ニ、

 






   二、




 「へぇ………。神様である俺に嘘をつく、か。いや、ついているという事は、今までの会話の中に嘘があった、と」

 「……はい。ダメでしょうか?」



 やはり、嘘をつく人間など神様は感心しないのだろうか。

 もしそうであるならば、きっと今の条件はなかった事になり、紅月は死に怯えながら、残りの短い時間を過ごす事になる。

 言わなければよかったのかもしれない。

 けれど、これだけは伝えておかなければいけない。紅月は自分の思いと行動に後悔はなかった。


 どうせ、死ぬ運命だったのだから。受け入れるしかないのだ。

 今までの人生もそうだったように。



 神様はニヤリと面白いものを見るように笑みを浮かべながら、紅月を見つめている。

 人一人の命を握っているというのに余裕の笑みを見せるところは、やはり神という存在なのだろう。



 「その嘘というのをいつ、私に教えてくれる?」

 「神様が知る時まで、ではだめでしょうか?」

 「いいだろう。では、交渉は成立だな」



 パンッと1回手を叩いた神様は満足そうに笑みを浮かべている。

 どうやら、条件と引き換えに呪いとやらを払ってくれるらしい。紅月はホッとしつつも、神様との結婚という事が信じられずにいた。それに、神様と夫婦になって何をすればいいのか、想像もつかなかった。



 「あの、それで。私は何をすれば……」

 「それで、人間の嫁よ。人間は結婚をしたら何をするのだ?」

 「………」



 なるほど。

 どうやら、この神様もわかっていなかったようだ。


 紅月は、人間の結婚式というのを思い浮かべてみる。

 家族や親戚を集めてお祝いをしてもらい、誓いのキスを交わし、結婚指輪を互いにつけあう。そんな説明をしようと思い、寸前で止める。

 家族や親戚に神様と結婚しますなど、言えるはずもない。家族は皆、霊感があるわけではないので、見えるはずもないのだから、頭がおかしくなったのではないかと心配されるだけだろう。

 それにキスをすると伝えれば、あの神様の事だ。深い意味など考えずに喜々として口づけをしてくるのではないか。



 そうなると消去法で伝える事は1つだけになる。



 「……えっと。結婚の証として指輪を交換します」

 「ほう。酒の飲み交わすのではないのか。今の結婚はずいぶん変わったのだな。それで、どんな指輪だ?」

 「一般的には銀を使ったお揃いの指輪とかでしょうか?」

 「なるほどな。あまり力は使いたくないが、せっかく夫婦になるのだ……」



 そう言うと、神様は自身の白い手を握りしめ、自分の息をフーッと吹きかける。

 その後に「銀の花をさかせたもう」と、小さく澄んだ声で自分の手元に語り掛ける。



 「指輪はどこの指につける?」

 「左の薬指です」

 「では、紅月。手を出せ」

 「……はい」



 おずおずと神様に向けて手を伸ばす。神様は冷たい手で紅月の手を優しく取り、左手の薬指に触れる。



 「俺は神の力を持って、紅月を守ると誓おう」

 


 凛とした口調でそう宣言すると、緊張して固くなっている紅月の指に、神様の冷たい体温を吸って随分と冷えきった銀の指輪をはめていく。先ほどのまじないのような一連の動きで指輪が出来上がったのだろうか。紅月の指にぴったりとはまっている。

 そして、指輪には手毬のような小さな銀の飾りがついており、よくよく見ると小さな花が重なって咲いている。まるで、生きた花を小さくして、銀を塗り付けたかのように、繊細なつくりだった。



 「すごい……!綺麗ですっ!」

 「気に入ったか?」

 「はい。あの、このお花は……?」

 「沈丁花だ。春先に咲く、甘く薫り高い花。紅月に似合うと思った」

 「………沈丁花。神様の香りとは違うのですね」

 「俺のは沈香だ。だが、香り高い沈丁花は、沈香と似た香りをしており、そして、十字形の花が丁子に似ている。そのため、その2つの名前を取って、『沈丁花』と、呼ばれている。春を迎える沈丁花の季節に出会ったのだしおまえは甘い香りが似合う。俺の名前と香りが似ているのだ。よいだろう?」



 そういうと同時に、甘い春の香りが2人を包み始めた。

 きっと神様が薫りをどこから連れて来てくれたのだろう。

 花の優しい香りに、紅月はうっとりしてしまう。まるで近くに沈丁花が咲き誇っているかのようだった。



 「では、私にもつけてくれ」

 「は、はい……」



 紅月の手のひらの置かれたのは、もう1つの銀の指輪。けれど、そこには沈丁花の飾りは見られない。そのかわりに、指輪の小さなな花が描かれており、銀の沈丁花で囲まれているデザインになっていた。

 紅月の体温で少しだけ温かくなった指輪を持ち、今度は紅月が彼に指にはめる。

 これが終われば正式に神様と結婚となる。そう思うと、気持ちが落ち着かなくなる。



 「紅月?」


 

 しばらくの間、固まっていた紅月を優しく呼ぶ。

 心配そうな顔の神様を見て、人間と同じだなっと思ってしまう。紅月が戸惑っていると思ったのだろう。申し訳なく思い、紅月は笑みを返す。



 「神様の事は何と呼べはよろしいですか?」

 「あぁ、そうだったな。矢鏡(やきょう)でいい」

 「わかりました。では矢鏡様………」



 冷たい手を温めるように包み、薬指に綺麗な銀の指輪を撫でるようにはめる。



 「私は、矢鏡様を支える事を誓います」

 「……あぁ。私は弱き神だからな。よろしく頼む」



 2人は両手を握り合い少し恥ずかしさを滲ませながら微笑む。


 どうして、矢鏡と紅月がこんなにもすんなり夫婦になれたのか。

 それをわかる時は、もうしばらく先に事だ。その時こそ、矢鏡に紅月の嘘がバレてしまうだろう。


 その時、彼の顔を見たくないな、と紅月は思ってしまった。













 結婚をしても、朝を迎えればいつもと同じ日常が始まる。

 普通の人間と結婚すれば、役所に結婚届を出したり、苗字が変わったりして少しは変化を感じられたかもしれない。けれど、紅月の結婚相手は神様だ。苗字もなければ、結婚届をだす必要もない。

 変わった事があるとしたら、左手の薬指にある銀の沈丁花の指輪。

 そして、一人暮らしではなくなった事ぐらいだろうか。でも、その相手も人間ではないのだけれど。



 「あー、朝か。おはよう」

 「おはようございます、矢鏡様。それにしても、普通に私の部屋に居るんですね」

 「夫婦になったのだぞ。当たり前だろ。それにしてもおまえのベットとやらは狭いな。もう少し大きくしたらいいんじゃないか」

 「そんな事したら狭い部屋が、もっと狭くなりますよ」

 「確かにそうだな。広い部屋に越すか?金なら出してやるぞ」

 「矢鏡様、お金なんてあるんですか?」

 「ほら、これぐらいなら」


 そう言って袖から花柄の綺麗な布袋を出して、紅月に手渡す。

 神様がお金を持っているのが不思議で、中身を確かめたくてつい手を伸ばしてしまう。現代のお金が入っているのだろうか、とお宝を見る気分でドキドキしながら巾着の中の物を手のひらに出す。


 「これ、昔の小判じゃないですか!?」


 そこから出てきたのは、歴史の教科書や博物館で見たことがあるような金色の小判が何枚も姿を現したのだ。ずっしりとした金の重さと綺麗に光る黄金色に、紅月は唖然として言葉を失ってしまう。


 「昔、俺の神社に参拝客が多く、祭りなどやっていた頃は賽銭も多くてね。金を持ってる殿様たちも来た事があるんだ。俺は金も使わないから、そのままだ。まだ欲しいなら、他にもあるぞ」

 「い、いらないですよ!?こんな大切なもの。お気持ちだけで十分です」

 

 神様への感謝と願いを叶えるためのお賽銭。沢山の人々の気持ちがこもったお金だ。使えるはずない。

 慌てて断ると、矢鏡は残念そうに顔をしかめた。


 「何だ、夫婦なのに遠慮はいらないのだ。俺が、神として働き人間から貰ったものだ。人が働いてお金を稼ぐのと何が違うのだ?」

 「そ、それはそうなんですけど」

 「2人で暮らすための部屋を借りるだけだ、受け取っておけ」

 「わ、わかりました!それでしたら、たぶん1枚で十分なので。考えておきます」

 「あぁ、頼んだぞ。さぁ、飯にしよう。紅月の手料理だな」


 一晩ですっかり狭い部屋に慣れたのか、キッチンの方へとウキウキとしながら歩いていく矢鏡を見送りながら紅月は思わず笑みをこぼす。


 出会ってすぐに交わした結婚生活だが、こうやって笑えていることが不思議で仕方がなかった。

 けれど、これも縁なのだろう。


 神様のお嫁は、どんな生活が待っているのか。

 今はただ目の前の事を楽しめればいい。そう自分に言い聞かせて、呪いがあるという心臓部分を服の上からギュッと握りしめたのだった。



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