第二章 食べ物の怨みは怖いのだ(ニャンコではなくてもそうなのだ)

 

 

 

 双塔の街の中心には、その名の由来となった二つの鐘楼しょうろうを持つ【大聖堂だいせいどう】が小高い丘の上にそびえている。

 かつてまだ街が誕生する前、その場所には小さな【僧院そういん】があって、丘の麓の街道を行き交う旅人、ことに唯一神ゆかりの聖地を訪ねる巡礼たちに、ささやかな食事と宿を提供していた。

 やがて僧院や旅人が必要とする道具類を作る職人が丘の麓に集まり、それでまかなえない物資を仕入れて販売する商人が店を開き、彼らに食糧を供給するため農夫が周辺を開墾し、村が生まれて、街に育った。

 最初につけられた名前は【宿坊しゅくぼうの街】である。

 その発展には近くを流れる【緑淵りょくえんかわ】も大きな役割を果たした。流域の大部分は森林地帯であって木材や薪炭しんたんの供給源となり、河口へ下れば【浮島うきしまの港】から異国を含む多方面への航路が通じている。

 街では鍛冶や硝子工芸という火気を必要とする工業の発達が促され、その製品は浮島の港を経由して遠方まで需要を獲得し、富と繁栄がもたらされることとなったのだ。

 これによって力をつけたのは職人や商人といった街の住民たちである。

 宿坊の街はその成り立ちから地理的な意味でも政治的な意味でも僧院が中心的な位置にあったけど、現実的には小さな僧院に行政を担える官僚組織はなく、また当時の【僧院長そういんちょう】も純粋な聖職者であって、街の領主として権力を振りかざしたいという野心を持たなかった。

 街の政治は住民の代表者による【市会しかい】が請け負い、徴税も市会が代行して、税収の七割は市壁の整備や周辺地域の開墾、緑淵の河から街への水路の建設など公共の目的に当てられて、三割が僧院へ納められるかたちとなった。

 僧院側もこれに異論はなく、住民たちとの関係は良好であった。

 住民側にしても俗人の貴族が街の領主であれば彼らの贅沢趣味に費やされるのは税収全体の三割では済まず、また貴族領主の気まぐれや自己顕示欲で戦争に巻き込まれる危険も多々あるところ、僧院が領主なら積極的に戦争に関わることも敵から狙われることも少なく、街は安定した発展を続けられるのだ。

 しかし住民たちは、街の中心に建つのが小さな僧院であることにやがて満足できなくなった。繁栄する宿坊の街には、よりふさわしい象徴があるべきと望むようになった。

 そこで街を訪れる巡礼そのほかの旅人にも呼びかけ十数年かけて浄財を集め、当時の名建築家による設計図とともに僧院に寄進して、小さな僧院は二つの鐘楼を持つ大聖堂へと建て替えられることになった。

 それからまた十数年かかって大聖堂が完成したときは盛大な祭礼が催され、大神官を名乗ることとなった元僧院長は唯一神と善意の住民ならびに旅人たちへ感謝の祈りを捧げた。

 このときから、この地は双塔の街と呼ばれるようになった。

 だから大聖堂は正しくは【双塔大聖堂】、大神官は【双塔大神官】である。

 住民たちは双塔大聖堂にさらなるハクをつけるべく多額の賞金を約束して冒険者を募り、唯一神信仰にまつわる遺物の探索に送り出した。

 そうして集められた【聖遺物せいいぶつ】──【聖預言者せいよげんしゃ】が用いた説教台の破片や【三大弟子さんだいでし】のひとり【聖者せいじゃ】パリウスの足の指の骨など──は大聖堂内に奉安され、それを崇めるために巡礼がこの街を目指して来るようになった。

 これが僧院あらため大聖堂と住民たちとの幸福の絶頂であり、その終わりの始まりであった。

 壮麗な二つの鐘楼を持つ大聖堂と、それを完成させた街の経済力は唯一神信徒の教団組織の中で大いに注目されることになった。

 歴代の僧院長は前任者による指名または僧院に属する聖職者による互選で決められていたけど、これが大神官を名乗るようになって以降は代替わりのたびに教団組織の上層部──【聖庁せいちょう】が選んだ新たな大神官が送り込まれることになったのだ。

 大聖堂の管理運営のために聖職者と俗人とを問わず聖庁から多くの人員も派遣されたけど、彼らの本当の目的は市会から行政権、ことに徴税権を奪い返すことにあった。

 市会は反発したけど大聖堂が街の領主であるのは住民たちも認めてきたことで、あるべき状態に戻るのだと言われれば抗う口実もなかった。

 住民たちにとっての大聖堂との幸福な時間は終わった。

 立法も司法も行政も、街の政治権力は全て大聖堂が掌握し、税は大聖堂が取り立てて、その大部分が聖庁に上納された。

 市壁の補修は放置され、水路の建設は中断し、周辺開墾地の農民たちを襲う盗賊団は野放しにされて犠牲者をいたむ礼拝さえ行なわれなかった。

 礼拝は巡礼への見世物として唯一神を賛美するためだけの荘厳なものとして催されなければならないのだ。

 住民同士の刑事事件、たとえば窃盗や傷害は、加害者側は【免罪符めんざいふ】をあがなうことで裁きを免れる一方、被害者への補償はなされなかった。神が罪を赦したのに、ニンゲンが罪を問い続けることはできないという理屈だ。

 一方で商取引などを巡る民事上の争いは大聖堂への寄進の多寡たかが露骨に裁定に影響した。

 公正な裁判など大聖堂のもとでは期待できないので、住民たちは自力救済に訴える傾向が増した。つまり事件が起きれば犯人(民事事件なら不正をした側)と決めつけた相手のところへ親類縁者を引き連れて押しかけ、私的な報復を加えるのだ。

 しばしばそれは過剰なものとなるほか冤罪えんざいも続発したけど、大聖堂が私刑しけいの禁止を唱えたのは免罪符が売れなくなるという理由だけで裁判の公正化は考慮せず、自力救済の横行は止まらなかった。

 憎悪の応酬で住民同士の関係もすさんでいった。

 大聖堂は貴族領主と変わらない存在になった。領主が与える恩恵といえば領内への居住を許すことだけなのに、領民は領主の定める法に従い、税を納め、そのほか生活のあらゆる面で領主による支配を受け入れなければならない。

 そして、ボクが語るこの物語のときから三十年あまり前。

 双塔大聖堂の二つある鐘楼のうちの片方が落雷によって半壊した。

 その事件を契機に住民たちと大聖堂との関係は新しい時代に入ったのである。

 

 

 

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