s1.6 紙上の墓標。

 書庫に入るときに司書からカンテラを渡された。保存のため書庫内部はいつも暗く、明かりが必須だそうだ。金属製のカンテラは少し重く、明かりはリラに任せることにした。


「本棚の上は見えませんね。」


 リラはカンテラを掲げて本の背表紙を見る。カンテラが届くのは精々身長の30cm上まで。まだまだ上にも本がある。端だけ見えるものだからいっそう興味をそそられる。


「私が照らそうか?」

「お願いしていいですか。私ですと届きそうにありません。」


 リラは先生にカンテラを差し出すと、先生はそれを手で制した。


「いいや、カンテラは使わないよ。私は魔法使いだからね。」


 先生は腰に差した真っ黒な杖を抜き取り、頭上に掲げた。こちらを向いた先生は笑っていた。


「テェルシェはよく見ておくといいよ。

 【Transparent-sphere  透明な球  】【Burning-things 燃えるもの 】【Ignition 点火 】」

「!」


 狭い書庫の通路で起きた現象はまさに魔法だった。無から白い粒子が生まれ、数本の流れを作る。暗い書庫が星空のように。収斂しゅうれんして球体になると周囲を均等に照らす。

 何もない空間に太陽が誕生した。これが魔法か。


「……光魔法ではないのですよね?」

「土魔法と火魔法の複合だね。私は光魔法が使えないから照明は基本これ。」

「これなら本も探しやすいですね。ところでこの光は何が燃えているんですか?」


 通路の本ならどれだって見える。カンテラではこれほどの光量はない。


「それはまだ教えられないね。この魔法の核心だからチェルシェが魔法を使えるようになったら教えるね。

 それよりどんな本を探そうか。決めてある?」

「貴族の本です。特に王族周辺の。」

「……それなら家系図とかかいいのかな。」

「わたしもそう思います。」


 これが書庫に来た目的だ。転生者の候補として、悪役令嬢【アルメラ】を調べるのだ。知彼知己者彼を知り己を知れば百戰不殆百戦殆うからず


「この辺りの本はルクメスク王国の史書ですね。」

「改訂版が並んでいるのかな。」


 少し歩くと同タイトルの史書が、見えなくなるほど向こうまで並んでいた。奥に行くにつれて年季が入っていて、最奥では装幀そうていが違っていた。


「最新のものを見てみようか。史書でも王族なら載っているよ。」

「はい。」


 通路を戻り、最新刊を見付ける。背伸びをして列の端にある大判の奇麗な一冊を、……手が届かない。


「これかな?、確かにこれが一番新しそうだ。」


 先生が取って私に渡してくれた。10才の背は不便だ。


 ……重い。表紙を捲り年代を調べると去年の日付。まあまあ新しい。年に一度改定しているのだろうか。重いからページを捲るのも一苦労である。


「去年のものでした。これが読みたいです。」

「じゃあテーブルに行って読もうか。」


 本を両手で掲げて主張すると頭を撫でられた。撫でられてもうれしくない。



 片手で持てないほど重い本を、両腕で抱えて運んだ。


「……よし。」


 テーブルに史書を置いて、椅子に腰かける。先生の魔法で明かりは十分だ。テーブルに置くと装幀そうていの豪華さが際立つ。ゴールドの金属光沢がまばゆい。


 ひとまずは目次を読む。

 アルメラの血統はどうだっただろう。父親はセオレ公爵だから、古くからの王族の血を継いでいる。加えて母方の祖母が王族だったはずだ。家系図を見て確認しよう。


 目次から家系図のページを確認し、ぱらぱらと紙をめくっていく。


「これだ。」

「うん。これが家系図だね。10親等くらいなら判るかな。

 チェルシェはここ。」


 指さす先には【チェルシェ・アール・マスマスアル】と記されている。わたしだ。その上には【フィア・アール・マルマスアル [†] 】、【バーテル・マルマスアル】とお母様とお父様が並んでいる。


「…… [†]これ は御逝去された方の印だね。短剣符と呼ばれているよ。」

「そうですか。」


 お母様は間違いなく亡くなられているのだと、史書にも記されていた。血統の上流の方々は漏れなく短剣符が突き刺さっている。


 わたしはアルメラを探すために王族から嫁いだ人たちを調べていく。嫁いだ女性たちは何人もいる。アルメラの苗字から察するに、母方の祖母はペンデ侯爵に嫁いでいるはずだ。

 推察を元に王族の上流から家系図を下っていくと、見付けた。




【アルメラ・ペンデ・セオレ [†] 】




「……え。」


 悪役令嬢の名には歿者ぼつしゃを示す短剣符が添えられていた。


「どうしたんだい?」

「あの、っ、いえ。……この方、わたしと同じくらいの年なのに、亡くなっていたので。」


 とっさに取り繕う。目線を合わせられない。


「セオレ公爵の御令嬢か……。

 生まれつき身体が弱く、病で亡くなってしまったと聞いた事があるよ。

 私ですら公女の顔を見たことはないけど、どんな娘だっただろうね。」

「病ですか……。」


 悪役令嬢が死んでいてはストーリーが成立しない。それが病で亡くなった?、ありえない。

 彼女の該当ページをめくり、詳細を調べる。


「アルメラ。……2歳、疾病により逝去……。ずっと前に亡くなっていたんだ……。」


 誕生年を考えると、2歳で亡くなったアルメラは殺人犯に成り得ない。


 ……アルメラも被害者かも知れない。お母様を殺めた犯人が、アルメラも殺したとは考えられないだろうか。殺人という手段を実行した人間なら、殺人の敷居は低くなる。


「動物にとって幼少期は試練だといえるね。力を持たず、自分を守れない。

 それは人間だって変わらない。親がいくら尽力しても、守り切れないこともある。

 貴族、更には公爵家ですら抗えない。

 健やかに育ててもらったことに感謝しないとね。」

「そうですね。……わたしは、色々な人に助けて貰っています。」


 ありもしないしっとりとした空気を肌に感じる。書庫の奥までは、先生の魔法の灯りも届かない。誰だって腕の長さは有限だ。





 史書を自室に持ち帰り、わたしはルクメスク王国の歴史を学んでいた。先生は歴史についても良く知っている。たずねればなんでも答えてくれる。


「お爺様は兄なのに王様にはならなかったのですね。」

「ティムルス伯父さんは王位継承権を早々はやばや捨てたらしいね。」

「そして先生のお父様が王位に就いたと。」

「御父上が王位に就いたあとは、伯父さんを王都に留めるために警備隊を任せていたね。今はアール公爵を叙爵じょしゃくして、王都警備隊の最高責任者を任されているから王都から出られなくなってるよ。」

「はじめて知りました。」


 警察のような仕事をしていたらしい。


「''アール''という名前自体が王都警備隊の最高責任者を表していて、責任者に就いた人の地位によって付属する爵位が変わる。襲爵しゅうしゃくできないから、任を解かれると元の爵位を名乗る慣例だね。」


 職業が名前になっているのか。パン屋のベイカーと思うと普通のことだ。


「''アール''の語源は''岩石の港''だと言われていて、ルクメスク王国の王都が古くは強固な石造りの港を持つ街として形成されていたことに由来するんだ。

 遷都したから今の王都は岩石の港でも何でもないね。」


 先生は饒舌じょうぜつに語る。インターネットも検索エンジンも存在しないから、先生のような知識人は貴重だ。

 彼女の助力を得られれば、迷走する犯人探しも円滑に進むだろうか。


「忘れ去られることは悲しいですね。」

「そうだね。だからこそ史書が必要な訳だ。」


 お母様も歴史の一欠片ひとかけらとなるのだろうか。紙上のインクは土の下より冷たいだろう。水に濡れれば輪郭を失い、火が灯れば炭化する。人類史は余りにも脆く、拙い。





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「s1.6 の pv が +1 増えました。」


 感謝に堪えません。耐え切れずトーストを焼きます。

 食パンには何を塗りますか?、私は林檎ジャムが好き。

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歿者ぼつしゃ没者ぼつしゃの本来の漢字です。

 変換で出てきたから調べた。古い字は形が変で面白いです。

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