第713話:あなたは愛されている

「おれなんか、こーんなでっかい鶏の丸焼き、食ったんだぞ!」

「へへーん、兄ちゃん、おれだってこーんなでっかいケーキ、食ったもんね!」

「えへへ、全部おいしかったねー! ボク、もう朝ごはんも食べれないかも」


 ちらちらと雪がちらつく夜の帰り道を、寒さなどどこ吹く風とばかりに楽しげに前を歩くヒッグスとニューとリノ。それぞれに食事を堪能したようだ。

 貴族の食事というと上品なものをちまちま食べるイメージがあったのだが、肉体労働者の嗜好に合わせたのか、食べ応えのあるものを食べ放題、という形だった。俺自身も堪能したが、チビたちが満足しているのを見ると、連れてきて良かったと思う。


「しかし、よく寝ているな」

「そりゃあ、私たちの子ですから!」


 シシィのぷくぷくほっぺをつついてみせると、なぜか得意げに胸を張るマイセル。いや、確かに君は一度寝てしまったら、隣でリトリィがどんなに派手にあえいでいてもぎしぎしとベッドが揺すられていても、絶対に目を覚まさないレベルだけどな?


 いま、マイセルとフェルミの背中でそれぞれ眠っているシシィとヒスイについては、正直言って、赤ん坊を夜の喧騒の中に連れて来るのはどうかと迷った。日本では、夜の居酒屋に赤ん坊を連れて行き、SNSでアピールして物議を醸すこともあったからだ。


 が、そもそも我が家で行っている慈善事業の炊き出しで、それぞれいつも母親の背中で、いろいろなひとたちに声を掛けられることに慣れている娘たちだ。きっと大丈夫だろう、と思い切りをつけて連れて行った。


 結果、ぐずったりすることもなく、むしろあのにぎわいの中ですやすやと寝ていたりして、我が子ながらその肝の太さに感心したものだ。


「ふふ、わたしが産む仔も、そうなっちゃうんでしょうか?」


 隣を歩くリトリィが、そっとお腹をなでる。


「にぎやかなヒノモト家で育つとなったら、そうなるんじゃないスか?」


 フェルミが笑う。「人見知りなんてしてる暇もないスよ、きっと」


「そう……ですね。そうかもしれません」


 リトリィが微笑みながら、またお腹をなでる。


「ふふ、あなたと出会える日を、みんなみんな、たのしみに待っていますから。あせらず、ゆっくり大きくなってくださいね」


 でも、俺はずっと気になっていた。お腹の大きさが、マイセルやフェルミの時よりも、ずっと大きい気がする。フェルミの時もかなり難産だったが、今の時点で臨月に迫りそうな大きさのリトリィのお腹を見ていると、フェルミ以上の難産になりそうで、今から少し、不安になる。


 ガロウの話を信じるなら、リトリィは今の一般的な獣人──獣人族ベスティリングと呼ばれる種族よりもさらに古く、ガロウのように、ヒトと獣人の姿それぞれに姿を変えることができる「ライカントロプス」という種だって話だった。

 ──それが影響しているのだろうか。ひょっとして成長がフェルミの子よりもさらに早いのか、それとも子供が大きいのか。


 でも、リトリィは本当にうれしそうだ。だったら、俺が下手に口を出すのはよくないだろう。どんな子だっていい。俺たちの愛の結晶なのだから。




「それにしても、よく眠っていますね」


 マイセルと一緒に丸まるようにして眠っているリノを見ながら、リトリィが微笑む。リノを右側に、マイセルとの間に挟んで川の字になっていたら、すぐに眠ってしまったのだ。やはり、今日一日は色々とありすぎた。子供が寝るには、遅い時間ということもある。


「ふふ、かわいいですね」


 リトリィが、月明かりに照らされたリノの頬にそっとキスをした。「んむ……」と一瞬だけ身をよじるリノ。


「あなた」


 リノの寝顔を、なんだか複雑そうな目で見守りながら、リトリィは続けた。


「……わたしのお産が終わったら、この子も……?」

「ま、待て! リノはそう言ってるけどな?」


 俺は慌てて首を振った。


「俺は、俺はこの子が成人するまでは……!」

「でも、ペリシャさまは十二歳で……」

「よそはよそ! うちはうち!」


 すると、背後からフェルミがしなだれかかってくる。


「本当に? それ、リノが聞いたらきっと、悲しむっスよ? だってこの子、ずっとそのつもりでいるじゃないスか」

「だ、だけどな!」

「前にも言ってた気がするんスけど、ご主人、ふるさとの風習に縛られ過ぎじゃないスか? ここはオシュトブルグっスよ?」


 フェルミが、首筋を舐めてきた。ぞわっとして思わず首をすくめる俺に、くすくすとフェルミが笑う。


「まあ、そういうご主人だから、ケモノでありながらケモノの美しさを失って、オンナでありながらオンナの魅力を失った私のような者を、ご主人はオンナとして扱ってくださるんでしょうけどね」

「……おい。そういう言い方をするな。怒るぞ?」

「あ、怒ってくださるんですか? ふふ、さすがは私のご主人さま」


 ……ああもう、やりにくい奴だな。茶化してくるかと思えば、本気で甘えてきやがって。分かってるよ、可愛い。フェルミ、お前、本当は可愛い奴だよ!


 俺の言葉に、フェルミは柔らかな微笑みを浮かべてみせた。いつものにや~っとした笑みではない。


「うれしいです、ご主人さま。……こんななりの私を愛してくださるご主人さまですもの。これでも、私だって心からお慕い申し上げているんですよ?」

「また言ったな? 自分を卑下するな、俺が愛してるんだから君らはみんな最高なんだよ」


 そう言ってフェルミに向き直ると、彼女を捕まえる。


「そう言ってくれるご主人、大好きっスよ?」

「……分かってるよ」

「でも、一番卑下されてるのはご主人、あなた自身なんスからね?」


 うっ……それを言われると。

 すると、リトリィもしなだれかかってくる。


「フェルミちゃんの言うとおりですよ? わたしたちにとってだれよりも、なによりもたいせつなあなたから、いつも『じぶんなんて』なんて聞かされて、平気でいられると思っていらっしゃるのですか?」

「あ、いや、その……」


 しどろもどろになる俺に、フェルミがにやぁ~っと笑みを浮かべてみせる。


「これは、自覚してもらわなきゃいけないっスね。ねえ、姉さま?」

「自覚って、お前、どういう……」


 言いかけた俺の耳の裏を、リトリィがふんふんと鼻を鳴らしてにおいをかいでからぺろりと舐めてきた。


「ええ。フェルミちゃんの言うとおりです。どれだけだんなさまがわたしたちに愛されているか、もっと知ってもらいましょう」


 え、ちょ、……まって、リノが目を覚ましたらどうするんだ!

 子供たちだって起きてしまったら……!


「そのときは、……ちょっと早いですけれど、リノちゃんも混ぜちゃいましょう。だいじょうぶです、たとえ痛くってもあなたは愛されているのですよって、しっかりおしえてさしあげますから」

「大丈夫っス。わたしらの仔が今まで、ミルクとおむつ以外の理由で夜中に起きたことがあったっスか?」


 いたずらっぽく微笑むリトリィと、涼しい顔で笑うフェルミ。

 いや、待って、ほんとに、特にリノについては洒落にならなくて……!


 抵抗など無駄だった。

 結局、二人がかりで徹底的に搾り取られた。

 ああもう、俺は愛されていますとも!

 俺を愛してくれる女性たちに! 自覚しました!




「だんなさま」


 もう、あと一刻もすれば夜明けだろう──そんな時間。

 リトリィのふかふかの体が、本当に温かい。

 ずっと彼女の大きなお腹をなでていると、彼女がそっと頬を舐めてきて、そして、少し、悩みを含んだ微笑みを見せた。


「……なんだい?」

「この仔のお名前のこと……です」

「名前?」


 お腹をなでながら、彼女はためらいがちに続けた。


「その……この仔のお名前、……前にきめた、あのお名前でよろしいですか?」


 はっと胸を突かれる。

 前に決めた、名前。


 そうだ、以前、彼女が妊娠したかもしれないと思った、あの時。

 結局、流産だったと思われる大量出血の月経を迎えた、あの、彼女の涙と共に一度は消えた名前。


「……いいと思う。いや、違うな」


 俺は、肩を震わせる彼女を抱きしめた。


「決めたじゃないか、二人で。最初に授かる子は、この名前にしようって」


 そう。

 二人で知恵を絞って考えた、名前。


 コリィスエイナ。

 世界多くのリィス慈悲エイ受ける――世界からたくさんの優しさを得る者。

 愛称はコリィ。

 たくさんの愛を授かり、そして、その愛を今度はたくさんのひとに返すことができるひとに育つように──そう願って考えた名前。


 あのとき贈ってやれなかったこの名は、次にこの世界に来てくれる子に──そう決めたじゃないか。


「あなた……」

「この子はきっと、たくさんの人に愛される子になる。だって、君の子なんだから」

「……あなたの仔、ですよ?」

「だったら、君と、俺の子だ」


 それから、ふたりでずっと、お腹を撫でさすり続けた。

 君は、みんなに愛され、望まれて産まれてくるのだ。

 ──それを、伝えるために。



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