第10話 過去をやり直せ

 スキットルの飲み口に鼻を近づけるとと夢食みジャックはその中身をくんくんと嗅いだ。

 物理的にはどうなっているのかわからないが、この中にはあの犯人Aの血液がすべて入っている。

「独善的な独占欲が入り交じったいい酒になりそうだ。まあ、百年は寝かせないといけなそうだけどね」

 そう言い、夢食みジャックはスキットルの蓋を閉め、その深い胸の谷間にしまった。

 百年という時間を酒のために待つ彼女は間違いなく人外といえた。

 

 夢食みジャックは僕に近づく。

 その赤い瞳で僕を見た。

 白い手で僕の頬を撫でた。

 その手は氷でできているのではないかと思わせるほど冷たかったが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。


「どうだい、おまえ過去をやりなおしたくはないかい?」

 と酒焼けした声で訊いた。


「そ、それはどういう意味ですか」

 彼女の提案はどういう意味だろうか。

 まさか過去に戻れるとでもいうのだろうか。


「はからずもアルカナを手にいれたからね。まあ、そのお礼と思ってもらっていいよ。あのアルカナは夢魔がよだれをたらして欲しがるものだからね。それを喰らう妖魔のアタシにとってはいい釣り餌になるのさ」

 ふふっと妖艶な笑みを浮かべて夢食みジャックは言った。


 もし彼女の言う通り、過去にもどれるのなら、あの妹を失った悲惨な事件を回避できるかもしれない。

 そうすれば母は気を狂わせることなく、父は事故でこの世を去ることもなかった。

 そして妹は殺されずにすむ。


「ほ、本当にそんなことは可能なのですか」

 僕は訊いた。


「ああ、可能さ。アタシの月のアルカナを使えばおまえの意識を一時的に過去に飛ばすことができる。どうだい、やってみるかい?」

 と夢食みジャックは言った。


 彼女の言うことが本当なら何を迷う必要があるだろうか。

「ええ、お願いします」

 僕は言った。


 もし過去をやり直せるなら。

 それは今までどんなに思いえがいた妄想であっただろうか。

 妹を助け出して、不幸な未来を回避したい。


「わかったよ。ただし、条件がある。車を走らすのにガソリンというものが必要なようにおまえの意識を過去に戻すのに必要なものがある」

 夢食みジャックは言った。


「それは何ですか」

 僕は訊いた。

 あの過去をやり直せるのなら、どんな代償でも支払おう。


「そうだね。それはその瓶詰めの指だよ。そいつにはあの吊られた男ハングドマンの執念がつまっているからね。いい触媒になるだろうよ」

 夢食みジャックは言った。


 その彼女が使用すると言ったものは妹の体の一部だ。

 自分のものならどんなものでも支払うが、今は亡き妹のものとなると判断がつかない。


 僕は迷った。


 そうすると白猫のヨウコが僕の頬をなめた。

 その行為は許諾のように思えた。

 幻聴かもしれないが、お兄ちゃんいいよ、と言っているように思えた。


「なるほどね。この仔はおまえの妹の魂の欠片を受け継いでいるようだね」

 と夢食みジャック。

 彼女の説明なら白猫のヨウコは妹の葉子の生まれ変わりと言えるだろう。

 その白猫のヨウコが良いというのなら、妹が言っていると考えていいだろう。


「わかりました、お願いします」

 僕は言った。


 白猫のヨウコは僕の腕から飛び、夢食みジャックの肩に乗った。

 ペロリとヨウコは夢食みジャックの白い頬を舐めた。

「いいだろう。この仔は夢魔のようだ。アタシの使い魔にしてやろう。そうすれば他の夢魔に食われずにすむからね。さて、決まりだ。おまえを過去に戻そう」

 夢食みジャックはそう言うと僕をその黒いマントで包んだ。

 力強く僕を抱きしめる。

 ボリュームたっぷりの胸が顔に当たり、柔らかく心地よかったが同時に息苦しかった。


「さあ、目をつむりな。アタシがいいって言ったら目を開けな」

 夢食みジャックは言った。



 もういいかい。

 もういいかい。

 もういいかい。



 それは妹の葉子の声だった。

「もういいよ」

 続いて夢食みジャックの酒焼けした声が聞こえた。


 

 僕はゆっくりとまぶたを開ける。

 そこはあの児童公園だった。

 僕はきょろきょろと周囲を見渡す。

 遠くの道路に二人の人影が見えた。

 それは見たこともない背広姿の男に手をひかれる妹の葉子のちいさな背中であった。

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