第735話:今度は君の番だから

 息せき切ってゴーティアス婦人の屋敷に飛び込んだ俺を、庭いじりをしていたシヴィー婦人が目を丸くして迎え入れてくれた。俺の話を聞いてすぐに馬車を手配しに行ってくれた彼女の厚意に甘えつつ、俺はキッチンでお茶の準備をしていたゴーティアス婦人の元に走った。


 リトリィの子が産まれるかもしれないと、礼法も何もなしにまくしたてる俺に、婦人は落ち着くようにと苦笑した。


「やれやれ。あなたのお嫁さんがたときたら、毎度毎度、ほんとうにせわしない人たちですこと。ことにリトリィさんは、まだひと月足らず先の話ではなかったのですか?」

「申し訳ありません、婦人。彼女は転倒させられてお腹を打ってしまったのです」

「……リトリィさんを転倒させたという輩は、すでに寸刻みになさったのかしら? 話はそれからですよ」


 婦人も十分に過激だったっ!




 ゴーティアス婦人に子供を取り上げてもらうのはすでに三度目。「こんな立て続けに、一人の男性の子供を取り上げるなんて経験、後にも先にもないでしょうね」などと皮肉めいたことを言いながら、しかし婦人はきりりと真剣な目で、リトリィが陣痛で苦しむ部屋に入って行く。


 結局、リトリィはそのまま井戸のそばで破水してしまったそうで、特にまだ結婚していない若い大工たちは相当に困惑したそうだ。皆で「世話になっているおかみさんのために!」と苦労しながら、家まで連れてきたようだった。


 俺は、リトリィのために協力してくれた大工たちに頭を下げながら、謝意を述べる。気が動転していたマイセルに代わって、家の留守を守っていて、大工たちに茶を振舞ってくれたフェルミにも感謝だ。


「おっちゃん! 姉ちゃん、大丈夫だよな⁉︎」


 泣きそうな顔で詰め寄ってくるヒッグスと、泣いているニューとリノ。


 家にいて、フェルミの昼食の準備を手伝うところだったニューとリノは、すぐさま、石工のバリオンのところに行っていたヒッグスを呼びに行ったそうで、俺がゴーティアス婦人を連れてきた時には、家族は全員、家にそろっていた。


「大丈夫。ゴーティアス婦人が来てくださったんだから。妹たち──シシィもヒスイも、婦人の手で生まれてきただろう? もう安心だ」


 俺はそう言って、チビたちを安心させようと努める。だが、心配なのは俺だって同じ。一分一秒でも早く、長く、リトリィのそばにいてやりたかった。


「ムラタさん、今は男にできることなどありませんよ……と、言いたいところですが」


 ゴーティアス婦人は苦笑しながら、俺を部屋に招き入れる。


「あなたはすでに、二回も出産に立ち会っているのでしたね。そのあなたが、待望の第一夫人の出産に立ち会わないなんて、ありえないわね。それに……」


 不安げに婦人を見上げたリトリィに優しく微笑みかけながら、ゴーティアス婦人は続けた。


「今回は、思わぬ急な事情での出産。リトリィさんも心細いことでしょう。あなたたちは特別に絆も深いようですし、彼女のそばについて、励ましてあげてくださいな」


 リトリィが、手縫いの大きなクッションを抱きかかえてうずくまるようにしながらうなっている。この世界では一般的な、出産用抱き枕──産枕うぶまくらだ。二人の愛の思い出が詰まった手作りの抱き枕を抱えて、この世界の女性たちは出産に挑む。


「リトリィ、大丈夫か?」


 聞いてから、自分の馬鹿さ加減、迂闊さに気づくが、飛び出した言葉はもう返らない。大丈夫だったら、こんなふうに苦しんでなどいないのだ!

 だが、彼女は額から汗を滴らせながら、「……だいじょうぶ、ですよ」と、苦痛に顔を歪ませながら微笑んでみせる。


 これは長丁場になりそうだ。八時間にも及んだフェルミの出産を思い浮かべながら、俺は覚悟を決めた。




「ムラタさん! お姉さまの腰、揉んであげてください!」

「え、あ、ああ……!」

「もう! 私の時にもしてくれたじゃないですか。あれです、あれ!」

「でもマイセル、リトリィはまだ……」

「お姉さまが、そう簡単に弱音を吐くと思いますか? 言われなきゃ動けないようじゃダメですよ、察してあげてください! 何年連れ添ってるんですかっ!」


 はいっ! もーしわけありませんっ!

 慌てて返事をすると、リトリィの腰から背中にかかるあたりを、拳でぐりぐりと押さえるようにしてマッサージをする。リトリィのうめき声が、多少小さくなったかと思ったら、フェルミがトレイに、パンに何かを挟んだものを持ってきた。


「はいはいご主人、ジャマっス。そこをどいてくれませんかね?」


 夫を夫と思わぬこの言いよう! 思わず抗議すると、フェルミはにんまりと笑ってみせた。


「当然じゃないスか。今一番大変なのはお姉さまっスよ? ──お姉さま、差し入れです。まだまだかかりそうスから、食べておいた方がいいスよ。あ、これ経験談ですから」


 そう言って、リトリィの目の前にトレイを持っていく。


「……ごめんなさい、今、その……食べる気に、なれなくて……」

「うんうん、分かりますって。それどころじゃないってことくらい。でも、ホントに食べておいた方が、あとあと絶対いいですから。一口でもいいから、食べておきましょう?」


 そう言ってフェルミは、優しい笑顔で一口サイズのサンドイッチらしきものを手に取ると、リトリィの口元に持っていく。


「ご、ごめんなさい……」


 リトリィが、そっとそれを口にする。

 ゆっくり咀嚼し、時間をかけて飲み込む。


「……おいしい……。ありがとう、ございます……フェルミさん」

「お姉さまは私たちの心の支えですから。今までいっぱい、お姉さまには助けてもらいました。こんな時くらいしか恩を返せないスからね」


 フェルミの言葉に、リトリィが首を振る。だが、フェルミはそれに間髪入れずに被せるように言った。


「同じ男性ひとを愛することを許してくださったお姉さまに、私は一生ついていくつもりですから。大丈夫、私だって産めたんです。今度はお姉さまの番ってだけです。お姉さまだって元気な赤ちゃんを産めますよ」


 転倒させられたことでお腹を打ち、それによってひと月近く出産が早まったことで、リトリィは間違いなく不安でいっぱいのはずだ。それをわかって声をかけてくれているのだろう。


「お姉さま、この辺り……どうですか?」


 フェルミも、マッサージを手伝ってくれた。自身が出産を経験しているからだろう。二人の出産を手伝った経験を持つ俺なんかよりも、なんだか「分かっている」ような手つきなのが、ちょっと悔しい。


「……ありがとうございます、フェルミさん。少し、楽になってきて……」

「全く、こんなことも気がつかないご主人で、困ってしまいますね」

「ふふ、そんなだんなさまだから、フェルミさんも、好きになってくださったんでしょう……?」

「そりゃ、完璧超人相手じゃ、仕え甲斐がないスからね。適度に間抜けな方が、担ぎ甲斐があるってもんっスよ」


 軽口を叩く素振りを見せながら、フェルミの、リトリィへの愛の気持ちが伝わってきて、俺は胸が熱くなる。

 フェルミが暮らしていた小さく無機質な部屋で、リトリィにはどうあっても敵わないと号泣していた彼女が重なる。


 最初こそ、フェルミを正妻公認の愛人として扱い、許可がなければ家に入れない、ヒノモトは名乗らせないなどと言っていたリトリィだが、今では一緒に一家を盛り立てる妻の一人として、リトリィはフェルミを扱っている。


 そんなリトリィの行動が、心意気が、今のフェルミの、愛に満ちた行動につながっているのだろう。


「だんなさま! マイセル姉ちゃんからの差し入れ! だんなさまもへばっちゃだめだからって!」


 リノが、俺や出産を手伝ってくれる女性たちのためにと、食べ物と飲み物を載せたトレイを持ってきてくれた。


「ああ、ありがとうリノ」

「お姉ちゃんのためだもん!」


 そう言って胸を張るリノが、女性たちに褒められてはにかんているのがまた、可愛い。


 みんなで、リトリィの出産のために協力し合う。

 俺はなんて恵まれているんだろう!



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