第55話 エルフの国のいちばん長い日⑦

 ―――星暦八七七年五月七日。

 この日早朝、ディアネン市の各所には新聞社の号外が張り出された。

「本日正午、重大発表」

 という見出しのもとに、これは未曾有の重大布告であるため市中心部にある者は魔術通信を必ず直接聴取すること、軍及び遠方市民には同時刻に同内容を伝達するからそのつもりでいろ、という内容だった。

 同様の予告はこの未明、まだ日付の変わる前にも成されており、ディアネン方面軍司令部はとくに前線部隊に対して「布告文の受領者を参集させるべし」と事前通達をやっている。

 市民や部隊の間では、いったい何が発表されるのかと、しきりに憶測された。

 きっと女王陛下自ら徹底抗戦を宣言されるのだという者もいれば、前線部隊が多大な戦果を上げたらしい、そのお褒めの言葉に違いないという者がいて、ちかごろ市内では風紀の紊乱や治安の低下があるからそれを諫められるのだ、申し訳ないことだ、という者もいた。

 なかには勿論、「どうやらオルクセンに対して降伏勧告を受諾するらしい」と正確に予測を立てた者もいたが、それは情勢に通じていたからというよりも、戦争に倦み、和平を欲する感情から来るところが大であった。

 旧政府が存在していたころは、市民感情を鼓舞するために「前線の軍は奮戦している」だとか、「某所にて軍はオルクセンの攻勢を撃退した」などいった勇ましい発表が成されることが多かったが、これを信じ切る者は余りいなかったという。

 前線はずるずると後退し、国民義勇兵が次々と動員され、物資は欠乏し、ついには市中心部に至るまで遠雷のように砲声が響き、頻々として大鷲が飛来して伝単を撒くようになっていたからだ。

 勝っているなら、どうして前線が市に迫っているのか。

 女王や政府まで包囲されたのは何故か。

 オルクセンによる降伏勧告は、駄目押しのようなものであった。

 末期には政府発表も「この包囲戦を市民一丸となって勝ち抜かねばならない」、「もはや一市民に至るまで己が兵であることを自覚せよ」などといった、絶望的かつ精神的な内容ばかりになっていたから、尚更のことだ。

 当事者以外には、何とも滑稽に思えるほどの噂の数々もよく流れていた。

「いまに強力な援軍がやってくる」

「我らを解放してくれる」

「オルクセン軍に聖罰が降ってオーク兵は死に絶える」

 といった、空虚なものだ。

 まるで根拠がなく、願望のみで出来上がった現実逃避の産物といえよう。

 後年伝えられたほど、新政府内も一枚岩ではなかった。

 新政府の実務を担った方面軍参謀たちも、ある者は女王への恭順を決め、またある者は徹底抗戦を叫んで拘禁され、またある者は悲嘆と悲憤と絶望とに涙した。

 ネニング方面軍司令部が置かれていたディアネン市庁舎別館では、本館との間にある中庭で機密書類の焼却が進んでいたが、方面軍参謀イレリアン中佐は窓辺からその煙と炎を無言で眺めながら、放心していた。

 緑上衣のボタン二つまでをはだけ、ズボンに両手を突っ込み、軍帽は被っていない。

 形式や規律を重んじるエルフィンド軍将校としては、まるで失格とされるような格好だった。

 端的に言えば、彼女には全てが馬鹿らしくなっていた。

 開戦以来敗北を重ね、ついには国を失うのだ。

 かといって、女王の御心や新政府及び方面軍司令部の意向に逆らって、叛乱しようとは思わない。

 絶叫や号泣も虚しいだけだ。

 何もやる気が起こらない―――

「全てが・・・全てが終わったら・・・」

 頭でも撃ち抜くさ。

 彼女はそのつもりでいた。

 誰かが、けじめをつけなければ。

 やむを得ないとはいえ、将軍たちは蹶起し、政府を倒した。

 彼女の感覚でいえば、それは決してやってはならない真似である。

 軍とは、あくまで政権に従い、例えそれがどれほど愚かであっても守護する存在でなければならないのだ。ともに滅びるのが軍隊の務めである。その一線を越えてしまった瞬間、最早それは「軍」ではない・・・

 イレリアン中佐を懊悩させた原因のひとつは、そのような蹶起の一翼をなしたクーランディア元帥を、彼女自身としては上官としてたいへんに尊敬してきたことだった。

 中佐は、使われていなかった小会議室で、ともかく眠ることにした。

 ここしばらくというもの、不眠不休だった。

 職務を投げうって、不貞寝する―――

 それは彼女にしてみれば、ささやかな「造反」であった。

 同じころ、軍首脳たちは奇妙な安堵を得ていた。

「決して口にしてはならないことでしょうが・・・ オルクセン軍の攻勢は幸いです。前線部隊は、妙な真似を起こそうにも目の前のオルクセン軍に釘付けにされている」

 これはトゥイリン・ファラサール大将の言葉である。

 周囲の首脳たちは頷きつつも―――

 サエルウェン・クーランディア元帥は、内心で強い反発を抱いた。

 彼女たちは戦前からの付き合いがあり、それは友誼でもあった。ファラサールの言葉が道理であることも同意できたし、まったく助かったことも事実であったが。

 それは、本当に「口にしてはならないこと」だった。

 クーランディア元帥は、のち、その今際の際に「ファラサールを斬れ」と漏らすことになる。

 それは周囲の困惑を招くばかりで、もちろん実行に移されることはなかったが、クーランディア元帥には前線の兵の苦境を「幸い」と評した長年の友を、ついに許すことが出来なかったのである。

 クーランディア元帥の感情的反発はともかく―――

 この終戦の間際になって、オルクセン軍の大攻勢に接し、エルフィンド軍主要部隊の叛乱が防がれたことは、結果的には確かな事実と言えた。

 ネニング方面軍の中には、ネニング軍の一部を構成している首都ティリオン出身者の部隊など、教義原理主義的な思想を持つ者が多い隊がいて、これらは即ち徹底抗戦派であり、かつ旧政府を信奉する者たちであったが、策動を行う余裕を得ることなく、前線で釘付けになっていた。

 実態として方面軍参謀たちはそのような前線部隊に同情を抱きもしたが、安堵していたことも確かだった。

 ―――この安堵が、隙を作っていたとも言える。

 叛乱造反の動きは、この前夜から彼女たちの足元、ディアネン市内で静かに進行していたのである。



 ディアネン市北警備区のタニミア・ゼラディス大尉が、いったいどの段階で「新政府は無条件降伏を受け入れようとしている」という確証を得たのか、それはこんにちに至るも良くわかっていない。

 日付の変わる以前、それどころか五月六日の夕刻に動員学生らに向かって演説をぶったときにはもう、噂や風聞といったあやふやなものではなく、確固たる情報として「終戦」を知っていたのだとされている。

 つまり、新政府がまだ国書の草稿を作成していたころだ。

 ゼラディス大尉は、方面軍司令部の某参謀と繋がりがあった。

 新政府発足以来流れる噂を確かめるため、彼女は方面軍司令部にまで赴き、この参謀から内情を耳打ちされていたのだという。

 あるいは別説もあって、都市防衛隊警備司令部経由で知った、というものもある。

 前説が有力であり、市庁舎の警備が固いことを知ったのはこのときである可能性が高い。

 ただ、本当に彼女が庁舎内部にまで訪れたのかどうかは、はっきりしない。

「新政府発足以来、各隊将校や官僚、市関係者が頻々と市庁舎を訪れ、皆が皆、情報を求め、あるいは自説を論じるので、来訪者が誰だったかなど把握できなかった」

 という。

 市内も、混乱していた。

 ―――オルクセン軍の砲声を恐れ、みな自宅に籠り、影一つなかった。

 ―――困窮者の炊き出しに各区で行列ができ、ごった返していた。

 ―――警官は兵に取られて居なかった。

 ―――いやいや、市中心部には非常に短い間隔で警官や兵が立哨していた。

 ―――徹底抗戦を叫ぶ市民の集団がいて。

 ―――女王の無事を願うものだったよ。

 ―――違う、教義だ。

 ―――みんな間違っている、そんなものは欠片も無かった。

 これら、こんにち残る証言は、おそらくだが

 どれも間違っているとは、言い切れない。

 街区や地域によってまるで同時並行に、様々な出来事が起きていた、というのが真相に近いと思われる。そして他者からの影響や自己保身や記憶違い、思い込みにより、「証言」のなかには時を経るうちに変質したものもあるだろう。

 いずれにしても、ゼラディス大尉はそのような混乱しきったディアネン市内を走り回り、夕刻から深夜にかけて、自身の直轄部下たちや警備司令部将校らの「説得」を試みている。

「志ある者は賛同せよ」

 というような調子だった。

 多くの者は、同調しなかった。

 ゼラディス大尉は、「日頃から過激な思想が目立ったので要注意者だった」と後に証言した者もいる。

 ただし、この証言には自己保身の匂いもする。

 彼女が「何かとんでもないことをしでかしそうだった」という気配は皆感じていたものの、これを通報した者も、制止しようとした者もいないからだ。

 たしかに積極的に同調した者は極僅かで、直属の部下のなかにも遁走を図った者までいた。

 それでもゼラディスは諦めなかった。

 むしろ義憤と憤怒の炎をより高め、闘志を燃やした。

 彼女の行動を、狂気であるとか狂信であるとか、あるいは全く馬鹿げたものだと断じきってしまうことは容易い。

 しかしながら、ゼラディス大尉はある意味で非常に冷静沈着に計画を立てていった。

 警備が固いゆえに市庁舎を直接に襲うことは、早々に諦めた。

 周囲で政府のために接収されていたホテルの類も、同様である。市中心部には警備の立哨があった。

 大尉は、どの時点かは分からないが、とある効果的な襲撃目標を着想した。

 「その場所」に配された警備は、市庁舎や市中心部などよりは薄弱であり、それでいながら襲撃が成功すれば、終戦方針の全てを御破算にしかねないほどの効果を見込めたのだ。

 そして大尉は、自らの計画を秘した。

 説諭や説得を以て集めた兵たちにさえ、漏らしていない。問われれば、

「我に秘中の策あり」 

 と、はぐらかした。

 彼女は計画が周囲に伝わり、対策が取られることや、制止されることを沈黙によって防いだのである。

 ―――誰も信用出来ん。裏切り者ばかりだ。

 彼女の思考と行動は刻一刻と先鋭化し、研磨され、激発に向かってひたすらに集約していった。

 翌朝、午前五時。

 遠く東の空が白み、夜空と黎明とが境界も曖昧なグラデーションを作り出すころ。

 ディアネン市糧食庫跡に集まった者たちは、教義学校の生徒隊を中心に約一二〇名。みなズボン履きに変えたブラウス型の学生服姿である。水兵のように見えないこともなかった。

「諸君! 逃げる者も多いなか、よくぞ集まってくれた! 偉大なる祖国のため、女王陛下のため、黄金樹のため、ともに行こう!」

 この演説は、多くの証言者がいるのでおそらく正確である。

 ここに、この大尉の狷介さと、当時のエルフィンド国民の複雑さがある。

 ゼラディス大尉は、教義守護に熱心な生徒たちを扇動しながら、自身は教義原理派などではなかった。

 女王尊崇の念を思想の中心にしていた。

 この考え方の者は、軍や非主流派とされていた国民に多く、突き詰め方が違ったとはいえクーランディア元帥など軍首脳の行動原理と同じである。

 大尉の場合、その尊崇のやり方が歪であり、無条件降伏の受け入れなど女王の意思ではなく、周辺にいる新政府首脳の陰謀であり蠢動であると断じていて、終戦を御破算にすることにより女王を「救出」出来ると考えていたようだ。

「よーし、出発!」

 サーベルを振りかざしたゼラディス大尉の号令一下、彼女の隊が前進を始めたのは午前五時半より少し前のことだ。



 オルクセン総軍司令部は、この前々日、非常に短かな電文を第三軍司令部に打っている。

どうぞビッテ

 というものだった。

 オルクセン軍史上、最も短い作戦電文だとされている。

 ―――ディアネン市に突入してもらって結構だ。

 という意味である。

 第三軍司令官アロイジウス・シュヴェーリン元帥は、快哉を叫んだ。

 彼は「ディアネン一番乗り」をやりたがっていた。

 包囲環を狭めるなど手緩い、押せるだけ押して敵を圧迫し、降伏を促そうというのである。むろん、その先にある名誉と栄光、勝利を掴むのは己と己の第三軍で成し遂げたいという、まるで子供のような感情もあった。

 シュヴェーリンの希望に依るだけでなく、全般状況がそうさせもした。

 第一軍の第一、第五、第六、第三、第四の各軍団の正面には、エルフィンド軍の主抵抗線がある。

 ここから外れるのは第一軍団の第一師団一部と第一七師団、第四軍団のアンファウグリア旅団、後備第一旅団、第一五師団一部であるが―――

 第一師団はこの直前、師団長マントイフェル中将を病没で失っていた。 

 脳溢血に倒れ、昏睡状態に陥ったところをついに意識を回復せず、還らぬ者となったのだ。

「ここまで来て・・・」

 中将は、目立つところはないが堅実で粘り強い指揮をとる将軍であり、性格も公明正大で、部下たちも彼を慕っていたから、第一師団の将兵は等しく悲嘆に暮れたものだった。

 隷下の擲弾兵第一旅団長が代理の指揮を取ることになったが、未だ指揮状態は混乱していた。

 第一七師団は、第一軍団司令部の作戦指導により、軍団正面のエルフィンド軍に対し、その側面に回り込むことになっていた。しかもこの行動は「奇跡の休戦」により、やや遅延を来すことになる。

 転じて北方向、第四軍団に目を向けてみれば、第一五師団はその軸足を正面攻撃に置いていたし、後備第一旅団はストルステンブロウの戦いのため多大の損害を受け、アンファウグリア旅団もまた少なくない戦死傷者を負った状態にあった。

 突っ込めるのは、解囲行動への牽制攻撃開始以来、ディアネン親衛旅団に噛みつき続けている第三軍おいて他にない、と思われた。

 これには、怨嗟の声が少なくなかった。

 ネニング平原会戦開始以来、第一軍は等しく悪戦苦闘を続けてきた。ここに来て第三軍に「一番乗り」を攫われるのは、面白くないと捉えられて当然である。

 このような気配はシュヴェーリン元帥も予測し、推測し、感得するところであったので、彼と彼の司令部は非常に上手い策を考え出した。

 アンファウグリア旅団を名目上は第四軍団所属のまま、第七軍団とともにディアネン市への突入部隊へ加えるよう、総軍司令部へ掛け合ったのである。

 そしてこれは裁可された。

 連絡を受けたとき、アンファウグリア旅団長ディネルース・アンダリエル少将は、元帥と総軍司令部の処置を、正直なところ有難迷惑に思った。

 旅団は、ストルステンブロウの戦いで少なくない損害を負っている。とくにそれは騎兵第三連隊を中心としたフィンドル支隊において甚大であった。他の隊もみな等しく疲労している。

 そもそも騎兵部隊は、都市に直接攻め込むには向いていない。

 しかしながら、第三軍が前進するというのであるならば、その側面にあたるアンファウグリア旅団の警戒線を前進させる必要があったことも、また確かである。

「第三軍が突っ込みたいというのならば、任せようではないか」

 ディネルースは、側面支援だけに留めることにした。

 部下の何名かは不満顔を浮かべたが、意に介さなかった。

 そして第三軍第七軍団は、この夜、オルクセン軍史上においても世界戦史上においても最大規模になる夜襲を敢行した。

 合計三個師団に依る、夜間強襲突撃である。

 この攻撃、隠匿よりも威嚇に重きが置かれた。

 牽制攻撃の開始以来、ディアネン親衛旅団は最早疲労疲弊している。砲撃を浴び続け、隷下部隊は散り散りとなり、あちこちに孤立した村落利用の陣地があるだけで、旅団司令部でさえ実態を把握しきれていないという惨状である。

 この様子は当然ながらオルクセン軍側にも感得、偵知されていて、あと「一突き」すればディアネン西方「最後の壁」は崩れ去ってしまうことが予想されていた。

 五月六日の砲撃のあと、各隊は攻撃発起点まで前進。

 そして七日午前三時の攻撃開始時刻になると、一斉に照明弾を打ち上げた。

 ディアネン親衛旅団の展開地域を煌々と照らし出した燐光に、エルフィンド軍将兵が何事かと慄いたとき―――

「突撃にぃぃぃぃぃぃ前へぇぇぇぇぇ!」

「突っ込めぇぇぇぇぇ!」

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 大気と大地を震わせるほどの咆哮が満ちた。

 親衛旅団を三方から包囲していた第二一、第九、第七師団から各一個旅団ずつの兵約一万二〇〇〇が雄叫びを上げ、銃剣を装着した小銃を構え、サーベルを振るう士官に率いられて突撃してきたのだ。

 エルフィンド軍は、これに対し殆ど組織的な抵抗を行えなかった。

 食糧を始めとする補給の停滞。

 俄づくりの兵たちばかりによる、練度不足。

 この時点まで、連続して砲撃を浴び続けていたこと。

 対するオルクセン軍はどうか。

 彼らの練度は、戦争の期間を通じて得た経験により、ついに熟練の域にまで達していた。

 大部隊による夜襲は、本当に難しい。

 周到な事前準備、兵科間すら跨ぐ各部隊間の調整、そして旺盛な士気を要する。

 夜襲突撃の際、オルクセン軍教令は発砲をやらせない。抵抗する拠点に出くわし、号令がかかって初めて兵たちは発砲する。銃剣を主とした。ただしこれは将校においては例外とされていて、彼らはサーベルに加えて拳銃を使えた。

 咆哮を上げたオーク兵は、自ら昂り、周囲にもこれは伝播して、相互に影響しあい、ついには味方にも留め得ないほどの狂暴な種族と化す。

 白刃を振るい、銃剣で突き、壕や堡塁があれば即製手榴弾を投擲して内部の敵兵を殺傷した。

 エルフィンド兵からすれば、悪夢にも等しかった。

 ディアネン親衛旅団は、六日早朝まで続いたこの攻撃により、事実上壊滅している。

 元より彼女たちには、防禦上の支撐点とすべき箇所が、標高八三メートルの丘ひとつしかなかった。

 もっとも頑強に抵抗出来たのは、村落を利用した防禦拠点であったが、オルクセン軍はこのような拠点に遭遇すると後方に回り込み、包囲し、そうしてから突撃第一波のあと追従した五七ミリ山砲を集中的に撃ち込んで、無力化した。

 親衛旅団は、高級指揮官まで失っている。

 ディアネン市国民義勇兵第二連隊長モリブウェン大佐の死がそれで、彼女はオルクセン軍に奪われた村落を奪還すべく自ら兵を率い突撃したが、みぞおちに銃弾を浴びて戦死した。

 なぜ自ら兵を率いたのか、あるいは砲を使って反撃すれば良かったのではないかと後日囁かれたが、彼女には最早掌握している纏まった隊も僅かで、まともな砲も残存していなかったというのが真相である。

 親衛旅団将兵の多くは捕虜となり、その数は四〇〇〇名を超えている。

 彼女たちはもう、抵抗の意思を失っていた。

 最大の原因は食糧不足にある。

 このころ、彼女たちは兵一名辺りパン五〇〇グラム、肉三〇グラムもしくは同量の干魚の支給しか受けていなかった。それも支給が受けられればよいほう、建前上の話であり、パン三〇〇グラムという日もあれば、まるで遅配欠配した日も多かった。

 旅団残存の兵の殆どは敗走し、それも壊走に近い姿であり、ディアネン市方面へと退いた。

 これほどの戦果を上げながら―――

 この夜襲強襲突撃、オルクセン国軍参謀本部ベレリアンド戦争公刊戦史は慎重な言い回しで「戦術上の勝利を得た」としている。

 ずっと後年になって、関係者の多くが退役もしくは寿命を迎え、様々な「配慮」の必要がなくなり、歴史的な評価が冷静に下されるようになるまで、映画や書籍の類もこの夜襲攻撃を「ベレリアンド戦争の終局を促したもの」として扱った。

 実際には、この戦闘への評価は複雑である。

 まず、オルクセン軍を以てしても局所的には混乱が起きている。

 余りにも多量に打ち上げた照明弾は、銃火による褐色火薬の白煙を強く照らし出して巨大な壁のようになり、むしろ兵たちの視界を奪ってしまい、このためしばしば突撃と攻撃が停滞した。

 また、戦場としては極めて狭い範囲に「数は力」式に多くの兵力を投入したため、前線は混乱し、一部においては同士撃ちまで発生している。

 そして、これほど混乱した戦場の整頓は容易ではなく、部隊集合及び再進撃の準備には膨大な手間がかかり、彼らはついに戦争の終結まで「ディアネン一番乗り」を果たせなかった―――

「エルフィンド側の実情を思えば、もはや必要のなかった攻撃計画であり、いたずらに兵の犠牲を出したのではないか」

 というのだ。

 この作戦も主導した、第三軍司令官アロイジウス・シュヴェーリンという牡に対する後世の評価は、一言でいえば両極端である。

「彼がいなければ戦争に勝てなかった」

「魅力に溢れた、屈指の将」

「オルクセンがその歴史上に得た最大の闘将」

 などと好意的な評価がもっとも多く、第三軍の従軍関係者には彼を神の如く崇めた者もいる。「我らが親父」と。

 しかし一方で、

「どうしようもないほどの子供っぽさがあった」

「装飾過剰なロマンチスト」

「無茶ばかりやらされた」

 といった批判も第七軍団を中心に存在し、これはシュヴェーリンに惚れ込んだ彼の伝記作家のような者でさえ認めるところだった。彼のことを、生涯に渡って蛇蝎の如く憎み続けた兵も確かにいた。

 こと、この夜襲突撃に関して言えば、なぜ総軍司令部はこれを許したのか、という歴史家の批判も存在する。

 総軍司令部は、そもそもシュヴェーリンの「暴走」を止めにくい組織だったという指摘もある。

 グスタフ・ファルケンハインはこの牡を実の親の如く扱っていたし、これほどの将を麾下に持てたことを、まるで宝物を得たかのように思っていた。

 ゼーベック総参謀長は元帥の盟友であり、グレーベン作戦部長は娘婿にあたる。

 このような組織が、シュヴェーリンを統率しきれていなかったのではないか、という指摘だ。

 事実として、攻撃案を裁可し、「どうぞ」という電信を打たせたのはグスタフ自身だった。

 何度も攻撃案でせっつかれ、彼が漏らした言葉は、期せずしてアロイジウス・シュヴェーリンという牡の一端を示すものになった。

「一度言い出したシュヴェーリンは、やめろと言おうが何をしようが、勝つまで突っ込む。やらせろ。誰にも止められないよ」

 七日午前九時、親衛旅団の展開していた大規模村落を陥落させ、司令部のあった村会所にオルクセン旗が掲げられると、多くの者は歓声を上げた。

 一方で、その足元には犠牲となったオーク兵たちが転がり、呻き、搬送されつつある―――

 第九師団第七連隊ハンス・アルテスグルック大尉は、このとき希望により旅団司令部付きから自身の中隊に戻って戦闘に参加していたが、部下ともども無事に生還した。

 彼自身も、元ブルスト屋台曳きの兵も、博徒上がりの兵も、染物屋だった子持ちの兵も、歓楽街の下働きだった兵も、みな生き残った。

 だが陸続とした負傷兵の後送を眺め、また戦死者を悼みながら、その光景に暗然とした。

上層部うえが―――」

 彼は、ぼそりと言った。

「上が勝手に号令をかけると、したが死ぬんだ」



 オルクセン軍第三軍がディアネン市西方で親衛旅団を壊滅させようとしていたころ―――

 そのディアネン市では、静かに、だが狂気じみた叛乱計画が進行していた。

 ゼラディス大尉の叛乱部隊が襲撃したのは、ディアネン市北区にあった俘虜収容所である。

 戦時兵舎を利用したもので、将校用舎一つ、下士官用舎一、兵舎三つに、合計して約三〇〇名のオルクセン軍俘虜が収容されていた。面積は約一万六〇〇〇平方メートル。この周囲に収容所を監視するエルフィンド軍用の庁舎と兵舎があり、監守役の兵が僅かながら残留している。

 収容者の殆どが、ネニング平原会戦勃発後の俘虜であり、クーランディア攻勢で猛攻を浴びた第五軍団の者が多かった。

 ゼラディス大尉がこれを襲おうと決意した理由は、少なくとも彼女自身には明確であった。

 オルクセンに依る無条件降伏勧告、その第一〇項は「俘虜を虐待した者の処罰」を求めている。わざわざ記載するくらいであるから、オルクセン側にとって「許せない行為」なのであろう。

 では、降伏勧告を受諾するということは、どういうことか。

 エルフィンド新政府は、この項目もまた順守するということだ。

 この受諾を宣言しようとしているまさにその瞬間に、オルクセン俘虜を襲い、喧伝してしまえば―――

 オルクセン側としては「徹底抗戦の証」と捉えるに違いなく、全てを御破算に出来る、と考えたのだ。

 常軌を逸した考えであった。

 だがゼラディス大尉のなかでは、論理的に組み立てられた、終戦を回避できる「たった一つの冴えたやり方」であったのだ。

 そもそも彼女自身の思想によれば、オークとは「野蛮で、邪悪に満ちた、下等生物」である。これを幾ら殺害しようと、それは「正が邪を誅する」というものであって、「世の道理」なのだ。そして「正」とは常にエルフィンドであり白エルフ族であり、「邪」とはオルクセンであってオーク族なのだ。

 

 彼女の計画を補整したのは、この俘虜収容所の監守体制が戦局の悪化により手薄になっていたことだ。そして監守部隊の目は内側に向いており、外部に対する防禦を考慮していない―――

 防御の固い市庁舎などを襲うよりは、よほど成功の見込みも高いと思われた。

 ―――午前五時半。

 黎明のころ、ゼラディス大尉隊約一二〇名は兵舎営門に到達した。

 営門警衛の者たちは訝しんだが、

「時局の緊迫により、市内に不穏な動きがある。警備の増援として派遣されて来た」

 と告げられ、命令書の開示まで受けている。

 それにしても「市内に不穏な動き」とは、大胆であった。

 書類そのものが大尉のでっち上げたものだとは露知らず、警衛はこれを通してしまい、更には申告相手となる俘虜収容所長への案内役まで付けてしまった。

 収容所長は、リダイアンという大佐だった。

 執務室で朝食を摂ろうとしていた彼女は、知らせを不審に思った。そのような話は聞いていなかったからだ。

 しかも、年端も行かぬ学生隊を使うとはどういうことか。

 捕虜収容所の監視兵というものは、楽な任務であるように思えて専門性を要するものだ。ディアネン収容所もまた、憲兵隊を中心にして市内徴募の警官出身者を加えたものである。

「・・・衛兵司令に兵を集めろと言え」

 二度の銃声が響いたのは、その瞬間だ。

 ゼラディス大尉隊が、監視兵区画から収容所区画への通用門を押し入ろうとし、ついに発砲、異変に気付いた監視塔のひとつが応戦したのである。大尉はこのとき、案内役にとつけられた兵を、やにわにサーベルを引き抜いて刺突している。

「急げ!」

 リダイアン大佐は立ち上がり、自らも拳銃嚢を帯びた。

 彼女は時計を確認した。

 午前六時を回ったところだった。

 弱ったことに彼女の部下は一〇〇名に満たず、その殆どが寝起きであり、連日の食糧不足に悩んでいる―――



 ディアネン収容所のオルクセン軍俘虜のなかで代表役を務めていたのは、第五師団第二一連隊のラウフェンシュタインという大尉だった。

 コボルト族。バセットハウンド種。生来、泣き顔に見える牡である。

 意外なことに、彼の感想でいえば俘虜収容所の扱いは悪くなかった。

 所長であるリダイアン大佐が、エルフィンド軍の者としては公明正大な性格をしていたのだ。

 ディアネン収容所の俘虜たちは、激戦の末に捕らえられ、戦場でそれなりに見たくもないものも目撃して送られてきた者たちばかりだったから、エルフィンド軍に好意を持っている者は少なかった。

 それら俘虜に対し、

「戦争はいずれ終わる。そう長くはないだろう。どうか無謀な真似はせず、統制に従ってほしい」

 リダイアン大佐は、請うようにして挨拶したものだった。

 その内容は、エルフィンド軍将校としては相当に際どいものといえた。

 どこで聞きつけたのか、後日、査問の将校たちがやってきたが、

「私は我が軍の勝利を確信しており、そのためにこの戦争は終わると言ったまでだが?」

 大佐が堂々と述べると、閉口して帰っていった。

 リダイアン大佐は、物資欠乏の著しいなか食糧の確保にも尽力し、俘虜一名当たり一日五〇〇グラムのパン、もしくは同量の豆類、八〇グラムの肉、一八〇グラムの干魚、岩塩スープを支給できるようにした。これはオーク族にすれば余りにも少ない量だったが、ディアネン末期戦のエルフィンド軍兵士より多く、むしろ厚遇と言えた。

 食糧消費を抑えるという理由で、俘虜たちは労役に就く必要もなかった。

 彼らは、ひたすらに眠った。

 眠気のないときにも、極力、横になった。

 彼らに課せられたのは毎朝の点呼と、週一回の健康診断だけである。

 ラウフェンシュタインは噂に依って知ったが、エルフィンド軍内でもリダイアン大佐の運用方針を批判する者は当然いて、しかし大佐は「自軍俘虜との交換に使える」と主張し、軍内を説得していた。

 オルクセン軍が包囲環を作り上げると、俘虜たちの食糧事情も日に日に悪化した。

 パンは少なくなり、黒ずんで、や藁殻まで混ざるようになり、とても食えたものではなかったが、背に腹は変えられず彼らはそれを押し込み、また横になった。

 オルクセンによる無条件降伏勧告が行われると、ラウフェンシュタイン大尉は大佐からの呼び出しを受けている。

 代用コーヒーが出され、その不味さには閉口したが、大尉は慎重に感想は漏らさなかった。彼は、何事も慎み深さを是とする家の生まれだった。

 大佐は意外なことを口にした。

「オルクセンによる降伏勧告の内容は、既に広まっておりましょうが。本収容所における俘虜の取り扱いについては、全て私に責任がございます」

「・・・・・・」

「食糧事情悪化の折とはいえ、供給内容は虐待と罵られても致し方ないものです。しかし部下たちには一切責はございません。終戦成ったのち、告発の対象とされるのは、どうか小官のみに留めていただきたい」

「・・・何を仰います」

 ラウフェンシュタイン大尉は、大佐の節度に好感を抱いた。

 彼は、そのようなつもりは毛頭無いことを約した。

 ―――ディアネン収容所がゼラディス大尉隊に依る襲撃を受けたのは、この五日後のことだ。

 大尉ら俘虜もまた、朝食の準備中に銃声を聞いた。

 何事かと騒然となった。

 ラウフェンシュタイン大尉は当初、俘虜の脱走か、監視兵との揉め事だと誤解している。大佐は部下たちを懸命に統率していたが、ノアトゥンやティリオンへの砲撃、大鷲軍団によるディアネン空爆へ反発を抱いている監視兵は、当然ながら存在していたからである。

 将校用舎からは、捕虜収容区の正門が見えた。

 何事かと窓辺に集まる俘虜将校たちとともに目撃した光景に、ラウフェンシュタイン大尉は驚いた。

 エルフィンド軍とエルフィンド軍が撃ち合っているようにしか見えなかったのだ。

「内乱・・・内乱なのか・・・」

 大尉は茫然と呟き、そうして、いったい何を目的にした襲撃なのかと思い至り―――

「机を・・・! 机を倒して窓辺に置け! 奴らの狙いは我らだ! 兵収容区にも伝えろ!」

 叫んだ。



 ディアネン俘虜収容所隊と、ゼラディス大尉隊の戦闘は刻を追うごとに苛烈化した。

 要所に一名、またこちらに一名と配されていた監視兵の多くが、突如として暴挙に出たゼラディス隊に射殺され、当初、収容所側は混乱している。

 しかし収容所隊は、リダイアン大佐が徐々に部下たちを把握し、また兵舎区画と収容区画の間に築かれた監視塔が、防禦施設としても有効に働いた。

 そうして足止めされたゼラディス隊に対し、リダイアン大佐以下幹部らが掌握した監視兵たちが、こちらから六名、あちらから七名と発砲する―――

 ゼラディス隊は、庁舎脇にあった木樽や、荷車を押し倒して遮蔽物にし、これに対抗した。

 極めて近い距離から撃ち合うことになった両隊にとって、容易に決着はつかなかった。

 ゼラディス大尉隊の学生たちは戦闘教練をまともに積んでおらず、狙いが定まらない。

 収容所の兵舎区と収容区の間には俄づくりながら板塀が築かれていて、行く手を阻まれてもいる。また、襲撃直前になって計画と目標を大尉から伝達されたため、困惑したまま戦闘に突入した者もいたという。

 この状況下でもっとも威力を発揮できたはずの存在は、ゼラディス隊が携えていた急造手榴弾であるが、大尉はこれを使わせていない。あくまで俘虜に対し用いるつもりだったのである。

 対する収容所隊は、練度こそ勝っていたが、彼女たちは俘虜が暴徒化した際の鎮圧用に、粒弾バックショットを主体に支給されていた。数を制することは出来るが、長距離射撃には向いていない弾だ。

 リダイアン大佐は、収容所を管轄する警備司令部、ついで陸軍省国内課へと伝令を走らせた。ディアネン市庁舎の陸軍省にまで報せを送ったのは、警備司令部までが叛逆に加担していた場合を想定したためである―――

 午前七時五五分。

 ディアネン市庁舎の新政府及びネニング方面軍司令部は、ようやくに俘虜収容所襲撃の事実を把握した。

「なんということを!」

 ネニング方面軍司令官クーランディア元帥は、自ら事態の収拾に乗り出すことにした。

 高さのある市庁舎別館の四階からは、市街北区がうっすらと見える。

 つまり、叛逆が行われているのは「目と鼻の先」である。

 馬を用意させ、正規兵一個中隊、国民義勇兵一個中隊に出動を下令した。

「閣下、閣下! お待ちください! いったい現地の詳細がどうなっているのか、さっぱり分かりません・・・まずは参謀将校と偵察の一隊を」

「馬鹿者。そのような暇があるか!」

 ネニング方面軍司令部と、エルフィンド陸軍省の将校たちは、ここで当事者たちにとっては深刻かつ真剣だが、後世の者から見ればあまりにも杓子定規な幕間劇を演じている。

 方面軍司令部は、作戦の実施にあたる組織だ。小難しい言葉を使うなら、軍にとって「軍令」のためのものである。

 一方で叛乱叛逆とは、これ即ち国内事情だ。外敵にあたるものではない。エルフィンドにおいては「軍政」を預かる陸軍省の担当に相当した。

 前者の代表であるクーランディア元帥が出馬するのではなく、陸軍省が持っていた治安維持のための兵力使用権を使って事態を収拾すべきだという、喧々囂々の議論が交わされた。

 元帥は、半ばこれを無視、放置するかたちで出動準備を整えさせている。

 市庁舎別館三階で不貞寝を決め込んでいた方面軍司令部参謀イレリアン中佐は、この騒ぎに揺り起こされた。眠い眼をこすりつつ、階下に降りてみると、クーランディア元帥が軍装を整え出発しようとしているところだった。

 元帥は中佐を一目見るなり、

「イレリアン! 何を呆けているんだ、付き合え!」

 大喝一声した。

 ―――呆けている。

 己が、いままで茫然自失とした醜態を演じていたのだと気づかされた中佐は、

「はい!」

 強く頷き、従った。



 自ら鎮圧に乗り出したクーランディア元帥の隊は、まず午前九時過ぎ、俘虜収容所南東の街路で警戒線を作っていた約二〇名の学生隊と遭遇している。

 誰何の声に、

「方面軍司令官だ!」

 大声を上げ、幕僚と兵を率い、押し通った。

 軍命令で守備についているという学生隊の指揮官に対し、

「その命令は偽物である! ただちに指揮下に入れ!」

 ゼラディス大尉の作り上げた命令書は偽物であることを看破し、警戒線を解撤させた。

 学生隊の兵たちは、真っ青になる者、驚愕する者、唇を噛みしめる者と様々であった。彼女たちは言ってみれば、彼女たちの価値観で無垢に教義を信じていたに過ぎない。これをゼラディス大尉に扇動され、愛国心という名の焔を炙られ、蹶起していた。

 この武装を解除するとなると激発する者も出ると即座にみてとった元帥は、自らの指揮下に入れるという臨機の措置を取って、場を治めたわけである。

 収容所では、戦闘になった。

 盛大な銃声が響くなか、正門及び裏門に隊を配し、裏門の一隊はイレリアン中佐が指揮を取った。

 そうして正門側から突入した隊で、ゼラディス大尉隊を鎮圧、駆逐した。

 待ちわびていた援軍の到着に、収容所隊は心から安堵した。

 彼女たちもまた協同し、ゼラディス大尉隊を裏門に向かって追い詰めたのである。

 結果としてこの叛逆では、鎮圧されるまでに大尉隊で四〇余名、収容所隊で二八名が死傷し、オルクセン軍俘虜一二名が負傷した。

 リダイアン大佐もまた、そのひとりだ。彼女は胸部に銃弾を受け、重態となった。

「大佐・・・ 大佐殿・・・」

 混乱が収まりつつなか、ラウフェンシュタイン大尉は後送される彼女にぎりぎりまで付き添っている。

「大尉・・・ 御無事でしたか・・・」

「ええ。おかげ様で」

「それは良かった・・・ 部下の方も?」

「ええ。怪我をした者はおりますが。みな、無事です。大佐、お気を確かに」

「まさか胸にあたった銃弾が、これほど痛むとは・・・」 

「・・・どうして。どうして・・・ここまで」

「・・・エルフィンドにも、まともな奴はいる。せめて・・・それを示したかっただけです」

「・・・・・・」

「我が軍が・・・我ら白エルフ族が・・・単なる時代遅れ、国際法知らずの差別主義者と謗られることは・・・私には耐えられなかった・・・それだけのことです」 

 リダイアン大佐が息を引き取るのは、この七日夕刻のことだ。

 彼女が、エルフィンド海軍において最後まで奮戦したカランシア少将の、同氏族内における妹とも言うべき立場にあったことをラウフェンシュタイン大尉が知るのは、後日のことである。

 この叛逆事件そのものは、極めて後味の悪い終結をした。

 信じられないことだが、学生隊のほぼ全てが鎮圧、捕縛されたなかで、首謀者タミニア・ゼラディス大尉は捕まらなかったのだ。

 彼女は名を変え、身分を詐称し、北部に潜伏して民間社会に溶け込み、その追捕が及ぶには戦後七年を要した。

 討伐の指揮をとったサエルウェン・クーランディア元帥は、ここから三週間後に「戦前を含む軍一切における責任を取る」と称し、拳銃自決している。

 彼女の死を看取ったのはイレリアン中佐であり、死後、外部から最初に弔問に訪れたのはファラサール海軍大将である。

 ―――そして、七日正午。

 軍報道官による魔術通信告知に続き、ウィンディミア首相ほかエルフィンド新政府閣僚が見守るなか、女王による直接の魔術通信が始まった。

「私、エルフィンド女王エレンミア・アグラレスは、ベレリアンド半島全てに平和を齎さんがため、ここにオルクセン王国に対し、その無条件降伏勧告を受諾せんことを通告せしめんと欲し―――」



 エルフィンド軍各戦線で封密命令が解かれ、降伏勧告受諾が発効すると、戸惑う者も多かった指揮官たちの命令により白旗が上がり、兵たちには号泣や悲憤、悲嘆が満ちた。

 政府が用意した正副二つの降伏使節がオルクセン前線に到着したのは、同日午後二時二三分のことである。

 彼女たちが二手もの使節を用意して、これを第一軍団の方面と第六軍団の方面それぞれに放ったのは、妨害や阻止工作を恐れてのことだ。

 電信を以て報せを受けた総軍司令部では、エルフィンド政府使節到着前に、即時発効の停戦命令を発した。

 オルクセンの兵士たちは驚き、きょとんとし、やがて全戦線で大地を震わせるほどの歓声を上げ、手に手をとり、抱き合い、感奮した。

「勝った! 勝ったんだ!」

「とうとう勝ったぞ!」

「ばんざい!」

 前線では、両軍の兵士は、環境の変化をまず違和感を以て迎えた。

 ―――音がしない。

 あれほど連日連夜響き渡っていた砲声や銃声、吶喊の声が消え去って、聴覚が悲鳴をあげたのだ。

 この日は、快晴であった。

 ベレリアンド半島における四月から五月という季節は、本来、長く厳しい冬が去り、穏やかで暖かな春を迎え、草花が生い茂るころである。

 大地の息吹。

 小鳥の囀り。

 昆虫の舞い。

 奇妙な出来事が、幾つかの箇所で起こった。

 両軍の壕から、おずおずと将校や兵たちが立ち上がり、軍使会合の形式を成し、互いの陣地に向かって進み、

「・・・休戦ですな」

「ええ。ひとまずは・・・」

「おめでとうございます・・・と、言っていいのかどうか・・・」

「・・・・・・心中、お察し致します。ですがまずは、ともに生還を祝いましょう」

「ええ」

 握手を交わした。

 ディアネン市北西、アンファウグリア旅団の担当区では―――

 旅団将兵が歓声を上げ、隣接する後備第一旅団や第七師団の兵たちと喜びを分け合い、

「勝った・・・勝ったのか・・・」

 多くの者は、茫然とした。

 ―――ついに。

 という感慨もあれば、

 ―――とうとう。

 といった去来もあった。

「ああ、勝った。勝ったんだよ!」

「そうか・・・」

 多くの者が、これで故郷に還れると思い―――また茫然とした。

「・・・還ろう。ヴァルダーベルクへ」

「ああ。還ろう」

「還ろう、我らが故郷ヴァルダーベルクに」

 ディネルース・アンダリエルは報せを受けたとき、とくに休戦そのものに対する感想を漏らしていない。

 ただ、従卒を呼び、ウイスキーを出させて、これを旅団司令部の者たちにも注がせた。

 杯は旅団司令部にしていた村のものや、各自のカップ、果ては飯盒の蓋だったので、ばらばらだった。

「・・・諸君―――」

 ディネルースは部下たちの顔を眺めて、しばし無言になった。

 そうして杯を掲げた。

「おめでとう」



 イーダフェルトの総軍司令部もまた歓声に包まれ、勝利を賀した。

 各国観戦武官や従軍記者たちも、これに加わった。

 グスタフが執務室から現れ、皆の前に姿を現すと、歓呼の声はひときわ盛大になったものだった。

 国王大本営調理部所蔵のシャンペン酒が次々と抜かれ、グスタフは皆と祝杯を交わした。

 休戦命令の署名と、エルフィンド政府使節の受け入れ準備、更には降伏調印式の手筈を整えるよう指示を下したあとで、グスタフはゼーベック総参謀長を誘い、外へ出ている。

「我が王。勝ちましたな・・・とうとう・・・」

「ああ・・・勝ったな」

 グスタフは軍服のポケットから、小さな紙包みを取り出した。

「ゼーベック」

「はい、我が王」

「ツィーテンが・・・ツィーテンのやつが、死ぬ直前に送ってくれた干しドングリだ。今日のために取っておいた。我らで食おう」

「・・・はい、頂きます」

 彼らは、それを静かに食べ、やがて嗚咽を漏らし始めた。

 ―――星暦八七七年五月七日。

 ベレリアンド戦争は、実質的な終戦を迎えた。


 

 <ベレリアンド戦争>

 戦争期間約七か月

 オルクセン軍参加将兵 約七六万名(輜重輸卒及び輜重補助輸卒含む。本国警備を除く)

 オルクセン軍参加軍馬 約三一万頭

 オルクセン軍戦死傷者 約五万八〇〇〇名

 オルクセン王国戦費  約一三億ラング(オルクセン国内総生産の約八パーセント弱)

 エルフィンド軍参加将兵 約五五万名(地方警備を除く)

 エルフィンド軍戦死傷者 約八万二〇〇〇名

 エルフィンド民間死傷者 約一二万九〇〇〇名

 エルフィンド軍捕虜   約一八万名



(続)

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