第一章(2)

 

 

 

 石棺せきかんの中に韻紋遣いの「成れの果て」が横たわっていた。

 韻紋が刻まれていなかったであろう頭部は、くすんだ金色の毛髪を残しながらほぼ髑髏がいこつと化している。

 しかし首から下はしなびて灰褐色に変じてはいるけど皮膚が残り、そこに刻まれた韻紋がいまだ魔力を保って、ちらちらときらめいている。

 韻紋遣いはしかばねとなっても韻紋だけが「生き」続けることがあるのだ。

 ただし胸の真ん中──心臓のあたり──に刻まれた紋は魔力を喪失して「死んで」いた。周囲の韻紋が「生きて」いるのでその部分の皮膚も完全には朽ち果てず、黒く変色しながらも辛うじて韻紋が読み取れる状態で残っていたけど。

 

「間違いないね。本物の装龍紋──灼銅龍の紋だよ」

 

 ボクが言うと、パキャリョレはうなずいた。

 

「ソウカ。ナゼコノ紋ダケ『死ンデ』イル?」

「それはわからない。でも、きっと遣い手の彼が亡くなる直前に装龍紋を発動させて、それで魔力を使い果たしたんだと思う。ほかの韻紋は使われずに魔力が残ったんだろう」

 

 そこは蜥蜴人たちの【聖地】だった。

 一族の功労者だけが死後の眠りを許される墳墓であった。

 山中の岩塊に生じた亀裂の上に別の岩が載って蓋がされ、横から出入りのできる洞窟のようになっている。

 幅はヒトふたりが横並びで両手を広げたほど。奥行きはどのくらいだろう、奥から順に石棺を三十ばかり並べてあるけど、まだあと倍以上の数を並べられそうだ。

 パキャリョレとボクが松明たいまつを手に覗き込んでいる石棺は奥から四番目にあった。そこに眠るのは見ての通りのニンゲンだけど、蜥蜴人にとっては一族の功労者のひとりとみなされている。

 ドゥレニフスという名で伝わるこのニンゲンは遥か昔、蜥蜴人とニンゲンとの戦争が起きたときに、どういう経緯でか蜥蜴人の味方につき、我が身に刻んだ装龍紋で龍の化身となってニンゲン側の軍勢を打ち破ったというのだ。

 でもパキャリョレはその伝承に疑問を持っている。蜥蜴人は一族の英雄たちの物語を歌として伝える習慣があるけど、ドゥレニフスにまつわる歌は「龍の化身となり、敵を打ち破った」という華々しい活躍の割には短くて簡潔すぎるから、らしい。

 実際のところは何であれ、この場所に葬られるだけの理由はあったはずだけど、パキャリョレにはニンゲンごときが聖地で眠ること自体が許せないようだ。

 そんなパキャリョレはもちろん蜥蜴人だった。しかし異種族嫌いの彼らの一族には珍しく、ニンゲンたち(それにいくらかは獣人)の暮らす街に来て冒険者をやっていた。

 肌は濃緑色の細かい鱗に覆われているけど体型はニンゲンの男性と変わらない。顔はもちろん蜥蜴トカゲだけど整った造形で、よほど爬虫類が苦手でなければ嫌悪感を催すほどではないたろう。

 胴回りを覆うはがねの防具を着けているけど蜥蜴人の強靱きょうじんな肌はそれ自体が並みの刀剣など受けつけないし、種族の特性として魔法攻撃への耐性も高い。そのかたさを活かして得意な戦闘方法は肉弾戦で、冒険者としてはかなり頼れる仲間になってくれる。

 ボクも何度か彼と一緒に冒険の旅をして、そして誘われたのである。

 彼ら一族の聖地にある装龍紋の遣い手の墓を暴かないかと。

 パキャリョレは聖地に唯一眠るニンゲンが本当に装龍紋の遣い手であったのかを知りたがっていた。彼に装龍紋がなければ伝承は誤りということになる。

 装龍紋で龍に化身するのでなくとも、何らかの方法でニンゲン側の軍勢を撃退したのかもしれないけど、蜥蜴人にとって龍は神聖な存在であり、装龍紋を持たなかったニンゲンなら聖地に葬るほどのことはなかろうというのがパキャリョレの言い分だ。

 パキャリョレは蜥蜴人の族長の息子で次代の族長になることが決まっているという。伝承に誤りがあるなら、彼が族長になったのちはニンゲンの墓を聖地の外に移したいのだそうだ。

 

「韻紋遣イガ死ネバ、使ワレナカッタ紋ハ、イツマデモコノママカ?」

 

 パキャリョレがたずねて、ボクは答える。

 

「意図的に紋を傷つけたり、死体を焼いたりしない限りはね。放っておいても実害はないけど。遣い手が死んだ状態で暴発することはないから」

「……ソウカ」

 

 パキャリョレはうなずき、そして押し黙る。

 それきり彼が何も言わないので、ボクはため息をついた。やれやれ。

 

「みんなにはあまり話してないけど、ボクはちょっと特殊な韻紋を刻んでいるんだ」

 

 ボクは言った。

 

「心の中の全てがわかるとは言わないけど、ほかのヒトの感情を読みとることができる。好意、敵意、尊敬、軽蔑、愛情、嫌悪。さて、君は困惑してきたね、パキャリョレ。このケモノモドキは何を言い出したのだろうかと」

 

 パキャリョレは金色の眼で無表情にボクを見ているけど、内心の動揺がボクには感じとれる。

 

「蜥蜴人は敵対的な魔法に強い耐性を持つけど、ボクのこの術には通じないよ。君はボク個人を嫌っているわけではないし、冒険者仲間とのつき合いもそれなりにたのしんでくれていた。だからボクも君がどこかで考え直してくれないかと願っていたんだけど」

「オレハ、ツルツルシタニンゲンガ嫌イダ」

 

 パキャリョレは言った。

 

「ケムクジャラノ獣人モ嫌イダ。オマエハ、ソノドチラデモアル」

 

 墓所の入口にヒトの影が現れた。五、六、七……か。いずれも蜥蜴人で、片手に剣や手斧や棍棒を携え、もう一方の手には松明を掲げている。

 パキャリョレはそちらを見やり、声を張り上げた。 

 

「墓荒ラシダ! ケモノモドキガ我々ノ聖地ヲ荒ラシテイルゾ!」

「オオッ! 狩ッテヤレ! 生キタママ皮ヲイデヤレ!」

「ソノアトハ塩ヲマブシテ吊ルシテヤレ!」

 

 入口に現れた蜥蜴人が叫び返し、どやどやと聖地に踏み込んで来る。 

 パキャリョレはボクに視線を戻し、にたあっと歪んだ笑みを見せた。

 

「オマエハ相当ノ韻紋遣イダガ、魔法耐性ニ優レタ我々蜥蜴人ガコレダケノ数イテ、ドウ戦ウ?」

「君は蜥蜴人特有の異種族嫌いを口実に自分を正当化してるけど、本心はとっくに見抜いてるよ。装龍紋が本物とわかればボクは用無しってことだろう?」

 

 ボクは言った。

 

「君は装龍紋を独り占めしたいんだ。このちょっとした冒険の報酬としてボクに紋の写しをとらせるよりも、ほかの誰も知らない禁呪という触れ込みのほうが高く売れると考えたんだ」

 

 にっこりとして、ダメを押してやる。

 

「君はただの強欲なクズ野郎だ、パキャリョレ」

 

 ドゥレニフスが眠る石棺「以外」の全ての石棺が、ごとりと音を立てた。

 ごとごと、ごと……と続けざまに音がして、パキャリョレが驚きに眼を──いや、爬虫類ならではの縦に裂けた瞳孔を──丸くする。

 そして石棺の蓋がそれぞれ、ゆっくりと持ち上がり始めた。まるで中から誰かが押し上げているように。

 パキャリョレが驚愕きょうがくと憎悪の入り混じった感情をボクに向けながら問うた。いくらかでも冒険者としての経験がある彼は、その答えを知っているはずだけど。

 

「貴様、何ヲシタ……?」

「ボクは敵と認めた相手にはいくらでも性格が悪くなれるんだ。だから普段は使わない邪道じゃどうな術を発動させてもらった」

 

 くすくすと笑ってボクは答えた。

 

「冒険の仲間を裏切ったことについて、ご先祖様たちの前で申し開きをしてごらん?」

 

 石棺の蓋が跳ね飛ばされ、あるいは払いのけられた。

 聖地に眠っていた蜥蜴人の歴代の英雄たちが、もの言わぬむくろの姿で目覚め、立ち上がった。

 

屍傀儡しかばねくぐつ】──

 

 ヒトやケモノの死体を操り、敵を攻撃させたり威嚇したり、自身の墓穴を掘るような雑役をさせたりする術である。

 実際には下等な精霊を憑依ひょういさせているだけで、肉体を離れた死者の魂には干渉していない。

 だから哀れな魂そのものを拘束し使役する本来的な意味の(かつ外道げどうな)死霊術とは異なり、召喚術に分類されるべきものだとボクは思っているけど、ヒトの死体を操り人形にしている点で邪道であるには違いない。

 それはともかく蜥蜴人って頑丈だから、遺体も焼くか土にそのまま埋めない限り原型を留めているんだよね。石棺の中で眠ってたから、みんな綺麗なもんだよ。

 こちらに向かって来ようとした蜥蜴人たちが足を止めた。

 

「【三本角サンボンヅノ】ノ、グリュリュク……」

「【金色鱗コンジキウロコ】ノ、イピラットニョ……歌ノ通リノ姿ダ……」

「【双瘤フタツコブ】、【逆牙サカサキバ】、【縦眼タテメ】……物語ノ英雄タチガドウシテ……」

 

 そこでボクは蜥蜴人族の古代語を使って呼びかけた。

 

『パキャリョレコソガ裏切リ者ナリ! ドゥレニフスノ墓ヲ暴イテ韻紋ノ写シヲニンゲンドモニ売ロウトシタノダ! イニシエノ英雄タチニヨル裁キガ下サレヨウゾ!』

 

 立ち止まっていた蜥蜴人たちは顔を見合わせ、

 

「……ウ、ウワァァァァァ!」

「……オ、オレタチハ何モ知ラナイ!」

 

 誰からともなく悲鳴を上げて逃げ出した。

 

「マ……待テ! 魔法デ死体ヲ操ッテイルノダ! 惑ワサレルナ!」

 

 パキャリョレが呼び止めようとしたけど誰も聞く耳は持たず、たちまち聖地の外へ走り去った。

 彼らも死霊術という邪道や外道な魔法の存在を知らないわけではないだろう。しかしパキャリョレに加担してドゥレニフスの装龍紋の写しをニンゲンに売り払うことの後ろめたさが、英雄たちがよみがえって彼らを裁きに来たのだと錯覚させたのだ。聖地を荒らしたのは彼ら自身も同じなのだから。

 蜥蜴人が死ねば魔法耐性をうしなうことはわかっていたけど、【屍傀儡】の効果覿面こうかてきめんである。

 ボクは、くすくすと笑ってしまう。

 

「君たちにまだ古代語が通じてよかった。いまどきの若い蜥蜴人はニンゲンが作る酒や嗜好品を手に入れるための勉強のつもりか普段からニンゲンの言葉しか使わないようになっていたからね」

「貴様ハナゼ我ラノ古キ言葉ヲ話セルノダ!」

 

 愕然がくぜんとしているパキャリョレに、ボクは片眼をつむってみせ、

 

「君たちは魔法耐性に自惚うぬぼれてすっかり不勉強になったけど、ご先祖様には優れた魔道士もいたんだよ。彼らの記した魔道書は本来、門外不出だったはずだけど、不心得な子孫の誰かがニンゲンに売り払ってお金に換えたんだろう。その何冊かをボクは手に入れて、蜥蜴人族の古代語を研究して読み解いたんだ。参考資料もロクになくて苦労したけど成果はあったよ。感情を読みとる魔法はその一つさ。もとは蜥蜴人の魔法医が重傷者や幼児など言葉で意思疎通できない患者の診断のために編み出したもので、敵対性がないから同族にも当然有効なんだ」

 

 ゆらり……と、ドゥレニフスのむくろが立ち上がった。

 ぎょっと眼を剥いて振り向いたパキャリョレの首につかみかかり、両手で締め上げる。

 

「ヤメロ! 放セ! ニンゲンメ!」

 

 パキャリョレはドゥレニフスの手を剥がそうとするけど、もの言わぬ骸は蜥蜴人の次期族長の首を、ぎりぎりと締めていく。

 ボクはパキャリョレに告げた。

 

「蜥蜴人も同族の間で争いが起きるのはニンゲンやボクたち獣人と変わらない。だから攻撃魔法の効きづらい敵への対抗策を君たちのご先祖様は研究した。そして完成したのが自分自身も含めた味方の肉体を強化して物理的な攻撃力を高める魔法だ」

「グッ、ゲ……ェ……!」

 

 パキャリョレは眼球が飛び出しそうな顔であえぐけど、もはや声も出ない。その首にドゥレニフスの指がめり込んでいく。

 

「ドゥレニフスもボクもそれを韻紋として我が身に刻んでいる。ボクは魔道書で学んだけど、ドゥレニフスは同じ時代を生きていた蜥蜴人の魔道士に直接弟子入りしたんだろう。肉体強化以外にも、ボクが知る限りで現存する魔道書に記されていない魔法をいくつか韻紋としてドゥレニフスは刻んでいるね」

「…………!」

 

 残念ながらパキャリョレの耳にボクの言葉は届いていないようだ。彼の心を染めるのはボクへの憎悪と絶望だけ。

 それでもボクは裏切り者の蜥蜴人に告げておきたかった。

 

「ドゥレニフスは、やはりこの聖地に眠るのがふさわしいと思う。彼と君たちのご先祖様との間には尊敬と友情が確実に存在した。君との間にそういう関係を築けなかったことがボクは残念だよ、パキャリョレ」

「…………! …………!」

 

 ごづっと鈍い音がして、パキャリョレの首が、ぐにゃりと前に傾いた。絶望の表情を凍りつかせた顔が伏せられて、両腕は力を喪い、だらりと身体の左右に垂れる。

 首の骨が折れたのだ。蜥蜴人は頑丈ではあるけど身体の基本的な仕組みはニンゲンと変わらない。攻撃側が肉体強化の魔法を有効に使えば致命傷を与えることができる。

 そして【屍傀儡】で操っていたドゥレニフスの肉体強化の術は彼自身の韻紋に蓄積された魔力が尽きた。緩んだその手から滑り落ちるようにして、パキャリョレは地に膝をつき、ドゥレニフスに前のめりにもたれかかる。

 ニンゲンごときに寄りかかる格好になるなんてパキャリョレには不本意だろう。だからドゥレニフスを操り、パキャリョレを押しのけた。韻紋を写す邪魔になるし。

 あとで聖地の外に埋めてやろう。【屍傀儡】でパキャリョレ自身に穴を掘らせて。

 

「さて、ドゥレニフス殿」

 

 ほぼ骸骨と化しているドゥレニフスの顔を見て、ボクは呼びかけた。

 

「眠りを妨げてしまって申し訳ないけど、あなたほどの韻紋遣いなら理解してくれると思う。あなたがその身に刻んだ装龍紋と蜥蜴人の古代魔法は、このまま埋もれさせてしまうのはあまりに惜しい。だからボクが写しをとらせてもらう」

 

 もちろんドゥレニフスは答えない。死霊術で操った死体は言葉を発することはない。ボクも答えは求めていない。

 でも、わざわざ蜥蜴人の居留地を訪ねて来て、手ぶらで帰ることはボクとしてはあり得ない。

 足元に転がしておいた雑嚢から羊皮紙と硬筆、それに墨壺すみつぼを取り出す。

 ボクは羊皮紙を地面に広げ、ドゥレニフスの骸に刻まれた装龍紋を描き写した。

 

 

 

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