第31話 おおいなる幻影⑩ ファスリン峠の戦い 上編

 ―――時節は、ほんの少しばかり遡る。

 一二月五日といえば。

 第三軍によるアルトリアへの大砲撃戦が既に開始され、また海軍の苦闘によりベレリアンド半島周辺の制海権がほぼ掌握されていたころだが。

 このころ、オルクセン軍のうち第一軍が北上を開始していた。

 一一月中に、ベラファラス湾北岸のヴィンヤマル半島を制圧してしまう支作戦をやり、背後、側面の防備を固めてからのことである。

 目指すは、ベレリアンド半島東部沿岸。

 ネヴラス、エヴェンマール、タスレンといった沿岸部諸都市を制圧して、西に向き直り、エルフィンド首都ティリオンにとって最後の防壁といっていいネニング平原と相対するかたちに軍を持っていくことを目指す、言ってみれば「第二次作戦」である。

 策源地は、当然ながらファルマリア港ということになる。

 海上輸送の効率は、戦前に国軍参謀本部が想定した以上であった。

 国境部からファルマリア周辺一帯まで北上した第一軍諸部隊の補給を支え、ヴィンヤマル半島制圧の支作戦を成し遂げ、また軍が作戦行動に出るに際し必要な七日分の軍需物資備蓄を、たいへん短かな期間で行えた。

 むろん、これはオルクセン海軍の大きな犠牲があったからこそ成し得たことであるが。

 その効果がどれほどのものであったかといえば、このころ、第一軍諸部隊の殆どが青灰色の新制定軍服に転換し、また、多くの部隊が小銃をGew六一からGew七四へと換装できていたことからも分かる。

「補給とくに追送は軍の作戦行動に大きな影響を与えるものなり。而してこの中断は状況の有利なる進展を危険ならしめるものなり」

 オルクセン軍教令の、補給に関する章の第一項である。

 第一軍の補給がたいへん上手くいき、またこのあと第三軍がまさしく補給の停滞に依って一大危急に陥ったことを思うなら、これは真理であり、道理であり、また彼らにとって実に皮肉な証明であっただろう。

 このような第一軍の順調な兵站補給体制の恩恵を、ずいぶんと有難がっていた者たちがいる。

 各国の観戦武官たちだ。

 従軍中の食事、暮らしといえば、何処の国でも物心両面に乏しく、貧しい、苦労のあるものとなるのが常である。

 当然彼らは、そのような覚悟をしてやってきた。

 ところがオルクセン軍に従軍してみると、立派な宿舎は用意してある、持て成しもいい、食事にも嗜好品類にも不自由しないと、これはもう唖然とするほどであった。

 昨夜の食事は、牛タンを冷製にし、皮を剥き薄くスライスし、やはり細かくした玉葱とジャガイモをつけあわせ、黒胡椒を効かせて、マヨネーズソースをかけたもの。

 今朝も、朝からオムレツ、ハム、茹で卵、シチューなどが出た。

 夜はおろか、朝から葡萄酒を開ける連中までいて、

「いいのかねぇ、こんな王侯貴族みたいな生活させてもらって」

 などと、そのとある観戦武官もまた、半ば自嘲気味に呟いたものだった。

 彼はグロワールから来ていた。

 オルクセンにとって、仮想敵国の者であることは百も承知だ。

 だが、たいへん良くしてもらっていた。

 街道沿いの丘に作られた軍団司令部のひとつ、その天幕を訪れ、男は眺める光景をスケッチしている。無聊の慰めではあったが、趣味ばかりというわけでもない。

 スケッチの能力は、いまよりずっと写真機の性能が低いころに教育を受けた、彼のような佐官世代の軍人にとって重要な技巧、能力のひとつであった。

 冬枯れした大地。

 遠く、エルフィンドの中央を背骨のように伸びる険峻な山脈。既に峰々は雪を冠している。

 そのような背景を前に、北を目指し、街道を進む擲弾兵たち。

 眼前にいるのは一個大隊規模―――などと表現するのは容易い。だがそれだけで六〇〇名以上いる。巨体のオークの一団で。

 一門あたり六頭の輓馬に牽引されていく砲車と弾薬車。弾薬車のみを二つ曳いていく組もいる。

 一個中隊の砲車だけで、三六頭のペルシュロン。街道を埋め尽くすように思える。みな、毛並みの艶もいい。

 上空には、大鷲たちが弧を描くように、エルフィンドの冬季には珍しい青空を舞っている。

 ―――まったく、なんという軍隊なのだ。

 感嘆のほうが大きい。

 従軍を重ねれば重ねるほど、自国上層部の者たちが胡坐をかいて安寧としているのが信じられなくなっていた。

 彼とて、祖国の陸軍は世界最強だと信じているし、そのように誇ってもいる。

 ところがオルクセンの軍隊は、まるで別次元の存在であるように思えた。

 頑丈で、精緻で、高性能な火砲。

 魔術通信。

 大鷲による空中偵察。

 軍団規模で夜襲をしてのけた、夜戦能力。

 そういったもの全てが、現状、人間族諸国家の軍隊には真似のできない、たいへんな脅威であった。

 とくに、大鷲や魔術関係が危険だと見る各国武官たちが多い。砲はいずれ、模倣すれば同じものを作ることは出来るからだ。

 彼もまったく同感である。

 あるとき、砲兵隊の教練を見せてもらったが。

 驚いた。

 大鷲を観測手段として、魔種族たちの言うところの魔術通信を道具にして、完璧な間接射撃を行おうとしていた。各国とも手旗や発光信号器を使って物にしようとはしているが、まだまだ制約がある。

 重大な脅威であった。

 男は砲兵科の出身であったから、それが良く分かった。

 しかし―――

 彼の見るところ、そのような表面的な部分以外の、もっと奥深いところにオルクセン軍の恐ろしさがあるように思える。

 皆が呑気に楽しんでいる、食事。

 これが成し遂げられるのは何故か。

 観戦武官向けに豪華なものにされているのは事実である。だが兵たちも、豊富な量の食事を摂っている。潤沢極まる兵站体制があるからだ。

 異様なほど作戦立案能力が高く、権限もたっぷりと与えられた参謀たち。彼らの国には、恐ろしく緻密に作り上げられた将校の育成環境と、参謀本部があるからだ。

 未だ魔術によるものだと信じている者さえいる、開戦奇襲を成し遂げた迅速な動員能力の正体にも男は気づいていた。従軍する途上、たっぷりとそれを見た。鉄道網が国土中に巡らせてあるからだ。

 兵一名一名までが、質の点において高い。

 事細かな教令と教育のためだろう。

 戦闘を直接観ることはまだ出来ていないが、彼らが通ったあとを見るだけでも十分に分かる。下世話な話だが、野菜屑などの廃棄や排泄用の穴の大きさ深さまで定めているような軍隊は、そうあるものではない。

 飲料水は必ず軍医が検査するほど衛生に気を使い、舎営地の整理整頓や、戦場清掃なども丁寧だから、種族として綺麗好きな点も影響しているのかもしれない。

 日頃からシャツ、靴下、下着の類はこまめに洗濯をし、外套は刷毛による汚れ落としが奨励されている。連隊には衣服用の煮沸鍋や湿熱消毒のできる蒸気罐を載せた馬車がおり、軍服を定期的に消毒する。これらは虱の防止である。

 毎日とはいかないが、舎営地にはシャワーやサウナを作り上げて入浴もしていた。手洗い場の類など、真っ先に作る。

 これらの事実が、冬季とはいえ伝染病などの発生を未然に防げている。

 また、恐ろしい牙は、よく見るとみんな驚くほど白い。

 オーク族たちが良く歯を磨くからだ。長命長寿の彼らにしてみると歯を痛めてしまうのはたいへんなことだというので、実に良く歯を磨く。だから軍医のなかには歯科医までいる。現状、戦傷には外科医が、戦病には内科医が中心になる野戦病院に、歯科医までいる国はオルクセンぐらいなのではないか。

 そのオーク族自身の強靭な体力、耐久力にも瞠目しかない。

 アルトリア方面に従軍した者からの報告や、新聞記事を見る限り、彼らもまたずいぶんと死傷者を出してはいるが、そのうち死に至る者はぐっと抑え込んでいる。当たり所にもよるが彼らが一発や二発の銃弾では死なないからだ。あの素晴らしい万能薬、エリクシエル剤による効果もあるだろう。

 しかしこれは、彼らが人間族の軍隊とやり合った場合、一方的に死傷者を少なくできることを意味している。

 そして何より。

 どうしてここまで見せる?

 ―――組織力や国力、何よりもそれを活用する能力、種族としての素質といった部分まで、オルクセンは殆どの人間族諸国を凌いでしまっているのではないか。

 下手をすると、男の国や、その軍隊まで。

 そのような自信さえ携えているのではないか?

 例え人間族諸国の軍隊が対抗手段を用意したとしても、すぐに凌駕出来ると思っているほどの。

 男は、祖国に向けた報告書で、安易にオルクセンと敵対すべきではないと結論づけた内容を送ろうと思っている。顰蹙は買うだろうが、事実は曲げようがない。耳障りなことでも送るのが、己が役目であり、義務であり、祖国への忠誠というものであろう。

 スケッチを続けていると、オルクセンの国王が副官と僅かな護衛だけを伴って、視察に訪れた。

 武官らは立ち上がった。

 キャメロット、エトルリア、ロヴァルナ、アスカニア、オスタリッチ、南北のセンチュリースター、そして彼の国グロワール。実に様々な国の観戦武官たち。何と、遠く道洋の新興近代国家の者までいた。

 男には少しばかり懐かしい。かつて、その道洋の国家に赴いたことがあるのだ。

 みな、王の話を聞きたがった。

 あのオーク族の王は、たいへん面白い。

 武官たち一人一人に慇懃に接してくれてもいた。

 過日など、無聊をかこつ武官たちを気遣い、近くの森で狩りを主催してくれたほどだ。どういうわけかこの国には鹿の類がたくさんおり、猟果はなかなかのもので、みな心ゆくまで羽根を伸ばした。

「おお、アキヤマ大尉。遠く道洋まで我がオルクセンの名を喧伝してくだされるか。心より感謝しておりますぞ!」

 このような調子である。

 男も挨拶した。

「どうですか、大佐。何か不足しているものはありませんかな」

「いいえ陛下、たいへん良くしてもらっております」

「それは良かった」

 ごつく大きな、それでいて意外にも繊細な王の指と握手を交わしながら、ふと男は王との初対面の日を思い出していた。

 思い違いでなければ、彼の名や容貌に、この王は少し驚いた様子だった。

 何かオルクセン流かオーク族式の失敬や粗相をしてしまったのかと思ったが、どうやらそうでもない。やはり勘違いでなければ、刹那ほどの間、何か懐かしむような眼をしたその後は、ずっと懇切丁寧に接してくれている。むろん、王とはそれまで面識はなかった。

 ―――あれは何だったのだろうな。

 王が去り、スケッチを再開し、そんなことを考えているうちに、観戦武官応接役となっているオーク族の若い参謀将校が迎えにきた。

「大佐殿。ブリュネ大佐殿。ご昼食の用意が整いました、どうぞこちらへ」



 開戦緒戦時の休養を終えたアンファウグリア旅団は、再び第一軍の最先鋒に立っていた。

「やっと出番か」

 などという兵もいたが、既にベレリアンド半島は冬季に入っている。

 最低気温は、摂氏一度弱。

 少なくとも平野部において降雪はほぼなく、あったとしても積雪にまで至ることはなかったからまだ助かっていたが、この半島、場所に依っては風が強い。

 仮に外気温一度のとき三メートルの風速があれば、体感温度はマイナス二度となる。そのような環境である。

 冬季における軍馬の扱いには、様々な苦労がある。

 ましてや騎兵旅団ともなれば。

 馬とは繊細な生き物であり、僅かな手間をも惜しめば、いとも簡単に失われる。

 既に秋のころから、冬場を睨んで滋養を高めてやる必要すらあった。それも、やりすぎてはいけない。腹を下してしまったり、肥えすぎてしまったり。何事もやりすぎは良くない。

 緒戦の戦果から、旅団には継続的な現地調達が認められた。

 オルクセンほどの軍隊でも進軍中のアンファウグリアに糧食及び飼葉類の全てを追送することは困難であるとはっきりしたから、現地調達は旅団の進撃速度を維持するためにむしろ必須のものと判断されたのだ。

 各兵にはファルマリア港での休養期間を利用し、野戦炊事馬車すら追及できなかった場合に備え、コーヒーの煮だし方や、携行口糧を利用した飯盒での温食調理法が教育された。冬季において冷食を摂ることは士気を下げるだけでなく、体調にも影響する。

 旅団が備えていく食糧も、缶詰肉、燻製を施したソーセージ、ドライフルーツ、乾燥ジャガイモ、乾燥野菜、燻製肉、塩漬肉など、保存の効くものが中心になった。こちらを予備にして、現地調達分から消費する。

 軍馬に与える飼葉類に関する規定も、現地調達を前提としたものが作られた。何でも好きに与えていいというわけではないからだ。

 干し草、ライ麦藁、燕麦藁、小麦藁が飼料としては最適とされ、これを確保する為に野戦厩舎を築く際の寝ワラの代用品として、腐植土、おがくず、苔、樹木の柔らかい葉、枝などが良いとされた。

 最適飼料が手に入らなかった場合の代用には、トウモロコシ、糠、キビ、ソバ、油かす、ふかしたジャガイモ、糖蜜、カブといったものが定められたが、これらはあくまで代用である。

 供給する場合には旅団内各連隊にいる獣医の立ち合い、指示を求めることとされた。栄養不足よりも過多のおそれがあった。

 また通常の軍馬手入れ法に加え、冬季におけるそれも追加教育された。短期用厩、長期用厩の造営法、馬の日常運動法、毛並みの手入れ、洗体の頻度、蹄の清掃、蹄鉄の交換目安・・・

 彼女たちが、こと冬季に臨んでこれほど準備や教育を施され、またこれを黙々とこなしたのは、ダークエルフ族自身にしろ、メラアス種の軍馬にしろ、オルクセン軍においては簡単に補充に効くものではないという前提認識が自他ともにあったからだ。

「アンファウグリアだ!」

「頼むぞ!」

「アンファウグリア、万歳!」

 一二月五日、ヴィンヤマル半島西部の警戒線からの前進を開始したとき、彼女たちはオーク族をはじめ他種族の兵士たちから歓声を受けた。

 兵という兵が皆、街道脇に避け行軍路を譲ってくれ、諸手を振り、担当だった第六軍団第六擲弾兵師団は師団音楽隊でアンファウグリア旅団歌を演奏して送り出してくれた。わざわざ楽譜を用意してくれていたらしい。

 既に第一軍の部隊全てが彼女たちの緒戦における快進撃ぶりを知っており、またこの第二次作戦において、第六軍団は直接的にアンファウグリアの後ろに続くことになってもいる。その斥候偵察を頼りにして進む以上、歓声、応援、声援はより一層熱心であり、無垢で、真心のこもったものであった。

 大鷲軍団による空中偵察と、アンファウグリア旅団による騎兵斥候を組み合わせた前進は絶大な効果を発揮すると、これは軍上部においても、もはやはっきりとした認識だ。両者は互いの長所を相互に補完しあうようなもので、第一軍の前方に警戒前進線を作り上げる―――

「気持ちのいい連中ですな」

「ああ、まったくだ」

 参謀長イアヴァスリル・アイナリンド中佐の言葉に、ディネルース・アンダリエルは頷いた。

 アンファウグリア旅団側としても、行動再開に際し第一軍団から第六軍団へと戦闘序列が変更になっていて、兵站及び補給などを世話になる上部部隊ということになる。

 街道を見下ろす丘のひとつには、各国観戦武官団だろう、色とりどりの軍服姿の、人間族たちが望遠できた。

 ふとそのなかに、青灰色の新しいオルクセン軍将官常装と、以前の赤襟付き黒外套を合わせた巨躯が見えた。副官らしい者が一名だけ傍らに。その周りには、目立たぬよう距離をとった、黒衣の警護兵。その黒衣は、アンファウグリアと同じものだ。

 丘のうえの巨躯は、それまで目深に被っていた制帽を手に取り、ひらひらと振った。

「王だ」

「我らが王だ」

「我が王だ」

 周囲の騎兵たちが騒めくなか、ディネルースもまたその光景をはっきりと見た。

 確かに見た。

 ―――グスタフ。

 彼女は自らも含めサーベルを捧げるよう命じ、アンファウグリアの練度を示すことで応えた。

 前進。前進。また前進。

 前進あるのみ。



 ファスリン峠の戦いと呼ばれることになる戦闘の生起した地方は、本来スヴァリンと呼ばれている。

 ファスリン峠はその一部に過ぎず、なんと戦闘の起こった場所そのものの地名ですらない。正確にいえばその近くにある峠のひとつの名であり、軍用地図の誤読によってのちに着けられた戦闘名になる。

 エルフィンド南方中央を貫く山脈から張り出した支脈が海岸線近くまで達しており、主要街道も鉄道線も全てここに集中にして、一種の狭隘な地形となっている。

 全長約一二キロ。もっとも狭い場所で約二・五キロ。

 ここを抜ければ、ネニング平原東南端にある街、ネヴラスまでは遠くない。

 一二月七日になってこのスヴァリン地方に到達したアンファウグリア旅団は、その途上、前進を停止せざるを得なくなった。

 どうやらネヴラス方面に、有力な敵支隊が集結しているらしい、しかもそれは南下の兆しを見せていると、先行する大鷲軍団空中偵察により知らされたのだ。

 相手は、騎兵を中心にしているという。

 数は、一万を超えていた。どうやらネニング平原方面からやってきた兵力だ。

 しかも―――

「白上衣に胸甲だと?」

 日も傾きかけた同日、旅団司令部を置いた大規模村落の村会所で、ディネルースは片眉を上げた。

 大胆にもかなり低く敵地上空を飛んだ大鷲の一ロッテが、それを確認した。

 アンファウグリアも他者のことを言えた義理ではないが、各国とも、軍装は派手だ。

 各部隊それぞれ趣向を凝らしたものを着ていたりもするので、その機微は重要な情報になる。

 敵部隊の全てではないが、その多くが白い上衣を着ているという。軍帽は、アンファウグリアとよく似た黒熊毛帽。緑上衣に黒ズボンが基本のエルフィンド軍のなかにあって、たいへんな特徴だった。

「・・・なんとまあ―――」

 ともに地図を睨み込んだ作戦参謀のラエルノア・ケレブリン大尉が嘆息した。

「相手は、黄金樹マルローリエン旅団ですか」

 やや、畏れの色が拭いきれない声である。

 黄金樹は、エルフィンド王家の者が生まれいでる、この国ただ一本の樹だ。

 その名を冠する部隊はつまり、他国でいえば「近衛」という意味に等しい。

 胸甲騎兵連隊二個、槍騎兵連隊一個、騎砲隊から成る。

 ―――エルフィンド最強の騎兵部隊。

 約三五〇〇名である彼女たちだけではとても一万という数字にはならないから、エルフィンド陸軍の他の騎兵も合同して、一種の強力な騎兵支隊を形成しているものと思われた。

「なんたる皮肉。近衛対近衛、騎兵対騎兵とは」

 イアヴァスリル・アイナリンド中佐も、若干引きつった声をしていた。

「だとすれば、相手は重騎兵です。軽騎兵の我らが相手をするのは荷が重すぎます。一時後退し、味方後続隊の到着と合流を待つべきかと」

「同意します」

「・・・ふむ―――」

 ディネルースは考え込む仕草をした。

 下唇を軽く舐め、狩人の目をしている。

 無言のまま、従卒が淹れてくれた机上の三人分のコーヒーカップに、さも当然飲むだろうという仕草で、水筒から火酒を加えてやる。ほんの少しずつばかり。あくまで彼女基準だが。

「後続隊に増援要請を出すのは同意するが、尻尾を丸めるのは面白くないな」

 迎え撃とう、というのだ。

 イアヴァスリルもラエルノアも絶句した。

「し、しかし。相手は胸甲を帯びておりますし、槍騎兵もいるとなればこちらのサーベルでは・・・」

「誰が騎乗戦闘をやると言った」

「・・・では、下馬戦闘ですか?」

「うむ。旅団総員、馬から降りてもらう。厩を築いて、軍馬は保護。その前方に野戦陣地を築いて迎え撃つ。我らにはそれがやれる」

 ディネルースは軍用地図に鉛筆で丸を書き込んだ。

「ここが良いだろう」

 スヴァリン地方でもっとも狭くなった箇所の南側、やや広くなった箇所だった。

 すぐ近くだ。

「敵の正面兵力が狭まったところで、迎え撃つ」

 これは判断の難しいところだった。

 オルクセン軍教令は、狭隘地形で彼我両軍が相対しそうになった場合は、どちらかというと隘路は抜けてしまえと推奨している。火力のある部隊を前にして、敵の機先を制するかたちで素早く動き、抜けた先で戦闘を行え、と。隘路は軍の機動を阻害し、運動戦がやれなくなるからだ。

 それはそれで道理のある考えだったが、ディネルースは敢えて狭隘地形に留まったまま戦闘をやる決意を固めた。

 相手が歩兵や砲兵を中心にしているなら、オルクセン軍の考えはまったく正しいと思っている。その場合なら、ディネルースも同様の判断を下した。

 だが、マルローリエン旅団は騎兵だ。

 支隊を形成している他の部隊も同様だという。

 騎兵集団を迎え撃つなら、狭隘地形はむしろ先方の機動を阻害する。とくにこのスヴァリンの地形なら。

「・・・なるほど」

 イアヴァスリルは同意した。

 同意はしたが。

 何処か、本当にやれるのか、という思いが強い。

 相手はエルフィンド最強の騎兵集団だ。

 その名も、威容も、練度の高さも、エルフィンドの民だったころに嫌というほど見聞きした。歴史も伝統もある。

 対してアンファウグリアは、俄づくりの部隊である点は否めない。

 本来が軽歩兵向きだったダークエルフ族が、馬に乗るのも得意だろうなどという理由で、言ってみれば兵科を転向して作り上げた部隊だ。

 これはラエルノアも、あるいはアンファウグリアの総員でさえ同意するであろう事実だ。

「・・・お嬢さん方」

 ディネルースは彼女たちの顔を眺め、ちょっと唇の端を歪めた。

 笑っている。

 彼女はその顔をしたときが、いちばん怖いことを二人とも良く知っていた。

「厩と、野戦陣地の構築。会敵は明日になるだろうから、今夜中に配食の手配。弾薬段列の位置取りも。ぼうっとしている時間はないぞ?」

 確かにそうだ。

 慌てて各隊の配置構想を問うイアヴァスリルに、ディネルースが示した回答こそが彼女を仰天させた。



「なんじゃあ!?」

 アンファウグリア旅団の後方五キロを進んでいた第六師団。その最先頭にいた擲弾兵第四六連隊長もまた連絡を受け、驚嘆した。

 敵騎兵の大集団が南下の兆候を示しており、しかもアンファウグリアはそれを現地で迎え撃つつもりだという―――

 第六師団長は四六連隊の急行軍を命じており、彼はその命を果たすべく、連隊のうち前衛を務めていた第三大隊長に急行軍準備を発令した。

 既に夕食の支度に入りかけていた各隊では、慌ててこれを纏め直し、前進を開始した。

 第六師団は、オルクセン南部の部隊である。

 国土の広いオルクセンゆえに、ここまで場所が離れていると、部隊として気風までが北部の兵とは違っていた。

 ともに精強な兵として知られている点は共通していたが、例えば彼らはオルクセンの穀倉地帯出身であるがゆえに、糧食のライ麦のパンにも小麦の比率を上げたものを好んだ。当然、スープの味付けも異なるし、ヴルストの詰め具合も異なる。

 オルクセンとしては温暖な地域の隊であり、寒さが堪えた。

 この狭隘地形では、ベレリアンド半島の特徴とも言える西風が、山脈を越えて吹き降ろしてくるかたちになる。

 この強風に晒されながら、彼らのうち最先頭を務めた中隊の、そのまた尖兵小隊がアンファウグリアの陣地構築範囲に到着したのは、日も暮れてからだった。

 オーク族は、魔術を使えない。

 だが夜目と、種族としての野性の勘のような部分で、無事合流を果たした。

「ちっきしょー、牝の匂いがぷんぷんしますな!」

「なんだぁ? 近いのか、軍曹」

「ええ、近い近い! すぐそこですぜ!」

「全員、駈足!」

 号令を駆けつつ、ダークエルフ族と肩並べて陣地を作るのか、部下たちが妙な気を起こさなければよいが、などと、その小隊を率いるリンクス少尉は懸念した。まあ、ファルマリアに築かれたオーク族公娼施設で休んできていたから、大丈夫だとは思うが。

 彼らは、上手くアンファウグリアが旅団本部を据えた村に辿り着くことが出来て、小隊が中隊になり、大隊になって―――という展開運動を行うことになる。

 臨機にディネルースの指揮下となった彼らは、アンファウグリアの配兵の東端側、つまり海側の村落に陣地を築くことになった。

 ライ麦畑の低い防風石壁を利用しその裏に浅い壕を掘りながら、リンクス少尉はこの国へと出征してから何度目になるか分からない疑問を抱いている。

 ―――いったい、なんでこの国はこんなに土が痩せてるんだろうな。

 彼は農家の息子で、おまけに農業学校の出だった。

「あのぉ・・・」

 兵の一名が、やや情けない声を上げた。

「なんだぁ、どうした?」

「厠を設営してもよろしいでしょうか・・・」

「―――あ」

 彼らは陣地構築に加えて、そのやや後方の小さな森ちかくに、必死でそれを築いた。

 すぐ隣にダークエルフの部隊がいるというので流石に気を使って、周囲から見えないようにし、軍規定通り、深く掘った。

「エルフが羨ましいなぁ・・・ 隊長、あいつら―――しないって本当ですか?」

「ああ。らしいな・・・この国のどの街にも、この村にも。無いからな、厠」

「そんな生き物あり得るんですかねぇ?」

「そりゃあ、神話伝承上から存在する“他の種族より完璧で、清楚で、美しい種族”なんだからな。そのあたりは、エルフもダークエルフも変わらんらしい」

は、極々稀にやるらしいですぜ」

「おいおい、軍曹。妙な顔で妙なことを言い出すのは、勘弁してくれ・・・!」



 ファルマリア港では、やはり連絡を受けた総軍司令部が騒ぎになっていた。

「敵の近衛だと? どういうことだ!?」

「意図がわからん」

「それで、アンファウグリアは? なに、迎え撃つ?」

 その総司令部施設から、少しばかり離れた同じくファルマリア市内。

 大鷲軍団長ヴェルナー・ラインダース少将は、旧ファルマリア要塞の兵営倉庫と近くの更地を利用して作り上げられた野戦基地で、夜間偵察専門部隊ウーフー中隊の一部に発進を命じつつ、翌朝以降の対応を考えていた。

 一シュタッフェル、四羽で支援するのが通常だが、二隊上げようと思っている。

 そのあと、大鷲の体力限界を基準に定められた四時間を目安に、交代で上がる隊も同様にする。

 ラインダースは部下たちと協議しつつ、軽く胸の騒めきを覚えていた。

 ―――友よ。

 我が友、ディネルース・アンダリエルよ。

 どうにか我が隊の全力を挙げて支援したいが。

 空中偵察と弾着観測支援しか為しえない我らの身が、どうにも歯痒くて仕方ない。許してくれ。



「・・・・・・・」

 総軍司令部の国王執務室では。

 グスタフ・ファルケンハインが無言でコーヒーを飲んでいる。

 まるで平常通り、本を読んでいた。

 参謀たちは騒いでいたが、グスタフは気にしていなかった。

 パイプに葉を詰め、火を点ける。

 以前のイスマイル葉とは、香りが異なっていた。

 星欧で主流のイスマイル葉には、甘く重ったるい匂いがあり、また、とろとろと溶けるような気分が味わえる。何も考えず、無心になり、弛緩したいときに良かった。

 だがちかごろは、もっと辛い種類のものを吸っていた。

 ファルマリアでの鹵獲品に、キャメロット製のセイラーズというメーカーの、ネイビーリーフと銘打ったパイプ葉が大量にあり、未使用のパイプで試してみたところ、気にいったのだ。センチュリースターの葉を主体にしてある。

 何かを考えるときに向いていた。

 ―――ディネルースは正しい。

 きっと、正しい。

 私には軍事の機微はわからない。だから信じる。それが私の務めだ。

 だが、何か支援してやる手はないものか。

 彼はそれを思いついた。

 素人考えなので、誰かの意見を聞きたくなった。

「おい、ゼーベックを。グレーベンでもいい。誰か呼んでくれ」


 

(続)

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