第8話

 

 式波さんはまず私のほうを向いてから


 「こんにちは。連絡なしに来ちゃってごめん。今日学校来なかったから大丈夫かなーと思って来てしまいました。」


 と言った。私たちは連絡先を交換していないのだから連絡できないのは仕方ないことだと思う。そう思ったけど言えない私をよそに、式波さんは悠理さんのほうへ向き直った。


「初めまして。矢神さんとクラスメイトの式波柊です。よろしくお願いします。」


 それはシンプルな自己紹介だったが私と彼女の関係性を一番簡潔に示した。

 式波さんが来てからそわそわしていた悠理さんは自己紹介を受けてピシッと姿勢を正す。


「こちらこそ、初めまして。知念悠理ちねんゆうりです。大学2年生だよ。よろしくね。」


しばしの間沈黙が流れ、悠理さんは式波さんを少し眺めてから、何かを察したようにこっちを振り返った。


 「ね、恋ちゃんがさっき言ってた子ってこの子?昨日ここに来てくれたっていう。」



 察しのいい人だ。いや、さっきの話と今まで私に友達がいなかったことを知っている人なら、このタイミングで来るのは昨日私を助けた人くらいだとわかるものなのかもしれない。


 「はい。」


 「うわあ…。式波さん。昨日は本当にありがとう。私個人としては恋ちゃんのこと妹みたいに思っていてね。だから恋ちゃんのことを助けてくれて感謝しかないよ…。」


 悠理さんは式波さんに近づいて手を握り、上下にぶんぶん振っている。敷波さんの戸惑った顔にはまるで気づいていないようだ。


 

 「ハイ。ストップ、知念。興奮しすぎ。恋も式波さんも困ってるよ。」


すると、ドアにもたれかかって様子を見ていた桃李さんが悠理さんに近づいて引っぺがした。


 「あれ、またやっちゃった…。ありがとね、冬見。」


 「いや、別にいいけど。」


 我に返った悠理さんに感謝されて、桃李さんはふいとそっぽを向いて顔を赤くした。

 桃李さんは、悠理さんと同じ大学二年生だ。悠理さんとは中学から一緒に過ごす仲なんだそうだ。極度の寒がりで、今も春だというのに厚手のジャケットを着ている。


 

 悠理さんは時計をちらりと見やってから、


 「ねえ、柊ちゃん。もしよければだけど…時間も遅いし晩御飯食べていかない?そろそろみんなも帰ってくるし、今日は高校生組が外で食べてくるって連絡してきたから材料も余ってるんだけど。それに…恋ちゃんもほぼ回復したみたいだから一緒に食べれると思うよ。」


 と式波さんに提案をしながら私を見た。私はさっき「もうほぼ回復した」と言ってしまった手前否定することもできず、


 「はい…。」


と頷くほかなかった。式波さんは、見るからにうれしそうな顔をして


 「いいんですか!?ぜひ。」


と珍しく感情をあらわにして喜んでいる。 

 それを見た桃李さんは何かを企んでいるときのようにニヤリと笑って


「知念。そうと決まれば、ご飯作りに行こうぜ。あまり遅くなっても困るしな。

 じゃあ、ウチらは飯作るからしばらくお話ししてなよ。」


というと悠理さんの手を引いて部屋を出ていった。式波さんは当惑したように二人を見ていたが、くるりとこちらに向き直った。私としては、私なんかといるより桃李さんたちと話すほうがよほど楽しいだろうと思ったのだが、私の様子を見に来てくれた手前ここからあっさり出るわけにもいかないのだろうと思い、身を起こした。

こういう時何を言うのが正しいのだろうか。誰かが自分を訪ねてくるという経験はほとんどしたことがない。来てくれて申し訳ないと思う。でもすごく嬉しい。


「…わざわざ来させちゃってごめんね。でも…ありがとう。」


結局両方伝えた。式波さんは、昼に悠理さんが座っていたクッションを使っていい?とこちらに聞きながらその上に座ってちょっと笑った。


「そこは、ありがとうだけでも良いよー…なんて。まぁ…今日はただ様子を見に来たってだけじゃなくてー、プリントを渡すという役目もあるから。」


そういうとそばに置いていたバッグの中から一つのクリアファイルを出した。

 

 「ってことで…これ、どこに置いとけばいい?」


クリアファイルの中には数枚の書類が入っているようで少し透けて見える。置き場所は出来ればクリアファイルが汚れない場所。


 「勉強机で。」


私がそう返すと式波さんは


 「りょーかい。」


と言って立ち上がり、勉強机にポンと書類を置いた。


 そのままクッションに座りなおして、


「寮生の人、今日はみんないるの?」


と聞いてきた。


「いるよ。七人全員。」


「七人…。じゃ、私ほとんどの寮生の人とお話をしたことになるわけだー。六人知ってるから。」


ほとんど全員と昨日今日で仲良くなるというのはさすがのコミュニケーション能力だ。会ってないのは多分…


「会ってないのは多分エルだね。」


「エルさん…?確かに話してないなー。」


「昨日は部活してたんだと思う。エルは陸上部なんだよ。」


「へぇ…。どんな子なんだろ…っていうか部活も決めないといけないんだよなぁ…。」


不思議だ、と思う。さっき自分は彼女に何も与えれられないと思ったのに、そしてそれは今も変わらないのに、彼女から与えられることを素直に受け入れている自分がいた。


「部活、まだ入ってないのか?」


「そうだなー。いいと思う部活はいっぱいあるんだけど決めきれないんだよねぇ。矢神はなんか入ってるの?」


「私は、美術部に所属している。絵を描くのが好きなんだ。自分の言葉ではうまく説明できないことも表せるような気がして。」


私の説明を式波さんはよくわかっていないようだった。


「…すごいねぇ、矢神は。私、正直言って矢神が絵を描くことが好きな理由はよくわかんなかった。けど、絵を描くのが好きってことはすごく伝わったよ。」


よくわからないとはっきり言われたことはショックではなかった。彼女は私が絵を描く理由を理解しようとしていない訳ではないということは、目を見ればわかるからだ。


「うん…そうだな。わからなくても良い。私は私のために絵を描くのだから。」






 式波さんは、顎に手を当てて何かを考え込んでいる。何を考えているのかは知らないが彼女の考え事を邪魔したくはないので、静かに彼女を観察してみる。


「……入りたい部活、決まったかも。」


唐突だ。さっきまであんなに迷っていたというのに。


「…え?」


「バスケ部にする。私、小学生の頃バスケすごく好きだったんだ。クラブとかには入ってなかったけど、好きだった。」


 

 そう語る目が綺麗で、唐突だったけど本当に好きだったんだろうな、ということは伝わった。彼女が今まで生きてきた中でどういう思い出があるのかを私は知らないが、好きなものがあるならそれはとても良い事だと思う。







 その後もしばらく話をした。式波さんには仲の良い友達が5人いて、今度私と話したがっていることとか、今日あったこととか。


 「そろそろ、私もお手伝いしに行こうと思う。」


基本この寮では、誰か1人が全員分のご飯を作るということはない。みんなで作るのだ。今はさっきの2人がいることは確定だけど、他に誰がいるか分からないからそろそろ手伝いに行くべきだと思うのだ。


 「それで……式波さんも一緒にお手伝い、しに行かない?」


 来客にお手伝いをさせるのはどうかと思うけど、この場に1人ポツンとするのも困るだろう。

 式波さんは私の提案に嫌そうな顔はせず、むしろ嬉しそうだった。


「…いいの?それはしたいけど…矢神はもう風邪大丈夫?」


それはもう、むしろいっぱい寝たおかげで元気いっぱいだ。そう伝えると式波さんは嬉しそうに笑った。

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