第6話  二人の部員候補

第六章  二人の部員候補



「おっはよー奈月」

「おはようございます、仁美ちゃん」


すっかり打ち解け合い呼び捨てになったクラスメイトと朝の挨拶を交わし、野球道具が入ったバッグを自分の机の脇に置いてから席につく。


すぐさま喜美も同じようにして奈月の席へと来ると、眠たげに仁美と挨拶を交わす。


そこからは朝のホームルームが始まるまで三人で他愛もないお喋りをして過ごすのが、入学以来この三人の朝の過ごし方になっていた。


「失礼しますわ」


しかし今日は少し違っていた。


聞き覚えのある声が教室の開け放たれたドアのほうから聞こえたかと思うと、奈月の席に向かって歩み寄ってくる者が二人。

雅と陽菜だ。


「おはようございます、皆様」

「おはよう、奈月」


雅は優雅に。陽菜は奈月に向かって軽く微笑んで挨拶する。それに奈月と喜美も挨拶を返すが、一人だけ女子野球部員ではない仁美は何やら取り残された気分であった。


「ねぇねぇ奈月。その二人ってもしかしてこの前言ってた……」

「そういえば仁美ちゃんはお二人に会うのは初めてでしたね。こちらは秋月陽菜ちゃん、そのお隣さんが風見雅さんで、二人とも女子野球部に入ってくれたんです」


ああやっぱり、と仁美が納得してると、こちらも彼女と面識がない陽菜が奈月に尋ねてくる。


「奈月の友達?」

「はい。高校で新しくお友達になった坂井仁美ちゃんです」

「そう。ならよろしくね」


何が『なら』なんだろうと思いながらも、仁美はとりあえず、「よ、よろしく」と返事してみせる。


「わたくしもよしなに。坂井さん」

「よ、よしのや……?」

「それじゃ牛丼屋よ……」


喜美がため息混じりにツッコミを入れると、仁美はこつんと自分で自分の頭を叩きながら舌を出して、てへぺろ☆と間違いを誤魔化す。

それを見て陽菜は(違うんだ……)と、改めて『よしなに』の意味が分からなくなっていた。


「それより先日お話した件ですが、調査が終わりましたわ」


そう言うと雅は指をパチンと鳴らす。すると誰もいなかったはずの雅の背後にメイド姿の女性が現れたかと思うと、手際よく奈月の机の上に二枚の写真を並べ、一礼すると再び一瞬で姿を消した。


「それでこの方々なのですが……」

「ちょ、ちょっと待って⁉今なんかいたわよね⁉」


千代の事を知らない仁美だけが驚きながら彼女がいた場所を指さすが、雅はさも当然のように、


「お気になさらず。わたくしの専属使用人ですわ」

「そうね、雅のメイドだわ」

「雅のメイドね」

「はい。風見さんのメイドさんです」

「え?なにこれ?私がおかしいの?」


さも当然のように受け入れている女子野球部の面々に、仁美は真顔で問うしかなかった。


「まぁ、その話は置いといて……この写真の二人が野球経験者なの?」


喜美が話を元に戻すと、雅は頷いてみせる。


「まずこちらが松本 梓さん。わたくし達と同じ一年生でE組ですわ。中学時代に女子野球部に所属していたようですが、暴力事件を起こして自主退部していますわね」


横に並べられた右の写真――ショートカットの髪を外側に跳ねさせた女生徒を示しながら雅が説明すると、すぐさま聞き捨てならない単語に喜美が反応した。


「暴力事件?」

「詳細はまだ分かりませんが、どうやら女子野球部の先輩と何か揉めて手を出したようですわ」

「いくら経験者でも、問題を起こした子を入れるのはどうかと思うわ」

「で、でも何か理由があったのかもしれませんよ?もちろん暴力はいけない事ですけど……」


奈月の意見に雅も頷く。


「わたくしもそこら辺の事情を本人から直接確認した上で判断してもよろしいかと思いますわ」


陽菜は納得していない様子だったが、「奈月がそう言うのなら……」と、とりあえず引き下がった。


「そしてもう一方のこちらが千葉 穂澄さん。彼女も同学年でF組ですわね。この方については秋月さんのほうがご存知なのではなくて?」


雅の言葉に、全員の視線が自然と陽菜へ向く。


「中学の全国大会で対戦した事があるわ。寺子安中学のサードの子……守備が上手くて、何よりバッターとしてもやりづらい子だったからよく憶えているわ」

「どうやら望月の調べた情報通りのようですわね」

「おお~、またしても全国大会の経験者ですかぁ~」


仁美は穂澄の写真を手に取ると、それをまじまじを眺める。

前髪を綺麗に切り揃えた長い黒髪をポニーテールに束ねた少女。着物がよく似合いそうだというのが、仁美の第一心象だった。


「でも、それだけの子が女子野球部のない鶴川にいるって事は……」

(陽菜と同じ……何か訳有りかもね……)


陽菜に配慮した仁美はそれ以上は言葉にせず、喜美も心の中で続ける。


「それで、どうなさいます?南さん」

「そうですね……とりあえずお二人とお話をしてみましょう」

「なら、千葉さんとは私が話すわ。試合中だけとはいっても一応は面識があるし」

「では、わたくし達は松本さんと話をしてみますわ」


陽菜と雅の提案に奈月は頷く。ちょうどそこでチャイムが鳴った。

ほぼ同時に担任の深見薫が教室に入ってくる。


「はーい、朝のホームルーム始めるわよー。違うクラスの子は自分のとこに戻りなさーい」

「では、またお昼休みに」

「はい!」


教室から出ていく雅と陽菜に、奈月は手をブンブン振って見送ると、机の上に残されたままだった写真を慌てて中にしまった。






そして昼休み。昼食をいつもより早めに済ませた奈月と喜美は、自分の教室で優雅にティータイムを過ごしていた雅を急かしてE組へと向かっていた。


「まったく……食事くらいゆっくりとらせてほしいものですわ」

「今日は用事があるんだから仕方ないでしょ。ってか教室の中で望月さんに給仕させてんじゃないわよ。あんたの席だけ別世界だったわ」

「風見の人間たる者、常に優雅さを忘れる訳にはいきませんの」


はいはい、と喜美は適当に相槌を打ちながら、E組の教室から出てきた奈月に声をかける。


「どう?松本さんいた?」

「ふみぃ……今はどこかに行ってしまってるみたいです……」

「そっか……この時間なら食堂とかかなぁ」

「どの道ここへ戻ってくるのですから、待っていればよろしいのではなくて?」

「けど、戻ってくるのがお昼休みが終わるギリギリかもしれませんし……」


どうしようかと三人がドアの前で悩んでいると、


「悪い。中に入りたいんでそこどいてくれねぇか?」

「あっ、す、すみません!」


背後から声をかけられて、反射的に謝りながらその場からどこうとする奈月。


体の向きを横へと入れ替えながら、通りすぎようとしたその声の主の顔をふと見上げると……


「ふみぃ⁉ま、松本さん⁉」

「……あん?」


自分の名前を呼ばれ、思わず立ち止まって肩越しに振り返る少女――松本梓。

そのまま奈月達を一瞥するが、見覚えのない面々に怪訝そうな顔をしてみせる。


「誰だお前ら?なんでアタシの名前を知ってる?」

「そ、それはですね……」


身長が高い陽菜よりもさらに少し大きい梓に凄まれ、奈月と喜美はたじたじになって一歩後ろへ退いてしまう。


しかし雅だけは違っていた。


「わたくし、風見雅と申します。このお二人と同じく女子野球部の者ですわ。松本梓さん。今日はあなたを勧誘しに参りましたの」


梓が放つ威圧感にも怯まず、いつも通り優雅に自己紹介をしてみせた。


「……女子野球部?そういえば掲示板にポスターが貼ってあったっけか」


雅も見ていたし、意外と部員募集ポスターの認知度は高いのかもしれないと喜美が思っていると、眉をひそめながら改めて自分達の顔を見てくる梓と目が合い、ビビッて視線を逸らす。


「……で?その女子野球部がアタシなんかになんの用だ?」

「あ、あの!松本さんは中学で野球をなさってたんですよね?でしたら私達と一緒に野球をしませんか⁉」


奈月の言葉に、梓の右眉が大きく跳ねあがった。さらに背後からゴゴゴゴ……と重低音が聞こえてきそうなほど増していく威圧感に、奈月が「ふ、ふみぃ……⁉」と怯える小動物のように、顔を真っ青にして体をガタガタ震わせる。


「……なるほど、アタシの事は調査済って訳だ。ならアタシが女子野球部を辞めた理由も知ってるんだろ?」

「ええ。当時の女子野球部の先輩相手に暴力事件を起こして退部。これは確認ですが、退部させられたのではなくて、自ら退部したのですのね?」

「どっちでも同じさ。アタシが気に食わない先輩をブン殴って辞めた、それだけの事さ」

「その理由はお聞きしても?」

「話すほどのもんじゃねぇよ。さっ、これで分かっただろ。アタシみたいのを仲間にしたって後悔するだけだぜ」


自分の席に戻ろうとする梓を、雅は「お待ちなさい」と呼び止めた。


「話したくないのならそれで構いませんわ。けど、その件についてあなたはどう思っていますの?後悔なさってるのかしら?」


雅の問いに、梓はすぐには答えなかった。


そしてしばらくの沈黙を置いた後、振り向かず言ってくる。


「……アタシはアタシの信じるままに行動した。後悔なんてしてないさ」

「そうですの。分かりましたわ。今日のところはこれで失礼させていただきます」

「何度来てもアタシの答えは変わらねぇよ」


背中越しに軽く手を振ってみせると、梓は自分の席につき、右手で頬杖をつき窓の外を見つめる。

その様子を見て雅はため息をつくと、


「私達も戻りましょう。今日のところはこれ以上何を言っても無駄そうですわ」

「あっ……う、うん……」

「南さんも行きますわよ」


先に歩き出した雅に声をかけられるが、奈月は動かなかった。


どこか寂し気に見える梓の横顔を、奈月はまだ見つめていた。


「南さん?」

「あっ……す、すみません。今行きます」


再度名前を呼ばれ、やっと追いかけてくる。

その途中でもう一度、奈月は梓へと振り返っていた。






――ほぼ同時刻。


奈月達が梓相手に交渉していた隣のクラスには陽菜がいた。


目的はもちろん千葉穂澄の勧誘である。


陽菜が教室に入ると、探し人は窓際の最前列の席にいた。食事はもう終わっているのか、今は可愛らしい刺繍の入ったブックカバーがかかった文庫本を読んでいる。


「ちょっといいかしら」


陽菜が声をかけると、穂澄は視線だけをこちらに寄こした。


すると少しの間を置いた後、記憶の中にあった陽菜の顔を思い出したらしく目を丸くさせ、


「もしかして浦和学園の秋月殿か!」


本を閉じると机の上に置き、立ち上がって両手を握りしめてきた。


「憶えていてもらえたようで光栄だわ。寺子安中学の千葉さん」

「忘れるものか!去年の大会で貴殿のチームと対戦できたのは、私にとってかけがえのない経験であったとも!」

「私もよ。だから今日は折り入ってあなたにお願いをしにきたの」


陽菜は穂澄から手を放すと本題に入る。


「この学校に女子野球部ができるわ。そこに是非あなたも加わってほしいの」

「なんと……この学校に女子野球部が……」

「ええ。あなたが来てくれれば心強いわ。それに私以外は今のところ未経験者のみだけど、なかなか面白い子達が揃ってるの」


どうかしら?と陽菜が尋ねると、穂澄は複雑そうな顔をして、


「貴殿ほどの者に誘われるとは身に余る光栄……。だが申し訳ない。私はもう野球をする訳にはいかんのだ」

「どうして?もしかしてどこか怪我でも……」

「いや、そうではない」


穂澄は苦笑いを浮かべながら首を横に振ると、机に寄りかけていた布袋から竹刀を取り出して陽菜に見せてきた。


「父との約束でな。高校からは剣道一本でやる事になっているのだ。鶴川に来たのも、ここの剣道部の外部顧問である方と父が旧知の仲であったからなのでな」


説明を終えて竹刀をしまう穂澄は、どこか寂し気であった。そう陽菜には感じられた。


故に陽菜の中である予測が生まれた。


「そう……なら仕方ないわね。でも別に私みたく野球から逃げてきた訳ではないのでしょ?」

「貴殿のように野球から……?……そうか、貴殿が浦和学園ではなくこの学校にいるのは……」


全国大会の結末は穂澄も知っていた。だから瞬時に察する。


「ええ。情けない話だけど、私は一度野球が怖くなってここへ逃げてきたの。けれどもう一度、野球を一緒にやってみたいと思える子に出会えた」

「それは羨ましい話だな……。だが、それが私と何の関係がある?」

「あなたが私と同じで、野球から離れてもまだ好きだという気持ちが消えていないのならば、私達は女子野球部で待ってるわ」

「――――!」


そこで初めて、穂澄の顔に明確な動揺が走った。


それを見た陽菜は、やはり心のどこかで穂澄がまだ野球を諦めきれていないのだと確信する。


だが穂澄は目を瞑り、冷静さを取り戻すために短く深呼吸をすると、先程と変わらぬ困り顔に戻る。


「確かに私は今でも野球が好きだ。出来るなら続けたかったとも思っている。けれど先程申した通り、これは父との約束。何より私自身が納得し、決めた事ゆえ、今さらその約束を違える訳にはいかぬ」


すまぬ、と穂澄は頭を下げた。


(どうやらこれ以上は私の手にあまるようね……)


陽菜もそれを悟ると、「私こそ無理を言って悪かったわ」と穂澄の肩に手を置いた。


「だが、こうして同じ高校に通うようになったのも何かの縁。厚かましいのは承知の上だが、これからも友として私と会ってはくだされぬか?」

「ええ、もちろんよ。機会があれば……いえ、きっとまた会いに来るわ」


そう言うと陽菜は、「忝い」と頭を下げる穂澄に背を向け、教室を後にした。


(今は私一人だから彼女を口説き堕とせない。でも、あの子がいてくれればきっと……)


自分を救ってくれた奈月の顔を思い浮かべながら、陽菜は自分の教室へと戻っていった。






「……なるほど。そちらも一筋縄ではいかなかったようですわね」


放課後。沙希には剣道部に寄ってから練習へ向かうため今日は少し遅れると連絡をしてから、奈月達はその道の途中で各々の結果を報告し合っていた。


「確か千葉さんはご実家が剣道の道場を経営なされていたはず……。しかも一人娘となれば、跡取りとしてその道に本腰を入れるのは当然と言えますわ」

「けど、それだと千葉さんの気持ちだけじゃどうにもならないんじゃ……」

「ふみぃ……難しい事情はよく分かりませんが、野球を好きな人が野球を出来ないのは悲しいです……」


奈月の言葉に、陽菜は「そうね。奈月の言う通りだわ」と同意した。


「それで、松本さんの方はどうなの?」

「こちらは特に家の事情などが絡んでおりませんので、あの方の心次第ですわね」

「私……松本さんは怖い人ですけど、決して悪い人ではないと思います……」

「あたしもそう思ったわ。まぁ確かに口より先に手が出そうな感じだったけど」


奈月と喜美、二人の意見を聞いて、陽菜も梓の人物像を改めていく。


「まぁなんにせよ、彼女をどうにかするための手札は今日中にも……」

「……お嬢様」


雅の言葉を遮り、メイド姿の千代が姿を現す。そのまま雅に何やら耳打ちすると、最後に一礼してから再びどこかへ消えた。


「なるほど。どうやら手札は全て揃ったようですわ」

「どういうこと?」

「あの方がどうして暴力事件など起こしたのか。その詳細が分かりましたの」


雅は千代から受けた報告を、そのまま全員に伝える。


梓が一年生の時、補欠の三年生がレギュラーである二年生を虐めている場に遭遇した。


虐めの理由は単純だった。後輩のくせにレギュラーの座についている二年生を、三年生が妬んでいただけである。


その程度ならどこにでもある話だったが、虐めはすでにエスカレートしており、髪を掴んで引っ張るなどの暴力へまで発展していた。


偶然その現場を目撃した梓は、考える前に二人の間に割って入っていた。そしてどうしてこんな事をしているのかを三年生に問いただし、そのくだらない理由に激高した。


もともと梓の事も気に入らなかった三年生は彼女にも暴力を振るおうとした。しかし腕っぷしに自信のあった梓はそれを返り討ちにし、事が表に出て女子野球部に迷惑がかかる前に――自ら部を去った。


「……というのが事の顛末だそうですわ」

「何よそれ……松本さんは正当防衛じゃない!」

「そ、そうですよ!悪いのはその三年生の人じゃないんですか⁉」


喜美と奈月が声を荒げるが、雅はかぶりを振ってみせた。


「理由はどうあれ、結果として先に手を出してしまったのは松本さんですわ。そこに正当防衛は成立しませんのよ」

「そんな……そんなの松本さんが可哀想です……」


まだ出会って間もない他人の事を、まるで自分の事のように悔しがり、悲しむ奈月を雅はお人好しだと思いながらも、それ以上に好ましいと思った。


そしてその気持ちは、奈月程ではないにしろ自分も同じであった。


「この件、わたくしが必ず良い方向へまとめてみせますわ。今日、彼女と話してみて人となりは大体理解できましたの。安心なさい。全てはすでに我が掌の上ですわ」


自信たっぷりに髪をかきあげる雅を見て、奈月と喜美が目を輝かせて同時に「おお~!」と期待の声をあげる。


「ですが、その前に」


雅は立ち止まると、目の前に建つ剣道場を見上げて言葉を続けた。


「今はこちらの問題をどうにかいたしましょう」






鶴川高校は文武共に平凡な学校であるが、唯一の例外がある。それが剣道部であった。


外部から講師を招き、毎年とはいかずとも頻繁に全国大会への出場を果たしている。県内でも屈指の強豪と言っても過言ではないだろう。


当然その練習量も並ではなく、あまりのきつさに耐えられず、一ヶ月も経たずに辞めてしまう新入部員が毎年後を絶たないほどだ。


そしてその光景を、奈月達は実際に生で目の前にしていた。


『せいッ!せいッ!せいッ!』


扉が開け放たれた道場内ではすでに練習が始まっており、剣道の防具を身につけた沢山の部員達が、一糸乱れぬ掛け声と共に素振りを行っていた。


その熱気は凄まじく、外にいる奈月達にまでビリビリと伝わってくるほどである。


「ど、どれが千葉さんでしょうか……?」

「さ、さぁ…みんな面をつけてるから分からないわね……」


練習の迫力に圧倒されながらも、目的の人を探す奈月と喜美。


「というか、今見つけても練習の邪魔になるだけじゃないの」


陽菜の冷静な状況分析に、二人は同時に「あっ」と声をあげた。


「仕方ありませんわね。休憩時間になるまでここで見学でも……」

「よし!一分休憩!」

『はいッ!』


と、そこでタイミングよく小休憩に入り、部員達が面を脱いで道場の隅に置いてある自分のペットボトルを手に取り、水分補給を始める。


そこで穂澄が奈月達に気づいたようだ。面と竹刀を両脇に抱えたまま、こちらへと駆け寄ってきた。


「秋月殿!と……そちらはもしや?」

「ええ、女子野球部の部員よ」

「やはりそうであったか。お初にお目にかかる。私は千葉穂澄と申す」


時間もなさそうなので、奈月達も簡潔に挨拶を済ます。


(……写真で見ると日本人形みたいな子だと思ったけど、実際会ってみると武士か侍ね)


その短い間に、そんな事を喜美はこっそり心の中で思っていた。


「あ、あの千葉さん。陽菜ちゃんからもう聞いているとは思うんですけど、私達からも女子野球部に入ってほしいっていうお願いをですね……」

「……済まぬがその件で何度来られようと答えは変えられぬ。それに休憩時間も短いので、じっくり腰を据えて話も出来ぬしな」


確かにそう言っているうちにも、道場の中の部員達がまた面をつけ始めていた。


「そ、そうですか……」

「そうだ!むしろ逆に南殿らが剣道部に入るというのは如何であろうか?」

「なるほど!」

「何がなるほどなのよ」


喜美に頭を小突かれて「ふみぃ……」と鳴く奈月。それを見て穂澄はおかしそうに笑った。


「もし剣道に興味が有るなら、明日の休みにでも私の自宅の道場を訪ねて来るといい。そこでなら少しは落ち着いて話も出来よう」

「千葉ァ!休憩時間は終わってるぞ!」

「は、はい!申し訳ありません!……済まぬが私はもう行かねばならん。今日は会えて嬉しかったぞ」


最後に奈月達に向かって一礼すると、穂澄は面をつけながら道場へと戻って行ってしまった。


「まったく……ミイラ取りがミイラになりかけてどうしますの」

「ふみぃ……すみません……」

「まぁまぁ。千葉さんと顔合わせが出来ただけでも今日はよしとしましょう」

「そうよ、奈月は何も悪くないわ。それにあの短い時間で自宅に招待されたんだし、むしろ上出来よ」

「……笹川さんはともかく、秋月さんまでなんだか南さんに甘くありません?」

「気のせいよ」


へこんでいる奈月の頭をよしよしと撫でる陽菜を見て、絶対気のせいではありませんわと雅はため息をついてみせた。



【続く】

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