6.喫茶スズラン
喫茶スズランはたくさんの編集社が立ち並ぶビル街から少し離れたところにありました。「オープン」と描かれた趣のある木のプレートがドアに掛けられています。
ウキウキする気持ちを抑えながら、温かみのある木のドアを開けると、からんころん、という軽やかなドアチャイムの音が響きました。素敵な喫茶店です。
「いらっしゃい」
少し渋い声の寡黙そうなお兄さんがそう一言呟いて、黙々とティーカップを拭いています。少し狭めの店内には、香ばしいコーヒーの香りとちょうど良いボリュームのジャズが満ちています。心地いい空間に思わずうっとりしていると
「あ、アユさんこっちです〜」
西田さんが一番奥に一つしかないボックス席でひらひらと手を振っていました。西田さんの反対側には、私と同じくらいに見える女の子が緊張した面持ちで座っていました。
その女の子にはどこかで見覚えがありました。
「コイさん……?」
〜・〜・〜
「コイさん……?」
ふと自分の名前を呼ばれて驚く。目の前に座っているのは週刊サンドーの編集者、西田さんだけだ。ぱっと横を振り向くと、そこには懐かしい彼女がぽかんとした顔をして立っていた。
「アユ……。ナカムラアユって、アユちゃんのことだったの?」
中学時代に私の転校をきっかけにして離れ離れになってしまった、私と彼女。
「まさか! 樹坂ウドさんって!」
へんちくりんな喋り方もあのときと何も変わっていない。嬉しくなってついつい口元が緩んでしまう。
「反対から読んでみて?」
「ドウ……カサキ……名字の
私が満面の笑みで頷くと、彼女はほろほろと涙を流していた。
西田さんはよく分かっていないまま彼女をボックス席に座らせて、はんかちを渡す。なんだか不思議な光景だ。
「お二人は、もしかしなくてもお知り合いだったんですか」
「中学時代からの友人で……」
こんなことになるなんて。彼女は漫画を描き続けることを、私は小説を書き続けることを辞めなかったのだ。それがまさか、こんな形で。
「そうだったんですねぇ、いやいや驚きました! そんなことがあるんですねぇ……何年も担当をやってきましたがこんな偶然に出くわしたのは初めてです」
西田さんは私と彼女を交互にみて、一緒に喜んでくれた。
あとから聞いた話だと、彼女は高校を卒業後、母親に猛反発して芸術大学に入学を決めて、ずっと漫画を描き続けていたそうだった。
好きなことを仕事にしたい。そんな思いで始めた漫画家のアシスタントも気が付けば五年が経っていたという。周りでは同期だったアシスタントの仲間が次々に連載デビューを果たし、かなり焦っていた彼女のもとに舞い込んだのがこの仕事だった。
この仕事をきっかけに、彼女は「自分の作品のデビューを掴む」ということが出来た。今週の週刊サンドーの表紙は、彼女の作品が選ばれている。
私の夢だった小説家という仕事も、新人賞の大賞を受賞することが出来たおかげでデビューすることができた。「君を明日、ここで待つ」はベストセラーを記録する作品となった。
そんな奇跡の再会の二年後には、ハイクオリティな作画と豪華な声優陣によるアニメ化もされた。私は彼女と一緒にテレビで流れている自分の作品を見て、一緒に笑い、一緒に感動した。
「このワンピース、可愛いね」
「お揃いにしようよ」
三十代のしばらくは彼女と一緒に仕事をする機会が多くなり、プライベートでも一緒に過ごすことが増えた。一緒に洋服を見に行って、お揃いのワンピースを買ったこともある。彼女と過ごす時間はとても濃密で、幸せな時間だった。
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