第716話:打ち砕く意志(3/7)

「ムラタ様のお部屋は、こちらになります。ご家族の方々も、おいでになっておられます。どうぞ、ごゆっくり」


 案内された部屋は、ほかの大工たちの部屋よりも広い部屋らしい。たしかにうちは家族が多いから、そういった配慮はありがたい──そう思いながらドアを開けたら、小さな影がタックルしてきた。


「だんなさま、おかえりーっ! ボク、寝ないで待ってたよ!」


 げふぅっ……!

 ボディにきたぜ、そのタックル……!

 いつもと勝手が違うから油断してた……!

 続いて、リトリィ、マイセル、そしてフェルミが出迎えてくれる。


「だんなさま、おつかれさまでした」

「ムラタさん、お飲み物、いかがですか?」

「ご主人、ちょうどいいところに。ヒスイのおむつを替える絶好の機会っスよ」


 ……フェルミ、お前、まず一家の主の疲れをねぎらうって発想はないのか。

 とりあえず、真っ先に飛びついてきたリノの頭をなでてやりながら、皆の様子を確認する。部屋の奥からじっとこっちを見てから、猛然とハイハイしてくるのはヒスイか。


 思わず顔が蕩けそうになりながら抱き上げると、


 べたり。


 ……生ぬるくて、なにか、ぬるぬるとしたものが、おむつの布の奥に蠢く感触。

 ……こ、これは……!


「ほら、だから言ったじゃないスか、おむつを替える絶好の機会だって」


 にんまりとするフェルミ。

 ……確かにそうだね。

 それにしたって、うーんこのにおいは……。

 いや、誰だって、食べて、飲んで、出すんだから、健康の証なのだ!

 うん、このにおいだって健康の……証……。


「ほら、ご主人! いつまでも固まってないで、早くおむつ、替えるっスよ」




「それにしても、まさかこのお屋敷で、だんなさまとこうして過ごすことになるなんて思いませんでした」

「同感だ」


 チビたちはとうに眠って、しかしさすがに同じ部屋で夫婦の営みを行うわけにもいかず、他愛もない雑談で時間を過ごしていた。本当は早く寝るつもりだったのだが、なんとなくが、ずるずると続いてしまった。


 それにしても、リトリィの言葉には苦笑するしかない。かつて、ここに囚われたリトリィは、もう少しでフェクトールの奴に体を好きにされてしまうところだったんだからな。


「だけど、あの奴隷商人と繋がっていた鉄血党の連中が動くかもしれないとなったら、ここが一番完全だからな」

「ムラタさんは、やっぱり今でもフェクトール公のこと、許してませんよね?」


 マイセルが、妙にぷりぷりしている。


「ぷりぷりって、当たり前です!お姉さまにあんなことした人なんて、信じられませんから! 偉い人がどうとかじゃなくて、ひととして信用出来ないです!」

「でも、反省していらっしゃるみたいですし……」

「お姉さまは甘いです!」


 マイセルがびしっと人差し指をリトリィの鼻先に突きつける。


「は、はあ……」

「ムラタさんも相当甘いですけど、お姉さまももっとしっかりしないと! ご自身の貞操を奪おうとした男ですよ、あのフェクトール公は!」


 うん、まあ、それは分かる。でも今は一応世話になっている側だから、もう少し手心を加えた視点を持とうな?


「それよりご主人、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないスか? 私たちがここに集められたのは、なにか理由があってのことなんスよね?」

「ああ、そのことなんだが、さっき鉄血党の話をしたよな? 奴らの企みを打ち砕くために……」


 説明しようとした時だった。


 ドォォオオンッ‼


 突如、部屋を揺るがすような爆音!

 ガラスがびりびりと鳴り、明らかに尋常でない事態が起きたことを物語っている!

 俺は廊下に飛び出すと、音が鳴ったと思われる方の窓から外を見た。


「な、なんだあれは……!」


 「幸せの鐘塔」のすぐそばの家あたりで、もうもうと土煙が立ち上っている。冷たい月明かりに照らされて、それがはっきりと見えた。


「なんだ、どうした! 何があった!」


  部屋から飛び出してきた男たちが、外を見て絶句する。


「……おい、あのあたり、家があったよな?」

「あった……たしかにあったぞ?」

「じゃ、じゃああれは……?」


 そう。

 俺も、言葉が出なかった。

 「幸せの鐘塔」のまわりは、塔を囲むようにちょっとした広場になっている。その周りを家や店が囲んでいるのだが、その一角の家が、この館からも見て分かるくらいに、瓦礫の山と化していたのだ。


「……嘘だろ?」


 俺がようやく搾り出せた言葉は、それだけだった。

 だけど、こういうときに何もしないなんて言っていられないじゃないか!

 幸い、ここには力自慢の男たちがたくさんいる!


「おい! 全員集合だ! 何があったか分からないが、あの規模だと怪我人も多いはずだ! 助けに行くぞ!」

「おう!」

「大工の腕っぷしを見せてやる!」


 皆が一斉に走り出す。だれもが突然の出来事に驚きつつも、熱い思いをたぎらせているようだった。

 ただひとり、真っ青な顔をしている者を除いて。




 その建物は、中から吹き飛ばされたように破壊されていた。このあたりの区画はかなり古く、石切り場から切り出した石造りの家が多いのだが、一部、比較的新しい、川原石を積み上げたような家──地震で倒壊した、瀧井さんが住んでいた集合住宅のような家もある。

 倒壊している家は、一階部分がまさにそれだった。二階以上の部分は、後から増築されたようで、それが被害を大きくしたのかもしれない。一階の壁が何かしらの原因で吹き飛ばされ、それより上の重さを支えられずに倒壊したのだ。


「うっ……なんだ、このにおい……」


 土埃とは異なる、嗅いだことのないにおいに、俺は鼻を押さえた。瀧井さんの九九式小銃の火薬臭とも違うし、もちろんガソリンなどの燃料のにおいとも違うし、料理に使う油のにおいとも違う。かすかに刺激を感じる、なにか。

 この、かいだことのないにおいのもとが分からない。なんだろう。


 それにしても、もし一階部分がしっかりとした石切り場から切り出された重厚な石材でできていれば、もしかしたら耐えたかもしれない。そうでなくとも、日本の在来工法──木造もくぞう軸組じくぐみ構法こうほうであれば、壁が崩れても柱が重量を支える基本になるから、まだ耐えられたかもしれない。


 しかし、この建物には柱らしいものがほとんどなく、不定形で丸い河原石を積み上げ、わずかばかりのモルタルで接着してあるだけだった。壁そのもので家の重量を支える構造だ。壁がなくなれば、崩壊するしかない。石材も、壁の厚みも、接着のモルタルも、何もかも不揃いだったこの家は、耐えることができなかったのだ。


 吹き飛ばされた一階の壁を構成していた石材は、向かい側の家や、広場をはさんだ「幸せの鐘塔」の壁にまで叩きつけられているありさまだった。


 そのせいだろう。鐘塔の前で警備をしていたはずの巡回衛士たちが何人か、酷い怪我で倒れている。彼らの標準装備である六尺棒が、へし折れているものもある。頑丈な樫の木でできた棒だ、それが折れるなんて。よほど恐ろしい勢いで、壁の石が飛び散ったに違いない。


 棟の前だけじゃない。瓦礫の向こうや奥、あちこちでうめき声が聞こえる。崩れた家の、二階以上に住んでいた人たちの声だろう。そして、向かい側の家の、破られた窓の奥からも。


「おい、ムラタ! どうするんだ!」


 リファルが、カンテラであたりを照らしながら怒鳴る。無論、救助作業を行うのだが、彼が言いたいのはそういうことではないはずだ。


「……とにかく、怪我をしている人を助け出そう! バーザルト、フェクトール様のところに走れ! 怪我人を収容する場所を確保してもらうんだ! もし可能なら、医者の手配も要求してくれ!」

「は、はいっ!」

「エイホル、いるか!」

「は、はい!」

「俺の女房には言ったが、さっきの別棟べつむねに戻って、怪我の応急処置の心得がある人を集めておいてくれ!」

「わ、分かりました!」

「あとはみんなで、怪我人や埋もれている人を探すぞ!」


 指示だけ出すと、俺はリファルと共に崩れ落ちた家の中に人がいないか、カンテラで照らして探そうとした。

 瓦礫の隙間に光を届けるために、リファルが地面に近いところを照らす。

 すると、なにか、がれきの下の地面が、妙に黒く濡れていることに気が付いた。


「リファル、あれはなんだ? あの黒いシミというか……」


 リファルもそれをのぞき込む。


「……ムラタ、ありゃあ、黒というより、赤くねえか?」

「赤……?」


 もう一度、二人でのぞき込もうとした時だった。

 刺激臭が、一層濃くなったような気がした。

 ジジッ──

 何か、違和感のある音がしたと思った瞬間。


 カンテラが一瞬まばゆく光ったかと思ったら、ガラスの砕ける音と共に、カンテラから炎が噴き出したのだ!


「うわあっ⁉」

「り、リファルっ!」


 リファルがカンテラを放り出し、顔を押さえて地面を転げまわる!

 俺はオーバーコートを脱ぐや否やリファルに叩きつける!


「おい! 火を近づけるな! 何かがある!」


 俺は、同じようにカンテラを持つ奴らに怒鳴りながら、リファルの火を消火しようとコートを叩きつけ続ける!


「いてえ、いてえっておい!」

「リファル、無事か!」

「無事か、じゃねえよ! てめぇ、オレに何か恨みでもあんのかっ!」

「数え上げればきりがないっ!」


 リファルが、咳き込みながら身を起こした。顔はすすほこりだらけで、残念ながら、眉や前髪が焦げて無くなってしまっていた。


「大丈夫か?」

「大丈夫じゃねえ……っておい! ムラタ、あれ!」


 振り返ると、リファルが放り出したカンテラから油が漏れたのだろう、それが引火して、地面に炎が広がっていた。しかも、妙に勢いよく燃えている!


「な、なんだこれ! なんでこんなに火の勢いが強いんだ⁉」

「なんでもいい、消さないと! リファル、お前のコートも貸せ!」


 俺は、コートを火に向けて叩きつける!


「誰か! 井戸の場所を知らないか! 水を持ってきてくれ!」


 水を求めて走ってくれた大工たちと必死の消火活動のおかげで、何とか火は消し止められたが、これで貴重な明かりが一つ、失われてしまった。だが、火を使うとまた同じようなことが起こりかねない。

 うめき声が聞こえても、頼りにできるのは月明かりのみ。


「くそったれ、一秒でも時間が惜しいってときに、なんでこんなことに……!」


 みんなで声を頼りに、手分けして怪我人を掘り出す。

 近隣の住人も手伝ってくれた。特に一人、ご近所に狐属人フークスリングの女性がいたものだから、その鋭敏な耳でかすかな声も聞き取ってくれて、本当に助かった。

 すぐに騎士団も巡回衛士も駆けつけて、みんなで救出作業に当たった。


 はじめのうちは、一階部分からは全然声が聞こえなかったため、まずは声が聞こえるところから優先に活動をしていた。でも、もし声が出せない状態だったらと思い立ち、たまたま近くにいたひとたちを集めて、崩れ落ちた天井部分の一部を押し上げてみたんだ。


 ……そりゃあ、声なんて出るわけがなかったよ。

 だって、ばらばらだったんだから。


 リファルと見つけた、黒だか赤だかの液体は、単純だ。飛び散った血だったんだ。爆発の時に飛び散ったんだろう、ちぎれた肉のホースとその中身、そして手首や髪の毛付きの頭皮が残った頭骨の一部なんかをみつけてしまってね。


 そりゃあもう、その場で吐いたよ。奴隷商人に雇われた護衛たちによって、細切れの肉の破片にされた冒険者「遠耳のインテレーク」の記憶が、一気にフラッシュバックしてさ。


 その時、俺は吐くのに必死で気づかなかったんだが、その場を逃げ出した奴がいて。マレットさんと石組み長のバリオンとが、そいつを捕まえて引き倒して、両肩をつかむようにして、こちらに引きずってきた。さらに数人が、まるで男を見張るように、三人を囲んで。


「コイツ、さっきのカンテラ炎上を見てからずっとおかしかったんだが、これではっきりした。何かを知ってるかもしれねえぞ」


 マレットさんに小突かれて顔を上げたその男は。


「ち、違うんだ! こ、こんな、こんなことになるなんて……!」


 俺とほぼ同い年の、どこか落ち着かない男──フェルテルだった。



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