2.真冬のストロベリーティー
中学校にあがってまだ間もなく、新しい環境に慣れるのに必死だったその頃、私は彼女と出会った。彼女の名前は
「貴方、アニメが好きなんですってね」
これが初めて彼女に言われた言葉だった。教室の隅で一人静かに文庫本のページをめくっていた私は、突然自分の机の前に現れた彼女に驚いて、どこまで小説を読んでいたのか、すっかり忘れてしまった。
「えっと、うん。アニメ、好きだよ」
私は小説の適当なところに栞を挟むと、彼女の綺麗な容姿に思わず見惚れた。艶のある胸元まで伸びた黒髪、白く透き通った肌に、宝石のように埋め込まれた薄茶色の瞳。くびれのあるウエストに、制服のスカートから伸びる華奢な脚。誰もが見惚れてしまうようなスタイルだ。お人形のような彼女の容姿は、古ぼけた教室には似つかわしくなかった。
「私もアニメがとても好きなのですが、一緒に盛り上がれるお友達がおらず、是非一度、貴方とお話してみたいなと思っていたのです」
彼女は最初から、とてもへんちくりんな言葉遣いをしていた。それが彼女の個性でもあるけれど、そのせいで彼女は一番最初の自己紹介のときからクラスで一際目立っていた。人見知りな私が、それまで一度も話したことのない彼女の名前を覚えていたのも、彼女がやたらに注目を集めるような存在だったからだ。
「そうなんだ……」
「えぇ、そうなんです。どんなアニメが好きなのですか?」
話してみると、彼女は私と同じアニメが好きなことが判明した。彼女は嬉しそうに、絶対に弱みを見せなかった主人公が流した最終回の涙について、熱く語ってくれた。へんちくりんな言葉遣いなんて気にならないくらい、あっという間に彼女と私は意気投合した。
「あ、聞き忘れていました。貴方のお名前はなんというのでしょう」
「
「コイさん、これからよろしくお願い致します」
彼女はふわっと花が咲くように微笑んでから、スカートの裾をひらりと返して自分の席に戻っていった。これが私と彼女の、最初の出会いだ。
私と彼女のアニメ以外の共通点が分かったのは、その年の冬頃だった。息が白くなる寒さのなか、彼女の家に私は初めて遊びに行った。
彼女の家はこの地域で一番立派な家だった。いや、お屋敷というべきかもしれない。そのくらい、豪華できらびやかな外装だった。「すごく立派なお家だね」と言うと、彼女は三階建のお屋敷を見上げながら「そんなことないわ。かしこまらずに、いつでも来ていいんですからね」と私を見て微笑んだ。
家のなかに入ると、甘ったるい香水の匂いと一緒に仏頂面をした女性が出てきた。年齢は分からないが、少なくとも自分の母親より一回りは上だろう。その人は彼女の母親だった。
「あら、誰なのそちらの方は」
威嚇。嫌悪。どちらでもないけれど、少なくとも私に好意を持っているとは思えない冷たい空気が流れ込んできた。
私の格好が彼女の家に比べたら平凡だったからかもしれない。今までを思い返せば、彼女も、彼女の母親もブランドものをよく身に着けていた。身だしなみというのは、第一印象を決める決定打になる。私は彼女に対して申し訳ない気持ちになった。
彼女は母親に対して、子供を見るような表情をしながら私のぶんのスリッパを取り出して
「お友達です。お母様はお部屋に戻っていては? 私はこの方とお茶会を楽しむのです。それでは、失礼します」
と言った。凛とした彼女の声が、高い天井の玄関ホールに響き渡った。玄関にはガラスで出来たライトが吊り下げられていて、ドアの上の壁に埋め込まれたステンドグラスが照らされている。
「行きましょう」
私はそのとき、家のなかでもへんちくりんな言葉遣いをしていて、自分の母親のことを「お母様」と呼ぶ人を初めて見た。
へんちくりんな娘の母親もまた、へんちくりんだった。彼女の母親は、自分が子供時代に出来なかったことを全て娘にやらせようとする人だったのだ。
厳かな雰囲気に気圧され、私は一言も声を発さないまま彼女の部屋に入るや否や、彼女は私に向かって頭を下げて
「ごめんなさい」
と謝ってきた。彼女が謝ることは何もないはずなのに、家族というのは自然と連帯責任を感じさせてしまうらしい。
「なんで謝るの、アユちゃんは何も悪くないよ」
私は自分が出せるなかで一番優しい声でそう言うと、彼女は顔を上げて
「……お母様、昔からお友達が少ないみたいで、私がお友達を連れてくると必ず不機嫌になるのです」
と残念そうに呟いた。どうやら私の着ている服が気に入らなかった訳ではないらしい。
彼女はそれから一旦部屋を出て、紅茶を持ってきてくれた。野いちごの柄が施されたティーカップからは、ほんのりといちごの香りのする湯気があがっている。
「アチッ」
隣からそんな声が聞こえ、私は思わず彼女のほうを見ると、舌をちろりと出して口の中を冷ましている彼女がいた。猫舌らしかった。
「これ、結構お熱いので気を付けてくださいね……」
少し照れたように笑う彼女がなんだかおかしく感じて、ぷっ、と吹き出すと彼女は一瞬驚いたような顔をして、また一緒に笑った。
「意外、アユちゃんってそんな一面もあるんだね」
「べ、別にいいでしょう?」
彼女は恥ずかしそうにそう言ってからもう一度紅茶をすすると、また熱そうに舌を冷ましていた。
私もひとくち、紅茶を口に含むと、ストロベリーティーの華やかな香りが私を包んだ。なんだか忘れていたけれど、外はとても寒かったことを思い出す。窓の外を見ると、雪のようなものがちらちらと降っている。外ではキンと冷えていた身体も、ティーカップの熱でじんわりとなかから温まる。
しばらくすると、彼女は勉強机の引き出しから一冊のスケッチブックを取り出してきた。少し年季の入った感じの表紙だった。
「スケッチ、好きなの?」
そう聞くと、彼女は小さく首を横に振って、私にそれを渡してくれた。表紙をめくって出てきたのは、私と彼女が仲良くなるきっかけとなったアニメのキャラクターだった。
「私、実はアニメのイラストや漫画を描くのも好きなんです。でも、共有できるようなお友達がいなくて……」
繊細なタッチで描かれた水彩画のキャラクターたちに見惚れていると、彼女は私の反応を伺いながら
「コイさんは、なにか自分で創作する趣味とかあったりしますか?」
と聞いてきた。
私は一瞬恥ずかしさを感じながら
「私は、小説、かな……」
と打ち明けた。自分が小説を書いていることを人に言ったのは初めてだった。
「へえ! 小説を書かれてるんですか! 凄いです!」
思ったよりも食いついてきた彼女の勢いにびっくりしつつ、こんなに簡単に受け入れたことが嬉しかった。
「うん、でもなかなか話を終わらせられないんだよね。ずっと続けちゃうっていうか……だから完成してる作品はほとんど無いの」
「文章が書けるってだけで凄いですよ」
「絵を描けるほうが尊敬するよ、凄い。超上手だし、どこかで発表とかしてたりするの?」
すると彼女は少し俯いた。
「お母様に絵を描くことを良く思われなくって、一人で描いているだけです……」
話を聞くと、彼女の母親は自分が幼少期に出来なかったことを全部、一人娘である彼女にさせようとしているらしかった。そのために幼い頃からバレエやピアノ、ヴァイオリンなどたくさんの習い事に通わされ、小学校高学年になってからは勉強に追われる毎日。「辞めたい」という言葉を言える余裕もないまま、気付けば中学生になっていたという。
「じゃあ、アニメはどうして……?」
そんなに厳しい親ならアニメだって見せないはずだ。
「あ、それは、実はメイドの方がある日こっそり見せてくれたんです。勉強を教えている、という口実で毎晩一話ずつ見せてくれていました」
「なるほど! それでアニメを見ることは出来たんだ……なんだか、大変だね」
彼女は静かに頷いてから、私と目を合わせて
「だから、こうしてお友達になって、絵の話やアニメの話が出来ることがすごく嬉しいんです。これからも仲良くしてくださいね、お願いします」
と微笑んだ。私も、全く同じことを思っていた。これからも、仲良くしていたい。大きく頷いて、微笑み返す。
しかし、別れの日は突然訪れる。
しばらくして、私は父親の転勤が決まり、隣の県に引っ越すことになってしまった。せっかく仲良くなれた、というところで私と彼女は離れてしまった。
最初のうちは文通もしていたけれど、気が付けば彼女との連絡は次第に回数が減っていった。寂しさを感じながらも、互いに違う環境で新しい出会いや別れを経験しながら、私と彼女は大人になっていった。
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