お姉ちゃん ⑤
コンクリを穿つ雨の中を、女性が運転するバイクが突き抜ける。陽が沈んだ真っ暗なコンクリの表面を白く照らすのはバイクの照明だ。街灯はない。フルフェイスのヘルメットで顔が見えなくても、彼女が人を探していて苛立っているのがわかる。演技が上手い。嵐一歩手前の天候でバイクを運転するなんて正気なのと、彼女がエンジンをかけるシーンから思っていたが、彼女にとってはそれよりも大事な人がいた。カメラが切り替わる。
ものすごい雨の音とともに社殿の屋根から水が流れ落ちる。ゆっくりとカメラが下がり、やがて止まった。うずくまった高校の制服を着た少女が真ん中に映る。彼女が池田ユウだ。
『お父さん……。お母さん……』
彼女が嗚咽混じりに漏らした両親の体は、映画の最初のシーンで病院に向かう途中だったタクシーごと中型トラックに吹っ飛ばされた。カメラが切り替わる。
民家の廊下だった。
『そうですか……はい。すみません。もしお宅にふゆこが姿を見せることがあれば、私どもに連絡をください。はい、はい。失礼します』
現実では見たことがない黒電話を戻し、細縁の丸眼鏡をかけた中年の男が大きくため息をつく。その後ろでは男の妻が泣き出しそうな顔で彼にすがっていた。男は彼女の肩に手を当てる。
『大丈夫だ。ふゆこはすぐに戻ってくる。それにミツルが行ったんだ。きっと二人とも帰ってくるさ。だから、そんな顔をするな』
再びカメラがが切り替わる。
池田ユウが何かに気づく反応をして顔を上げる。彼女の視線の先、カメラが捉えた鳥居の奥から頭が見えた。さっき映っていたバイクを運転していた女であり、中年男性からミツルと呼ばれていた。たしか彼女の本当の年齢は二十五だが、この役は大学一年生でまだ成人にはなっていない。
二人が左右に向き合う。
『お姉ちゃん』
『ふゆ。なに考え無しに、出てってんの』
二人の台詞が入るごとにそれぞれの顔がアップされる。雨は見えるだけで、もう聞こえない。
『ほら、帰るよ』
ミツルが掴んだ腕をふゆは払い除けた。
『ふゆ?』
『考え無しってなに?』
うずくまったまま出すふゆの声はごもっていた。大きく風が吹きつけ、二人の足にも雨がかかる。ふゆが顔を上げると、彼女の顔は雨に濡れていないのにぐちょぐちょだった。
『あたしが何も考えてなくて、突然お母さんとお父さんに反抗して出ていったと思ってるの⁉』
彼女が金切り声を上げ、木造の床に拳を叩きつける。
『自分が養子だって知って、本当のお父さんとお母さんは私がお盆とお彼岸でしか行かなかったあのお墓に眠ってるなんて知らなかったんだよ!』
私の隣では唯が泣いていた。池田ユウが演じるふゆは、本当の両親のことを知ってしまってから、義理の両親に対してずっと苦悩してきた。それを私たちは知っている。
『自分の今までの感覚が全部否定されてぐちゃぐちゃにされる感覚なんて、お姉ちゃんわからないでしょ!』
ふゆがどう自分の家族の前で振る舞ったらいいか、ずっと考えていたことも知っている。わからなくて、辛くて、誰にも言えなくて、だから周りからは突然暴発したように見える。だけど、いつもの反発の仕方とはわけが違った。だから、彼女の記憶の中で最も古い場所に、ふゆの妹の安産祈願のために、両親に連れられた記憶が微かに残るこの神社に来たのだ。
けれど、当たり前のように何も起きなかった。いくら、神社に行っても両親の記憶がそれ以上繋がることはなく、嵐で帰宅困難な人間が一人、泣きじゃくることしかできなかった。
『わかんないよ』
ミツルの正面にカメラが向いた。ミツルはしゃがんで、それまで見下ろしていたふゆを今度は見上げた。
『私とふゆ。たった二つしか離れてなくて、私の記憶でもほとんど妹のふゆしかいないんだよ。ずっと私はふゆの姉だったんだよ』
ふゆの頬にミツルの濡れた手が触れる。
『たしかにふゆと私は血の繋がりは薄いけど、あんたが馬鹿やったら家族みんな怒るし、出てったら探すよ。ふゆがお嫁さんに言ったら、お父さん私より泣くって言ってたじゃない?あれ結構ショックだったんだよ。ふゆがいないと学校帰りに商店街のコロッケ買ってくる人も、お母さんの愚痴相手も誰もいないよ。それでも、あんたの気が済むまで、お母さん達と言い合えばいよ。あ、でもクソババアは言っちゃダメだよ。そりゃあお父さんに殴られるって』
私はため息をついた。
ミツル。彼女はバイクのシーンをのぞいて、全て家族の誰かと一緒にいた。彼女の役割がミツルという人間では、『家族が生きた証』では成立しないからだ。それが凄くもどかしい。
『何回喧嘩してもいいし、外が雨でも出てってもいいよ。家にいる限りは、嵐でも私が探しに行くから』
ふゆがミツルによって引き上げられる。
『私はあんたの姉なんだから』
一つのシーンが終わる。
うんざりだった。ミツルも、この映画も大っ嫌いだ。ミツルは私が投げ捨なければいけないと思っているものを拾ってきて、コーギーのように尻尾を振り回して目の前に差し出す。
そんなものは、そんな私は、捨ててしまえ。
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