5.居ても立ってもいられないのです

 ティロリン、ティロリン、ティロリン。


 私は覚えのない着信音に驚いて、急いでベッドから飛び起きました。枕元に置いていたスマートフォンの液晶には“西田にしださん”の文字がうつっています。

「はい、もしもし」

 恐る恐る電話に出てみると、西田さんの少し高いふくよかな声が聞こえてきました。西田さんは私がお世話になっている大手漫画出版社の編集さんです。

「ずっと電話かけてたんですけど、もしかして寝てました?」

「……はい、ぐっすりと」

 西田さんは呆れたのか、なんなのか一度「はぁ」と溜め息を吐いて

「大きな仕事が入ってきたときに限って寝てるんですね、まったく……」

と言いました。大きな仕事? なんのことでしょう。

「そりゃあ朝なんですから寝てるに決まっているでしょう? それより、大きい仕事って何のことです……?」

 起きたばかりでまだ寝ぼけた頭でそう聞きます。もう私も28歳になったのです。大きな仕事、と聞いてドキドキしない大人はいません。頭を覚まそうと、蛇口からコップ一杯の水を汲んで一気に飲みました。

「驚かないでくださいね?」

 ごくり。そう言われるともっとドキドキしてしまいます。

「はい」

「今度、小説新人賞で大賞を獲った小説のコミカライズを任せたい、という仕事が入りました」

「えっ」

 どういうことかイマイチ理解できていないまま驚きの声を上げてしまいました。どういうことでしょう。私が、コミカライズを担当。

 私は漫画家のアシスタントをしながら、漫画家のたまごとして過ごしています。今まで自分の仕事が舞い込んでくることは全くと言っていいほどありませんでした。

 しかし、いざ来るとドキドキとワクワクが入り混じって、上手な反応が出来ないのです。

「もう、その作品名も決まっています」

「ええっ」

 ごくごくり。私はもう一度息を飲みました。

「『君を明日、ここで待つ』という樹坂きさかウドさんの作品です」

「樹坂ウドさん……」

 全く聞いたことのない名前でしたが、新人賞なのですから当たり前だ、と思い直しました。

「ちなみに樹坂さんはアユさんと同い年みたいです」

「そうなのですね……」

 突然入ってきた大きすぎるお仕事に圧倒されて、何も言えません。

「原作になる小説のほうは今日送られてくると思うので読んでください」

「はい……」


 その晩、私は大好きなワインをちびちび飲みながら、送られてきた小説をゆっくり味わいました。これがなかなかに面白いのです。私は夢中になって読みふけりました。

 そしてワインが一本空いた頃、ちょうど小説も終わりを迎えました。一つの映画を見たような、一つの山を登ったような昂揚感に包まれました。素敵! 私は読み終わってからもひたひたと余韻に浸かりました。

「このお仕事、引き受けさせていただきます」

 居ても立ってもいられず、次の日の朝には西田さんにそう連絡を入れていました。

「そう言うと思いました! それでは次の水曜日の15時に、編集社の近くにある【スズラン】という喫茶店で打ち合わせになります」

 ドキドキとワクワクが募ってきました。こんなに面白い作品をコミカライズ出来るのです。その晩は興奮のあまり、また一本ワインを空けてしまいました。

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