第12話  磨けば光るかもしれないダイヤっぽい原石 前編

第十二章  磨けば光るかもしれないダイヤっぽい原石 前編







・打撃テスト



「それじゃピッチャーは陽菜がやって。分かってると思うけど本気で投げるんじゃないわよ。あと奈月も練習を兼ねて、自分の番以外はキャッチャーに入って」


返事をして、奈月が陽菜の手を借りてキャッチャー用のプロテクターを付け始める。


その間に沙希は順番を決めることにした。


「じゃあ未経験者にお手本を見せるためにも、経験者組からいきましょうか。誰からやる?」

「では不肖ながら、私から参ります」


挙手したのは穂澄だった。同じ経験者組の梓はどちらでもよかったようで、すんなりそれで決まる。


穂澄はヘルメットを被ると、右打席に入った。


そしてバットを持った手を肩の高さとほぼ同じくらいまで突き出して垂直に立てると、そのまま緩く構える。


「なんか隙だらけに見えるニャ。あれで打てるのかニャ?」

「あれは神主打法であります。プロでも使う人が多いバッティングフォームの一つでありますよ」


女子プロ野球マニアの海帆が説明すると、沙希がその知識に興味を抱くする。


「なら、あの打法の何が優れているのか分かるかしら?」

「構えてる時に脱力する事で全身の余分な力みを抜き、その代わりにスイングの瞬間、一気に力を込めて爆発させられるので長打が狙える事であります。

ただデメリットとしてバットコントロールが難しいのと、ピッチャーとのタイミングを取るのが難しいのが挙げられるであります」

「百点満点、花丸よ。未経験って言ってたけど随分と野球には詳しいのね?」

「じ、自分、プロの試合を見るのは好きでありますから……」

「みほりんの女子プロ野球好きはマニアレベルだニャ。クイズ大会とかあったら間違いなく優勝するニャ」


ふむふむと沙希は頷く。知識が有るというのはそれだけで強力な武器だ。


例えば今の穂澄のバッティングフォームの利点が理解できていれば、実際に自分が守備につくときにもどう守ればいいか判断できる材料となる。


沙希の中で海帆の評価を上げていると、マウンド上の陽菜も準備が終わったようで投球モーションに入っていた。


そして一球目。確かに手加減はしているが、それでも百二十キロは出ているストレートを穂澄は簡単に打ち返す。


右中間に飛んだ速い弾道を見て、穂澄は「うむ」と何かを確認し直すと再び構えた。


続けて一塁線上、二遊間、三遊間、三塁線上と打球が飛んでいく。それを見ていた梓が「おいおい……」と驚愕の声をあげた。


「梓、あなたも気づいたみたいね」

「ああ……。あれ、狙って打ち分けてるっすよ」

「そんな事ができるんデース?」

「バットコントロールの技術と投手との実力差の二つが相当あればな。いくら陽菜が手加減してど真ん中にしか投げてないとはいえ、それでもあのスピードのボールをあそこまで正確に打ち分けれるのは正直すげぇよ」


自分には無理だからこそ、梓は素直に穂澄の実力を認めた。


「穂澄!最後は左中間に打ってみて!」

「承知」


そして最後の一球を沙希の注文通りの場所に打ち返すと、穂澄はヘルメットを取って陽菜に一礼した。


「ナイスバッティング。あれだけ綺麗に打たれると逆に気持ちいいわね」

「いやいや、秋月殿が本気ならばああはいくまい。おかげで良い練習となった。感謝する」


陽菜が軽く左手を上げて応えると、戻ってきた穂澄はバットとヘルメットを梓に渡した。


「じゃあ次、梓にも期待しちゃおうかしら」

「あれの後とかハードル高くてやりづれぇなぁ……」


沙希の言葉に梓は苦笑すると、穂澄とは逆の左打席に入る。


そして肩幅より少し大きめに開いた両足を、地面に根付かせるようにどっしりと構えた。


「いつでもいいぜ」


梓の言葉を受けて、陽菜が投げ込む。その球を体の回転を存分に生かしてフルスイングしていく。


穂澄よりも大きな快音を残したバットは、ライトで球拾いをしていた小学生の頭上をさらに高く遠くへとボールを運んで行った。


その飛距離に奈月も驚く。


「す、凄いです松本さん!文句なしのホームランです!」

「へへっ。末森中の四十六センチ砲とはアタシの事だぁッ!」


一球目をジャストミート出来た事で気分がノッたのか、次々とライト方向へホームラン性の当たりを連発する梓。


その度に見学していた小学生達からは「おお~!」と歓声が上がった。


「やっぱりホームランは野球の華よねぇ。なるほど、パワーだけなら間違いなく奈月以上だわ」


沙希が小学生達の歓声に混じりながら、ヒューと口笛を吹くと、その横にいた海帆も興奮した様子で、


「くぅぅぅ!やっぱりプルヒッターのホームランバッターはかっこいいであります!」

「プルヒッターってなんニャ?」

「簡単に言えば、バットでボールを引っ張る打ち方であります!」

「要は力任せのゴリ押しですわね。脳筋ゴリラらしい打ち方ですわ」

「誰が脳筋ゴリゴリだコラァ!」


雅の悪口がしっかり聞こえていた梓は打席からツッコむが、そのせいで最後の一球はセカンドフライに終わった。


「チッ、お前のせいで最後打ち損ねちまったじゃねぇか」

「人のせいにしてる時点でまだまだなのだとお気づきなさいな」


梓からバットとヘルメットを受け取った雅が、交代で右打席に入った。


そして体を少し前屈み気味にくの字に曲げると、膝と肘を曲げて全体的に丸まって見えるフォームを取る。


「あら……前に教えた時とフォームが変わってるわね」


その変化に沙希はすぐに気づいた。そして同時に、打席を挟んで正面から見ると、テニスの構えに近い事にも気づく。


「進化した私の力、お見せしますわ」


宣言通り、雅は一見窮屈そうに見えるフォームからは想像もつかない、柔らかい動きのスイングで快音を放っていく。


初めて沙希にバットの振り方を教わった時よりも、確実に強い打球をゴロではなくライナーで飛ばせるようになっている事にも驚いたが、それよりも手加減しているとはいえ陽菜のストレートにしっかり対応できている事に沙希は驚く。


「あの子……ここ以外でも相当練習してるわね」


そうでなければ野球を始めてまだ数日。しかも野球そのものに慣れさせるために、小学生との試合を含めて守備を優先的に教えてきた事に対して説明がつかなかった。


しかし沙希が雅の影の努力に驚かされるのはそれだけではなかった。


ちょうど半分の五球目を打ち終わると、雅は一度タイムをかけて今度は左打席に入ったのだ。


「雅ちゃん、スイッチヒッターなのでありますか⁉」

「それはののあにも分かるニャ。打席の右と左、どっちでも打てるバッターの事だニャ」


確かにテニスではフォアとバックで打ち分けてきた雅には、その可能性があるとは沙希も思っていた。


しかしまさか己でその可能性を見つけ、さらにこの短期間で開花させるとは想像もできなかった。


(ほんと面白い子ばっかりだわ……!)


次々と目の前に現れるダイヤの原石に、沙希は興奮で全身をゾクゾクさせながら震える。


そして打撃テストを終え雅が戻ってくるが、その表情は決して満足していなかった。


「やはり左打ちは右に比べるとまだまだ練習が必要ですわね。お恥ずかしい限りですわ」

「素人がスイッチヒッターなんて欲張りすぎなんだよ。二兎を追う者はなんとやらだぜ」

「それは凡人ならばの例えでしょ。私を誰だとお思い?風見雅ですのよ」

「へいへい。ったく、どっから来るんだよ、その自信は……」


梓が呆れてため息をついてる横で、それまでの打席を見ていた海帆は顔をうつむかせていた。


「や、やっぱり皆上手いであります……。自分なんか足手まといにしかならないであります……」

「はぁ……。またみほりんの豆腐メンタルスパイラルが始まったニャ……」

「大丈夫ネー、ミーホ!これからヘタッピのワターシを見て自信を持つといいネー!」


そんな海帆に励ましの声をかけたのはビビであった。


いつの間にかヘルメットを被っていた彼女は、手に持ったバットを左右にブンブン振り回しながら、鼻歌混じりに打席へと向かって行く。


それを見た沙希が陽菜に声をかける。


「ここからは本当の初心者組だから、もっと手加減して投げてあげてねー」


しかし陽菜はきょとんとした顔で左手に持ったボールに視線を落とすと、


「これ以上の手加減ってどうやればいいんだっけ……」

「おいおい……。とんでもない事を言いやがりましたよ、あの子は……」


沙希は引きつった顔で首を捻り続ける陽菜を見つめるが、よく考えるとキャッチボールですらあの手加減した球速で投げているのを思い出し、頭を抱えた。


「はぁ……。しゃーない。私が投げるか」

「えっ⁉先生が投げるんですか⁉」


緊急登板を決意した沙希に、奈月が目を輝かせる。


あの憧れのお姉ちゃんが投げる球を自分が受ける。そう考えただけで、嬉しさのあまり本気で天に昇ってしまいそうであった。


「あんま投げると肩が痛くなるから本当はやりたくないんだけどねぇ。まぁ他に適任もいなそうだし」

「あ……」


沙希の怪我を知り、その重さも知る奈月は一瞬でも浮かれてしまった自分を恥ずかしく思った。


そして、落ち込みながらもある代案を思いつく。


「そ、それなら喜美ちゃんに投げてもらえばいいと思います!」

「ん?喜美?あんた、ピッチャー出来るの?」

「私がバッターの練習をしてる時、いつも喜美ちゃんがボールを投げてくれてたんです」

「いや、投げてたって言っても遊びみたいなもんだし……」


否定する喜美を沙希は「ふ~ん」と見ると、


「まぁ、なんにしろピッチャーはもう一人欲しいと思ってたし、それならちょっと投げてみてよ」


ボールを渡してマウンドへ送り出した。


渋々とマウンドに上がって投球練習に入った喜美を見つめながらも、沙希は不機嫌そうな心境をを隠せていないその子に気づいていた。


「ピッチャーがもう一人欲しいって言ったのが不満だったかしら?」

「……いえ。私一人では長いトーナメント戦を勝ち抜けないのは分かっているつもりですから」


中学時代にも後ろに千紗を始めとするリリーフ陣が控えてくれていたから、自分は毎試合、先発として存分に力を発揮できたのだと陽菜は自覚していた。


しかしそれは自分以外の投手を信頼していたからの話だ。


今投げている喜美の球は、本人がお遊びと言う通り、お世辞にも速いとは言えない。むしろ梓が「遅っ」と思わず声にした通り、とても試合で使い物になるレベルには見えなかった。


それ故、陽菜が完全に納得できていないのは明らかであった。


「私もさ、自分が投げてれば他に投手はいらないって思ってたタイプだから、あなたの気持ちはなんとなく分かるわ。けど県大会は日程にまだ余裕があるほうだけど、全国大会まで行ったらまた違う。勝ち上がれば勝ち上がるほど日程はきつくなって、投手の負担も大きくなってくる」


その結果、壊してしまった右肩に手を当てながら沙希は言葉を続ける。


「だから投手はあなたがどう思おうとも必ずもう一人設ける。それにまぁ、まだ喜美を第二ピッチャーにするって決めた訳じゃないし、気楽に見守りましょ」

「……はい」


確かに少し先走りすぎていたと思い、陽菜は反省する。そして沙希が投手としての自分の体を大事に考えてくれていたのだと分かり、二重に反省した。


「先生ー、こっちは準備できましたー」

「オッケー。じゃあ始めちゃってちょうだい」


喜美に再開の指示を出すと、右打席に入ったビビが丁寧にヘルメットを一度脱ぎ、「よろしくお願いしマース!」と元気よく一礼する。


そしてオーソドックスに構えたのを確認してから、喜美は一球目を投じた。


球速は陽菜が手加減した物よりも大分遅く、百キロも出ていない遅いストレート。しかしそれをビビは、ボール三つ分は高いところでフルスイングして空振った。


「オウ!紙一重ネー!」

「いや、全然紙一重じゃないから……」


沙希は冷静にツッコミを入れるが、ビビのスイング自体は力強く、悪くはないと感じた。


バッターはまず打球を前に飛ばせなければ話にならない。そのためにはバットを最後まで振り切るのが最低条件で、思い切りよくバットをフルスイングするビビの姿勢は決して悪くはない。


悪くはないのだが……



ブン!


ブン!


ブン!



全く当たる気がしない、空を切り続けるバットに沙希は頭を抱えた。


とりあえずフルスイングを止めさせ、ボールをよく見て、まずはバットに当てるのを優先させて振るよう指示を出してみるかと思い始めた五球目。



カキーン!



ついにバットに当たった打球に、沙希だけでなく、その場にいた全員が目を丸くした。


「じょ、場外ホームラン……?」


それは梓の打球よりも高く遠く、遥か彼方へと文字通り一瞬で『消えて』行っていた。


「イエス!当たったネー!」

「末森中の四十六センチ砲よりずっと飛びましたわね」

「う、うるせぇな!アタシだって昔の感覚をもっと取り戻せれば、あれくらい飛ばせるっての!」


しかし残りの五球は再び空振りで終え、それでもビビは満足そうに「楽しかったネー」とニコニコ笑いながら戻ってきた。


「ろ……ロマン砲すぎる……」


確かに当たれば大きいが、その確率がソシャゲのガチャで最高レアを出すより低そうなビビの打撃に沙希はもう一度頭を抱えた。


そしてこのままロマン砲として育てるか、パワーを犠牲にしてでもまずはバットに当てれるように育てるか迷い、さらにもう一度頭を抱える事になる。


「と、とりえあず次……いきましょうか」


問題を先送りして、無理やり気を取り直してから海帆を見ると、ビクッと体を大きく震わせた。


「の、ののあちゃん、お先にどうぞ……であります」

「はぁ……。後回しにしても余計にプレッシャーがかかるだけだニャ」


親友の心の内をしっかり読み取り、ため息をついてから左打席に向かうののあ。


バッターボックスに入ると少し考え込んでから、「こうだったかニャ?」と見よう見まねでとりあえずバットを構えてみる。


「ののあちゃん、バットを持つ手が逆ですよ。そっちの打席だとこうです」

「おっ、そうなのかニャ。サンキューにゃ、なっつん」


奈月に間違いを指摘され、ののあが逆になってた両手を入れ替えてバットを持ち直す。


そして小柄な体をさらに丸めて、ベースに覆い被るようにして構える。


「ちょっとののあ、それだと危ないわよ」

「大丈夫ニャ。きみきみ程度の球なら見てからでも避けられるニャ」

「はぁ……。忠告はしたからね」


それでも当てるのはマズイと思い、喜美はアウトコースへのコントロールを意識してボールを投げる。


「ニャッ!」


慣れない動きでバットを振るののあ。すると勢いのないボテボテの当たりであったが、打球が三塁側に転がった。


「おっ、当たったニャ」

「上手ですよ、ののあちゃん!その調子です!」

「ふふ~ん♪ののあはやれば出来る子ニャ♪」


一球目からバットに当たったのが自信になったのか、以後もボテボテの内野ゴロやファールなど結果は出ずとも、ビビとは正反対で確実にバットに当てる事には成功した。


「むぅ~!もう一球ニャ!次こそはビビッちみたく、場外までかっ飛ばすニャ!」

「はいはい、まだ残ってる人がいるからそこまでね」


予定通りの十球を終えると、沙希はののあからバットとヘルメットを取り上げる。


「か、返すニャ!次こそはちゃんと打てそうな気がするニャ!」

「初めての打席であれだけ当てられれば上出来もいいところよ。それに安心しなさい、明日からは嫌になるほどバットを振らせてあげるから」

「に、にゃ……?」


沙希の笑顔に何故か悪寒を覚えたののあだったが、それが間違いでなかった事を、明日以降の練習で身をもって教え込まれるのはまだこの時は知る由もなかった。


「んじゃ次こそ海帆の番ね」

「は、はいであります!」


バットとヘルメットを受け取った海帆は、同じ側の手と足を同時に出すほど緊張しながら右打席に入っていく。


「よ、よろしくお願いしますであります!」

「海帆ちゃん、リラックスですよリラックス」

「は、はいであります!奈月ちゃん!」


しかし全く緊張が解けないまま、海帆はガチガチの動きでバットを構える。


当然そんな状態で喜美の投げる球を打てるはずもなく、ビビの時のようにボールとはかけ離れた場所で空振りを続けてしまう。


「あ~……あれはダメだニャ。完全に緊張が天元突破してるニャ」

「なんかほぐす手はないの?」


沙希の質問にののあは首を横に振り、


「ないニャ。今頃きっと、自分は下手くそだ死にたいっていう考えで頭の中が一杯だから、何を言っても聞こえないはずニャ。アホ毛が元気なくなってるから間違いないニャ」


ののあの言う通り、植物が枯れていくようにどんどんアホ毛が垂れ下がっていく打席の海帆は、絶賛豆腐メンタルスパイラル中であった。


(うう……一球も当てられないであります……きっと皆、呆れてるに違いないであります……死にたいであります……)


やっぱり自分が野球をやるなんて無理だったんだ……これが終わったら退部させてもらおう……と負のスパイラルはストップ安を知らぬままどこまでも下がり続ける。


見かねた奈月が「タ、タイムしましょうか?」と聞いてくれるが、最早それすらも何を言ってるのか分からない海帆は「だ、大丈夫であります!」と言うしかなかった。


そうこうしているうちに持ち球は一球……また一球と減っていく。


そして残り二球になったところで、ののあが動いた。


「……仕方ないニャ。効くかどうかは分からないけど奥の手を使ってみるかニャ」


そう言うとスゥー……と大きく息を吸い込み、


「みほりーん!ののあは河合雅美選手のバントものまねが見たいニャー‼」


大声で叫ぶと、海帆が光を失っていた目をカッと見開く。


すると膝を柔らかく曲げ、慣れた動作でバントの構えへと移行していった。



コンッ



そしてバットで転がした球は絶妙にその勢いを殺し、三塁線上ギリギリでピタリと止まる。


そのあまりにも見事なバント技術に、経験者組からは「おお~」と感嘆の声が漏れるほどであった。


「はっ⁉じ、自分は何を⁉」


そこでやっと我に返る海帆。間髪入れずにののあが続ける。


「次は一塁線に転がす河合雅美選手のバントものまねが見たいニャ!」

「りょ、了解であります!」


投げていいのか迷っていた喜美だったが、ののあがGO!と親指を立てたので、とりあえず投げる。


すると海帆はののあの指示通り、今度は一塁線上に先程とまったく同じ結果のバントを決めてみせた。


海帆のバント技術が偶然ではなかったと分かり、今度は小学生の間からも驚きと称賛の声が上がった。


「……ののあ。あれは一体どういう事なの?」

「みほりんが女子プロ野球マニアなのはさっき言ったニャ?中でも河合雅美という選手が大のお気に入りで、いっつもその人がやるバントの真似をしてるうちに自分の物にしてしまったニャ。

細かすぎて伝わらないものまね選手権に出たら間違いなく優勝するニャ」

「ちなみにその河合雅美って……誰?」

「知らないんすか、先生。東京ティターノの選手っすよ。滅茶苦茶バントが上手い人」


補足として通算犠打数は世界記録にもなっており、成功率も九割を超える事から、ファンには『バントの女神様』と呼ばれ、特にコアな層からの支持が厚い選手である。


「ああ、そうなんだ。私、野球から離れてた頃は女子プロ野球って見てなかったからなぁ……」


しかし指導者としてやっていくと決めた以上、そこら辺の情報も知らなくちゃダメか……と沙希は首筋を指でかく。


そんな情報交換をしていると、海帆がおどおどした足取りで戻ってきた。


「お疲れ、海帆。ナイスバントだったわよ」

「で、でもバント以外は全部空振りだったであります……。やっぱりこんな自分なんて必要ないであります……」

「なに言ってるの。あれだけ上手なバントが出来るのなんて、多分この中で誰もいないんだからもっと自信を持ちなさい」

「うむ。今度、私にもバントのやり方を教えてはもらえぬか?」


沙希だけでなく、あれだけ凄い打撃を見せた穂澄にも認められ、海帆の両目にみるみる涙が溜まっていく。


「じ、自分……女子野球部を辞めなくてもいいでありますか……?」

「もちろん。それに自分が下手だって認められるのは勇気がいる事だし、才能の一つよ。そういう人ほど自分に何が足りないかを素直に理解できるから、

上達が早いものだったりするからね。とにかく明日からは、ののあとビビも一緒に打撃を中心に練習しましょう」

「イエス!ミーホ、一緒に頑張るネー!」

「う、うん……!自分、頑張るであります!」

「ののあは程々でいいニャ。努力とか根性とか好きじゃない……」


そこまで言って沙希の鋭く光る視線に気づき、


「……出来るだけ頑張るニャ」

「よろしい。で、残ってるのは奈月と喜美か。とりあえず喜美はそのままで奈月からやっちゃいましょうか」

「はい!」


奈月はプロテクターを外すと、自分のバットを持って打席に入る。


「喜美ちゃん、本気モードでお願いします!」

「オッケー。久しぶりだから、すっぽ抜けても許してよね」


何やら当然ように交わす二人の言葉に、沙希は「ん?」と首を傾げる。


すると喜美は今まで通りの投球フォームで、今までよりもむしろ遅いスピードの球を投げる。


これのどこが本気モード?とさらに沙希が首を傾げていると、喜美の投げた球が『変化』した。


「ふみっ!」


それを奈月は打ち返す。ライナーで飛んだ当たりは、ライト前に前落ちた。


(今のはカーブ……?少しだけだったけど確かに曲がったわよね……)


気になった沙希は防球ネットの裏に立って、キャッチャー視点で確認する事にした。


続けて投じられた喜美の二球目。今度は利き腕と同じ、右方向へと横に少しだけ変化する。


(これはシュート⁉)


それも奈月がヒット性の当たりで打ち返すと、喜美は「くっそ~」と悔しがってみせた。


「なら……これでどうよ!」


さらに喜美はまた新しい変化球を投げてくる。奈月のひざ元に向かって斜めに落ちるシンカー、そして縦にまっすぐ落ちるフォーク。


そして横スライダーまでも確認すると、思わずそこで沙希がストップをかけた。


「ちょ、ちょっと待った!喜美!あなた何種類の変化球もってるのよ⁉」

「え……?今まで投げたので全部……ですけど?」


さらりと言ってのけた喜美に、沙希は軽く眩暈がするのを感じた。もちろん良い意味で。


「喜美ちゃん、私がこういう球を打ちたいって言ったら、それを覚えて投げてくれるんです」

「ナックルだけはよく分かんなくて無理だったんですけどね」


それでも左右に加え、斜めと下の五種類。ストレートも合わせれば六種類もの選択肢が投球に存在する事になる。


一つ一つの変化量は少なく、球のスピードも遅いが、それを補っても余るほど十分過ぎる武器だ。


「採用!今日から喜美は第二ピッチャーよ!陽菜もいいわね⁉」


沙希の問いに陽菜は、今度は納得した様子で頷いた。


変化球というのは練習すれば誰でも投げられると思われがちだが、実際は本人の持って生まれた資質によるものが大きい。


それは手の大きさ、指の長さ、太さ、さらには利き腕の柔軟さなど、人によって千差万別な個体差によって得手不得手が分かれるのもあるが、何より大事なのはそこからさらにボールへ『変化しろ』と伝えられる指先の繊細な感覚である。


そういった資質が全て揃って、初めて変化球と呼ばれる球が投げれるのだ。陽菜ですら現状でそれが出来るのは二つだけ。喜美はその倍以上なのである。これで喜美にピッチャーとしての素質がないなどと言ったら、それこそ自分はもっと素質がないと認めるのと同義であった。


「ちょ、ちょっと待ってください!あたしがピッチャーなんて無理ですよ⁉現に今も奈月に打たれまくってたですし……」

「奈月の打撃センスが頭一つどころか二つ三つも余裕でずば抜けてるのは喜美だって分かってるでしょ。大丈夫。ピッチャーは私の本職だし、県大会までには奈月にも通用するくらいビシビシ鍛えてあげるから」

「ふみぃ……。先生にピッチャーを教えてもらえるなんて羨ましいです……」

「あんたは他人事だと思って……」

「なら喜美の打撃テストは奈月が投げてみる?地肩は強いんだし、ピッチャーも出来そうと思ってたのよね」

「いいんですか⁉はい!やります!」


沙希の提案に喜美が「え……?」と表情を強張らせ、固まる。


「とりあえず奈月の残りの分をやっちゃいましょう」

「はい!」


テンションが上がった奈月はその後も快打を連発し、上々の出来で打撃テストを終えると、すぐさまマウンドに駆け寄って喜美とバットとボールの入ったグローブを交換する。


そんなハイテンションな奈月とは正反対に喜美は青ざめた表情で打席に立つと、念入りすぎるほどヘルメットの位置を確認しながら、


「い、いい?絶対に全力で投げないでよ⁉絶対よ⁉」

「はい!喜美ちゃんが本気モードで投げてくれたお礼に、私も本気モードでいきます!」

「違うから!今のは振りじゃないから!」


しかし喜美の悲痛な叫びは届かず、奈月はバレリーナのように左足を垂直に高く掲げて投球モーションに入ってしまう。


そして、小さな体には似合わないダイナミックなフォームで投じられたその一球に、その場にいた全員が言葉を失った。


「ひぃっ!」


ゴゴゴゴゴッ!と唸り声を発した剛速球が、仰け反った喜美の顔の真ん前を通過する。


そのまま尻餅をついてしまった彼女は、「こ、殺す気か~!」と拾い上げたバットをぺこぺこ謝る奈月に向って突きつけた。


「……おい。今の、陽菜の本気のストレートより速くなかったか……?」

「うむ。恐らく百五十は出ていたな」

「ひゃ、百五十キロってプロでも右手で数えれるくらいしか投げれる人がいないでありますよ⁉」


これは奈月が第二ピッチャーをやった方がいいんじゃ……と皆が思った二球目。


「んほぉっ!」


今度は脇腹目がけて飛んできた剛速球を、体をくの字にして間一髪で躱す喜美。


その後も奈月の投げる球はストライクゾーンに入らぬまま、外へ内へと暴れまくる。早い話が良く言えば荒れ球。悪く言えばノーコンであった。


「あの子ってキャッチャーやってる時は、そんなに送球は悪くなかったはずよね……」

「プロでもノーバンストライク返球ができる強肩の外野手が、マウンドに立つと何故かノーコンになる場合はたまにあるであります……」


海帆の挙げた例に、沙希は「ああ、確かにいるわねそういうタイプ」とどこか心当たりがあるように納得した。


「とりあえずせっかく揃った部員が怪我で減る前になんとかしましょう。陽菜。奈月と変わってあげてちょうだい」


その後、沙希が奈月にマウンド上でのピッチングについて色々と教えてみるが身につかず、結局ピッチャー奈月の道は絶たれた。


それと喜美の打撃テストは、ヒットを打ったり空振りしたりボテボテのゴロだったりと面白みのないごくごく普通の出来だったので割愛とする。



【続く】

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