第19話  間章  約束

間章  約束







合宿も順調に消化していき、いよいよ初練習試合を翌日に控えた三日目の夜。


安らかな寝息があちこちから聞こえる教室の中で、奈月は一人だけ眠れずにいた。


(ふみぃ……困りました……。全然眠くなりません……)


昔から遠足などイベントの前日はこうだった。ワクワクしすぎて眠れず、寝不足になるタイプである。


この日も練習試合の事を考えていたら、すっかり眠気が迷子になってしまい今に至る。


それでもなんとか寝ようと何度も布団の中で寝返りを打つが、むしろ目は冴えていくばかりであった。


(仕方ないです……。ちょっとお散歩をしてきましょう……)


全裸で寝ている皆を起こさないようにパジャマだけ着込むと、静かにドアを開けて廊下に出ていく。


電気の消えた夜の校舎は真っ暗だった。窓から差し込む月明かりと誘導灯のおかげで、なんとか数歩先が見えている状況である。


(ふ、ふみぃ……これは怖いです……)


まるでお化け屋敷を歩く気持ちで、奈月は昼間の校舎の記憶を頼りに歩き出す。


なんとか階段まで辿り着き、暗い足元を踏み外さないよう細心の注意を払いながら上へとのぼって行く。


そして屋上へと繋がるドアまで辿り着くと、鍵がかかっていない事に安堵してゆっくりと開いていった。


「わぁ……。お星様がとっても綺麗です……」


屋上に出ると、光り輝く満天の星々が奈月を出迎えた。夜空を見上げながら、屋上の中央へと歩いて行く。


「これなら明日はきっと良いお天気になりますね」


練習試合が雨で中止になりそうにはないと安堵しながらも、またその事を考えては眠くならないと頭から振り払おうとする。


そこで少し強い風が吹き、奈月はブルッと身を震わせた。確かに穂澄が言っていた通り、夜はまだ肌寒い。


けれど、もう少しだけこの星空を見ておこう。そう思い、再び顔を上げたその時だった。


「こらっ。そこで何をしてるの」

「ふみぃ⁉」


突然、背後から声が聞こえ、奈月は口から心臓が飛び出そうになるほど驚いた。


恐る恐る振り返ると、閉めたはずの屋上のドアが開き、声の主である沙希が立っていた。


「せ、先生……。どうしてここに……?」

「それはこっちの台詞よ。寝る前に見回りしておこうと思ったら、あなたが一人でどこかに行こうとしてるのを見つけてね。後をつけてみたらここだったってだけ」


沙希はやれやれと小さくため息をつくと、ドアを閉めて近づいてきた。


「眠れなかったの?」

「はい……。明日の練習試合の事を考えていたらワクワクしてしまいまして……」

「あはは、分かる分かる。私も初めての練習試合の時はそうだったなぁ」

「先生も……ですか?」


意外そうな顔で奈月が尋ねると、「そりゃ私だって人の子だもの」と苦笑し、その場に座るよう促してきた。


「あれからもう十年か……。私も歳を取るはずよねぇ」

「そ、そんな!お姉ちゃ……先生はまだまだお若いじゃないですか!」

「ありがと、お世辞でも嬉しいわ。あと二人きりの時はお姉ちゃんでいいわよ」

「えっ……い、いいんですか……?」

「二人きりの時だけね。その代わり、皆の前ではちゃんと先生って呼ぶこと」

「は、はい!お、お姉…ちゃん……」


恥ずかしそうに初めて沙希と話した時と同じ呼び方をすると、沙希もまた照れくさそうにはにかんだ。


「けど、まさかあの時の女の子が鶴川に来るとはねぇ」

「約束しましたから……。大きくなったら鶴川の女子野球部に入って、お姉ちゃんみたいな凄い選手になるって……」

「そうだったわね。今なら昨日の事のように思い出せるわ」


県大会の決勝戦後、表彰式を終えて球場から出てきた沙希達に、奈月は祖父と一緒に試合を妨害してしまった件を謝罪した。


それを沙希は当時の仲間達と一緒に笑い飛ばして許すと、自分のようになりたいと言ってくれた彼女に愛用のバットを差し出した。


けれど、この記憶は野球を辞めてからは封印していた。他の女子野球部の記憶と共に。


思い出せたのは……否。思い出そうとする事が出来たのは、他でもない奈月がいてくれたからだ。


「ありがとうね、奈月。あなたがいてくれたから、私はまた野球と向き合う事が出来た。本当に感謝してる」

「そ、そんな!私は何もしてませんよ!」

「ううん。あなたがいなければ鶴川女子野球部も……そして私も、こうしてまたここに存在する事はなかった」


沙希は目を細めると、顔を真上に向けて星空を見上げた。


「だから今度は私が恩返しをする番。今まで野球から逃げてきた分も含めて、あなたと鶴川女子野球部への大きな借りは全て返せるかは分からないけど、それでも私なりに精一杯やってみるつもり」

「お姉ちゃんは……お姉ちゃんはもう十分に私達によくして下さってます」

「ううん、こんなんじゃまだまだよ。私はあなた達を全国大会へ連れて行ってあげたい。そして優勝させてあげたい。まぁ実際にプレーするのは奈月達だし、私が連れて行ってもらう立場なんだけどね」

「お姉ちゃん……くちゅんっ!」


そこでくしゃみをした奈月を、沙希は腕を回してそっと抱き寄せる。


「あ……」

「勝つわよ、奈月。勝って勝って勝ちまくって、一緒に全国の頂点の景色を見に行きましょう」

「は、はい!約束です!」

「うん、約束」


身体を寄せ合い、互いの心と体温を感じ合いながら二人は誓い合う。


鶴川の奇跡。


かつてそう呼ばれた伝説は、十年の刻を経て新たな伝説の継承者と成りえる可能性と巡り逢い――その名を再び世に轟かせる日を静かに待ち続けていた。



【続く】

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