第738話:噂の眞相

 結局、ナリクァン夫人が与えてくれた時間は、互いに身を寄せ合って、ただ彼女を背後から抱き合っているだけの時間が、ゆっくりと過ぎていくことに費やされただけだった。


 でもそれで十分だった。俺たちは愛し合う夫婦なんだから。狂おしい刺激が欲しければ、熱烈な愛がほしければ、いつだってそれを実現できる。

 なにもせず、誰の干渉も受けず、ただ互いのぬくもりを感じ合うだけの時間があったって、いいはずだ。

 なにせ、愛しの妻は二人の娘を産むという大仕事を成し遂げたばかりなのだから。何かをしたければ、リトリィの体が元気を取り戻してからだ。


 ああ、マイセルたちが帰ってきた音が、下から聞こえてくる。

 よほどおいしいものを食べたのだろう、チビたちが実ににぎやかだ。

 そうした声が聞こえてくるのに、リトリィからは可愛らしい寝息しか聞こえてこない。よほど疲れているらしい。起こさずにそっとしておこう。


「え、ヤッてなかったんスか? なに? 自分の主人を何だと思っている? 決まってるじゃないスか、見境なしの発情種馬っスよ。それ以外になにかあります?」


 お前が俺のことを何だと思っているのか、よーく分かったよフェルミ!

 いや、もう十分に分かっていたけどな! 再確認だよ、再確認!




 翌日の現場。本当は双子の様子、リトリィの様子を見守っていたかったのだが、当の本人から「だんなさまのこと、おしごとが待っていますから」と、家を追い出されてしまったのだ。


「だんなさまのおしごとは、みんなをしあわせにするおしごとです。わたしも、それをほこりに思います。わたしが、ひとりじめにしてよいおかたではありませんから」


 そう言って、玄関で見送ってくれたリトリィ。少し寂しそうな表情だったけれど、彼女は決して、俺を呼び戻そうとはしなかった。

 昨日までと違って、もう彼女は、俺の作業現場に差し入れることを兼ねて俺に会いに来ることもできない。昨夜、彼女はそのことを、寂しげに笑って言った。

 まなじりに、涙を浮かべながら。


 歯を食いしばると、笑顔を作って彼女の唇に自身を重ねる。


「なるべく早く帰るよ」

「……はい。お待ちしております」


 彼女が望んでいるのだ、俺がこの世界に貢献することを。

 だとしたら、俺にできるだけのことはやらねばならない。

 そして、彼女が誇ることのできる亭主でいるべきなんだ。


「監督、来たんですか?」

「オレたちできますから!」

「おかみさん、昨日、双子を産んだばかりなんでしょ?」

「おかみさんのそばにいてやってくださいよ!」


 今日も朝から作業を進める男たちが、目を丸くして口々に言う。みんな、リトリィのことを思いやっての言葉だ。彼女がこれまでに成してきたことの意味、彼女の人徳が偲ばれる。


「いやあ、しっかり稼いで来いと追い出されて」

「嘘ばっかり。おかみさんがそんなこと言うはずないじゃないスか」

「ははは、ばれたか」

「赤ちゃん、可愛いっスか?」

「もちろんだ、それが二人だぞ! 二倍の幸せだ、うらやましいだろう!」

「双子って大変だって聞きますよ?」

「大変? 望むところさ」


 笑う俺たちに、「笑いながら仕事をするなど、やはり大工どもは低能だ!」「最近の職人の質の低下には、目を覆いたくなるわい!」などと、やっぱりうるさい野次馬爺さんたちが口々に罵り始める。


「ケダモノが双子を産んだだと? 浅ましい!」

「双子なんぞけがらわしい、凶兆ではないか! この前の地震も、この井戸水が腐ったのも、鉄血党は何も悪くない! その双子のせいに決まっておる!」


 頭の中に?マークがずらりと並ぶ。

 どういう意味なのか、何を言いたいのかが、一瞬、理解できなかった。


「そうだそうだ! 双子は凶兆ってことも知らんモノ知らずのくせに、街の『力場』たる井戸を修繕するだと? 気違いじみた所業だ!」

「……双子が『凶兆』? 井戸が『力場』?」


 わけの分からない単語が出てきた。大工仲間に顔を向けるが、苦笑いされて肩をすくめられる。


「そもそも、双子というものが万が一生まれてしまったなら、昔は片方をすぐに厄払いに養子に出すか、神殿の軒先にでも捨ててきたものだ! それが当たり前だというのに、二人とも育てるだと? 実に馬鹿げた話だ!」


 おいおい。

 自分の子供を厄払いで養子に出すとか、捨てるだと?

 リトリィがお腹を痛めて産んでくれた、大切な子を?


「リファル、こいつは何発まで殴っても許される?」

「動かなくなるまでいくらでも許されるんじゃね?」

「よし分かった」

「ってホントに殴りかかるな! おい! 誰かこのバカを止めろっ!」


 度重なるリトリィへの愚弄許すまじとばかりに、せっかく天誅を食らわせようとしたのに、リファルをはじめ何人かの大工に羽交い絞めにされて止められてしまった。実に残念だ。


 ただ、どうも俺が本気でぶち切れた姿に反省でもしたのか、あれほど俺たちを馬鹿にしていた糞爺たちは、一人残らずいなくなっていた。


「反省なわけないだろ……。お前、金色さんを馬鹿にすると本当に見境が無くなるんだな」

「妻を侮辱されたら決闘案件で、相手を殺してしまったっていいのは聞いたことがあるぞ?」

「そりゃいつの時代の話だよ……。これは、止めてなけりゃお前、本気であのクソジジイどもを半殺しにしていたかもしれねえな」


 そんな具合にリファルにはあきれられたが、若い奴らはなぜか俺を英雄みたいな扱いだ。「あんな妄想ジジイにおかみさんが悪く言われるなんて絶対に許せませんよ! ガツンと言って追い払ったムラタさんカッケーっス!」などと持ち上げる。


「馬鹿、連中、この数日間でいわれのない罵倒を受け続けていたから、お前の暴れっぷりにスカッとしたんだろ。でもな、お前、自重しろって。お前が警吏けいりにとっつかまったら、苦労するのは家族だぞ?」


 ……まさかリファルにそんな説教をされるとは。

 驚いて奴の顔を見ると、「オレにだって、もうすぐ子供が生まれるからよぉ……」と顎をかいてみせるリファル。


「正直、嫁さんのことであそこまで熱くなれるお前が羨ましいけどな。でも自重はしろよ?」

「……気をつける」

「それとさ」


 リファルは、声のトーンを落とした。


「……あの連中、なんか、おかしいと思わなかったか?」

「いや、頭がおかしいのは十分……」

「それもあるけどよ」


 リファルは苦笑しながら、続けた。


「奴ら、妙に、かばいだてるようなことを言っていなかったか?」

「かばう?」

「……決まってるだろ?」


 リファルは、さらに声を落とした。




「双子が不吉、だと?」


 自重するとは言ったものの、やはりもやもやするこのやるせない気持ちを訴えたくて瀧井さん宅に突撃したら、苦笑しながら答えてくれた。


「……双子が不吉、というのは、田舎の方ではそういう話も聞く、という程度だが……」

「やっぱりあるんですか?」

「そういう迷信を聞いたことがある、という程度だぞ? お前さんがきいたことがないというなら、もう日本でそんな話は無くなっているということなのだろうな」

「日本?」

「ああ、日本での話だが」

「……この世界では?」

「不吉というか……うむ、確かにそんな話を聞いたことはあるかもしれん」

「かもしれない……と言うことは、一般的ではないってことですか?」


 瀧井さんは、やっぱり苦笑いを浮かべた。


「そうだな……小さな集落では、双子というのは育てるのは大変だが、労働力が一度に増えることにもつながる。大いに歓迎されたのを見たことがある」

「じゃあ……」

「都市部ではな、やはり住む場所が限られていて、子供はなるべく控えるようにするという話があるのだ。それが、子供をよく生む獣人女性への、『畜生腹』という蔑称にもつながるのだが」

「子供をよく生んで何が悪いんですか? 家は建てれば……」

「ムラタさんや。たとえばこのオシュトブルクの、城内街を考えてみなさい。新しい家を、いったいどこに建てるというのかね?」


 言われて気づいた。城壁に区切られた街の中に、家を新たに建てるスペースは、もはや残っていないのだ。だから、城壁の外にまで、街が広がったのだ。


「家を存続させるだけなら、血を絶やさぬようにするだけなら、男児、女児、それぞれ一人ずついればいい。だが、なかなかそうもいかぬのが現実だ。まして双子というのは、なるべく増やしたくない人口を、ますます増やすことに繋がってしまう。このオシュトブルクですら、住む家に困っている者がいるのだ。王都のような大きな街では、本当に困っておるらしい。それが双子を忌まわしいとする、本当の理由なのかもしれん」


 瀧井さんはそう言って、ため息をつく。


「そして、そういう不安を抱えている連中に『お前たちは特別だ、故に迫害されている』『自分たちの言うことこそが真実だ』……そんな甘言で、取り込もうとする醜悪な奴らもまた、いるのだ。大切にされたい、特別扱いされたい……誰もがもつ心理を突く、実にけしからん奴らが、王都はもちろん、この辺境の街にも、な」


 ゆめゆめ、気を抜かぬことだ──そう言って、瀧井さんは黙って茶をすする。

 ペリシャさんは「相談しにきたひとを、かえって不安にさせるようなことを言ってどうするんです」とあきれつつ、平然と言い放った。


「子供が生まれるなんて、どんなときでも幸せなことですよ? まして母子ともに健康なのであれば、なおさらです! ムラタさん、リトリィさんを幸せにできるのは、あなただけなのよ? くだらないうわさに振り回されずに、あの子と双子ちゃんを大事にしてあげてくださいね?」


 もちろんです。

 しょせんは迷信。

 二倍の幸せを俺にくれたリトリィのこと、何があっても幸せにしますから。



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