第715話:打ち砕く意志(2/7)

「……だと思ったよ」


 食べる前からうんざりしたような顔をしたのはリファルだ。

 

無料タダ飯が、本当に無料で食えるわけがねえと思ったんだ」

「その分腹いっぱい食えて、夜は上等な寝床で寝られるんだ。文句を言うな」

「何が慈悲深いお貴族さまだ。飯のぶん、しっかり働かせるじゃねえか。第一、道具を持ってきてねえよ」

「道具なら、フェクトール様が準備をされた。それを使って行うのは、さっきも説明したぞ」

「使い慣れた道具がいいに決まってんだろ。大工の魂だぞ、自分の道具ってのは」


 リファルの奴、ここに今フェクトール公がいないと思って、好き放題に言いやがって。よーし分かった。


「じゃあお前にはお貴族さまの冷酷な部分を代表で受け取ってもらうことにしよう。飯も深夜手当も無しで夜通し働け。お前が望んだことだ、うれしいだろう、うらやましいなあ」

「おいバカふざけんな!」


 そんなリファルを適当にあしらいつつ、俺は改めて皆に向けて言った。


「とにかくだ。今から二刻の間は飯だ。その後、作業開始。自分たちが飯を食い、寝床にするこの別棟べつむねの手入れだ、気合入れていけよ。なに、修繕箇所がなくなったらその時点で俺たちはお役御免。あとは奥棟おくむねで寝るだけだ。美しく仕上がったら、特別手当ても弾むそうだぞ」




「……で? 目星は立ってるのか?」


 周りの皆がぶつぶつ言いながらも修繕の作業をしているその合間を縫って、マレットさんが、そっと俺に耳打ちする。


「……確証はありません」

「そうか。……ま、この館から出さなきゃいい話だしな」

「よくお分かりで」


 明日のパレードと、「幸せの鐘塔」の新しく作り直されたレリーフのお披露目、そして明日から定時の鐘を鳴らす、その最初の一打。パレードはともかく、それ以外が俺たちにとっての最後の仕事になる。


 ──地図に残る仕事、歴史に名を残す仕事がしたい。


 建築に携わる者なら、誰もが夢見ることだ。

 それまで、ただ鐘塔、とだけ呼ばれてきた、『幸せの鐘塔』。

 新たな名を獲得した、その歴史的な事業に、俺たちは今、関わっている。


『私はね、君の仲間を処分したいわけではないのだよ』


 先日、俺を呼び出したフェクトールの言葉が思い出される。


『どうせ君のことだ。君の奥方を間接的に傷つけた鉄血党の面々はどう処分しても構わないだろうが、大工仲間へは、きっと寛大な処分を求めて抵抗するのだろう?』


 奇妙な評価だったが、彼自身、そしてゲシュツァー氏に対して、俺が下した「寛大な処分」とやらを目の当たりにしてきた彼は、俺という人間を妙に過大評価しているらしい。


『私はね、怒っているのだよ。君が奥方を傷つけられた時と同じようにね』


 それを自分から、俺に向かって言うか? そう思ったけれど、俺は黙っていた。

 それから彼の計画を聞かされて、今、俺はここにいる。


「……なるほどな。それで、これからどうするんだ?」

「計画通りに……といっても、騎士団と巡回衛士たちがどこまでどう動いているか、なんて分からないですからね。もう、あとはなるようになるしかないですよ」

「なんだ、行き当たりばったりだな」

「仕方ありませんよ。俺たちにできるのは、向こうの計画を狂わせることだけなんですから」

「計画が狂わなかったら?」

「知りませんよ。もう、本当に、なるようになれ、としか」


 俺の言葉に、マレットさんが苦笑いを浮かべる。


「なんだそりゃ。だったら俺たちは、タダ飯を食っただけで終わりになるのか? まあ、十分に美味い飯を食わせてもらったから、俺たちは別に構わないんだが」

「館の修繕はしてるんです。飯のぶんの働きはしてますよ」

「そういう問題か?」


 再び苦笑いのマレットさん。だが、本当に、こっちの動きは指示された以上のことは聞かされていないのだ。騎士団と巡回衛士の皆さんによる逮捕劇が進んでいればよし、進んでいなければ……頑張ってもらうしかない。なんたって俺たちは、ただの大工なのだ。


 リトリィを辛い目に遭わせた奴隷商人と関わりのある、鉄血党。

 奴らは俺たちの敵だけれど、だからと言って戦えるわけじゃない俺たちがどうこうできる相手じゃない。


 そしてややこしいのが、連中は「幸せの鐘塔」を狙いはしたが、俺たちを狙っているわけじゃないらしいってことだ。奴らの狙いはあくまでもフェクトールの妨害、というのが、フェクトールの見立てだ。いわば、俺たちはとばっちりを食らっているだけなのだ。


 とはいえ、そのとばっちりでどんな被害を被るか分からないから、今俺たちはこうして、ここにいる。騎士団と巡回衛士の活躍を待つしかない。

 願わくば、今夜、そして明日にかけて連中のくだらない野望を打ち砕き、二度とこんな面倒な思いをせずに済むようにしてほしい。




 手すり磨き、軋む床の板の張り替え、傷ついた角部分の補修など、要求された場所の修復はほぼ終わり、あとはもう、建具たてぐに関する専門的な技術者以外は難しい作業を残すのみとなった。


「みんな、ご苦労。今日の作業はほぼ終了、奥の棟に部屋がとってあるそうだ。明日は明日で早いから、今日はしっかり休んでくれ」


 俺の言葉を引き継ぐように、マレットさんが声を張り上げる。


「家族連れの奴は、今から案内が付いて部屋に案内するそうだ。それに従って行動しろ。間違っても、よそのカーチャンの股座またぐらに潜り込むんじゃねぇぞ」


 どっと笑いが起こる。いや、それ洒落にならないから!


「……で、後は建具たてぐ組で残って仕上げるから、建具たてぐ組はもう少し俺に付き合うように」


 すると、当然と言えば当然だが、建具たてぐ組の連中からブーイング。


「まだやるのか? もう寝かせてくれよ」

「酒を出すならやってやるが、無いならもうおしまいにしてくれ~」

「おいっ! 他の連中はもう寝れるのに、オレたちだけ居残りってなんだよ!」

「作業が終わってないんだ、しょうがないだろ」


 早速噛みついてきたリファルを適当にあしらうと、俺は改めて声を張った。


「すまん! 建具たてぐ組には、その分賃金を出すように交渉する。ただ働きにはさせないから、もう少し頑張ってくれ。それに、作業を中途半端で終わらせるのも、職人魂にあふれる皆には面白くないことだろう?」


 そう言って頭を下げると、皆、「……監督にそう言われちゃ、やるしかなくなっちまうじゃねえか」などと頭をかきながら、応接間の家具の補修作業の続きに入ってくれた。


 ホッと胸をなでおろしていると、一人の男が俺につかみかかるようにして訴えてきた。同じ年頃の男だ。


「そ、そんな! もういいだろう? 家に帰してくれ! 早く帰らないと……!」

「早く帰らないと、何だ?」


 マレットさんが、間に割って入る。


「フェルテルとかいったな、お前。家へ帰るったって、あんたの家族はもう、呼び寄せてある。奥棟のほうで、もう休んでいるはずだが。さっきの晩飯会だって、一緒に食っていただろう?」

「い、家は、鐘塔のすぐ近くなんだ! だからすぐに帰れる、暗くたって大丈夫なんだよ! 今すぐ家に……!」

「なぜ家に帰らねばならんのだ? 家に何がある?」

「あ……いや、その……」


 マレットさんが、不愉快そうに顔をしかめる。


「まあまあ。フェルテルさん、年末ですし、家族と一緒に過ごしたいんですね?」


 俺があえて言葉丁寧に確認をすると、男は目をそらし、うつむいてしまった。肩が震えている。


「べつにこれで解雇にしたりしませんから。夜勤分を追加することはできませんが、今日はもう、休んで下さい。俺が言うのもなんですが、奥棟の宿泊部屋のベッドは、なかなか寝心地がいいですよ」

「ち、違うんだ! 家に、家に帰してくれ!」

「もうこんな時間ですし、今から帰るのもなんですから、泊まって行かれたほうがよいですよ?」

「それともあんた、ここにいたら、何か都合が悪いことでもあんのか?」

「そ、それは……」


 マレットさんが、指をバキボキ鳴らしながら聞く。

 だから、どうしてこう俺の義父たちは物騒なんだ!


「……とにかく、今から帰っていただくわけには参りません。フェクトール様からも、今日の職人たちは全員、こちらで休むようにと命じられています。ご家族がお部屋で待っていらっしゃるでしょうから、そちらでお休みください。ああ、従僕さん。彼を、ご家族の滞在するお部屋に案内してください」


 がっくりと肩を落としたフェルテルさんを見送ると、俺は改めて居残った建具たてぐ組の方に向き直った。


「さて、諸君。仕事だ、続けよう。もう一度言うが、終わった暁には全員に追加報酬を約束する」


 あらためてカネの約束をすると、現金なもので、それまで不満げな顔をしていた面々も、やれやれといった様子で作業に取り掛かり始める。

 窓から見える月は、もうしばらくすれば中天に差し掛かるだろう。居残されたメンバーには申し訳ないが、もう少しの辛抱だ。


「まったく……こんなことなら建具たてぐ組に入るんじゃなかったぜ」


 ぶつぶつとリファル。いや、お前の得意分野だってのは、ゴーティアス婦人の家のリフォームの時に知ってるから。お前、強制組だから。


「強制組って、お前ふざけんな!」

「ふざけてないで働け」


 マレットさんの拳骨!

 脳天を押さえて転げまわるリファル。

 マレットさん、だからそれ、パワハラですって! ……いや、リファルならまあいいか。


「何が『まあいいか』だよ、てめぇ!」

「ほう? 現場監督にまだ物申すアホがいるってか?」


 もう一回、鈍い音と情けない悲鳴が響いた。

 だからマレットさん、そのハンマーみたいな拳骨を振り回していると、リファルの頭が砕けそうです……。



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