第72話 立て!

悲鳴が上がった。

いや、理解が出来ない事象への戸惑いの声だ。

王族も役人も兵も、皆、声が裏返っていた。

視界の先で、あり得ない事が起こっている。

鬼が、鬼が倒されている。

人は捕食されるだけの存在であり、鬼を殺すなど不可能の筈だ。それなのに、鬼が倒されていく。

王宮のバルコニーから見るだけでは、鬼の現場は遠く、何が起こっているのか分からない。ただ、順番に鬼が倒れてゆく。

直後に鬼がいたあたりからは光が天空に向かって伸び消える。

その後、再び鬼が立ち上がってくる事はなかった。

私達はバルコニーを一周して鬼が倒れて行く様子を見守り続けた。

最後の鬼が倒された時、王の勅命が下った。

状況確認。全騎馬隊出陣せよ。

私は残る騎馬隊三隊の出陣方位を即座に決めると、状況が分かり次第直ぐに帰城・報告を求める様、各騎馬隊長に指示した。

衛兵隊には引き続き救援活動の迅速な準備を。

階下にいる騎馬隊や衛兵にバルコニーから怒鳴った。

衛兵隊長には王宮が空になっても構わない。情報収集と救助に走れ。

と勝手に私が付け加える。

王は王妃の肩を抱きバルコニーから離れて行く。

越権行為もいいところの私の指示だが、王は私に一つ頷き部屋に戻る。

代わりに第一王子がバルコニーに陣取り、王剣を杖に、民草に王家健在を示すが如く立っている。

まだ少年の王子には出来る事は少ない。

判断力にしても、その為の材料をまだまだ身につけていない。

それでも第一王子の姿は国民に多大な希望を与える筈だ。

キクスイ王国未だ健在なり!と


数日を経て、被害がまとまった。

王都の住民のおよそ3割が死亡。

5割が重軽傷。五体満足な者は僅か2割。

王都の建物の7割が倒壊、焼失。

復興には、王族も軍人も貴族も庶民も関係なかった。

皆、朝早く街に出て瓦礫を取り除き、生存者を探した。

比較的損傷の少ない建物は王家が買取り、一時的な病院に使用するつもりだったのだが、建物の家主達は率先して建物を差し出した。

国内からは救援物資がひっきりなしに届き、また国外からの援助も人・資材・金が盛んに流入してくる。

鬼を倒した我が国に興味が湧く事は、為政者にとって至極当然の事だろう。

そして、我が国は一連の騒動について、何一つ隠す事なく公開した。

それが今、我が国が出来る唯一の誠意なのだ。


しばらくして鬼について報告が上がって来る様になる。

不思議な事に、全ての鬼の左足首が切り離されていた。

それだけでは無い。

シュヴァルツ領囚人の村の鬼

王都郊外の鬼。

発見された鬼の死骸は全て左足首が切り落とされていた。

それは何を意味しているのだろう。

何が我が国に起こっているのだ?


更にエドワード家からの報告には混乱を誰もが隠せなかった。

数日来、我が国に親子連れの旅行者が来ている。

通常の任務として監視対象に指定した。

ところが、彼らにちょっかいを出した者はほぼ全員殺された。或いは行方不明になった。

兵も賊(組織)も関係なく、みな左足首を斬られて。

兵の被害に無視出来なくなったエドワード公は指示を出した。

彼らに触ってはいけない。

我らでは彼らには勝てない。


左足首切断?まさか。

その共通点は何だ。何を意味する?



鬼の死骸はその場で解体された。

鬼は希少な素材の塊とは古くからの伝承で残されていた。

鬼の死骸など誰も見た事は無く、当然誰も信じていなかった。

現物を見てみると、肉は直ぐ腐敗を始めたが角や歯、骨の頑丈性は鉄を遥かに超える物であり、

復興資材に、或いは希少素材として売却するなど、かなり有用になりそうだ。

今、我が国には30体分の鬼の素材があるのだ。

のだが。


気になる報告がある。

鬼の死骸(つまり鬼が暴れていた付近)がある場所に居た住民達が口を揃えていると言う。「光に救われた」と。

確かに鬼が倒された後、謎の光が発光した事は、私達もバルコニーで確認している。


親が兄弟が友達や同僚が

沢山死んで、沢山殺されて、沢山食べられた。

地震で傷つき、火傷を負い、動けなくなっていた者は絶望の為、お互いに死を望んだ。

誰か俺をもう殺してくれ。お願いだ。

私を楽にしてちょうだい。お願い。

人は皆動けなかった。立ち上がれなかった。

もう鬼に食べられてもいい。

もう火事で焼け死んでもいい。

しかし、あの日あの時、鬼が倒されると同時に巻き起こった光に触れた途端、全てが変わった。

欠損した傷すら回復し、皮膚呼吸すら困難になった重度火傷が治り、そして立ち上がる気力が身体に満ち溢れた、と。

そして分かった。生き残った私達は立ち上がらないといけない。

だから立ち上がる。その為の力を私達は貰った。

他には何も分からないけど。

それだけは、とにかくそれだけは分かった。


そんな大勢の証言をどう判断したら良いと言うのだろう。


分からない分からない、何もわからない。

迷い考えていると王が言われた。

分からない事、出来ない事は後回しで構わない。分かる事、出来る事をすべきである。

それは正しい。圧倒的に正しい。


復興の目処が付き、少しずつ私達の生活が戻り始めた日。

隣国に我が国以上の大騒動が勃発した。

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