第718話:打ち砕く意志(5/7)

「覚えておきたまえ。敵となった者を、どうあっても打ち砕かねばならぬ意思を持つことも、時には必要なのだということを」


 フェクトールは、淡々と、そう言った。

 なるほど。つまりはそういう場面に、あんたはぶち当たってきたというわけか。そして、確固たる意志を持って打ち砕いてきたと。


「さて、どうだったかな……」


 一瞬だけ遠い目をしたフェクトールの奴は、しかし次の瞬間、嫌な笑みを浮かべやがった。


「それよりもだ、ムラタ君。私は、悪魔のような誘導術を駆使してみせた君が欲しいのだが、私のもとで働く気はないかい?」

「悪魔のような誘導術って……人聞きの悪いことを言わないでください」

「いや、私も情報を得るためには拷問をしながら悪魔のささやきを繰り返すことの有益性をよく知っているのだけれどね?」


 フェクトールは、底意地の悪そうな、いかにも悪役貴族っぽい笑みを浮かべて続けやがった。


「君の、苦痛を与えずとも抵抗する意志を打ち砕き、ぺらぺらとしゃべらせる誘導術には恐れ入ったのだよ。ぜひ、その力を私のもとで活かしてほしいのだが」


 いやだ! たとえお前との間でリトリィに関わる確執が無かったとしても、そんな役割、やりたいわけないだろ! 今回のだって、ただのカウンセリング手法の聞きかじりを実践したのがたまたまうまくいっただけに過ぎないんであって、俺自身はただの二級建築士だよ!

 ていうかお前、俺が嫌がるのを確信したうえで俺をおちょくっているだけだろ!


 俺の丁重な辞退に、「私は、からかっているつもりなどないのだがね?」と、フェクトールは苦笑してみせながら肩をすくめやがった。くそう、ひとをおちょくる姿まで絵になる奴だ。天は奴に二物も三物も四物も与えやがって。不公平だ!




 フェクトールの屋敷の一室は、野戦病院のようだった。

 たくさんの怪我人が運び込まれ、手当てを受けていた。

 ただ、既に落ち着きを取り戻しており、


「ああ、だんなさま! おつかれさまです」


 俺が顔を出すと、リトリィがマイセルと共に働いていた。

 彼女のエプロンは血まみれで、彼女のふかふかな金色の毛にも、あちこち血の跡が付いている。


「ムラタさん、お怪我はありませんか?」


 マイセルが、手ぬぐいを持ってきてくれて俺の顔を拭いてくれた。たちまち手ぬぐいが真っ黒になる。よほど煤けて汚かったらしい。


「いや、俺は大丈夫だよ。それよりこれは……大変だな。門外街での戦いの時を思い出すよ」

「あの時に比べたら、全然大したことないです。へっちゃらですよ」


 マイセルが微笑んでみせる。

 だけど、怪我人の手当てってのは、本当に大変だったはずだ。なにせこの世界は、本当の意味で効果のある薬も消毒薬も、まともに存在しないのだから。


「そんなこと、ないですよ? あなたのおかげで、安心してお手当てをできるようになりましたから」


 リトリィが、コップに水を汲んできてくれた。ありがたくいただく。でも、俺のおかげって、なにが?


「ふふ、そうやってかざらず、おごらずのあなたが、わたしは大好きですよ」


 そう言って、リトリィは真鍮しんちゅう製っぽい、レトロでおしゃれな霧吹きを見せてくれた。


「……それは?」

「ふふ、あなたが考えてくださった、お手当て用のアルコールですよ」


 ……ああ! そうか、アレか!

 瀧井さんと効果を共同研究した、アレ!

 極彩色のになるまでめいっぱいカビを繁殖させた培養皿を、ナリクァン夫人の手で顔に投げつけられたっけ。懐かしいなあ。


「だんなさまのおかげで、安心してお手当てができます。きっとここにはこびこまれたかたがたも、あとでひどくんだりすることはないと思います。あなたのおかげですよ」

「私もフェルミさんも、おかげで産褥さんじょく熱にかかることもありませんでしたし。ムラタさんのおかげです!」


 リトリィもマイセルも、怪我人の手当てがひと段落ついたのだろう。俺のほうにやって来ると、リトリィが左側、マイセルが右側といういつもの位置で、俺の隣に腰かける。


「リトリィ、体調はいいのか? その……そんなお腹で、大変だったろうに」


 そのことをすっかり失念して、彼女を救急介護要員に指名してしまった自分の迂闊さ、身勝手さを後悔していた。だが、リトリィはにっこりと微笑んだ。


「いえ、これくらい、だいじょうぶです。それよりも、だんなさまがわたしをたよってくださって、とってもうれしかったですよ?」


 彼女はそう言って胸を張る。マイセルも、はじめのうちはもうすぐ臨月を迎えるリトリィのお腹を心配したようだった。だが、慣れた手つきでパワフルにばっさばっさと処置をしていくリトリィに、もはや何も言うことはないと諦めたらしい。


「だって、だんなさまのご指名ですよ? あなたのリトリィは、こんなにお役に立ちますよって、見ていただきたくて……」

「リトリィ、そんなリノみたいに……」


 俺があきれてみせると、彼女は微笑んでみせてからぺろりと俺の耳の裏をなめた。彼女が甘えたいときや、何かをおねだりするときにする癖だ。可愛いけれどくすぐったいから、人前ではちょっと困るんだが。


「だんなさまだって、がんばっていらっしゃるんですもの。わたしはあなたの第一夫人なのですから、その誇りをもってがんばらないと」

「いや、それでもし、なにか……」


 万が一のことがあってはならない。そう思ったのだが、そもそも彼女を駆り出させたのは自分なのだ。言葉を飲み込むと、リトリィはお腹をなでながら、にっこりと笑った。


「だいじょうぶです。だんなさま、獣人はつよいんですよ?」


 いや、君が俺より強いのは十分知ってるさ、でも心配になるだろ!




 明日に備えて適度に休むように言ったあと、俺はフェクトールに呼び出された。今後の予定を確認するためとのことだった。


「中止にするか、だって? もちろんやるとも。中止などしてはオシュトブルグの街が、ひいては我がナールガルデン家が鉄血党に敗れたと宣伝するようなものだ。それは、貴族の矜持が許さぬのだよ」


 フェクトールにパレードを中断するかどうかを聞いたときの、その一瞬も迷わぬ力強い返事、俺はどこか奇妙な安堵感を得る。こいつならそう言うだろうな、という思惑が、彼と一致したことにほっとしたような感じだ。


「俺たちの役目は、当初と変わらない──それでいいか?」

「もちろんだよ。ただ、昨夜の件があったからね。私の周りに護衛をつけろと、執事がうるさいのだ。その辺りで、少々面倒なことになりそうだが、仕方がない」

「もし、同じようなものを投げつけられたらどうするんだ?」

液体燃素ヒドロジストンだね? あれは厄介だ。騎士の構える楯で守ろうとしても、容器が接触した時点で爆発するらしいからね。剣で切り払っても同じ。投げつけられた時点で、私の命運はそこまで、ということになるだろうね」


 それ駄目な奴じゃないか!


「ははは、それが貴族の矜持きょうじというものだよ。舐められて舐められっぱなし、というのは、我慢がならないのさ」


 矜持きょうじって。プライドが高いことを悪いとは言わないが、ついオーストリアの皇太子暗殺で第一次世界大戦勃発とか、ケネディ大統領暗殺事件とかが頭に浮かぶ。

 だが、フェクトールは大して気にした様子もなかった。彼は自分が不滅だと思い込んでいるかのようだ。


 そもそも鉄血党とはどういう組織なのかというと、フェクトールにもよく分からないのだそうだ。といっても、この土地の統治者である彼が知らないはずがない。色々と手広くやっている組織らしいから、おそらく「一言でいうのは難しい」程度の意味だろう。


「まあ、ヒトの血統の純粋性を声高に主張していることは多いね。特にヒトの血統を神聖視し、獣人との混血を嫌う。基本的には、血統主義者の集まりなんだよ」


 そういう連中は、地球のほうにもいたから分かる。出身地、民族などで差別をする奴が。


「といっても、獣人の女性がヒトと交わっても、知っての通りヒトの子を産むことは稀で、獣人の子を産むことが多い。逆に獣人の男性がヒトの女性とくっついたって記録はほとんどないんだが、その場合、やはり獣人の子ばかりが産まれるという噂だ」

「獣人と結婚すると、元々生まれにくいのに加えて、たとえ子供を授かっても、ヒトの子はほとんど生まれない、ということなのか?」

「そうだね。よく言われることだよ」


 フェクトールはそう言うと、笑顔のまま舌打ちをした。


「それを指して、獣人族ベスティリングはヒト族の純粋な血統を汚染したうえで、生まれてくるヒトの数を減らしてヒト族を滅ぼすつもりだ、とも言って毛嫌いしている。だからこそ、猫属人カーツェリングのミネッタを公式の愛人とし、子供も認知した私が目障りなのだろうね」


 変に混ざらず、獣人の子が産まれるだけなら、混血の問題なんて気にしなくてもいいはずなのにね──そう言って、皮肉気な笑みを浮かべる。彼自身、ミネッタに産ませた子供は、ミネッタそっくりの可愛らしい猫属人カーツェリングの女の子だった。それを侮辱されているとでも思ったのだろう。


「ただ、連中の不愉快な点は、主張だけでなくてね」


 フェクトールの話だと、「だから獣人は皆殺し」などと過激な主張をしているくせに、さらった獣人を需要のある所に奴隷として売り飛ばす、なんてこともやっているらしい。


「実に現金な連中だよ。彼らの活動資金の一部は、間違いなく獣人奴隷を売却した利益だろうね」


 ああ、リトリィもさらわれて、もう少しで売られるところだったしな。


「特に『原初のプリム獣人族・ベスティリング』と呼ばれる、君の奥さんのように獣相──動物の顔に近く、体毛に覆われている獣人は、一部界隈で愛玩奴隷として高値で取引されている。これは事実をつかんでいるから、間違いない情報だ」


 リトリィを自分のものにしようとしたあの事件は今思い出しても腹が立つ。だけど、彼はミネッタに仔を産ませて、本当に変わった。その彼の不幸を、それによって悲しむだろうミネッタの姿を見たくはない。


 だからこそ、鉄血党の連中の野望なんて、いかなるものであっても徹底抗戦し、奴らの野望を打ち砕く、強い意志が必要なのだろう。


 どうか、無事で今日一日が終わりますように──しらしらと明けてきた東の空を見つめながら、俺は祈らずにいられなかった。

 


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