シナリオ31


 アグリが目覚めた時、周囲には誰一人いなかった。

 それどころか、全く覚えのない場所だった。

 声を上げても、心の中で呼びかけても、誰一人、ピコピコさえもアグリの声に応えてはくれなかった。


「俺は……死んだんだな……」


 なぜか、死ぬ直前の記憶がきれいさっぱり消えていた。

 覚えていることと言えば、シーラさんから緊急クエストを受注したこと、少し変わったアイテムをゲットしたこと、さびれた農村を駆け巡り踊ったことくらいしか覚えていなかった。


「一体、どんなクエストを受注したらこんな格好になるんだ? ん? ラミア様って誰だっけ?」


 アグリはマッパだった。

『農夫』の良心――デフォルト装備の『木綿のふんどし』さえも装備していない。


 アグリは寝台から降り立つと、テクテクと歩き出す。

 時折、美しいエルフの肖像画やちょっとエッチなにゃん娘の胸像、神殿内のお土産屋さんに足を止めながらも、『一般蘇生者はこちら』と記された方へと進んだ。


(神殿の香典こうでん返しって高いな……煎茶でも7ガルズか……)


 行き着いたのは転移ポッドのある部屋だった。

 この部屋にいる者は皆、景気の悪そうな顔色をしていたので、アグリと同様にこのゲーム世界で死んだのだろう。


(なんで……人族は俺だけマッパなんだ?)と首を傾げながらも、マッパの同志だったナマズ顔の魚人の背後に並んだ。


 順番を待つ間、ナマズ顔の魚人と世間話に花を咲かせた。


「じゃあ、またな!」


「ヤリキレナイ川に来た時は漁業ギルドを尋ねるといいギョ。夕張ゆうばり名物カレーそばをご馳走するギョ!」


「名物がカレーそばなの? メロンじゃないのか?」


「メロンは高すぎて、地元民は手が出ないギョ」


「なるほど……ご当地食材あるあるだな……」


 そんな挨拶を最後に、ナマズ顔の魚人は光のうずへと消えて行った。


(次は俺の番か……)


 アグリは転送ポッドの上に上がった。


「転送場所の説明は必要ですか?」


 転送ポッドを操作する神官風の男性が、アグリに声をかけて来た。

 ナマズ顔の魚人の説明を横で聞いていたため、必要なかった。

 アグリが首を左右に振ると、再び質問を受けた。


「勇者アグリ、その装備で生還されるつもりですか?」


「なにか問題でも?」


 問題があると言えばあるだろう。なにせマッパだ。

 しかし、アグリのアイテムストレージはロックされたまま開かない。

 この神殿内では保安と不正防止のため、神官以外はアイテムストレージを操作できないようにシステムロックされるそうだ。


「その恰好だと転送直後に問題が発生するかもしれません。転送ポッドに着せ替え機能がありますので、アイテムストレージ内の装備を指定できますよ? 装備変更は転送直後になりますが……」


「そうか……なかなか便利なんだな……」


 とはいえ、アグリのアイテムストレージには、身に着ける装備が何もない。

 アグリの記憶では、『竹槍』『なた』『黄金のすき』などの農具、『おにぎり』『トマト』『ニードルエルクの肉』といった食料系アイテム、今回のクエストでゲットした『ちょっとエッチな本』『にゃん娘の等身大パネル』ぐらいか。


 マッパで農具装備など何かの罰ゲームか悪質なイジメにしか見えないし、食べ物を両手にマッパというのも現代人として色々と間違っているような気がする。

 エロ本や風俗店の看板を抱えたマッパの成人男性は、もはやヘンタイの域を通り越し、病気だ。ぜったい頭おかしいと思われる。


「勇者アグリの中では、ヘンタイの上位互換が病気なのですね……」と神官から手厳しいツッコミを受けた。


「そうだ……アレがあった! アレがあるから装備変更は不要です」


「勇者アグリ、またのご利用をお待ちしております」


「蘇生施設でその挨拶ってどうなの? 消費者金融じゃないんだからねっ!」


 神官に見送られ、アグリはロットネスト王国へ生還(?)した。


  ☼


 光の渦が薄らぎ、アグリは視覚を取り戻した。


「あれっ、ここって中央広場?」


 転送された場所は、ロットネスト王国城下町の中心地、『中央広場』だった。

 アグリが知る限り、この世界でもっとも人通りが多く、活況ある場所である。


 転送ポッドを操作した神官は、「いつものログイン場所に不都合がある場合は、多少の融通が利く」と言っていたが、それが原因かもしれない。


 多くのプレイヤー――持ち家を有さないプレイヤーは、ログイン場所が公共の施設だったり、長期契約中の宿屋だったりすることが多い。

 そんな場所にしてしまうと、たちまち周囲にバレてしまう。


「アイツ、死んだんだ……」「ダサッ」「死に戻りだけに顔色わるっ!」

 と噂が飛び交う程度ならマシな方。


「タンクのレベルダウンはマジ痛いぞ」「うわぁ~、蘇生費用のかたに鎧まで剥ぎ取られているじゃん!」「あの鎧はパーティメンバーでお金を出し合って買ったのに!」「パーティ解消だな……」「弁償しろよ!」

 とかなったら、大変だ。

 『泣きっ面に蜂』どころか、文字通り『死屍ししむち打つ』だ。


 それらを予防するための機能が、あの神殿の転送ポッドに搭載されているという。


(俺には持ち家があるし、一人暮らしなのになぜ?)


 よく考えてみると、心当たりがあった。隣人NPCカミラさんである。

 農作業前に遊びに来ては、家主不在でも勝手に上がり込み、お茶をしていく。


 アグリとしてもあの家はほぼ放置状態に等しいため、知り合いが頻繁に出入りしてくれた方が安全面(空き巣や放火など)でも良い。だから一度も苦言を呈したことはない。

 むしろ最近は、『おにぎり』や『ワートホッグの肉』などの食料系アイテムをちゃぶ台の上に残して冒険に出かけるようになった。カミラさんもアグリに負けず劣らず貧乏なのだ。

 そのカミラさんに(心配をかけさせたくない)というアグリの心境が、今回の転送にも働いたのかもしれない。


 もしくは見栄みえか。

 農園経営が軌道に乗り始め、調子に乗っているここ最近のカミラさんだと、「これ以上借金を増やしてどうするのですか?」とか、「レベル一で勇者ごっことかありえません」とか、「農民の戦場は農園です!」とか、お小言を始めるかもしれない。


(あの神官も気が利くな……でも、ココだと少しマズいかも……)


 何度も何度も現状説明するが、アグリはマッパだ。

 未だ『中央広場』で騒ぎになっていない理由は、裸体の局所がひまわりの大輪の陰に隠れているからに他ならない。

 アグリはひまわりが咲き誇る花壇の真ん中に転送されたのだ。


(なんだか、近世の絵画のような光景だな……マッパとひまわり……ゴッホ?)


 しかし、この世界の無粋ぶすいな住民達は、ラミア様やアグリの高尚こうしょうな趣味など理解できないだろう。

 もちろん、神官の説明を受けて、マッパ対策は万全だ。

『マジカル変身セット・限定仕様』の活用である。

 これさえあれば、王の御前であろうと、貴族が集う社交界であろうと、『天使』シーラさんがいるプレイヤーギルドであろうと問題ない。


「マジカルマジカル、レレレのレ!」


 アイテムストレージを呼び出すためのショートカットモーションだけはなぜか使えなかったが、ステータスコンソールからのマニュアル操作で『マジカル変身セット・限定仕様』を取り出すことが出来た。


「おおっ、にゃん娘だ! しかも持ちキャラの三毛猫カラー!」


 アグリが変身したのは、格ゲー『ファントムセイバー』に登場する『キャットウーマン・ファリス』だった。

 モフモフの耳や尻尾、手には出し入れ可能な爪やカワイイ肉球までついていた。

 ただし、性別や体型などの違いから、格ゲーのファリスとは似ても似つかぬコスプレになっていた。

『マジカル変身セット・限定仕様』では、性別や体格を変えるほどの性能はないのだ。


「まあ、コレばかりはしょうがないニャ……」


 コスプレは基本、自己満足。当人が楽しめればそれで良い。

 しかし、ここで一つの問題が浮上した。


「ニャニャ? 今のミャ~、マッパニャ~!」


 アグリはネコ族の男性――ネコおとこに変身したものの、服も鎧もおパンツさえも装備していなかった。つまり、生まれたままの姿。


「まっ、いいかニャ……」


 アグリはひまわりの花壇から出ると、テクテクと歩き出す。

 通行人、観光者、日光浴中の獣人、広場でお弁当を楽しんでいた家族連れまでもがアグリを凝視する。


「ネコ族マッパだ!」「ストリートキングだ!」「ヘンタイ露出狂が出現したぞ!」

「ママ~あのおっきいネコちゃんもにっこうよく?」「見ちゃダメ!」


 アグリは動じない。

 心が静まったまま、ブレない。

 しかし、あまり騒がれると鬱陶うっとうしいだけなので、花壇から『ヒマワリの花・大輪』を一つ拝借し、それで股間を隠した。


(なんなのニャ……この妙な気分は……)


 アグリはまるで人として大切な感情が抜け落ちたかのような感覚を覚えていた。

 ネコ漢に変身したことが原因ではない。

 ラミア様の魅了攻撃と呪いにより、人としての常識や理性までもが著しく欠如していた。

 そして、アバターの制御――ピコピコまでも封印されていたのだった。


「そうニャ……シーラさんに見てもらうニャ。なにか分かるかもニャ……今のミャ~の姿なら、カッコ良いって喜んでくれるかもしれないニャ!」


「ワハハ」「ウフフ」「ニャ~ニャ~」と脳内のお花畑を満開にして、プレイヤーギルドへと向かうアグリだった。


  ☼


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