第六章(3)

 

 

 

 ボクは部屋だけ押さえていた宿屋へ行き、置いてあった荷物を回収した。

 いつも持ち歩いている雑嚢のほかに、この街に来る前に買った魔道書を数冊突っ込んだ雑嚢がもう一つあって、寝台の横に転がしておいたのである。

 雑嚢二つを肩に引っ掛けて、肩紐がちょっとこすれて痛いので調整していると、開け放しておいた部屋の扉を、とんとんと誰かが叩いた。

 振り向くと、エシュネだ。

 

「キーヴァンさん一家は出発することになりました。酒場の鍵はユーヴェルドに預けました。いずれ取り壊されるので戸締まりの必要はないですけど、キーヴァンさんなりの、けじめだそうです」

「荷造りが早いね」

 

 感心して言ったボクに、エシュネは微笑み、

 

「腕さえあればできるのが料理人稼業というのがキーヴァンさんの持論だそうで、いざというときお金に換えられる最低限のものだけを家族にも持たせたそうです」

「見習いたい心がけだね」

「ちなみに、わたくしとの契約は龍首の半島南端の【龍角りゅうかくの港】に着くまで。ただし、そこまで行かずに落ち着き先が見つかれば、その時点で終了。食事は現物提供、その他経費は先方持ち、あとの報酬は後日払いです」

「美味しい食事が毎日楽しめそうで素敵だね」

 

 にっこりとするボクを、エシュネは笑みを引っ込めて、じっと見つめた。

 

「フェルにゃん、一緒に来ませんか?」

「うーん、いますぐ出発だとボクは行けないなあ。ユーヴェルドにも話したけど、ボクは新しい韻紋に合わせた革細工を頼んでるから」

「まだその注文は有効でしょうか? 帝国軍の襲来に備えて防具や武器の加工が職工組合から割り当てられて、そちらが最優先になるのではないですか?」

「どうだろう? 街の中にいるヒトたちと連絡をつける方法があればいいんだけど」

「フェルにゃん、おかしなこと考えていませんか?」

「え?」

 

 ボクは小首をかしげる。

 正直なところ、マレアちゃんに頼んだ下穿き──というか、例の黒革の端切れをどうやって受けとろうかとしか考えてなかった。

 

「おかしなことって?」

「街に残って、フェルにゃんが仕立てを依頼したというマレアさんや、彫紋師のルシーナさんを守るために戦おうとか」

「まさか」

 

 ボクは笑った。

 

「ボンフォルシオどのは年寄り子供以外は街に留まるのが住民の総意だと言ったけど、彼が言う『住民』は市会に議席を持つ大商人や大きな工房の親方みたいな、街が帝国軍の手に落ちると喪うものが大きすぎるヒトたちのことだと思う。腕さえあればできるというのは職人も同じで、商人なら頭と口があればというところだけど、実際は街に住むヒトの大多数は一度避難して帝国軍をやり過ごしたほうが損得勘定がマシなはずだ。つまり、マレアちゃんやルシーナさんも逃げるつもりかもしれないってことだ。そのときは手を貸したいと思うけど」

「逃げられませんよ、革細工の職人が。父親よりも腕がいいと言われているんでしょう?」

 

 エシュネが真っ直ぐにボクを見つめたままで言う。

 

「わたくしたちも東門で見て来ましたけど、ノアルドさんによると街の門はどこも衛兵が固めていて誰も通さないそうです。街から逃げられるのはユーヴェルドたちが護衛する年寄りや女子供の千人だけ。武器をとれる年齢の男性や、女性でも幼い子供の母親以外は逃げることを許されません。ましてや武器や防具の職人として知られていれば男であれ女であれ街から出られるはずがないです」

「……イヤなこと聞いちゃったな。でも確かにその通りだ」

 

 ボクは寝台に腰を下ろして、ため息をついた。

 

「冒険者なら去る者は追わないでもらえても、住民はそうはいかないのは当たり前だよね。ボクも冒険者として自分が戦争に関わらないことだけを考えて、発想がよほど浮世離れしていたみたいだ」

 

 エシュネの顔を見上げ、苦笑いで、

 

「だけどエシュネがボクを街から引き離すつもりなら勇み足だったね。それを聞いたら、ボクはマレアちゃんたちが本心ではどうしたいのか確かめるまで、この街を離れられなくなった。逃げ出したいのに逃げられないなら、逃げるのに手を貸してあげなくちゃ」

「逃げずに街のために戦うか、戦う手伝いをするつもりだったら?」

 

 エシュネが言って、ボクは首を振る。

 

「そうだとすればボクの手には負えないよ。ボクは冒険者で、戦争に関わるつもりはない。マレアちゃんやルシーナさんには悪いけど、この街から立ち去るよ」

 

 笑いがこみ上げる。自嘲じちょうというやつが。

 

「これが偽善ですらない自己満足だってことは、わかってる。この街には、まだボクが知り合っていないマレアちゃんやルシーナさんが大勢いて、でもボクはたまたま先に関わりができた、ふたりだけを助けようとしてるんだ。場合によっては自分だけ逃げる選択肢も残しながらね」

「わたくしたち冒険者は、みんな同じですよ。お世話になった、この双塔の街に敵軍が迫るのを知って、真っ先に逃げ出そうとしている。避難民の護衛なんて罪悪感を紛らわせるための言いわけです」

 

 エシュネが言う。

 

「だけど、それしかないんです。これは、わたくしたちの戦争ではないのですから。だからこそ国境を越えて自由に街や村を渡り歩いて冒険を追い求めることが許されているんです。どこの国の民でもないのが、わたくしたち冒険者なんです」

「そうだね……」

「だから、フェルにゃん。わたくしは、あなたが生命いのちの危険に遭うとは思っていません。フェルにゃんはニャンコの耳と尻尾があって、いつもボクとか言っちゃって、冒険者仲間にイジられつつも可愛がられていますけど、その全身の韻紋を見れば実は相当ヤバいヤツだってことは明らかです」

「相当ヤバいヤツって……」

 

 ヒドい言われようだなあ。

 しかしエシュネは真顔のまま、

 

「わたくしが心配しているのは、フェルにゃんが帝国相手に少しばかり派手な真似をして、おたずね者になってしまうのではないかということです。諸侯や傭兵団のうらみを買って、その首に賞金をけられて、暗殺者や賞金稼ぎに昼も夜もなく追い回されて気を休めることも許されない生活におちいりはしないかということです。だから忘れないでください。これはフェルにゃん、あなたの戦争ではありません」

「自分がどうしたって目立っちゃうことは、わかってるよ。ニャンコ耳の韻紋遣いだものね、しかもヒト並外れて多く韻紋を刻んで、ほとんどハダカみたいな格好をした」

 

 ボクは答えて言う。

 

「だから、約束するよ。なるべく早く街から逃げる。目立つことは、できるだけ控える」

「フェルにゃん」

 

 エシュネはボクに近づいて来て、両腕をつかんだ。ほとんど抱きつく寸前の立ち位置で、

 

「キーヴァンさん一家とわたくしは龍首の半島を南へ下りますから、どこかで追いついてくれたら、うれしいです」

「うん。そうできたらいいと、ボクも思う。マレアちゃんたちを連れてかもしれないけど」

「……フェルにゃん」

 

 エシュネはもう一度、呼びかけてきて、ボクの頭に手を伸ばし、ふにふにとニャンコの耳を揉みしだいた。

 

「……にゃぁ……」

 

 これがエシュネなりにボクとの別れを惜しんでいるのだとすれば、仕方がない。少し触らせてやるか。

 ふにふにふに。

 ふにふにふにふに。

 ふにふにふにふにふにふに。

 ふにふにふにふにふにふにふにふに。

 

「……しつこいよ?」

「えへっ?」

 

 エシュネは、ぺろりと舌を出した。

 ボクのことを相当ヤバいヤツだと言っておきながら、結局、そうやってイジるんだものなあ。

 

 

 

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