第五章(6)

 

 

 

 列を作っていた馬車が全て街に入ると、衛兵たちが門を閉め始めた。

 そこに街の住民だという男たちが詰め寄って声を荒らげる。

 

「おい! 次は俺たちを通してくれるはずだろ!」

「ヒトが通れる幅は開けておく! 大人しく待ってろ!」

 

 衛兵が男たちを押し返し、最初のようにヒトひとりが通れる幅まで扉を戻す。

 それから男たちを並ばせて、ひとりずつ氏名、職業、親方や店主など雇い主の名、自営の者なら所属する組合名と登録番号、自宅や下宿先の住所などを質問した。

 衛兵たちも住民の台帳を用意して来たわけではなく、もっともらしい答えが返るかどうかで身元の真偽を判断しているようだ。

 それで帝国の間者の街への侵入を防げるかは怪しいけど、そもそも間者か忍び込むならもっと早くに手配が済んでいるはずで、結局、かたちだけのものだろう。

 やがて身分確認が終わって男たち全員が街への立ち入りを許され、東門の外には衛兵とボクたち冒険者が残るだけになった。

 ボクたちは職工組合の理事長を待った。

 待った。

 結構待った。

 

「……ずいぶん待たせますね」

 

 エシュネが言って、ユーヴェルドがうなずく。

 

「ニキエルが本当に市会で討議中なら、すぐに抜け出せなくても仕方がない。とはいえ、こっちもいつまでも足止めされるわけにいかないんだが」

「貴公らは街の事情を存じておるのであるか」

 

 老騎士が穏やかにたずねて、ユーヴェルドは微笑んだ。

 

「すいません。ほかの連中に聞かれて騒ぎにしたくなかったんで先ほどは話しませんでしたが、帝国が兵を集めてこちらへ向かって来ています。我々の仲間がそれを目撃したのですが、街にもおそらく共和国の諜報網から話が伝わっているのでしょう」

「なんと」

 

 老騎士は眼を大きく見開いた。

 しかしすぐに穏やかな表情に戻り、

 

「つまり貴公は街に配慮したのであるな。これから食糧そのほかの物資は入り用になるし、戦力になる男たち、あるいは女たちの逃亡を許すわけにいかんであろう」

「結果としてそうなっただけで、オレはもっと利己的です。冒険者仲間が街で修理に預けた武器や防具を早く取り戻したいってだけです」

「仲間への配慮であるか。それは利己的とは言わんであろう」

「得物を取り戻せば、オレたち冒険者は、さっさと街を離れるつもりです。いままでこの街には世話になったけど、オレたちは戦争に関わるつもりはない」

「それが貴公らの信念なら貫くべきであろう。国から国を渡り歩き、どこの国の民でもないのが貴公ら冒険者である。我が輩も早くにそのような生き方と出会っておればと思うものではあるが」

「あなたもいまは冒険者として生きておられるんですか?」

 

 ユーヴェルドがたずねると、老騎士は微笑んだ。

 いや、悪戯っぽく笑ったと表現するべきか。

 

「そのつもりで余生を愉しもうと思うていたが、この街の敵が帝国と聞いてしまったのであるからして。染みついた生き方は変えられるものではないのであろう。街の者が受け入れてくれればの話であるが」

 

 そのときようやく口髭のオッサン指揮官が、ひとりの男を連れて戻って来た。

 あとちょっと遅かったら帝国軍よりも先にボクたち冒険者が街に攻めかかるところだったぞ。

 でもオッサン指揮官が連れて来たのは、どう見ても職人らしくはなく、仕立てのいい服を着て派手な指輪や腕輪や首飾りなどの装飾品をこれでもかと身に着けた男だった。

 職工組合の理事長ではないにしろ、街の偉いさんではあるらしい。

 そして、つい最近不愉快な出会い方をした誰かさんによく似た面影があり、鮮やかに紅い髪の色まで一緒だ。

  

「金獅子のユーヴェルドというのは誰かね」

「オレです」

 

 ユーヴェルドが答えると、偉いさんはうなずいた。

 

「アルスタス・ボンフォルシオだ。双塔の街の商業組合の副理事長で、市会の司法委員長を務めておる」

「ニキエルは、オレに合わせる顔がないってことですか」

「街の方針は市会で話し合い、決定には全員が従う。ニキエルひとりが責めを負う話ではない」

「負い目には感じてもらえているってことですね」

「率直に言おう。あしたの商売の評判よりも、きょうを生き抜くことが我々には大事なのだ」

 

 アルスタスと名乗った偉いさんは、きっぱりと言い切った。

 

「夜が明ける前から、この場に集まっていた君たちも当然、知っておるのだろう、帝国の動きは?」

「冒険者仲間が馬を飛ばして知らせてくれました。そちらの情報源は共和国だとして、オレたち冒険者から預かった武器や防具を差し押さえるのも共和国の指示ですか?」

「我が街は共和国の属領ではない。助言に耳を傾けることはあったとしても命令に服従するいわれはない。ただ共和国の陸軍司令官でもある傭兵団長と以前から我が街も契約しており、有事の際は街にある武器や防具を全て彼の管理に委ねると取り決めていたのだ」

「共和国に陸軍司令官を名乗る傭兵団長は何人かいますね。その中の誰です?」

「ドート・リットきょう、ここから南へ下った【落果樹らっかじゅの街】の領主だ」

「…………」

 

 ユーヴェルドがルスタルシュトの顔を見て、ルスタルシュトは肩をすくめる。

 この双塔の街に及ばないにしろ、落果樹の街もそれなりに栄えている。毎年春と秋の収穫祭で自ら歌劇の舞台に立つという美声自慢の鷹揚おうような領主様、リット卿の名前も世に知られている。

 でも傭兵団長としての彼の評判は良くも悪くも伝わって来ない。

 そもそも先代の父親から領主の座を継承して以来、実戦など経験していないのである。

 貴族領主や自治都市が割拠する龍首の半島において、この双塔の街や落果樹の街を含む北部地方は、ここ三十年ばかり平和を享受してきた。

 領主たちが「傭兵契約」という名目で共和国を中心とした軍事同盟を結んでいるからである。

 中の海における海上交易で莫大な富を得ている共和国は、その財力で龍首の半島北部の小領主を糾合きゅうごうし、帝国や聖庁に対抗して一定の勢力圏を築いてきたのだ。

 しかし帝国が諸侯を総動員して、本気で共和国との戦争に乗り出したとすれば、どうなるのか──

 ルスタルシュトが言った。

 

「リット卿が傭兵団長としてどれほどの器量か知らんが、落果樹の街の規模からして抱えとる兵士は二百がせいぜいだろう。それで街にある武器と防具を全て委ねるとは、あんたがた、えらく高い買い物をしとるんじゃないか? 双塔の街の職人が手掛けた武器や防具が世間でどれほど評判になっとるか、あんたがた自身が知らないわけはなかろう」

「いくら武器や防具があろうと、使う兵士がいなければ話にならんのだ」

 

 アルスタスは答えて言う。

 

「それとも君たちが我々とともに戦ってくれるかね? 違うだろう? 冒険者は戦争になれば逃げていく。守るべきものを持たないゆえの身の軽さだな」

「オレたちは、オレたちの信念を守ってるんです」

 

 ユーヴェルドが言った。

 

「決して戦争には手を貸さない。共和国にも帝国にもそれぞれの大義があるんでしょうが、それはオレたちのものではない。逃げたいというヒトがいるなら一緒に逃げるのに手を貸してもいい、冒険者への依頼ということであればね。だけど踏みとどまって戦うのはオレたちの役目じゃない」

「……エルテン百卒長ひゃくそつちょう

 

 アルスタスが呼びかけ、口髭のオッサン指揮官は「はっ!」と姿勢を正した。

 

「刃こぼれした剣やいたんだ防具をリット卿にお渡しするわけにはいかんな」

おおせの通りであります!」

「では、リット卿へ供出する武器と防具は新品に限るよう職工組合と商業組合から組合員に伝達してもらおう。それから、修理や手入れのため客から預かっていた武具は東門の外で持ち主に引き渡すので、ただちに用意するようにと」

「すぐに手配します!」

 

 百卒長どのは門をくぐって街の中へ駆け去った。

 アルスタスがユーヴェルドに告げた。

 

「君たち冒険者にそのつもりがあるなら、あらためて双塔の街として依頼したい。我が街からの避難民、老人、幼い子供、その母親の合わせて千人ほどになるが、浮島の港まで護衛を願えないだろうか。依頼料は冒険者ひとりにつき金貨百枚、ただし避難民がひとり欠けるごとに二枚減額。前金で三十枚を渡し、残りは浮島の港に着いたときに共和国政府から受けとってもらいたい」

「失礼な言い方でしょうが、押しかけて来た避難民のために共和国が支払いをしますか?」

「そうでなければ我々は帝国の前に門を開くだろう。共和国の駐在特使から支払いの保証を得ておく」

「街から避難するのは、その千人だけですか? 帝国は諸侯を総動員しています。こちらは共和国の正規軍と共和国側の傭兵団が全て味方についたとしても陸上兵力では圧倒的に不利だ。どうやって戦うつもりです?」

「我々にも策がないわけではない。どんなものかは明かすわけにいかんがね。その策に従い、避難する千人以外は街に留まり帝国軍の襲来に備える。それが住民の総意だ」

「オレたち冒険者が、いまこの街に何人いるか知らなくて、ひとり金貨百枚、前金だけでも三十枚なんて約束していいんですか?」

「昨夜、キーヴァンの酒場にいた者が九十二人、そのうち六人が日の出の前に街を離れ、残り八十六人というところだろう。共和国側からの情報だが」

 

 アルスタスのよどみない答えに、ユーヴェルドは苦笑した。

 

「驚いた。こっちはいまから酒場に戻って人数を数え直そうと思ったのに。夜中のうちに何人か出て行ったのは気づいたけど、六人でしたか。まあ、そんなところですね」

「残りの八十六人も皆が護衛を引き受けるとは限らんぞ」

 

 ルスタルシュトが口を挟む。

 

「護衛の依頼は受けない信条の者もおるし、敵軍が迫ろうという中、年寄り子供を含めた千人を八十人ばかりで守り切るのは難儀だ。避難民狙いの追い剥ぎが現れるのは戦争の常なのでな」

「だから、ひとり欠けるごとに二枚減額の条件もつけさせてもらった。全員を無事に送り届けてもらいたいところだが、そうならない可能性も考慮に入れていると理解してほしい」

「帝国軍に本当に襲われたら犠牲は五十じゃ効かないでしょうが、そこは共和国政府と交渉しましょう」

 

 ユーヴェルドは言った。

 

「いいでしょう。仲間の人数は約束できませんが、金獅子のユーヴェルドは引き受けました。出発は早いほど皆が安全だと思って頂きたいが、帝国軍よけの『おまじない』として避難民には全員、巡礼の白い外套がいとうまとわせてください。戦争に関して中立の冒険者が巡礼を護衛しているかたちをとれば、話が通じる諸侯が相手なら切り抜けられるでしょう。その準備も含めて、いつ護衛の対象の人たちを集められますか?」

「昼になったらもう一度、この東門まで来てほしい。そこで返却する武器や防具を渡し、避難民を預けよう。避難を許す者の名簿は作成済だ。巡礼装束も君たちの分も含めて揃えておこう」

 

 アルスタスの言葉に、ユーヴェルドは微笑む。

 

「巡礼装束は助かります。では昼が期限ということでお願いします」

「ところで、この街で新しく傭兵を雇うつもりはあるかね? 名も富も捨てた騎士の我が輩ひとりではあるのだが」

 

 老騎士が言って、アルスタスはわずかに眉を上げた。

 

「その捨てた名をお聞かせ願えるならば」

「それはできかねる。捨ててきた子や孫にとがを及ぼすわけにいかぬのである。されど我が輩は【連枝れんしの森】、【翼落よくらくの山】、【翠玉すいぎょくの街】そのほか数多あまたの戦場で帝国と干戈かんかを交え、彼奴きやつらとは浅からぬ因縁を持つ身である」

「ほう」

 

 アルスタスは大きく眼を見開く。

 

「街としてではありませんが私の個人的顧問というお立場でよろしければ、ぜひあなたをお迎えしたい」

「引き受けましたぞ、ボンフォルシオ殿」

 

 老騎士は悪戯っぽい笑顔で言った。

 

 

 

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