第五章(5)

 

 

 

 店の外に出てみると、空は暁に染まっていた。これはもう開門してしまったはずである。

 ところが路地の外の街道を見ると、近隣の村から来たらしい野菜を積んだ荷馬車が停まっている。御者台の農夫は何やら苛立いらだっているようだ。

 いまいる位置から見えるのは一台だけど、街道上はその前後にも馬車が連なっているのだろう。

 夜明け前に開門を待つ馬車や旅人が行列を作ることはあるけど、東門から少し離れたこの路地の前まで伸びているのを見たのは、いままで何度か双塔の街を訪ねて来たけど初めてだ。

 まあ、夜明け前にボクが起きていることも、あまりないのだけど。夜通し飲んで寝ていないときくらいか。

 

「なんだか様子がおかしいですね」

 

 エシュネが言って、ボクはうなずく。

 

「うん。早く東門まで行ってみよう」

 

 街道に出てみると、やはり東門の前から行列ができていた。

 主に農夫の荷馬車だけど、交易商人の幌馬車が三台と護衛の傭兵が五騎、それとは別口であろう甲冑姿の騎士と平服の従者の主従が二騎、ほかに徒歩の男たちも十人ほどいる。

 徒歩の者は荷物は持たず、旅姿ではない。賭博場なり淫売屋なりで夜を明かした街の住民だろう。

 荷馬車の代わりに水路を利用して野菜や豚やニワトリを運んで来た川船も数艘すうそう、水門の前に連なっている。

 東門も水門も、まだ開いていないのだ。

 街道沿いの宿屋や酒場の従業員が何人か、通りに出て様子をうかがっている。

 キーヴァンさんは昨夜のうちに隣近所のつき合いのある宿屋や酒場の主人たちに帝国軍の襲来を伝えたそうで、そのうち一軒はボクが部屋をとった(といっても結局泊まらなかった)宿だけど、冒険者たちの話を直接聞いたわけではない彼らの反応は鈍く、帝国軍が本当にこの街に向かって来るのか詳しい情報が入るまで待とうという者がほとんどだったという。

 戦時には取り壊す決まりの宿屋や酒場だけど、三十年も続いた平和で皆、愛着が湧いているのだ。

 自分が生まれる前から親が営業していた店を受け継いだ若い世代もいるだろう。彼らが店を捨てて逃げ出す決断が容易にできないのも仕方のないことだ。

 しかし街の異変を知れば、やがて彼らも身の振り方を決めなければならないことを悟るだろう。

 エシュネとボクは道の端を通って行列の先頭に向かった。

 途中でボクたちが冒険者だと気づいた農夫の一人が声をかけてくる。馬車の荷台には林檎が山積みになっている。

 

「何かあったのかい? あんたがたの仲間が門の前で陣取ってるから開門しないんじゃないかって話も出てるんだがね」

「いやー、ボクたちもいま起きて来たところなんで、ちょっと様子を見てきますね」

 

 ボクは適当にごまかして先を急ぐ。

 行列の先頭にいたのはルスタルシュトとユーヴェルド、ほかに十五、六人の冒険者だった。

 きのうの夜、百人近くがキーヴァンさんの酒場にいて、夜明けに合わせて起きられたのはこれだけということか。出遅れたボクもヒトのこと言えないけど。

 

「まだ開かないの?」

 

 ボクが声をかけると、ルスタルシュトが振り向いて、にやりと笑った。

 

「おう、よく寝られたかな、ニャンコの嬢ちゃん? さっき城壁の上から衛兵どもが、こちらの様子をうかがっとったが、すぐに引っ込んでったわい」

「どうしますか? これから食糧はいくらでも欲しいところでしょうから、荷馬車を通すためにも門は開けるはずですけど」

 

 エシュネがたずねて、ユーヴェルドが腕組みをする。

 

「オレたちがここに陣取ってるせいかもな。ヤツらも迷ってるんだろう、どうすれば冒険者と揉めずに、食糧を運んで来た馬車だけを街に入れられるのかと」

「ちなみにだけど、ノアルドは?」

 

 ボクはルスタルシュトに、きいてみた。

 こちらの地方の同業者に自分を認めさせたがっている様子だったので、まさか朝寝坊はしていないだろうけど。

 ルスタルシュトはまた、にやりとして、

 

「ほかの門の様子を馬で見に行かせた。ここと同じだろうとは思うのだがな。ノアルドが気になるかい、ニャンコの嬢ちゃん?」

れたれたの意味で言ってるなら、ボクは獣人だよ? ニンゲンに惚れることがあるとすれば、もっと筋肉のかたまりクマみたいなオトコだよ。ルスタルシュトがあと三十年若ければよかったとは思うけど」

 

 にっこりとしてボクが答えると、ルスタルシュトは吹き出す。

 

「そいつは残念だ。三十年前なら、もうワシは結婚しておった」

「え? ルスタルシュトって結婚してたの?」

「おう。嫁も娘も孫までおるぞ。半年に一度は家に帰る約束で、もう三十五年連れ添っておる」

「何度か一緒に旅をしたりお酒を飲んだりしてるのに、そんな話は聞いたことなかったよ」

「いやいや話しておるぞ。ニャンコの嬢ちゃんは酔っ払っておって覚えとらんのだろう」

「そうかなあ」

「フェルにゃん、酔うとよく記憶をなくすじゃないですか」

 

 エシュネにも言われてしまい、心当たりのあるボクは反論できない。

 

「……にゃぁ……」

 

 そのとき、ぎぎぎぃーーーっと、重々しい音がして門が開き始めた。

 だが全開はせず、ヒトがひとり通れる幅で止まり、槍を手にした衛兵がぞろぞろと十人ばかり、そして最後に指揮官であろうはがねの胸当てと兜を着けた男が出て来た。

 両端をとがらせた胡散臭うさんくさい口髭を生やした小役人ぽいオッサンだ。

 衛兵を左右に並ばせて、真ん中に立ったオッサンはわざとらしく咳払いしてから、言った。


「……あー、おほん。これから門を開けるが、ちょっとした事件があったので、街への立ち入りは荷物を運んで来た商人や村人たちを優先させてもらおう。そのほかの諸君は、しばらく待つように」

 

 オッサンの言葉に、徒歩の男たちが声を荒らげた。

 

「しばらく待てって、どういうこった! 船に戻って出航の準備をしなきゃなんねえのに!」

「オレだって仕事だ! 夜が明けたらすぐ戻る約束で親方から外泊の許しをもらったんだ!」

「勘弁してくれよ! 早く帰んねえとカアちゃんに怒られちまう!」

 

 交易商人一行の主人も幌馬車の御者台から降りて来て、声を上げる。

 

「我々商人を優先と言われるが、事件などと聞いては不安になりますぞ。適正な取引をさせて頂ける保証はありますかな?」

「こっちも生活かかってんだ! まさかツケ払いなんて話は聞かねえぞ! 現金で商売する気がねえなら野菜は全部持ち帰るかんな!」

 

 農夫の一人が叫び、ほかの農夫たちも「そうだそうだ!」とはやし立てた。

 小役人のオッサンは、また咳払いして、

 

「食糧そのほかの物資を適正価格で買い受けることは市会が約束してくれよう。もちろん現金のはずであるから安心してもらいたい」

「我々は街の武器屋や防具屋に得物えものの手入れを依頼しているのだが、どうやって受けとればいい?」

 

 ユーヴェルドが言うと、オッサンは眉をしかめた。

 

「しばらく待てと言ったではないか。酒場ででもどこでも時間を潰して、また出直して来ればよかろう」

「いつ出直して来ればいい? 仲間の中には夜が明けたらすぐ得物を受けとり、次の目的地へ向かう予定だった者もいる。二時間後か? それとも三時間後?」

 

 畳み掛けるユーヴェルドから視線を逸らし、しかし偉そうに胸を張って、オッサンは宣告した。

 

「まず荷物を運ぶ馬車を街に入れる。次に住民だと名乗る者を身元を確かめた上で通す。よそ者をどうするかは、そのあとだ!」

「ふざけんな! そんなこと言ってオレたちの得物を返さないつもりじゃないだろうな!」

「武器も防具もなけりゃ危なっかしくて、よその街にも行かれない! どうしてくれるんだ!」

 

 怒鳴る冒険者仲間を、ユーヴェルドが片手を上げて制した。

 

「まあ、みんな落ち着け」

 

 皆が口をつぐむと、ユーヴェルドは指揮官のオッサンに告げた。

 

「街の職工組合の理事長は、いまはニキエル・タレンツィニか? 金獅子のユーヴェルドが面会を求めていると伝えてもらえないだろうか」

「各組合の理事は昨夜から市会で討議中で面会など受け付けられん。ちょっとした事件があったと言ったろう?」

 

 答えたオッサンを、ユーヴェルドは、じっと睨みえる。

 

「いいのか? 職人の街として知られた双塔の街が客を裏切って、評判は地の底まで落ちるぞ。この先、街がどうなるにしろ、武器屋も防具屋も皆にそっぽを向かれて店を畳むしかなくなるだろうな」

「む……わかった。タレンツィニ理事長を呼ぶから少し待て」

 

 オッサンは、あっさり折れてきた。

 それだけ金獅子のユーヴェルドの名前に重みがあったのかもしれないけど、むしろオッサンが自分ではこの場を収めきれないことを見てとって、さっさと勝負を逃げたというところか。

 その小狡こずるさは嫌いじゃないぞ、オッサン。

 

「だからお仲間の冒険者に道を空けさせてくれないか。ひとまず馬車を通したい」

「承知した」

 

 ユーヴェルドはうなずいて、冒険者仲間に呼びかけた。

 

「街の偉いさんと話をつけるから、みんな少し待ってほしい。道を空けて、馬車を通してやってくれ」

 

 冒険者たちは素直に指示に従い、街の住民らしい男たちもそれを見て道の端に寄った。

 甲冑姿の騎士は身軽に馬を降り、手綱を引いて馬に道を空けさせ、従者もそれにならう。

 ルスタルシュトが、にやりと笑ってユーヴェルドに、

 

「さすがだな。冒険者組合ってやつがあれば、おまえさんが理事長だ」

「勘弁してくれ。そういう政治屋みたいな真似をしたくなくて、オレは冒険者になったんだ」

 

 ユーヴェルドは苦笑いで答える。

 衛兵たちが門を大きく開いた。

 

「せっかく夜明け前に収穫した朝採あさどれ野菜だ。いまさらよそへ持って行っても値が落ちるからな」

 

 農夫たちは釈然としない様子ながらも荷馬車を進ませた。

 商売の不安を訴えていた交易商人の主人も、列が動きだしたので門の前で引き返すには間に合わず、

 

「やむを得ませんな。ひとまず前に進むとしましょう」

 

 幌馬車の御者に指示をして街へ入って行く。

 水門も開かれて、川船も街の中へ進み始めた。

 徒歩の男たちは所在なさげにその様子を見守っているけど、住民ならばいずれ街に入ることを許されるだろう。むしろ帝国軍の襲来に備えて男手はいくらでも必要なはずである。

 問題はボクたち冒険者を含む旅人だ。

 夜が明けて間もないからまだヒトが集まっていないけど、もう少しすると、みんな宿屋を出て来て再び衛兵と押し問答になるだろう。

 

「そういえば、街の中の宿屋に泊まったヒトたちが出て来ないね。門の向こうにも姿が見えないし。巡礼は朝早くに出発することが多いはずだけど」

 

 ボクが言うと、ルスタルシュトがうなずいて、

 

「宿屋で足止めされておるんだろう。そうだとすれば手回しがいいから、街の連中が帝国軍の動きを知ったのは昨夜の早いうちかもしれん」

「帝国出身者を選んで人質にするつもりかな」

「それもあるかもしれんし、街で必要になる物資を持っているヤツがいたら取り上げるつもりかもしれん。ワシらの武器や防具を返さないようにな」

「なりふり構っていられないというところですね」

 

 エシュネが言う。

 騎士が自分の馬の手綱を従者に預け、ゆったりとした歩みでこちらへ近づいて来た。

 

「失敬。貴公が金獅子のユーヴェルドであるか。我が輩は名も富も捨てて冒険遍歴に出た旅の騎士である」

 

 旅の途中であれば革の軽装鎧でもいいところ、わざわざ重たそうな金属製の甲冑を着けて長剣を背負っている。それでも背筋がぴんと伸びているから、よほど鍛錬を積んでいるのだろうけど、声は枯れているし顔はしわだらけで結構年齢がいっている。

 富を捨てたと言う割に自分と同年輩の実直そうな従者を連れているし、引退した騎士の道楽というところか。

 

「これから貴公が街の代表者と話すのであれば、ほかの旅人も街に入る許しを待っていることを伝えてもらえるであろうか?」

「わかりました。伝えましょう」

 

 ユーヴェルドは答えて、微笑んだ。

 

 

 

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