第721話:英雄と師と

 鐘を打ち鳴らし終わったあと、俺たちはフェクトールから皆への祝いにと贈られたワインの樽を開けていた。俺はあまり味とか香りとか、そう言ったものが分からないんだが、呑兵衛の職人たちの中にはその上質さが分かった者がいて、大騒ぎだった。

 そこに、リノから通信が入ってくる。


『だんなさま、ボク、だんなさまのところに戻りたい。いい?』


 リノの目を通して見た様子だと、外は比較的落ち着いた様子ながら、だれもが俺たちと同じように、フェクトールによって振る舞われたワインで新年を祝い、楽しんでいるようだ。

 シュールなのは捕えらえた鉄血党の連中で、血こそ流していないものの、ろくに歩くこともできないほど足腰立たない様子で毛長牛に繋がれた荷台に乗せられて、どこかへ運ばれて行く。


 向かう方向から察するに、フェクトールの屋敷だろうか。思わずドナドナを歌いたくなる、実に哀愁漂う姿だ。


『さて、ムラタ君。リノ嬢。君たちには随分と世話になったな』


 フェクトールからの通信だ。世話になった、と言われても、これはスポンサーに関わる問題でもあったんだし、俺たちが心血を注いだ「幸せの鐘塔」を傷つけた鉄血党への仕返しの意味もあったから、べつにフェクトールのためだけではない。


『ははは、相変わらずだね。実にムラタ君らしい言葉だ』


 フェクトールはしばらく笑ったあと、改めて礼を言ってきた。


『いや、今回の君の働きだけじゃない。君の奥方においては、塔の鐘を鳴らす機構の修理に、多大な貢献をしてくれたと聞いている。今日、君がリノ嬢を連れて仕事をしている意味も分かった。遠耳の耳飾りのことは知っていたが、こんな使い方があるとは知らなかったよ」

「いや、普通は音声通信程度の共有しかできないらしいぞ? ここまで鮮明に感覚を共有することができるっていうのは、稀らしい。俺とリノは、特別に相性がいいらしいってだけだ」


 本当はリトリィのほうが相性がいいのだけれど、屋根の上を走り回って跳び回るような瞬発力は、リトリィにはおそらくない。猫属人カーツェリングという種族の特性、そしてストリートチルドレンとして生きてきたリノだからこそのすばしこさなんだろう。


 すると、フェクトールの声は若干トーンダウンする。なにか、当てが外れたのだろうか。


『そうなのかい? では、今回、リノ嬢がいてくれたことは、本当に私にとって奇蹟──神々の恩寵だったのだね』

「そうなのかもしれないな。それに、感覚を共有するってことは、痛みも共有するってことだ。リノに何かあった場合、俺も相応の痛みを食らう。下手をしたら、俺も死ぬ。そういう道具だっていうことは、頭に置いておいた方がいい」

『そうなのか? そうするとますます、君たちの力を借りることができたわたしは、幸運だった。君たち一家は、神々が遣わしたのではないかと思うくらいに』


 フェクトールはそう言って小さく笑う。


『とにかく、君たちは英雄だ。特にリノ嬢との感覚の共有とやらは、とても興味深い学びを得たよ。ムラタ君、君は子供遣いと呼ばれているそうだね。君の育てた子供が英雄ならは、君は英雄を生み出した、英雄の師といえるだろうね』


 英雄の師、だって?

 くそっ、お前のほくそ笑む顔が目に浮かぶよ! 貴族がただの庶民をからかうな、反則だぞ!


 フェクトールはまた笑うと、『この礼はまた後日させてもらうことにするよ』と言って、通信が途切れる。奴も耳飾りを外したのだろう。


『えへへ、やっぱりだんなさまは、ボクのししょーなんだね!』

「おいおい、そんな冗談に乗らないでくれ。……リノ、お疲れ様。戻っておいで」

『うん! すぐ行く!』


 ふう……と大きなため息をつく。

 これでようやく、全てが終わったような気がした。

 リノは、今回も本当によく働いてくれた。今日は彼女の頑張りを、十分にねぎらってやりたい。




「えへへぇ、だんなさまぁ……!」


 ねぎらってやりたいのはやまやまだったが、くそう、あいつら!

 リノにワインなんか飲ませやがって!


 以前、マタタビの成分を溶かし込んだ気付けのブランデーを飲んで酒乱気味に甘えてきたことがあるリノだったけど、もしかしたらあまりマタタビなんて関係なかったんじゃないだろうか。


 ほにゃほにゃなにか言いながら、しなだれかかってくる。翻訳首輪で意味を成さないことを口走っているってことは、彼女自身、何かを意図して発声しているわけでもないってことか。

 ああもう、酔っぱらいって本当に面倒くさい!


「すまん、俺はもうこいつを連れて帰る!」

「おやあ? 監督、ついにその子にも仕込む・・・んすかあ?」

「そんなわけがあるか! リノにワインを飲ませた奴、覚えてろ! あとでぶっ飛ばしてやるからな! 覚悟しとけ!」


 ゲラゲラと笑う職人たちを残して、俺はリノを抱きかかえて、「幸せの鐘塔」を出た。


「あれぇ……。ミネッタお姉ちゃんそっくりだねぇ」


 俺の腕の中で、目をとろんとさせながら、レリーフを見上げて指を差すリノに、俺もつられて見上げた。

 塔の出入り口には、もう一度新しく作り直されたレリーフが飾られている。一度壊されたことで、より「似せない」方向で作り直されるかと思ったら、違った。

 めっちゃくちゃ似せてきている。もうミネッタそのものだよ。


「……そうだな。言い訳できるようなものじゃないな、もう」

「おっぱい、ちっちゃくなったねえ。でも、お耳はおっきいままだねぇ」

「……胸の大きさはたぶん、本物のミネッタに合わせたんだろう。耳は……ミネッタをより美人にしたかったんだろうな」

「ミネッタお姉ちゃん、美人だもんねえ」


 より本物のミネッタらしくなったレリーフだが、それでいいと思う。憎たらしくなるほどパーフェクトなイケメンで貴族の金持ちで女にもモテる、天が贔屓した傑作みたいなフェクトールだけど、そんな奴が初めて本気で恋をしたのが、このレリーフの女性──猫属人カーツェリングのミネッタ。


 ヒト社会では差別的な待遇を受けているはずの獣人族ベスティリングに子供を産ませ、しかも結婚前から正式な愛人の地位を与えてしまったフェクトールは、これから社交界でかなり苦労するはずだ。

 だが、リトリィにやったことは許せなくても、色々助けてもらってもいるからな。なんとかうまく立ち回ってほしいものだ。


 リノがレリーフを見上げつつ、俺にしがみつく腕に力をこめる。俺も、彼女を抱っこする腕に力を込めてやる。


「リノも、綺麗で可愛いよ」

「……ボク、きれいじゃなくなったから」


 リノが、ひどく落ち込んだような顔をしてみせた。耳も伏せてしまい、しっぽも力なく垂れ下がっている。


 獣人族ベスティリングの女性の「美人の評価基準」は、耳としっぽの大きさや形、毛並みなどが、かなり重要な要素らしい。リノの片耳が途中から折れて垂れているのは、彼女の「美しさを傷つけ女性としての尊厳を破壊する」という意味で、侯爵軍の兵士に傷つけられた結果だ。しっぽもひどい怪我を負わされ、怪我自体は治ったものの、途中から微妙に、曲がったままになってしまった。


 リトリィのふかふかのしっぽなら、もしかしたら誤魔化せたかもしれない。だが猫属人カーツェリングの短い毛では、カギしっぽぶりが誤魔化せない。

 普段は天真爛漫なリノだが、こういう姿を見てしまうと、まだまだ子供ではあっても、やはり綺麗でありたいと思うものなんだろう。


「何を言ってる。綺麗で、可愛いよ」

「……でも、耳だって……しっぽだって……」

「リノは綺麗だし、可愛い。それとも、俺が気に入っていることが気に入らない、とでも言いたいのか?」


 リノが目を丸くして、ぶんぶんと首を振る。


「だったらいいじゃないか。俺はリノのことを大事に思っているし、綺麗で可愛いと思っている。それでは満足できないのか?」

「そ、そんなこと、ないよ?」


 もともとワインのせいで赤くなっていた顔が、さらに真っ赤になる。俺は彼女を抱っこしなおしてやりながら、その頭をなでてやる。


「だ、だんなさま……」


 女性の髪に触れることが許されるのは、恋人か配偶者だけ。男親ですら、物心つく頃には触れないように躾けられるのがこの世界の常識だ。

 だが俺は日本人だからな。子供の頭を撫でるのは年長者の特権とばかりに、なでなで攻撃してやる。


「さあ、うちに帰ろう。みんなも、この新年の行進の見物が終わったら、家に帰るって話だったからな」

「……うん!」

「それからリノ」

「んう?」


 俺は歩きながら、若干伸びた髭面の頬を、リノの頬に擦り付ける。


「きゃうっ! だ、だんなさま、いたい、いたいよぉっ!」

「おまえ、酔っぱらったふりをしてたんだな? すっかり態度が素に戻ってるぞ」

「ひうっ……ご、ごめんなさい、ボク、あの……!」

「まあいいさ。さっさと帰る口実ができたんだからな」


 そう言って俺は、彼女の頬にそっと口づけをしてやった。


「だ、だんなさま?」

「さあ、きっとみんなが待っている。──リノは、今日のフェクトール公を勝利に導いた、影の英雄だぞ。凱旋だ!」

「はーい、ししょー!」



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