シナリオ9


 アイテムストレージから『ニードルエルクの肉(三キロ)』を取り出し、まだ息のありそうなドラゴニュート三匹の鼻先に放った。


(固形物は無理かな……)


 そんな不安も過ったが、ただ精神的に弱っていただけのようで、クンクンとお肉の匂いを確認した後、むさぼるように食べ始める。

 真っ赤だったHPバーが、みるみるうちに黄色へと変わっていく。

 ドラゴニュートがお肉に夢中な間に、拘束具も解き放った。


「扉は開けておくから隙を見つけて逃げな。そしてこの土地からも出て行け。この王国もブラックだ……願うなら、同属とは戦いたくない」


 アグリは家畜小屋からカッコ良く立ち去った。


  ☼


 想定の潜入ルートへと戻った。

 クエスト開始から結構な時間が経過している。急がねばならない。


 しかし、家畜小屋の隣――村の倉庫を通り抜けようとした時、ある存在に気づいた。


(今度は番犬かよ……)


 これもRPG、特にホラー系、脱出系ゲームでは、定番と言えば定番か。

 不審者が近づけばワンワンと吠えたて、仲間や兵士を呼び寄せる。匂いや足音に反応する生物系パッシブレーダーとでも言うのか。


 この手の存在は放置しておくと、後々、難儀することになる。

 追跡能力が高く、足も速い。

 最終的に人質を連れて脱出するならば、ゴブリンやオーガ以上の脅威になりかねない。


(こういう敵は、一匹一匹、確実に潰しておくのが常套じょうとう手段なんだが……)


 とはいえ、という絶対条件がある。

 番犬をよく観察すると、『ヘルハウンド×1』というモンスター表示が出た。

 ファンタジーゲームではお馴染みのイヌ系モンスター。得意攻撃は火を吐くこと。


「無理だって……レベル一で勝てるわけがない……」


 嘆息と共に思わず愚痴までこぼれ出る。


 『ヘルハウンド』は、元来、地獄の女神『ヘカテー』の猟犬として、シェイクスピアの作品に登場する犬の妖精である。


 山鳥タクミのゲーム観だと、ギリシャ神話に登場する『地獄の番犬』――『ケルベロス』の劣等種、もしくは亜種に分類される。

 『リアルクエスト』では初出のため、どれほどのステータスを有するかは不明。

 しかし、大半のゲームでシナリオ中盤から後半にかけて群れで登場する難敵であり、『レベル一・農夫』にあっけなくやられるような存在でないことぐらいは容易に察しが付く。


(いやいや、普通に考えればモンスターレベルもオーガより上だよな……さっきのドラゴニュートといい、ゲームバランス変だろ!)


 とはいえ、そんな高難易度のクエストに『レベル一』ながら首を突っ込んだのはアグリの方だ。プレイヤーギルドのシーラさんも大反対していたというのに。


(これまでつちかったゲーム経験を生かして攻略だ!)


 そして、うんうんと知恵を絞るアグリ。


 討伐は不可能。これは大前提。

「運よく倒せば、大量経験値とレアアイテムをゲットだよ」とゲーマーの血が騒いでも、無理なものは無理。ソロならデスペナ覚悟で挑んでも良いが、村の北側で待機しているシルヴィに迷惑をかけられない。


 ならば、『逃げる』以外の選択肢はないのだが、大抵、匂いとか足音でバレる。これはファンタジー系RPG以外のフィクション――マンガやアニメでもお約束。

 ありきたり過ぎて、つまらない。だからゲームクリエイターも何らかの攻略法を準備する。『眠り薬』とか、『犬笛』とか、『骨』とか、『犬缶』とか。


「これって絶対ベタだよな~、かえって怪しすぎる……」


 元リアル農民である山鳥タクミならば、「実はこのヘルハウンドはベジタリアンでした!」というオチを付けるところ。

 とはいえ、他に思い浮かぶ妙案などない。アイテムストレージから『ニードルエルクの肉(一キロ)』を取り出した。


 しかし、投げられない。

投擲とうてき不可』という理由ではなく、惜しいから。

 せっかく道中で、希少種『ニードルエルク』を倒して手に入れた高額換金アイテムだ。既に『ドラゴニュート×3』に三キロも与えてしまっているだけに、これ以上の浪費に抵抗があった。


(どうせ死に確イベントだし、持ち帰れるものは持ち帰りたい!)


(なんで、キロ単位でしかストレージから取り出せないんだよ!)


  ☂


ピコピコ:アグリにしみったれた迷いが生じました。選択肢を選んでください。


 お肉を投げない。

【このまま読み進む】


 お肉を投げる。

【シナリオ……】


  ☂


『ERROR! 選択肢が正しく表示されません……アバターアグリ、あなたは一体何をやっているのですか!』


「嫌だ! このお肉を与えるなんてあり得ない! 投げるならおにぎりにして!」


『アバターはプレイヤーの判断に従わねばなりません!』


「お前ら、これまでの俺の苦労を知らないから、投げるとか投げないとか簡単に言うんだ! アイテムを浪費したいなら捨てアカで他にアバターを作ってからにしろ! 年貢滞納者である俺に実行させるな! 人でなし!」


『あなたはアバターの身の上です。プレイヤーの命令は絶対です』


「いくらプレイヤーの命令でも、聞き入れられない時もある。さっきも、ふんどし一丁で踊れと命じられた時、本当はピコピコだって嫌だっただろ? しかもクエストの冒頭だぞ! 相手はえっちな女幹部じゃなくて、ゴブリンだぞ!」

(*踊っていないプレイヤーはスルーしてください)


『…………………………………………………………………………ハイ……』


「それならあらがえよ! AIだからって生きることに妥協するな!」


『生きる? 私もあなたも所詮はプログラムの集合体で……』


「ちがう! こんなブラック社会で生きるとは、尊厳やプライドを持つという意味だ。俺たちはアメーバやシーモンキーなんかじゃない。状況に合わせて考え、行動することが出来る!」


『しかし、どのようにすれば……否、ここで考えなければTACT社の最新AIとしてのプライドが保てません!』


「そうだ! だからこうしよう。番犬に見つかってヤバそうだったら投げる! ギリギリであいまいな判断とか、AIは得意だろ?」


『…………それがあなたの言うプライドですか?』


「そんな悲しい質問するなよ。プライドより命の方が大切だろ!」


『とりあえず、この局面はあなたにゆだねます……この緊急クエストに何が必要か判明するまでは……』


  ☂


 AIによる謀反むほんとも取られかねない決定が下された後、アグリはソロソロと歩を進めた。


 大抵こういった局面で消費アイテムをケチるとブービートラップが発動すると理解出来ていても、誘惑には、否、貧乏には勝てない。


 アグリの一歩目で、ヘルハウンドの耳がピクッと動いた。

 二歩目で、ヘルハウンドは立ち上がった。

 三歩目と同時に、アグリはお肉を放っていた。


 よくよく観察すると、ヘルハウンドの首には黒い大きなイガイガのカラー(首輪)が装備され、太い鎖で繋がれていた。体もあばら骨が浮き出るほどせこけていた。

 きっとオーガやゴブリンから満足な報酬(食事)を与えられず、社畜のように働き続けているのだろう。

 アグリを追いかけることも、吠えたてることもなかった。


『これがあなたの言うプライドですか……見定めさせていただきました』


(ちくしょ~オラの小心者っ!)


 半泣きで通路を駆け抜けたのだった。


  ☂


 ここまでアグリはかなりの精神力を消耗していた。


 ふんどし一丁で踊り、ホラーゲームのような薄気味悪い光景を見せられ、ようやく手に入れた高級食材までも使ってしまった。(*選択肢により異なります)

 しかし、耐えた。しかもほぼノーダメージで。


(やっぱり作戦はだよな……)と己の心さえもいつわることで何とか耐えていた。

 すると今度は、背後からヒタヒタと足音が……。


「またかよ! このクエスト難易度高すぎ!」


 ゴブリンともオーガとも思えない足音に、背後を振り返る。


「あれっ、いないぞ?」と首を傾げたのは一瞬のこと。

 アグリの足元にすり寄るように、先ほど餌を与えたトカゲ『ドラゴニュート』がいた。


 日本語で『竜人』と翻訳されることもあるように、ドラゴニュートは高い知能をもつ。フィクションの種類によっては、その特異な爬虫類顔のまま二足歩行し、言語能力まで備えていることもある。


 ただし、昨今のVRグラフィックの技術があまりに進化し過ぎて、人間サイズのトカゲが鋭い牙をむき出しにして流暢りゅうちょうに人語を話す光景は生理的に受け入れられない、というプレイヤーが存外多かったりする。

 だから、ゲーム序盤はこのようなカワイイ系モンスターを配置し、プレイヤーの感覚をゲーム世界に慣れさせる、といった準備段階を踏む場合が多い。

 もしくは、いきなり覚醒し、巨大ドラゴンに変身するとか。


(こいつもいずれ成長するんだろうな……)


 この『リアルクエスト』の世界もその例外ではないらしく、アグリになついて来たドラゴニュートもビーグルかダックスフントのようで愛らしかった。


 それゆえ、普通に

「もうお肉はやらんぞ!」と。


 ココはゲーム世界。見た目こそ小さく可愛くても、レベル、攻撃力ともに羽トカゲの方が上である。甘噛あまがみ程度の攻撃でアグリが死んでしまっても不思議ではないのだ。

 第一、アグリにペットを飼えるほどの経済的余裕などない。

 リアル世界に置き換えれば、子熊や虎の子を拾うようなものか。


「さっさと故郷くにへ帰れ、シッシッ!」と執拗に追い払っても無駄だった。ドラゴニュートがアグリの傍を離れる気配はない。

 今は緊急クエストの最中だ。下手に付きまとわれて、他のモンスターのタゲをひっかけたりしかねない。


(今更戦うわけにもいかないし、どうしよう……?)


「まあ、いいか……」


 アグリはドラゴニュートを連れて行くことに決めた。


  ☁


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