第739話:父親の、最初の仕事は
「おかえりなさいませ、だんなさま」
家に帰ると真っ先に迎えてくれるのはリトリィだ。家に近づいてくる足音で分かるらしい。胸に双子を抱えての出迎えだった。
やはり父親の仕事は子供たちの顔を見ることだ!
昭和の親父はモーレツに働きすぎて、子供に顔を忘れられたとかいう話を、かつての職場の所長が言っていた。まあそれくらい働けという意味だったのだろうが、そんなこと知るか。
「ムラタさん、お疲れ様でした!」
マイセルが手を差し出してくるので、道具袋を渡す。
「だんなさまっ! おかえり! ボク、今日、双子ちゃんのおむつ替えるの、手伝ったよ!」
耳をぴこぴこと揺らしながら得意げに飛びついてきたのはリノだ。
「そうか、立派にお姉ちゃんをしているんだな。偉いぞ」
そう言って頭を撫でてやると、何故か体を少し離して、不満そうな顔をしてみせた。訳がわからず、それ以上声をかけそびれていると、リトリィが苦笑いしながら、そっと耳打ちをしてきた。
「リノちゃんは、およめさん修行のつもりだったんですよ」
──お嫁さん修行!
だから早すぎるんだって、リノには!
「ペリシャさんも、十二で『タキイ夫人』になっていますから。ムラタさん、そろそろ諦めた方がいいですよ?」
マイセルも、そこは苦笑いだ。
いや、待って? 二人とも、そこは防波堤になって欲しいんですが。
「調子に乗って三人も女を囲った、ご主人の自業自得っス。いい加減、諦めて受け入れたらどうスか?」
フェルミ、お前が言うんじゃない。
「わあーい! お風呂、お風呂!」
リノが歓声を上げて湯船に飛び込む。
「こらこら、静かに入りなさい。いつも言っているだろう」
「はあい!」
湯船になみなみと張られた湯は、俺にとっては当たり前の光景でも、この世界ではとんでもなく贅沢な代物だ。
確かに、太陽熱温水器を作ること自体にはかなりの資金を投入した。けれど、タダで使える敷地内の井戸を利用し、燃料代もかけずにこれだけの湯を使えるようにした「天気力エネルギー」というのは大したものだ。
「ね、ね、おっさん! 双子ちゃんの名前って、もう決めてるのか? それともシシィとヒスイの時みたいに、みんなから案を聞くのか?」
リノの後にそっと身を沈めてきたニューが、俺の腕の中の双子の頬をつつきながら聞いてくる。
「そうだな……実はもう、上の子の名前は決まってるんだ」
「決まってるの?」
湯船の隣で、汗を流すために湯をかぶっていたリトリィが微笑む。
「はい。だんなさまと、ずいぶん前に決めた名があるのですよ?」
「どんな名前?」
ニューとリノが同時にリトリィの方を向いて聞いた。
ああ、決まっている。ひとりめの名。それは、いつか俺たちの元にやってきてくれる最初の子に贈ろうと決めていた名前。
「──コリィスエイナ。コリィ、っていうの」
かつて、彼女が我が子に付けようとした名。
その子は生まれることなく、天に還った。
だから、いつかその子がもう一度、俺たちの元に来てくれた時に、付けてあげようと決めた名なのだ。
「みんなの優しさをいっぱいもらえるように、って名前なんだね」
「そうだな。みんなで、妹たちを優しく大事にしてくれたら、俺はうれしいよ」
「当たり前だろ! おっちゃん、オレ、みんな優しく大事にするさ!」
ヒッグスが胸を張る。弱い者に優しく……それが、ニューとリノの兄貴分として、二人を守るように路上孤児として生きてきた彼の誇りなのだろう。
「じゃあ、もう一人は? 双子なんだから、二人とも関わりがある名前がいいよな!」
ヒッグスの言葉に、リトリィが微笑む。
「そうですね……ふたりがいっしょに、力を合わせて生きていける……そんな繋がりのある名前に、してあげたいですね」
「お姉ちゃんがみんなから優しくしてもらえるようにって名前なんだろ? だったらおっさん、妹ちゃんだって、みんなから優しくしてもらえる名前にしてやらなきゃ、かわいそうだぜ!」
「そうだね、ボクも賛成! お姉ちゃんがコリィなんでしょ? じゃあ、どうしたらいいかな?」
ニューとリノが、何やら真剣に色々とアイデアを出し始める。
「ふふ、みんなでそうやって、双子ちゃんの幸せを考えてくれるのは、とっても嬉しいですよ」
湯を浴び終えたリトリィが、ゆっくりと湯船に入ってくる。
「だんなさま、ありがとうございます」
礼を言うリトリィに、胸に抱いていた双子を渡す。まだ首が座るとかそういう以前の問題だから、渡すのも少し、緊張する。
だが、リトリィはシシィとヒスイのふたりの世話をするのに慣れているからだろうか、危なげなく双子を胸に抱いてみせた。
「みんなで、双子ちゃんの幸せを……か」
まだ目も開かない我が子。
どんな色をしているのだろうか。
やはり、リトリィそっくりの、透き通るように美しい、青紫の瞳だったりするのだろうか。
「そうですね……みんなから、こうして優しさを受け取れる、そんな人生を生きられたら……」
双子を見つめるリトリィの眼差しは、どこまでもやわらかく、やさしい。
願わくは、この子たちの未来が、リトリィの眼差しのように、あたたかく見守られるものであってほしいと思う。
「みんなから……か」
みんな──
みんな。
世界と比べて、劣らぬもの。
……「みんな」。
「──なあ、リトリィ。妹ちゃんの方だけどさ」
微笑んで小首をかしげるリトリィに、俺は少しだけどもってしまいながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「ええと──
安易すぎる思い付き。
コリィの方は一晩かけて考えたというのに。
でも、コリィのもつ「
「──アイリィ……」
リトリィは、何度か口の中で繰り返す。
チビたちも、俺の方をじっと見つめて、それぞれに繰り返していた。
「……ごめん、やっぱり──」
安易すぎた、と撤回しようとした時だった。
「……わたし、このお名前、すてきだと思います」
「お姉ちゃんも? ボクも気に入ったよ!」
「おっさんの案にしちゃ、……いいんじゃねえの?」
三人が三人とも、是としてしまったのだ。いや、これを叩き台に、くらいの考えだったんだけど……?
「……ふふ、コリィ、アイリィ。あなたたちのお名前を、おとうさまがいま、決めてくださいましたよ?」
「あ、その……今のは、案のひとつ、というくらいで……」
「いいえ。わたし、とても気に入りました。だんなさま、このお名前に決めましょう」
……本当に、そんなに簡単に決めてしまっていいのか?
叩き台になれば、くらいに思って提案したのに、そんな、あっさりと……?
「ふふ、だんなさまが考えを巡らせてくださった、大切なお名前ですもの。とってもすてきです。お風呂から上がったら、マイセルちゃんとフェルミさんにも教えてあげましょう」
リトリィが、実にうれしそうに耳をぱたぱたとさせる。
「あなた。仔に名を贈るのは、父親の、最初のおしごとです。ありがとうございます。わたし、あなたが贈ってくださったこの仔たちの名、そのいわれを、しっかりと伝えていきますね」
いや、そんな大袈裟な……
などとも言えず、俺は、変ににやけそうになってしまう顔を無理やり引き締めながら、うなずいてみせたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます