第56話 あの人

私は鬼だった。

私には父も母も家族もいなかった。

私が生まれた時、私は既に今の私だった。

私の姿は人には誰にも見えないようだった。

話かけても誰も返事してくれなかった。

誰かに触っても誰にも気が付かれなかった。

私は何故生まれてきたのだろう。

私は生まれてはいけなかったのではないか。


そうではない。

湖に住んでいる「お父さん」が言った。

あなたには生きる意味がある。

湖に住んでいる「お母さん」が言った。

生きなければならない意味がある。

「山の人」が言った。

あなたに救いは来ます。

だから生きる。私は生きる。

私は探す。生きる意味を探す。


そして、あの人が来た。

ずっと待っていた人。

私の呼び方に初めて答えてくれた人。

やっとあの人が来てくれる。でも。

私はあの人が。

怖かった。怖かった。怖かった。 

でも来てくれたから。待っていたら来てくれたから。

私が初めて話しかけられる人。

私が初めて話しかけた人。

言いたい事はたくさんあった。

私は誰なのか聞きたかった。

私は何なのか知りたかった。

でも私の口から出た言葉は


「助けて下さい。」


誰を助けて欲しいのか。私?

私は助けて欲しいの?

何から助けて欲しいの?

分からない。分からない。分からない。

私は逃げてしまう。折角会えた人なのに。


湖の「お父さん」と「お母さん」に聞きたかった。でも「お父さん」も「お母さん」も走って行ってしまった。先にはあの人が馬に乗って走っている。何故?湖なのに水がない。水のない湖を馬で走っている。

そしてあの人を追いかけていた「お父さん」も「お母さん」も消えてしまった。ただ歓喜の想いだけが私に伝わってきた。

「お父さん」と「お母さん」をあの人は助けてくれたんだ。それだけは私にも分かった。


気がついたら湖は元通りになっていた。

私は一人になってしまった。

だから、私は、あの人についていく。

あの人ならば、あの人こそ、私に道を示してくれる。だって「お父さん」も「お母さん」も喜んであの人に着いていき、喜んで永遠に私から去って行った。

ならば、私もあの人に。


「消えちゃったよ⁉︎」

目線は離さなかったのに、坑道口の彼女が見えない。ミズーリもちょっとビックリ。

次元とか空間とか変えた、ってあたりかな?

どうせまた何処かで逢えるよ。

「うわうわ、どうしましょうどうしましょう。トールが私以外の女と解り合っているわ。嫉妬だわ。ヤキモチだわ。うふふうふふうふふうふふうふふうふふうふふうふふ。」

すっかり慣れちゃったなコレにも。手を握って身体をそっと寄せると直ぐ大人しくなる。

「どうしよう。私は女神の筈なのに。神々しい存在の筈なのに。どんどんチョロい女にされていくわ。」

あ、気が付いてた。

「知ってる?私はこうやってトールに調教されてきたの。既に私はトール様の奴隷。」

なんか、なんかごめんなさい。死と転生を司る女神だった筈のミズーリ様。


川を上がり街道に戻る。観光客が散歩してるだけあって直ぐに平地に出る。

目の前にはその宿場町がそれなりの規模で川を挟んで広がっている。

私達は街道から逸れて宿場町には行かない。

宿に泊まるより家が良い、というのがミズーリの希望だからだ。それに合わせて、私も家を色々改築しているし。それに私の希望でお風呂を改良したと、万能さんから通知があった。温泉ですよ、ONSEN。

入浴剤を作るつもりだったけど、私達の健康管理に関しては丸ごと総合病院になる万能さんが期待しなさいと威張ってたので期待します。

今夜のキャンプ地を決めると家を出して、直ぐに姿を消す。中に入るとミズーリが絨毯でヘニャヘニャに溶け始めた。

それもいつものルーチンワーク。

さて、私も飯だ酒だ温泉だ。大いに溶けよう。

今夜は何も無いと良いなあ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る