第9話
「お手伝いします。」
式波さんは共有スペースの台所に立っている2人によく通る声でそう言った。2人はすでに何皿分か料理を作り終えていて、今はスマホを覗き込んで何やら相談しているところだった。
「お、ありがと。料理はする方?」
「っていうか、恋ちゃんはもうベッドにいなくても大丈夫なんだよね?」
「えっと、家庭科の授業で習ったレベルの少し上くらいまでなら一通りできます。」
「風邪はもう、大丈夫です。悠理さんのおかげです。」
それぞれに向けられた質問にそれぞれが答える。
まるで卓球の台の上で二つのピンポン玉が跳ねる様だ。二組のプレイヤーがいて、二人が同時に放った球は台上で交わったりしても、必ず正しい相手に届く。
実際そう上手く行くかは分からないけど、私たちの会話上ではそれが成り立っている。
悠理さん達に指示を受けてテキパキと動く式波さんを見ながら自分ものろのろと手を動かした。私はこの寮の中では大して料理が上手なほうではないからご飯の用意を手伝うときは雑用が多い。
テーブルの上には誰かが置いたままにしてあるものなどが転がっていて、誰かの所持品だとわかるものもあれば、誰かが郵便受けから出して置き去りにしたチラシなども置いてある。それらを捨てるなり、一時的にテーブルからどけるなりしてからテーブルを拭く。
「ただいま帰りました。」
ふと、玄関から声が聞こえた。
「お帰りなさい。」
返事をすると少しの間があって、エルが共有スペースに入ってきた。右肩に中学の学生かばんをかけていて左肩には部活用のナップザックをかけている。目は青みがかった黒で、髪は肩にかからないくらいで後ろでくくっている。
「ただいまです…」
もう一度挨拶をしながら私のほうを見て、台所に立つ三人を見てからエルは首を傾げた。私はエルの顔を見て、あぁという顔をした式波さんを引っ張って、エルの前に連れて行った。
「…ええとエル、こちら、私のクラスメイトの、式波柊さんです。…式波さん、こちらは私の一つ下の後輩で寮生の夏目シエルちゃんです。」
取り敢えず二人の共通の知り合いとして引き合わせると、コミュニケーション能力の高そうな二人らしく
「矢神さんから少しお話伺っております。初めまして式波柊です。今日は遊びに来させてもらっています。」
「…こちらこそ初めまして。矢神先輩の後輩の夏目シエルです。母は日本人で、父はフランス人です。よろしくお願いします。」
と挨拶を交わした。それから何か雑談を続けるというわけでもなく、ちらりと台所の二人を見やったエルは式波さんにペコリと頭を下げてから
「何か手伝うことはありますか?」
と聞きながら駆け寄った。彼女が共有ペースの壁に立てかけた二つのカバンを眺めながら、式波さんは
「クールな雰囲気の子だね。」
とつぶやいた。確かにそうかもしれない。年頃の子にしては鞄はキーホルダーなどをつけるでもなくシンプルで、私たち寮生にも一律で敬語。前寮に来ていた友達に対してももそうだった。
「そうかもしれない。」
でも、それだけという訳でもない。敬語だからと言って距離を感じるという訳でもなく、なかなか可愛らしいところもある。だがそれはエルと彼女が会話の中で知るべきことだと思った。
「「「「「「いただきます。」」」」」」
目の前にはおいしそうな料理がいくつか並んでいる。彩り豊かな野菜やおいしそうな肉。どれをとっても自分には真似できなさそうで、完成度がとても高い。
エルと私と悠理さんと桃李さん、それから式波さん。五人ですればご飯の用意はすぐに終わった。とはいっても自分はほとんどテーブルを拭いたりお椀などの食器を用意したりするだけの雑用係だったが。
用意が終わってからマコトさんの帰りを待って雑談をしていると、程なくして彼女も帰ってきた。
「ただいまぁ…。」
と言って部屋に入ってきた彼女は、式波さんの姿にも特に驚かず自然に迎えた。それはある意味特別なことなのだと、私は勝手に思っている。
とりあえずお茶を一口。それからサラダを小皿にとって食べる。ご飯を食べるときは野菜を一番最初に食べるのがいいらしい。基本的に苦手な野菜はないのでおいしく食べることができる。ドレッシングがかかったトマトを食べるとなかなか甘かった。酸っぱいのよりはそのほうが好きなので、ひそかにあたりを当てたような気分になる。
私の右隣にはいつもエルが座っていて今日も座っている。左隣にはいつもは莉音センパイが座っているけど、今日はいないからそこが式波さんの席になった。式波さんは今は向かいの席を定位置としている斗真センパイがいないので、私の向かいの桃李さんとその隣の悠理さんと話している。
「あ、これおいしいですね。」
エルはフランスと日本のハーフだが、流ちょうな日本語と英語をしゃべる。フランス語は話さない。
「どれ…。あぁ、チャプチェだ。韓国の料理だね。」
彼女は今、韓国料理のチャプチェと呼ばれる春雨のような料理を見て感動しているところだった。確かにこの寮では一度も出たことのない料理だと思う。最近は韓国のアイドルや料理などが流行っていてよくテレビなどでもやっている。流行に敏感そうな年頃の悠理さんか桃李さんのどちらかが、それを見て買ってきたのかもしれない。
「私も食べてみようかな。」
私は取り分ける皿にチャプチェを少し取り分けて、食べてみた。ごま油にいい匂いがして、食べやすい。
「うん。美味しいな。」
私が言うと、エルは楽しそうに笑った。
メインの料理はハンバーグだった。大きな皿に均一なサイズのハンバーグがたくさんのっている。この均一なサイズからして、作ったのは多分桃李先輩だろう。
桃李先輩と、悠理先輩は仲が良くて、かなり似ているけど、結構違うところがある。このハンバーグもその一つで、桃李先輩は均一なサイズで作るけど悠理先輩だったら大きさがバラバラだったり、動物の顔とかハート形とかもっと遊ぶだろう。
小皿に一つ取り分けて、そばに置いてあった皿に入っているソースを少しかける。箸で少さく切って口に運ぶと和風なおろし玉ねぎソースの味と、ジューシーな肉の食感。
「…美味しい。」
「恋は本当においしそうに食べるよね。」
机の一番端っこにお誕生日席のような感じで座ったマコトさんが、ふわりと笑った。まるで母親のようだ。寮母だからだろうか。25歳ということで私とは10歳ほど離れているということになる。私が25歳になったらこんなにも落ち着いた大人になれるものだろうか。
今の自分は色んなものにおびえていて、自分にすらおびえているという自覚がある。10年経てば自分も、もっといろいろなものを受け入れられるようになっているだろうか。
「…だって美味しいですから。」
美味しいものは美味しい。それははっきりと分かること。優柔不断な性格である自覚はあるけれど、分かることは分かる。
例えばこのハンバーグは美味しいこととか。後は寮のみんなは、式波さんは、優しいこととか。
それと、さっきから式波さんと私に会話がないのは私がなんとなく避けてしまうから、そしてそれを式波さんが察しているから、ということも。
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