第714話:打ち砕く意志(1/7)

「揺れ、よいか! 傾き、よいか!」

『だんなさま、大丈夫だよ!』


 リノの声が頭に響く。

 リトリィが、鉄工ギルドの面々と丹念に打ち、念入りに磨き、リトリィの目で歯の調整をしたスプロケット。リノがしっかりとロープに結ばれたことを、目視と引っ張ってみせることで確認したことをうけて、俺も号令を下す。


「固定確認よし! ……引け!」


 俺の言葉に、マレットさんが、ロープを手にした男たちに怒鳴る。


「よぉーし、野郎ども! 気合入れて引っ張れ!」

「ほぉーい、せぇっ!」


 本当はクレーンを組み立てることができたらよかったのだが、足場はすでに撤去してしまったし、資材を抱えて細い階段を上り下りするのも大変だったので、みんなで三十メートルを引っ張り上げることになった。


「監督の奥さんが修理した部品だ! おまけに明日が新年、こいつのお披露目の日だ。今から何かあっても、もう間に合わせることができん! 傷のひとつでも付けてみろ、おまえら全員、連帯責任で無給だからな!」

「いやマレットさん、そんなプレッシャーかけなくていいですから!」

「そのときは俺も責任を取って給料返上の覚悟だ! 気合い入れろ!」


 やたら威勢のいい返事が返って来るけど、やめてーっ! マレットさん、それ明らかにパワハラですから!




「やっと、ですね」

「ああ、やっとだ。本来なら、こんな工程は必要無かったんだがな」


 長い時間をかけて引っ張り上げたスプロケットを、本来あるべき場所──ギアボックスの中に組み込む。ひどく変形して、歯もいくつかはじけ飛び、周りの部品を巻き込んでどうしようもなくなっていたはずのこいつが、元の場所に収まる。


 ギアボックスに最後の部品を取り付け、切断された鎖も修復して掛け直され、クラッチを外した状態で動きの確認も終えた。思った以上にスムーズな動きに、リトリィの仕事の完璧さを改めて知る。


 リトリィはいま、下から俺たちを見上げているだろう。

 声を大にして叫びたくなるところを、ぐっとこらえる。

 全身全霊でもって称えたい、君の仕事の素晴らしさを。


 ようやくだ。

 ようやく、修復作業が終わった。


「お、終わった……」

「監督、もうこれ以上、なにもないですよね!」

「ああ、これでこんどこそ、正真正銘、全ての工程が終わった」


 途端にへなへなと床に崩れ落ちる者、歓声を上げる者、ハイタッチをし合う者、抱き合って涙を流す者……とにかく色々な感情が一気に爆発した。

 無理もない。新年は明日──つまり、明日にパレードが開かれる。


「あー……それでなんだが。リノ、いいか?」

『あ、うん。ボクはいいよ!』

「よし……じゃあみんな、ちょっと聞いてくれ。リノは、俺の伝言をしっかりと伝えてくれ」

『任せて! ボク、だんなさまのお役に立つから!』

「……いい子だ、リノ。じゃあ、これから、フェクトール様からの重要な仕事について説明する。心して、この仕事を遂行するように」


 そう言って俺は、声のトーンを落とした。


「今から言う仕事は、どんなことがあっても遂行してもらいたい仕事だ。フェクトール様からの、直々のお達しだ」


 皆が神妙な顔をする。

 ごくり、と喉を鳴らす音まで聞こえてきそうなくらいに。


「全員、フェクトール様のお屋敷の、北の別棟べつむねで明日まで待機。家族がいる者は、今ここで申し出てくれ。家族にその旨を伝える」


 皆が顔を見合わせる。

 そりゃそうだろうな。わけの分からない話だ。


「……それは、ワシらがなにかの機密事項に触れているってことかね?」


 年配の大工が、探るような目で聞いてくる。


「そうじゃない。強いて言うなら……そうだな、明日の会をより円滑に進めるためだそうだ」

「北の別棟べつむねって、このまえの足場解体を終えた後で宴会があった、あの建物だな? そんなところで、なにを……」


 不安そうな男に、俺は笑って答える。


「晩飯会だそうだ」

「……は?」

「喜べ、食べ放題らしいぞ?」

「は? え……?」


 皆の目が点になる。

 まあ、そうなるだろうな。フェクトール公からの「何があっても遂行してほしい任務」の中身が、晩餐会だなんて。


「ただし、我らがフェクトール様は、明日のために浪費を控えて節制に努めておられる。前回の飯よりは質素になることを覚悟するように」

「……まさか、燕麦パンと豆のスープだけとか、そういうことはないですよね?」

「さすがにそこまでの倹約家ではないと思いたいな。少なくとも、腹いっぱい食べるだけのことは保証されるそうだ」


 妙に安堵する皆に、一つだけ釘をさす。


「残念だが、酒は食前酒の一杯だけだそうだ。とにかく、これから全員でフェクトール様のお屋敷に向かう。とにかく、お貴族さまのお屋敷で飯だ飯!」


 再び歓声が起ころうとしたところで、止める。


「移動するときには、もうどうしようもないくらいの悲愴な顔つきで、脚を引きずるように歩くこと。これができない奴は、今からマレットさんが叩きのめして、物理的に元気をなくしてくれるから、そう思え」


 途端に、並み居る者の視線がマレットさんに注がれる。


「……あ? ……あー、ゴホン。……監督の言うとおりだ」


 目を丸くしたマレットさんだが、すぐに俺の意を汲んでくれたみたいで、すごい音で指を鳴らし始める。


「あ、あの……食事はうれしいんですけど、その……今夜は、用事が……」


 どこか頼りなさげな、俺と同世代くらいの大工が、困ったような顔で訴えてきた。


「用事? どんな用事だ」

「あ……た、大したことはないんですが、その……」

「なんだ、はっきり言え」


 マレットさんにすごまれて、彼はひきつった笑みを浮かべる。


「マレットさん、顔が怖いです。……それで、どんなご用事が? お貴族さまの正体を断らねばならないほどの用事ですか?」

「……ええと……。あ、そうそう、年末ですから、家族の者と、その、一緒に過ごすという約束がありまして」


 ひきつった顔で訴える。


「なるほど、それはいけない。安心してくれ、フェクトール様は寛大だ。家族全員を宴に呼んでいいそうだ。家の番地を教えてくれ、馬車を向かわせる」

「え、あ、……ええと、それは申し訳なく……!」

「大丈夫だ。フェクトール様は、これから年をまたぐ作業を私たちに求める以上、家族全員の面倒を見てくださるそうだ。みんなも、家に家族がいる者は遠慮なく申告してほしい。妻子、親──同居している者すべてだ。全員に、食事と温かい寝床を提供してくださるぞ!」


 今度こそ、ほぼ全員が歓声を上げる。


「な、だから遠慮せず、貴族の飯を食いに行こう」


 肩を叩いてみせると、男は「い、いいんですかね……?」とひきつった笑みを凍りつかせたような表情で、目をそらした。




 基本的にこの世界の庶民は、湯をなみなみと張った風呂に身を沈める、ということをしない。というか、なかなかそういう機会がない。水浴びか、蒸し風呂だ。我が家でも、太陽熱温水器を作って設置するまでは、水浴びしかできなかった。


「お貴族さまってのはいいご身分だ、わしらは週に一度の楽しみだってのに」


 焼けた石に水をかけると、ジュウウゥ、と景気のいい音がして、もうもうと湯気が上がる。ああ、いい感じだ。さっきまでは凍える塔の中での作業だっただけに、余計にこの湯気の熱さが染み渡る感じだ。


「そのかわり、堅苦しい宴会で好きでもない相手と、公衆の面前で踊らなきゃならないんですよ?」

「……それは、御免こうむりたいな」


 ツェーダ爺さんが、憮然としてたわしで体をこする。


「ま、いいじゃないですか。そのおかげで、こうして風呂を楽しめるんですから!」


 軽口を叩く若い大工に、俺も相槌を打つ。


「ふう……おい、ムラタさんよ。ちょっと水、浴びてくるぞ」

「ええ、どうぞ」

「……お前さんも来るんだよ」

「え? あ、ちょっと……!」


 肩をむんずと掴まれ、俺はなかば引きずられるようにして、マレットさんとサウナルームを出た。




 水浴をする部屋は、壁が半分程度の高さしかなく、あとはほとんどが窓。といってもガラスがはめ込まれているわけではないから、なかば露天、といった趣だ。

 皆、まだサウナのほうで温まっているのか、俺たち以外はいない。


 バシャッ!


「わっぷ……!」

「はっはっはっ、温まった体に、冷水はことのほか染みるな!」


 いや、染みるとかどうとかじゃなくて、顔面に水の塊をぶつけるようなことしないでくださいよ、マレットさん。そもそも、まだ俺、サウナに入ったばかりだったんですが。


「男が細かいこと、気にするんじゃねえ。またじっくり入ればいいんだよ」

「それはそうですが」

「──で、何を隠している?」


 それまで冗談半分に水をぶつけてきていたマレットさんが、急に顔を引き締めた。


「隠す?」

「当たり前だ。この晩飯会の意図はなんだ」


 すうっと、マレットさんの目が細くなる。


「うちのヒヨッコどもは無邪気に晩飯を楽しみにしているようだが、最終作業に関わったすべての職人を閉じ込めるったあ、穏やかじゃねえな」


 ……さすが、世襲せしゅう棟梁とうりょうという、いろいろ知り・・な家系の家長を務めるだけのことはある。ただの晩餐会じゃないってことに気づいたのか。


「しかも家族まで呼び寄せてもいい……つまりは、家族丸ごと監禁だ。あんたのことだ、誰かを不幸にするようなことに関わってるわけじゃねえとは思うが、知らねえままってのは気味が悪い話だ。教えろ、なにが起こっている」


 真剣な目に、俺は早々に秘匿を諦めた。どうせマレットさんは俺の妻──マイセルの父親で俺の義父なんだし、これまでも色々、法的にすれすれ──というか、むしろアウトなことでもいとわず助けてくれた。彼を信用せず、誰を信じるというのだ。


「そう……ですね。どうせ食事会の時に、皆には簡単に説明するつもりでしたが、マレットさんには先にお話しておきます」


 俺は、まだ低い月を見上げながら言った。


「今夜、おそらく動くはずです。──鉄血党の連中が」

「鉄血党、だと?」


 マレットさんが顔をしかめる。


「おまえ、そりゃあ……」

「だから、今日、作業に関わった全員を、ここに集めたんですよ」 


 鉄血党の連中から、皆を守るために。

 そして、もう二度と連中に協力するような真似をさせないように。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る