第15話
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肩を左右に揺らすのが、この男の癖なのだろうか。男は見開いた目を今度は半開きして、肩を揺らしながら耳を澄ますように言った。
「…どうやら、あんただけらしいな。まぁ連れが居ても居なくてもいいのだが」
――連れ?
男の言葉に今度は僕が僅かに揺れる。
「やっぱ、あの人の言う通りだった。いずれ俺の前に…魔術師が現れるって言ってしなぁ。しかしまさかよぅ、本当にそんなことがあるなんて思いもしなかったまぁ。そうさ、だって俺自身も、まさか、まさかだぜぇ…こんな力を身につけてるなんて思わないじゃないか」
男は言いながらゆっくりと股間にやっていた手を眼前に戻すと、僕の前に出していいた。
「こいつ、こいつがあんた欲しいんだろう」
男が眼前に差し出し指に輝くのは黄金色に輝く指輪。夏の陽を受けるとそいつは一層輝きを増した。男はその指輪を今度は愛おしそうに眺める。半開きの眼差しは黄金色に輝き、瞳孔は朱に染まっている。
「…ああ、なんて香りを発するんだ。まるであの人がつけていた香水にも引けを取らない…甘美で深い眠りに誘う香り、まるで俺の意思が受けた傷を修復してくれそうな、母なる香りのような、悪魔の香り…」
僕は黙って男の表情を見る。恍惚に浸るその表情の奥に眠る影が見える。それはまるで男の魂を抱いて深い世界へと引き込もうとする影。
その影は悪魔と言えるのかもしれない。それ程までの男の肉体にらせん状に群がって見える。
「…ああ、。こいつは或るファンタジー映画に出て来たリングに似ていたんだよ。不思議な出会いだった。俺はこいつをネットで見たとき直ぐにでも飛びついた。何故だか分からねぇ、だが深く傷つき、部屋に引きこもり、石のように何事も言えなく固まり続ける俺自身にこいつはすごく輝いて見えた。いや、まるでこいつが俺を誘っているように見えた。石になり続ける様に社会から隔離して生きようとする俺の崇高な石をまるで認めて、包んでくれる、そんな輝きと優しさが見えたんだ、そう不思議な出会いだった。俺とこいつはまるで運命的な瞬間だったんだ」
――運命的な瞬間
僕は男の言葉の断片から男の何かを探ろうとしているが、しかしながら、それが何なのか分からない。
混濁と困惑が僕の表情に浮かんでいるのだろう。それを見て男は言った。
「――俺は妖怪(バケモノ)じゃねぇ」
その言葉は僕に問いかけてるのか?
だが、今の男は確実に
バケモノ。
それも魔人だろう。
「彼女も言ったんだ。そう耳元で優しく、そして…」
男が再び腕を下ろして、股間を触る。
「ここに触れる俺の指を優しく撫でながら…『あなたは此処の物ぐらい熱くて固い男よ』ってな!!」
男が強い口調で目を見開いた時、空の一角で雷光が走った。走るとそこから僕に向かって、何かが落ちて来る。
僕はそれを網膜で認識した時には直ぐに身体を捻らせ、雑木林の土の上を横に転がった。
何が今居た場所に深くめり込んでいる。僅かだが蒸気を発しながら。
僕は土の着いた頬を指で払いながら片膝立ちになって男を見た。
いや、睨んだかもしれない。
そんな僕を見て男が言う。
「――おう、悪ぃ。彼女、いやあの人が触れた時を思い出しちまって、思わず射精しちまった。頭が真っ白になったらよう、何かが閃いちまうんだ。まぁ、それで何かが空から落ちて来るんだがな」
男が嗤う。
悪魔と共に。
「まぁ彼女が言ってくれたんだよ。こうした力を惑星落下(メティオ・ストライク)ってな。そうさ、俺は惑星も操れるのよ。だからあの子が言ったように俺はバケモンなんかじゃやねぇ。そう、超人、いや今の気分じゃ魔人て感じだ」
ひえっひえっ
男の奇声が鼓膜奥に響く。
男の魔は発動する。
それは射精と共に。
それが分かる一方で、男が言う言葉が気になる。
――『彼女』って何だ
それから男は立ち上がる。そして僕の前で男は目を剥いて言った。
「いいかぁ、良ぉく聞け!!」
僕は僅かに身構える。男の語気の強さに暴力を感じたから。
「俺はなぁ、もうこの仕事を物心ついたときからやってるんだ。あ、何?物心?物心っていったらいつの頃だと?そりゃ、社会というのを意識した年頃を言うんだよ」
――この仕事?
「そう俺は中学出て高校は行かなかった。何故かだって?俺は片親で育った。片親って言っても母子家庭じゃない、親父と二人きりだ。親父はな、無口な跳び職人だったが、月々の金はちゃんと家に入れてくれた。しかしバブル真っ盛りの中学最後の冬に、高層ビル建築の現場で足踏み外して死んじまった。それから俺はみなしご同然。だから同級生の皆が高校に進学していくのを横目に見ながら、俺はこの中津にある鉄工所に働きだしたんだ。毎晩、真面目に真面目になぁ、
だが日々の稼ぎは少ない。だが少なくても働かなきゃ、生きて行けねぇ。俺は歯を食いしばり、おうよ!!本当にそうさ、歯を噛みしめ食いしばり、そうしたら本当に歯が全て…いや僅かに前歯は在るが、そのほとんどが抜けちまった。歯医者なんかに一度も行ったことはねぇ、時間がねぇんだ。そんな暇が。もしそんな暇がありゃ、俺は風俗に行き、ひと時の夢に酔いしれた。分かるだろう?汗だらけで歯も無く、髪もぼさぼさの男に町行く綺麗なお姉さんたちが見向いてくれると思うか?えっどうだ、兄ちゃんよ!!
それでも俺は四十年近く生きて来た。鉄を打つなんて言わねぇが、それでも旋盤を回して数ミリ単位、何ミクロン何て言うレベルで自分の肉体を動かし続けた。分かるか俺の仕事の厳しさって言うのが。ここで造られる部品ていうのは、あの宇宙を飛ぶロケットやお前が手にしているそのスマホに使われている小さな部品になってるんだ。俺はそう思うと少しだけ誇りに思うんだ。この仕事をやっていて良かったなんてな。
だがな…、
そんな俺の心が遂に折れちまった。
在る時、公園で休憩してたんだ。そこに親子連れが居た。愉しく昼の時間を過ごしているようだった。俺はベンチで寝てたんだ。寝てうとうとしていたら俺の身体に何かが当たった。手に取るとそれはボールだった。ボールを手にして起きると急いで近寄ってくる足音が聞こえた。見れば親子連れの子供――女の子だった。それで俺はこのボールがその子の物だと思って手渡そうとしたんだ。その時、女の子の表情が固かったので、俺はにっこりと笑った…つもりだった。女の子は、実に俺の顔を覗き込んで益々表情を変化させると泣き喚いたんだ。俺は驚いた、何もしちゃいない。俺は唯、笑っただけなんだ、だがな、突然女の子は天を突くばかりに泣き喚いたんだ。俺は驚いた。勿論、その子の両親も。驚き鳴く自分の子を助ける様に走り寄って来る姿が見える。やがて鳴き声は辺りに居る人を呼び、昼下がりに公園は人だかりと喧騒に包まれ、やがて警察官も公園に呼ばれる始末の大騒ぎになったんだ。だが本当に、俺は何もしちゃいない。それは皆が分かっていた。分かっていたが、女の子はひきつけを起こす様に唯々俺を見て、泣き喚くばかり。そう女の子は唯、唯、俺の顔が怖くて泣いてしまったんだ。
――この俺の顔。
何十年も鉄粉混じる汗の厳しい労働に明け暮れた俺の人生を映し出した顔を見て、指差して女の子は言った。
――妖怪(バケモノ)!!と
男は、いや比嘉鉄夫はこういった。
「俺は魔人よ!!そして」
男は目見開く。
「彼女に認められたこの俺の力を奪い去ろうとするお前を、俺は抹殺する!俺はこれから彼女と一緒に楽園(エデン)で生きるのだからな!!」
だから!!
僕は心で叫ぶ。
彼女って誰よ。
それに何あんた一人でテンション上げてんだよ。こちとら、まだあんたにはじめましても言ってないんだぜ!!
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