第737話:君が幸せだから、自分も

 ずっとリトリィと付きっきりで修羅場を過ごしていたせいだろう。部屋の暗さに気付いたら、すでに日はすっかり沈んでいた。


 朝のお茶の時刻からこれだ。おおよそ八時間ほど、といったところだろうか。フェルミの時とほぼ同じだけれど、リトリィは二人目の出産と後産あとざんをふくめてこの時間だから、フェルミよりは一人目の出産の時間が短かったのは間違いない。


 けれど、あんなに痛みで取り乱し、泣き叫ぶリトリィなんて、見たことがなかった。彼女が取り乱す姿を見たのは、俺との関係が破綻しかけたときくらいだ。あらためて、出産の大変さを思い知らされた気分だった。


「それにしても、生まれたばかりでこんなに綺麗な毛並みなんて、ほんとうに奥さんそっくりっスね。監督に似なくてよかったー」


 おいレルフェン。お前が野次馬に食って掛かった時は見直したつもりだったけど、やっぱりお前はそーいう奴だったか。

 レルフェンに限らず、リトリィの出産に駆けつけてくれたひとたちはみんな、双子の毛並みを、リトリィにそっくりな姿を褒めたたえる。誰一人として俺に似ているって言ってくれない。いやそりゃそーだけどさっ!


「口とは裏腹に、実に嬉しそうだな、ムラタさんや」

「そりゃまあ、当然ですけどね? なにせリトリィの美人ぶりと愛らしさを、我が子で証明しているようなものですから!」


 瀧井さんが、すでに腹いっぱいだと笑いながらカップを勧めてくる。それを手に取ると、いつのまにかそばにいたマイセルが、にっこりと笑ってお茶をいでくれた。


「おつかれさまでした、ムラタさん」

「……ああ。……あ、いや、本当に大変だったのはリトリィだから」

「ムラタさんがおそばにいてくれたから、お姉さまだって頑張れたんです。こっちまで聞こえてましたよ、お姉さまが泣き叫ぶ声。あんなお姉さま、初めてだったから、びっくりしました」


 ヒッグスとニューとリノ、大工の若者たち、そしてご近所のご婦人たちに囲まれているリトリィの方を見ながら、マイセルが微笑む。


「次は私とフェルミさん、どっちですか?」

「……え、もう二人目を?」

「だって、ちゃんと子作りしてるじゃないですか。私だって二人目、早く欲しいんですよ?」


 マイセルは「それとも、やっぱり次はリノちゃんですか?」と笑いながら、キッチンの奥に引っ込んでいく。名前を呼ばれたことに気づいたリノが、「んう?」と首をかしげてこっちに来る。


「だんなさま、呼んだ?」

「い、いや、呼んでないぞ?」

「そう? ボクの気のせい?」


 そう言いながら、「えへへ、お姉ちゃんの赤ちゃん、すっごい可愛いね!」と飛びついてくる。


「お姉ちゃんにそっくり! 乾いたら、絶対ふかふかだよね! しっぽもちっちゃくて可愛い!」

「そ、そう、だな……」

「ボクももうすぐ赤ちゃん産んだら、やっぱりボクそっくりになるのかな!」

「そうだな……って、いや、ちょっと待って! ええと、その……リノはもう少し、もう少し大人になってからで……!」


 まわりにたくさんのお客さんがいる中でとんでもない発言をされて、俺は慌ててフォローしようとしたが、リノはにっこにっこ顔で俺を見上げて、さらに続けた。


「だって、お姉ちゃんの次はボクでしょ? ボクも早くだんなさまの赤ちゃん産みたい! いつくれるの?」

「い、いや、ほら、リトリィの悲鳴、聞こえてただろう? すっごく痛いんだぞ?」

「ボク、がまんするもん」


 リノは、その、片方だけ垂れた耳を揺らし、途中で微妙に曲がっているかぎしっぽを振ってみせた。


「ボク、しっぽだって耳だってちぎれそうにされたけど、だんなさまに助けてもらえて、それで痛くてもがまんできて、幸せにしてもらえたもん! だから今度はボクがだんなさまのおそばで赤ちゃんを産んで、だんなさまを幸せにしてあげるの!」

「リノちゃん、いいこと言うっスね。だったら、乳首を削がれて子袋も裂かれた女をも孕ませて幸せにしたご主人、私は最高に幸福なんスから、もちろんご主人の幸福は、ご主人の義務っスよ?」


 い、いやそーいう問題じゃなくてだな!

 俺が少女趣味の変態野郎扱いになってしまうっていうことが……!

 ──などと言えず、気の利いた返事もできず頭を抱えると、リファルが笑いながら肩を叩いた。


「大丈夫だ。すでにケモノ愛溢れる変な奴扱いだから、今さら少女趣味の変態野郎呼ばわりが付け加わったって平気だろう?」


 お前という奴はッ!

 とりあえずリトリィを貶めた刑でリファルの首を絞めていると、よく通るナリクァン夫人の声がリビングに響く。


「さて、お集まりのみなさん!」


 思わずそちらを向くと、後ろでため息をつく黒服をひかえさせているナリクァン夫人が、皆を見回して笑顔で続けた。


「このたび双子を出産したリトリィさんは、幼いころから見守ってきた、私の娘のようなもの。娘の子なら当然、産まれた子は私の孫のようなものでございます。わずかですが、出産祝いを贈らせていただきますわ! みなさん、どうぞいらして!」


 夫人は、四番門前広場に面した料理屋を取ってあると言って、意気揚々と皆を引き連れて家を出て行く。いつのまに……って、きっと黒服さんがお店の手配もしておいたんだろうな。無茶振りも甚だしい主人を持つと、本当に大変だと思う。


 結果、すぐに、部屋から誰もいなくなってしまった。

 チビたちですら、ペリシャさんが手を引いて連れて行ってしまった。

 残ったのは、俺と、リトリィと、そして、双子だけ。


「……フェルミさんが、そっと教えてくださったのですけど」


 リトリィが、微笑みながら教えてくれた。


「……ナリクァンさまが、わたしたちを、夫婦とこどもだけにさせたかったのですって。これから、しばらくは寝る間もなくなるからって」


 それくらいのことならもう、シシィとヒスイで経験済みだ。だけど、夫人が気を利かせてくださったというのなら、それに甘えることにしよう。みんな──マイセルもフェルミも、そういうつもりで俺たちだけにしてくれたのだろうから。




 星が出てきた空を、窓から見上げる。

 しばらく前に新年を迎えたこの世界だけど、この世界の新年は、あくまでも冬至の次の日だ。まだまだ寒い日が続く。むしろ寒くなるのはこれからとも言える。


 毛布にくるまった双子ちゃんをはさんで、俺たちはどちらからともなく、笑っていた。

 そっと手を伸ばして、彼女のあごの下をくすぐってみる。

 少しだけ身じろぎした彼女だが、そっと身を起こすと、俺の顔の上で身をかがめ、そして鼻先をそっと、俺の鼻に当ててきた。


「リトリィ……」


 湿ってひんやりとした、彼女の鼻先。

 さらりと垂れてきた彼女の長い髪――くせっ毛の先端が顔にかかって、少々くすぐったい。その髪に包まれるようにしながら、彼女が伸ばしてきた舌の感触を、しばし楽しむ。


「あなた……わたし、こんなしあわせをいただけるなんて、おもってもいませんでした」

「双子ってのは、俺も驚いてるよ」

「いいえ……仔を、産ませていただけたことです」


 そっと、俺の上にのしかかってきた彼女。

 あれほど大きく張り詰めていたお腹は、いま、すっかり柔らかくなっていた。

 こう言っては女の人に失礼かもしれないけど、大きなリュックの、その中身だけが無くなった状態というべきか。マイセルもフェルミも、ここから元の大きさに戻っていった。

 ……いや、前みたいな引き締まった状態ではなくなって、二人とも、お腹が若干ぽよんぽよんなんだけど、それはそれで愛おしい。


「……何を言ってるんだ。必ず産ませるって約束しただろ?」

「それでも、わたし、二十歳はたちをこえているんですよ? 二十歳をこえた獣人の娘が仔をさずかりにくいこと、ご存じでしょう?」

「さあな。俺の周りの獣人の女性たちは、みんな子供を産んでいる。みんな幸せそうだ。そんなの、ただの迷信なんじゃないのか?」

「そんなこと……」


 あえて俺はそう言ってやったが、二十歳を過ぎると極端に妊娠しづらくなるというのは一般常識みたいだから、普通なら、そうなんだろう。

 つまり、俺たちも、俺たちの周りも、そんな一般論を吹き飛ばすくらいのラブラブカップルっていうことだ。なにせ俺たちなんて、寝る間も惜しんで毎晩愛し合ってきたくらいだからな!


 思わず抱きしめると、彼女が少し、顔をしかめた。一瞬のことで、すぐに微笑んでみせたけれど、俺だって少しはリトリィのことが分かるようになったんだ。そっと腕を緩めると、彼女は不思議そうな顔をした。


「……あなた?」

後腹あとばらが痛むのか?」


 出産を終えたあと、女性は数日の間、後陣痛こうじんつう──子宮が元の大きさに戻ろうとして収縮をする際の腹痛を抱えることになる。マイセルもフェルミもそうだった。


「……すこし、だけですよ?」

「君の言う『少し』は、当てにならないからなあ」


 俺は笑うと、彼女のお腹をそっとなでる。


「……ごめんなさい。その……すこしだけ」

「じゃあ、かなり我慢してるってことだな」

「そ、そんなこと、なくて……」

「やっぱり我慢してるってことだな」


 そっと、彼女の背に腕を回すと、彼女の体を脇に横たえさせた。


「……ほんとうに、その……ごめんなさい」

「謝らなくていいって。……本当なら、こういうのも、女性が手伝うべきなんだろうけど……ナリクァンさんもゴーティアスさんも、俺に任せてくれたってことなんだろうな」


 この世界では、医者以外の男性が出産に関わることなんてありえないことらしい。お産からしばらくの間も男性が関わることなんて無いし、育児に絡むこともないそうだ。だから俺がおむつ替えをやっているなんて言ったら、マレットさんだって目を剥いてあきれたし、ナリクァン夫人もペリシャさんも驚いていた。


 でも、ゴーティアス婦人をはじめ、今では俺が妻の出産に立ち会うこと、育児に関わることを、「特異な個体」扱いではあっても、それが俺なのだと、認めてもらえている。だからだろう、いまもこうして二人でいさせてもらえている。


 背中を丸めてお腹を抱えるようにするリトリィを、俺は背中側から緩く抱き、一緒にお腹をなでる。


「……あなた。あなたは、めんどうと思わないのですか?」

「なにが?」

「……その、お産ですとか、仔のお世話ですとか」

「なんで? 楽しいよ、子育ては。お産だって、俺の子を産んでくれようとしてがんばってるんだ。面倒どころじゃないさ、一緒に見届けたいとしか思えないんだけど」


 そういえば、日本でもお産に立ち会った結果、妻のことを女性として見られなくなるとかいう例を聞いたことがあったっけ。あまりのグロさに、夫婦生活も営めなくなる男がいる、と聞いたこともある。


 繊細な男がいるものだ。ひょっとしたら、ゴキブリをスリッパで叩くとか魚のはらわたを取るとか、そういう経験もないのかもしれない。不衛生だとか言って、妻の陰部を舐めたこともないんじゃなかろうか。


 そんなふうだと、赤ん坊のウンチを見て健康状態を確かめるなんて、とてもできないんだろうなあ。赤ちゃんが苦しそうに鼻水を垂らしているとき、鼻水を口で吸い出してやるとか、死んでもやりたがらないだろう、きっと。


「……そんなの、ご近所さんのお話をきいても、すすんでしてくださるだんなさまというのは、聞いたことがありませんよ?」

「だって可哀想だろう? 鼻をずるずるさせて、くしゃん、くしゃんって咳やくしゃみをしているのを見たら!」


 だが、俺の言葉にリトリィは苦笑いを浮かべて首を振る。


「……ほんとうに、あなたがいらっしゃった国は、しあわせな国なのでしょうね。だんなさまにそこまでしてもらえて、それがふつうだなんて」


 リトリィに言われて、俺がいた現代日本の事情について頭をめぐらせる。

 ……うん、そう言われると、確かに俺は普通じゃないかもしれない……?


 いや、いいんだよそんなことは!

 俺がお前たちを幸せにしたい、ただそれだけなんだから!


 そう言って、ぎゅっと腕に力をこめる。


「ふふ……ほんとうに、あなたって、かわったおかた……」

「いいんだ。君たちが幸せだから、俺はそれで幸せなんだ」


 そう言うと、リトリィはしっぽを持ち上げて俺に絡ませた。


「こんなわたしで、しあわせを感じてくださるあなたにめぐりあえた、わたしこそがしあわせです」

「何を言う。リトリィに出会えた俺こそが幸せだ。今から考えたら結構なブラック企業に勤めていた俺の不幸っぷり、聞かせてやろうか?」

「でも、あなたと出会えて、あなたにおうちをたててもらえたかたがたは、きっと、とてもしあわせだったはずですよ?」

「どうだろうな。家を建てたあとは、最大で三十五年ものローンを背負うんだ。幸せかどうかは……」

「しあわせですよ。ときにはご自身がおつとめになられていたお仕事場でないところも紹介するほど、いつもまじめに、親身になって、お客さまのためにはたらいてこられたのでしょう?」


 ……まあ、そうだけどさ。顧客の要望を蹴ってケンカしてまでも、自分の考える「暮らしやすい家」を提案してきたつもりではあるけど、それが本当に顧客の幸せだったのかって考えたら、今でも時々、夢の中で悩むんだ。

 あの家も、この家も。

 俺の、日本での最後の仕事──仁天堂にんてんどう夫妻の、小さな小さな家も。


「あなたが、心から、お客さまのためにむきあってきたことで、まちがっていたことなんてひとつもありません。わたしは、そう信じています。だって──」


 リトリィは、彼女のお腹をさする俺の手に、自身の手のひらを重ねてきた。


「あなたは、わたしを──わたしたちみんなを、しあわせにしてくださいましたから」



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