第729話:出来たお嫁さん
温泉宿の飯があまりにも不味かったために、昼食はリトリィに作ってもらったわけだが、どうやったかを聞いたら、要するに食材も調味料も、全部リトリィが買い取って、厨房の使用についてもお金を払って作ったらしい。
「わたしも鉄工ギルドから、すこし、おかねをいただいていましたから……」
彼女はそう言って、はにかんだ。
「もしかしたら、ということもありますから。でも、お役に立ててよかったです」
つまり、貯めていたへそくりを使ったということだ。なんて出来た嫁さんなのだろう!
……と感激しているばかりじゃ、旦那として失格だろう。妻の大切な貯蓄を使わせてそのままだなんて、できるはずがない。だから彼女にいくら使ったかを聞いて返そうと思ったのだけれど、彼女は使った金額について、がんとして教えてくれなかった。
で、夕食についてもまた、ひと悶着あった。リトリィにばかり任せてはいられない、俺も一緒に作る、と言ったら、やんわりと、だがこれまた一切退くことなく抵抗されてしまったのだ。
「台所は、おんなの城です。殿方に立ち入らせるわけにはまいりません」
「いや、リトリィにばかり仕事を押し付けるわけにはいかないよ。リトリィからしてみれば不十分極まりないかもしれないけど、俺だって……」
「だんなさま。わたしがしたいんです。だんなさまのために、はたらきたいんです。リトリィのわがまま、どうかおゆるしください」
そう言って深々と頭を下げられたら、もう何も言えない。結局、彼女の望みを聞くという形で引き下がるしかなかった。
雪が積もったせいだろうか。新しい客が来ることもなく、俺たちは貸し切りに近い露天風呂を楽しんでいた。
「わぷっ! おっさん、卑怯だぞ!」
「うるさいニュー! ヒッグスとリノと結託して、お前ら三人がかりでかけてくるじゃないか!」
「だからって、こっちは素手なのに、桶を使うなんてずりぃぞ!」
「これくらい、格差是正のためには必要なんだよ!」
そう言って、ニューに叩きつける振りをして、ヒッグスの顔面を狙う!
「ぶはっ! おっちゃん! 大人げねぇぞ!」
「ヒッグス! 獅子は兎を狩るにも全力を尽くすという! 今がまさにその時! お前ら、覚悟しろ!」
「ちくしょーっ! リノには全然かけねえくせに!」
「かけてるぞ! ……ほらっ」
「なんでオレたちには桶いっぱいのお湯を全力で叩きつけてくるのに、リノには手のひらにチョロッとなんだよっ!」
「ヒッグス……人間は、残念ながら生まれながらに不平等なんだよ! 特に、意味もない攻撃を食らうことになっても理不尽に耐えねばならない、男という存在はッ!」
我ながら大人げなかったと思う。だが手加減はしないッ!
……そう思った瞬間、サイドから強烈な湯の衝撃力!
うおっ⁉ み、耳に水が詰まったっ⁉
「へへーん、おっさん! おっさんが
いつのまにか、ニューの手に手桶が握られている。おそらく、女風呂の中の物を持って来たのだろう。
俺は黙って、片足で何度かジャンプをして水抜きをする。
……よろしい、ならば
「それでムラタさん。大の大人が、小さい子たちと本気でお湯をぶつけ合っていたっていうんですか?」
「すみません調子に乗っていました」
「お姉さまがそばにいないっていうだけで、こんなに子供じみたことをするんですか、ムラタさんは」
「い、いやマイセルさん、かけ流しの水路をふさいだのは、その方がお湯が溜まって遊びやすいかなあと思っただけで、決して他意は……」
「それで、床にお湯が溜まるくらいに、水浸しにしたんですか?」
「すみません調子に乗っていました」
「それで、このたくさんの桶はなんですか?」
「い、いやマイセルさん、複数の桶を準備したのは、湯を溜めて連続迎撃をするための必要最低限な防衛手段であり、決して他意は……」
「それで、他に利用されるお客さんたちの迷惑を考えたことは?」
「すみません調子に乗っていました」
「で、でもマイセル姉ちゃん! おっちゃんはオレたちと遊んでくれてて……!」
「それで、他に利用されるお客さんたちの迷惑を考えたことは?」
「ごめんなさい調子に乗ってました」
「よろしい」
仁王立ちのマイセルによって、チビたちといっしょに正座させられて反省会だ。後ろで笑い転げているフェルミの姿がうらめしい。
「まったく、男の人ってみんな一緒ですね。ちっちゃい子供と変わらないんだから」
マイセルに特大のため息をつかれる。
……おい、待て待て! 男の人がみんな一緒ってどういう意味だ!
「どういう意味って、そのままじゃないですか。お兄ちゃんもお父さんも、仕事中以外はほんと子供っぽいし。お母さんたちは、『それが男の人ですから』なんて笑ってますけど」
「そ、それは違うぞ!」
「ヒッグスくんと真正面から一緒に遊んでいるムラタさんのどこに、『違う』の説得力があると思うんですか?」
ぐぅうううっ、反論……できないっ!
「そ、そうだ! 瀧井さん! 瀧井さんは実に格好いい大人の男性だぞ!」
「ムラタさんと変なカビを一緒になって生やして、『ナリクァン夫人をびっくりさせるんだ』って、二人して大喜びで見せに行ったのよって、ペリシャさんがあきれていましたよ? ほんと、男の人って、いくつになっても子供なんだから」
はいすみませんっ!
「わたしは、むしろそんなだんなさまが、大好きですよ?」
知らないおっさんたちが、奪い合うように貪り食っているのをかいくぐりながらの夕食。
あきれながら報告するマイセルに、リトリィは微笑みながら答えた。
「……まあ、お姉さまがそう答えるのは、予想通りでしたけどね」
「ふふ、わたしのすべてを受け入れて愛してくださるだんなさまですもの。わたしも、だんなさまのすべてが大好きです」
リトリィは、俺の皿にパンのおかわりを載せながら微笑む。
「でも、マイセルちゃんがだんなさまをいさめてくださらなかったら、きっとお宿のかたにお叱りをいただいていたでしょうから……ありがとう、マイセルちゃん」
「ほんとですよ。まったく、男の人っていくつになっても子供なんだから」
マイセルがぷりぷりしながら、「お代わりはまだありますから! 取り合わないでください!」と、おっさんたちに注意しに行く。そんなマイセルを見送るようにしながら、リトリィが、そっと俺にウインクをしてみせた。すまん、と心の中で謝って、リトリィに頭を下げて、俺もパンを頬張る。
味は、昨日から食べている雑穀パンとほぼ同じ……はずなのだが、食感がまるで違うのだ。
乾燥して石のように硬かったこともそうだが、キメの細かさがまるで違うのだ。
「なんでこんなに、ふっくらふわふわなんだ?」
「もちろん、焼きたてだからですよ! お姉さまが、温泉で温めて作ったパン種も、とってもいい感じになりました!」
「温泉で作った、パン種?」
どうも、道中のおやつとして持ってきた乾燥果実を水に浸し、それを温泉の湯で温めて醗酵させ、パン種として利用したらしいのだ。
「まえに、ベリシャさまからおしえていただいた、乾燥果実を使ったパン種づくりをためしてみました。いかがですか?」
「美味い。味もどことなく果物感があって美味しいし、何よりやわらかくてふわふわで!」
「ふふ、うまくいってよかったです」
醗酵には、乾燥果実に着いている酵母菌が活発に活動できる環境を整える加減も重要だ。それについても温泉の熱を利用し、早く、かつ大きく膨らませることができたらしい。
ここの温泉が火山性でなく、硫黄臭さもないのがまた、幸いだった。
「リトリィ、君は天才だな」
「いいえ? マイセルちゃんがペリシャさまから手ほどきいただいたことをよく覚えていて、じょうずに手伝ってくれたおかげです」
リトリィに褒められて、マイセルがはにかんでみせる。本当に、出来た嫁さんをもった俺は果報者だ。
ところで、そこのあんた。あんただ、あんた。食うなとは言わないが、あんた、確かこの宿の支配人だろ。なんでリトリィの作った飯を、涙まで流しながら食ってんだ。「美味い!」は分かったから、あんたは自分とこのまかない飯を食ってろよ!
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