の声が飛ぶ。
「千葉さんもすみませんでした!」
「ドンマイだ、南殿。先生に言われた事だけ忘れずに切り替えていこう」
結果として間に合わない二塁へ送球してしまった穂澄であったが、朗らかに笑うと自分の守備位置へ戻って行く。
その後も内野陣の守備には連携ミスが目立ち、その度に沙希からの厳しい声が響き渡る。
「やっぱり経験不足は否めないわねぇ」
「こればっかりは数をこなして、頭と体が自然に動くなるようになるまで染み込ませるしかないからね。練習試合以外でもこういう実戦練習が出来るのはホントありがたいわ」
そう言うと沙希は、反対側の三塁側から少年チームにサインを出している権藤に視線を送りながら感謝する。
「そういえば初練習試合の相手はもう決まったんだっけ?」
「ええ、相手側からの了承は取れてるわよ。同じ一年生同士でならって条件はつけられたけどね」
「むしろこっちからしたらラッキーな条件でしょ。それでもあそこ相手だと、一年だけでも間違いなく格上だろうけどさ」
「私としてはフルメンバー相手にフルボッコされて、現状の自分達のレベルをしっかり認識してもらっても良かったんだけどね」
「フルボッコは前提かい……」
相変わらずのスパルタ主義に久美は呆れ声を出すと、自分達の初練習試合がそうだったなと思い出していた。
「で、勝算はどうなのよ監督?」
「試合までの数日でどこまで形にできるかによるけど、酷い結果にはならないと思うわよ。なんたってこっちには陽菜がいるし」
「確かに陽菜ちゃんがいてくれたのは大きいわよねぇ。けど、あんたも気づいてるんでしょ?あの子が抱えてるかもしれない爆弾にさ」
「まぁ……ね。けど、こればっかりは試合になってみないと分からないし、だからこそ、あそこを初陣の相手に選んだんだもの」
「とりあえず私としては不発弾である事を祈るわ……」
それは沙希も同じ思いであった。けれど監督としては最悪の事態も想定しておかなければならない。
ライトで投げたそうに左腕をぐるぐる回している陽菜を見つめながら、沙希の心は期待と不安がせめぎ合っていた。
午後六時十分分
日没後、河川敷での練習を終えた女子野球部は学校へ移動。一度動きやすい私服に着替えてから、家庭科室で夕食のカレーを作り始める。
「凄いです!陽菜ちゃん、包丁の使い方がとっても上手です!」
「意外よねぇ。奈月と同じで野球以外はからっきしだと思ってたわ」
じゃがいもの皮を慣れた手つきで剥いていく陽菜に、奈月と喜美が感嘆の声をあげる。
「中学を卒業して実家に戻ってからは、お母さんに料理を教わって私がご飯を作ってたから……」
「ほうほう。ちなみに得意料理は?」
「肉じゃが……かしら」
「ふみぃ……。陽菜ちゃんが作った肉じゃが、食べてみたいです……」
「それなら今度うちに食べに来る?お母さんに奈月の事を紹介したいし」
「いいんですか⁉」
お腹を鳴らしながら目を輝かせる奈月。それは普通ならなんてことのないごく普通の会話であったが、
「……お母さんに紹介というのが何故か重く聞こえたのは自分だけでありますか?」
「ワターシ、知ってマース。ナツーキがヒーナのマミーの前で娘さんを下さいって言わされるやつネー」
豚肉に焼き目をつけながら、海帆とビビは同じ想像をしていた。
「意外といえばあずやんもニャ。料理が得意とか絶対に嘘だと思ってたニャ」
「アタシんとこは両親が共働きで、弟達の飯をしょっちゅう作ってるからな」
陽菜に負けず劣らずの包丁捌きで、具材の野菜を的確な大きさに次々と切り分けていく梓。それを雅とののあは米を研ぎながら眺め、
「やはり姉御じゃないですの」
「やっぱり姉御だったニャ」
「ブッ!」
「ひ、陽菜ちゃん!だ、大丈夫ですか⁉」
「き、禁止!陽菜が包丁使ってる時は危険だから姉御発言は禁止だからね!」
「むしろ一生禁止にしてくれ……」
げんなりしながら梓が呟くと、教室のドアが開いて沙希と穂澄が入ってきた。
「おっ、ちゃんと作ってるわね」
「先生、千葉さん。お洗濯ありがとうございます」
「礼には及ばぬ。それに恥ずかしながら、私は料理というものがどうも不得手でな……」
「それもなんか意外ねぇ。いい機会だし、陽菜と梓に教えてもらったら?」
「おう、いいぜ。見ててやるからこいつを切ってみな」
そう言って、梓は包丁と人参をまな板の上に並べて場所を空ける。
「ふむ……では僭越ながら」
穂澄は右手で包丁の柄を無造作に掴むと、やはり無造作にそのまま高く振り上げ、
「ハァッ!」
まな板の上の人参目掛けて勢いよく振り下ろした。
スパーン!という心地よい快音を残して人参が真ん中から真っ二つになり、包丁がまな板に突き刺さる。切れ目だけ見ればとてもよく切れていた。
「如何であろうか?」
「うん、とりあえずお前は二度と包丁に触るな」
真顔で言い切った梓に、その場にいた全員が同時に頷く。
「うむ……やはり料理は難しいな……」
(そういうレベルではないと思いますわ……)
(そういうレベルじゃないと思うニャ……)
しょんぼりとする穂澄を眺めながら、炊飯器のスイッチを入れる雅とののあ。
何はともあれ、カレー作りは順調であった。
「この試合のターニングポイントはここね。で、その時の守備位置なんだけど……」
出来上がったカレーを持って今度は視聴覚室へ。そこで過去の女子プロ野球の試合の映像を見ながら、食事を取る。
そのところどころで沙希が映像を止め、何故そういうプレーをしているのかを説明し、実際に試合で自分達が動くときに必要となる知識を深めてさせていく。
「ニャ……ふ……ニャ……」
そんな中、さっさとカレーを食べ終えて居眠りをしてる者が一人。ののあだ。
「の、ののあちゃん…!寝ちゃダメでありますよ……!」
隣に座る海帆が沙希に気づかれないうちに小声で起こそうとするが、苦手な座学、食後の満腹感、さらに疲労という眠気の数え役満には逆らえず、ののあが起きる気配はない。
「じゃあ次のプレーを見るわよ。でもその前に……」
沙希は両足で床を蹴ってキャスター付きの椅子を座ったまま滑らすと、おもむろにホワイトボードのペンを手に取り、
「ふにゃあっ⁉」
ののあに向けて、チョーク投げならぬペン投げをしてみせた。
垂直に寝かせられたまま綺麗に飛んで行ったペンは見事にののあのおでこに命中し、そのまま仰け反ると椅子から転がり落ちる。
「の、ののあちゃん!大丈夫でありますか⁉」
「いたた……酷い目にあったニャ……」
おでこを押さえながらふらふらと立ち上がると、目の前には腕組みをした沙希が仁王立ちしていた。
「私の授業で居眠りとは良い度胸ね。水入りのバケツを両手に持って立ちながら授業を受けるのと、正座して足の上に水入りのバケツ乗せて授業を受けるのどっちがいい?」
「な、なんニャ⁉その昭和のお仕置きみたいな二択は⁉」
「じゃあ、もう一つ選択肢を増やしてあげる。死刑」
「一気に罰則が重くなったニャ!⁉」
沙希が受け持つ二年生の生徒からは、国語の授業だけは絶対に寝るなという暗黙の合言葉が有るのをののあが知るのはもう少し先の話。
とりあえず両手バケツで許してもらった。ついでに海帆も連帯責任で一緒に立たされた。
午後八時十三分
運動部が帰った体育館を使い、ティーバッティング。
二人一組となり、一人がバットを構えるもう一人の斜め前からボールを軽くトスして、目の前の防球ネットに向かって打つ練習である。
打撃練習の一つであるが、ピッチングマシーンを相手に打つそれよりも簡単にバットに当てられるので、より真芯で打つ感覚を。そしてバットのどこにどう当てればボールがどう飛ぶのかをより確認しやすいという利点があった。
さらに百合香指導組以外には、これにもう一つの練習要素が加えられている。
「次、赤!」
「ふみっ!」
信号と同じ三色にそれぞれ塗り分けられたボールから一色をランダムで選び、声と同時に梓が三つのボールを同時にトスする。
それを奈月は、浮かんだボールの中から言われた色の物を瞬時に判別し、振り抜いたバットに当てる。
こうして瞬間的な判断力と反射神経を同時に鍛えるための効果も兼ねた、一段階上の練習であった。
「お~、また正解かよ。初めてやる練習のくせによくそんだけ正確に打てるな」
「はい!松本さんのトスが上手だから、とってもボールが見やすくて打ちやすいです!」
「へへっ、そう言われるとこっちもトスのしがいがあるってもんだな」
バケツに入れていたボールがなくなったので、防球ネットに転がっている物を二人で拾って補充していく。
「ところで奈月。一つ気になってたんだけどよ」
「はい、なんですか?」
「あ~……その、なんだ……」
梓は珍しく何かを言うのを一瞬躊躇すると、隣で同じく上級者用のティーバッティングをしている穂澄と雅を指さし、
「あの二人は誰だ?」
「ふみ?千葉さんと風見さん……ですよね?」
「ああ。じゃああの二人は?」
頷き、今度はタオルを使ったシャドーピッチングの別メニューをこなしている投手二人を指さす。
「陽菜ちゃんと喜美ちゃんです」
その後もチームメイトを次々と指さし、奈月に名前を呼ばせる梓。そして最後に自分を指さすと、
「じゃあ、アタシは?」
「松本さんです」
「なんでだよっ!」
「ふみぃ⁉」
己を指さしていた人差し指をそのままビシィッ!と突きつけられ、驚いた奈月は全身を震わす。
しかしどうして怒られたのか全く理解出来ず、頭の上に大量の疑問符をまき散らしながら奈月は恐る恐る尋ねた。
「あ、あの……私、何か間違えましたか……?」
「いや、アタシの名前は合ってる。それはいい。それはいいんだ」
目を閉じながら腕組をし、うんうんと頷く梓。
「でもな、呼び方がおかしいと思わねぇか?穂澄と雅は他の奴らを全員苗字で呼ぶから、奈月があいつらを苗字で呼ぶのも気にならねぇ。
けど、アタシは奈月って下の名前で呼んでるんだぜ?」
「あっ、なるほど」
そこでやっと合点がいったらしく、奈月がポンと手を叩く。
「じゃあ、これからは梓さんって呼びますね」
「だからなんでだよっ!」
「ふみぃ⁉」
「他の奴らがちゃん付けなんだから、アタシもそれと同じでいいだろ!?その、なんだ……梓ちゃん……でさ」
恥ずかしそうにそっぽを向き、真っ赤になった鼻先を指でポリポリとかく梓。
自分をそう呼ぶのは今のところ海帆しかいなかったが、あまり呼ばれ慣れていない新鮮さもあって、密かに梓は気に入っていた。
――と、そこで。
「あらあら~」
背後から聞こえたのは、いつか聞いた気がする天使のような悪魔の新しい玩具を見つけたと言わんばかりの楽し気な声。
慌てて梓が背後を振り返ると、そこには自分達と同じように打ち尽くしたボールをバケツに補充しながら、ニヤニヤと笑みを浮かべる雅の姿があった。
「それは気づかずに申し訳ありませんでしたわ。では、わたくしもこれからはそう呼ぶと致しましょう。ねぇ?あ・ず・さ・ちゃ・ん?」
「うむ。私も梓ちゃん殿と呼ぶようにしよう」
「う、うるせぇ!お前だけは絶対にそう呼ぶな!ってか呼んだら殺す!あと穂澄も天然で言ってて悪気がないのは分かるが、おちょくられてるみたいだから止めろ!」
顔まで真っ赤にしながら一通り捲し立て、ぜぇ……ぜぇ……と荒い息をついていると、そんな恥ずかしさで火照った体を一瞬で凍らすような絶対零度の視線に気づく。
今度はそちらへ恐る恐るゆっくりと顔を向けると、自分と奈月のやりとりに気づいた陽菜が、目だけは笑っていない笑顔でこちらを見ていた。その目はどこからどう見ても、「私の見てないところで奈月に手を出そうなんて良い度胸ね」と物語っていた。
「なんでたかが呼び方を変えてもらおうとしただけでこうなっちまうんだ……」
右手で顔を覆い、天を仰ぐ梓。
陽菜の誤解を解くのには丸一日かかった。
午後九時
「あぁ~……これは生き返るわぁ~……」
「一日の疲れが癒されるでありますぅ……」
学校の施設である大浴場で湯に浸かりながら、この世の極楽にいるかのような緩みきった声を出す喜美と海帆。
それは他の皆も同じで、女子野球部全員で入って足を伸ばしてもまだまだ余裕がある、文字通りの大浴場の中で顔と体と心をふやけさせていた。
「こんな大きなお風呂が学校にあったなんてびっくりネー」
「だよねぇ~……。入学前に貰った学校案内のパンフレットには書いてなかった気がするわぁ~……」
「それはそうですわ。この合宿を行うと決まってから造らせたのですもの」
「ふ~ん……そうなんだぁ~……」
ふと雅の言葉に引っ掛かりを感じ、喜美が「ん……?」と閉じていた両目の右側だけを開く。
「今……造らせたって言わなかった?」
「ええ。ですからわたくしが個人的にこの学校へ寄付をして造らせましたの。金額に少々色をつけて差し上げましたら、理事長は快く承諾してくださいましたわよ」
「き、寄付って……ちなみにいくらぐらい?」
「私のポケットマネーで賄える程度ですので、大した金額ではありませんわ」
「ハン。気軽にこんな風呂を作れるほどお小遣いをもらってるなんて、お嬢様はいいねぇ」
「何を勘違いなさっているのか知りませんが、わたくしは両親からお小遣いなどという物は一度しか貰ったことがありませんでしてよ。
幼少の頃に百万ほど渡され、後はこれを自分で増やしてみろと言われたきりですのもの」
「いやいやいや。百万円も子供にポンと渡す時点で普通じゃないと思うんだけど……」
「それでそのお金はどうなったんデース?」
「デイトレードの資金にしましたわ。始めは要領を掴むまで四苦八苦いたしましたが、無事軌道に乗り今に至るといったところですわね」
「でいとれーど……ってなんですか?」
「株の売買の事よ」
「なるほど。風見さんはお野菜のカブを育てて売ってるんですね」
『違う、そうじゃない』
一斉にツッコミが入ると、奈月は「ふ、ふみぃ……?」と困った顔で教えてくれた陽菜を見た。彼女はそのままの君でいてとばかりに、ほっこりとした笑顔で奈月の頭を巻いたタオルごしに撫でる。
「まぁ、なんにせよ大きなお風呂があるのはいい事だニャ」
仰向けになりながら湯に浮かび、流れのままに身を任せていたののあだったが、不意に頭の先が何か柔らかい物にぶつかったのに気づいた。
「……ニャ?」
その正体を確かめるべく体を反転させると、目の前に現れたのは湯の上にプカプカと浮かぶ二つのメロン。否、超大玉のスイカ。
「な、なんニャこれは……⁉これが噂に聞く伝説の海賊王が遺したひとつなぎの大秘宝ニャのか……⁉」
試しに猫パンチでそれに触れてみると、この世の物とは思えないほど心地良い柔らかな弾力が手に返ってくる。癖になる感触にののあは夢中になり、それを何度も繰り返す。
「の、ののあちゃん!私のおっぱいで遊んじゃダメですってば~!」
「ふおぉぉぉ……(ぷるるん)これは世の男が大きいおっぱいに夢中になる理由が(ぷるん)よく分かるニャ……(ぷるんぷるん)」
「ひ、陽菜ちゃん~、助けて下さい~」
「止めなさい、ののあ。奈月が嫌がってるでしょ。それに……」
助けを求められた陽菜はののあの顔を手で押して奈月から引き離すと、集中線が見えそうなほどの迫力で目をクワッ!と見開き、
「これは私のおっぱいよ!」
「違うからね⁉ってか、あんた何言ってんの⁉」
真顔で言い切った陽菜に、喜美がたまらずツッコミを入れる。
「なら代わりにピヨっちのおっぱいで我慢するニャ」
そう言って、ののあは顔を掴まれたまま、指の隙間から陽菜の胸を見る。そしてすぐに、
「……ごめんなさいニャ」
「なんで 謝ったの かしら ?」
心の底から申し訳なさそうに謝ったののあの顔を掴んでいた手に力を込める陽菜。
「ぉぉぉぉ……ギ、ギブ……ギブアップにゃピヨっち……。ののあの頭蓋骨から聞こえてはいけない音がしてるニャ……」
「あ、あれはまさか……⁉」
「知っているのか、東郷殿」
「陽菜ちゃんがスライダーをあれほどまでキレのいい変化球にするため鍛え上げた握力と指の屈筋……その二つが合わさった伝説の奥義、アイアンクローであります……!」
「ワオ!陽菜の左手が光って唸って輝き叫んでるネー!」
「はぁ……。おっぱいおっぱいって小学生の男子ですの、あなた達は」
と、そこで呆れに満ちたため息をついた雅がおもむろに立ち上がった。
「女性の胸は大きければ良いという物ではありませんわ。このわたくしのように均整の取れたプロポーションこそ至高であると美術史が証明していましてよ」
「胸の大きさに自信がない奴ってのは、バランスがどうとかすぐ論点をずらそうとするよな」
「……なんですって?」
「おっ?やるか?」
不敵な笑みを浮かべて梓も立ち上がると、チームで三番目に大きな胸を雅の胸に押し当て睨み合う。
「はぁ……。せっかくゆっくり出来る貴重な時間だってのに元気ねぇ、あんた達は……」
収拾をつけるのすら面倒で馬鹿らしい状況に今度は喜美がため息をつくと、唯一まだ平和地帯を保つ穂澄の横へと移動した。
「それにしてもこんだけ広いなら、先生も一緒に入ればよかったのにね」
「色々と片づけなければならぬ仕事があると言っていたしな。仕方あるまい」
「それもそっか。よく考えれば先生って、教師の仕事もこなしながらあたし達に野球を教えてくれてるんだよねぇ……」
何気ない喜美の一言に、騒ぎがピタッと止まる。
「……確かにののあ達は疲れたら授業中に寝れるけど、先生はそうはいかないニャ……」
「そういえば練習が始まる前はいつも欠伸ばかりしてるであります……」
「それだけじゃないです……。この合宿中にかかる私達のご飯代とかの費用も全部負担してくれてますし……」
「他にもきっと、ワターシ達が知らないところで苦労してると思いマース……」
「だったら私達が先生に出来る恩返しは、少しでも野球を上手くなる事でしょ」
一転して重くなってしまった場の空気の中で、陽菜だけは淡々と語る。それに対し、全員が同時に頷いた。
「……だな!まずは最終日の練習試合に勝って、先生を喜ばせてやろうぜ!」
「対戦相手がどこかもまだ分かりませんのに楽天的な発想ですこと」
「てめぇはまたそうやって水を注しやがって……」
「ですが、やる以上はわたくしも負けるつもりはさらさらありませんわ。非公式戦とはいえ、わたくしのデビュー戦が黒星など許されませんもの」
「へっ、素直に勝ちたいって言えよな」
梓が口端を緩めると、雅もまた同じように口端を緩めてみせた。
「うむ。流石は笹川殿。一瞬にして皆の心を一つにまとめてしまうとは見事だ」
「や、やめて!単なる偶然だったのに、勘違いで勝手に株を上げるのはホントやめて!」
「はっはっはっ。謙遜なさるな」
「だ~か~ら~!」
「ふみ?喜美ちゃんもカブを育てていたんですか?」
『違う、そうじゃない』
またもやハモッた総ツッコミの中、陽菜だけはほっこりした顔で奈月の頭を撫で続けていた。
午後十時
就寝時間となり、奈月と喜美の教室である一年C組の机を全て廊下に出して、代わりに全員分の布団を敷き詰めていく。
結果としてかなりぎゅうぎゅうの密度となったが、布団の上に寝転がった奈月は楽しそうであった。
「えへへ♪皆で一緒に寝るなんて修学旅行みたいです♪」
「なんで狭い思いまでして一緒に寝ますの……。教室はいくらでもあるのですから、一人一教室使えばよろしいのではなくて?」
「これだからお嬢様は。こうやって皆で同じ部屋で寝るから、絆が深まるってもんだろうが」
「そうであります。自分も奈月ちゃんと同じで、修学旅行みたいでいいと思っていたであります」
「まぁ疲れすぎて枕投げとかやる元気は残ってないけどね……」
「全くニャ……。明日も早いし、さっさと寝るニャ……」
大きな欠伸をする喜美とののあ。それは他の者達も同じだったようで、二人の欠伸が次々と伝染していく。
「じゃあ電気を消しますね」
「あっ、ちょっと待ってくだサーイ」
立ち上がった奈月にビビが待ったをかけると、突然着ていた服を脱ぎだした。そのまま下着も脱いでいき、全裸になる。
「ちょ、ちょっとビビ⁉なんで裸になってんのよ⁉」
「ワターシ、すっぽんぽんじゃないと寝れないのネー」
「ははっ、なんだよそれ」
全裸になったビビが服を畳みながら喜美の問いに答えるのを見て、梓はおかしそうに笑った。
「けど面白いな。アタシらも真似してみるか?」
「はぁ……何を馬鹿な事を言ってますの。わたくしは絶対に致しませんからね」
「はは~ん?そりゃそうだよなぁ~。お嬢様は貧しい胸を人に見せたくないもんなぁ~?」
「だ、誰の胸が貧しいですって⁉ちょっとわたくしよりも大きいからって調子に乗らないでくださりませんこと⁉」
売り言葉に買い言葉で同時に服を脱ぎ始める梓と雅。するとののあも、
「なんでもいいからさっさと寝かせてほしいニャ……。みほりんもぐずぐずしてないで脱ぐニャ……」
「ちょ、ちょっとののあちゃん⁉マジでありますか⁉」
眠そうに頭をうつらうつらとさせながら服を脱ぎ捨てると、隣の親友の服も脱がせていく。
「ふ、ふみぃ……。これは私も服を脱いだほうがいいんでしょうか……?」
すでに半数が全裸になるという想定外の事態に、どうしたものかとオロオロしていたのは奈月であった。
そんな奈月の手を、陽菜がそっと握ってくる。
「梓が言っていた通り、皆との絆を深めるなら私達も裸になるべきだと思うわ。ええ、これは決して私利私欲で言ってるのではなくて、あくまで仕方なくよ。自分で脱ぐのが恥ずかしいなら私が脱がせてあげる。大丈夫よ痛くしないから安心して」
「ひ、陽菜ちゃん……?なんだか目が怖いですよ……?」
鼻息を荒くしながら早口で捲し立てる陽菜に、ついに奈月も一糸纏わぬ姿にされていく。
「え……?なにこの状況……?」
完成していく全裸祭りに喜美が啞然としていると、すでに全裸になった者達からの視線を一斉に浴び、ビクンと身を震わせた。
そして自分の服も脱がすべく、じりじりと詰め寄ってこられたので慌てて逃げようとしたが、素早く囲まれてしまう。
ああ……私はこのまま汚されてしまうんだ……。そう喜美が覚悟を決めた瞬間だった。
「待たぬか!貴殿ら!」
凛とした声が、教室の異常な空気を切り裂いた。
「ほ、穂澄……!」
未だパジャマを着たまま布団の上で正座をしている救世主に気づいた喜美が、泣きそうな声でその名を呼ぶ。
そうだ。穂澄は真面目だからこんなおかしな状況を咎めてくれるはずだ。例え反対派が一人だけでも穂澄なら……穂澄ならきっとなんとかしてくれる……!
希望と期待に満ちた目で穂澄を見る喜美。すると穂澄は閉じていた目をゆっくりと開いていき、
「もう五月になるとはいえ、夜はまだ肌寒い。ならば風邪をひかぬように暖房をつけるべきではなかろうか?」
「私の期待を返せ!ポンコツ侍!」
教室内に設置されたエアコンをつけてから自らパジャマを脱ぎ始めた穂澄に向かって喜美は絶叫した。
「さぁ……これで残るは喜美ちゃんだけですよ……?」
「ま、待って!皆、落ち着いて!こんなの絶対おかしいよ⁉」
「ノー。間違ってるのは世界じゃないネー。キーミのほうデース」
「パジャマも下着もいらないんでありますよ」
「いや……いやぁ……嫌あああああぁぁぁぁぁッッッ!」
夜の校舎に喜美の悲鳴が木霊する。この後、お風呂に入っていた沙希がバスタオル姿で駆けつけて滅茶苦茶怒られた。
【続く】
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