第712話:仕事のあとの宴
「事故の報告を聞いてから、まさかその日のうちに足場解体の作業を終えてしまうとはね。君は本当に、信じられないことを平気で成し遂げる」
フェクトール公が、後片付けをしている俺たちのところにやって来て、塔を見上げながら感慨深げに言う。
俺はみんなと一緒に片付けの作業を続けながら、奴の間違いを訂正した。
「みんなが頑張っただけで、俺は何もしていない。強いて言うなら、作業を邪魔されて、現場のみんなの魂に火が点いたってだけだ」
「なるほど。『魂に火が点いた』……おもしろい言い回しだね」
小さく笑ったフェクトールの奴は、肩をすくめて続けた。
「しかし、相変わらずの謙虚ぶりだね。君の指揮する現場なのだから、あれから解体の完了を成し遂げたのは君だ、と言っても差し支えないだろう?」
「そういうのは現場で実際に作業した奴らに言ってくれ」
もう、近くのフェクトールの顔もよく見えないほど暗くなった作業場では、吐く息が白く、指の感覚などとうに無くなっている。早く作業を終えたかった。
「ムラタくん。まあ、聞きたまえ。今回の件はよくやってくれたね。このとんでもない状況の中で、よく働いてくれたよ。そこでだ、北の
忘れるはずがない。コイツにリトリィを奪われた時、彼女が監禁された建物だ。そこで彼女は、もう少しでコイツの──
「ムラタくん、君が私をにらむ気持ちはよく分かるが、あそこはもともと、客人をもてなすための館でね。奥棟ではなく、手前側は、君が立てこもった時に見たように、ちゃんと客を迎える施設になっているのだよ」
そう言って、彼は周りを見回した。
「今日、ここで働いてくれた者たちのために、ささやかだが食事を準備した。これだけ片づけることができていれば十分だ。皆を集めて呼んでくれるかい?」
「食事……?」
「ああ。今日、恐ろしい事故があったというのに、それをものともせずに作業を続けて、ついには完遂した君たちに、ぜひ礼をしたくてね。……ああ、もちろん、君を迎えに来た奥方をはじめとした、家族の皆も連れてきてくれて構わないよ」
言われて思わず振り返ると、そこには、暗くとも決して見まがうことのない最愛のひとが、そこに立って、俺たちを見守っていた。
さすが貴族の宴会場。
暖炉は明々と燃え、壁や各テーブルの上の燭台でふんだんに使われているろうそくのおかげで、夜だというのにずいぶんな明るさだ。なにせ部屋の端から端まで、かろうじて顔が見えるくらいに明るい。
各テーブルには様々な料理が所狭しと並べられ、俺たちは見たこともないその光景に戸惑うしかない。
すっかり一人前の顔をするようになった、と見直したはずのヒヨッコどもは、テーブルの上の肉料理を指差して「肉だ肉!」「魚じゃない、肉だぞ!」「すげえ、鳥の丸焼きなんて生まれて初めて見た!」「監督! 肉はひとり何切れまで食っていいんですか!」などと興奮状態だ。正直言って、非常に恥ずかしい。
「……なあ、ムラタ。オレ、こういう席って出たことねえんだけど、どうすりゃいいんだ?」
普段強気のリファルが、きょろきょろと挙動不審なのが笑える。
「俺も出たことなんてないさ。
俺の言葉に、マレットさんが、連れてきた奥さんたちと一緒に苦笑いを浮かべる。
「お貴族さまの立食会に参加したことなんて、あるわけないだろう。それくらいお貴族さまも分かってるだろうから、気にせず食えばいいんだよ」
「ええ、いっぱい食べて、少しでもフェクトール公を困らせてやるんですっ!」
うちのチビたち──ヒッグスとニューとリノの三人が肉料理を皿に山盛りにしてうれしそうに戻ってきたのと同様に、マイセルも皿いっぱいに取ってきた料理を、もっしゃもっしゃと食べている。実にたくましい限りだ。
リトリィは、かつて自分を拉致し貞操を奪おうとした相手であっても、俺のためだと割り切っているのか、落ち着いたものだ。今も、俺のために料理を皿に取ってきてくれた。あーん、と
それに対してマイセルは、姉と慕うリトリィを奪われかけたことについて、今でも腹に据えかねているらしい。たちまち皿の上の物を平らげて、次は何を食べようかと物色している。
「困らせるって、なんでいっぱい食べることが困らせることにつながるんスか?」
俺たちとフェクトール公との攻防を直接は知らないフェルミが、首をかしげる。
「そりゃあ、私たちがいっぱい食べてムラタさんにご奉仕したら、きっとフェクトール公も悔しくなるにきまってるからじゃないですか!」
胸を張るマイセルに、煮凝りのようなもののかけらを、
「それって、仕返しになるんスかね?」
「いいんです! いっぱい食べていっぱいお乳にして、シシィにはもちろん、おっぱい大好きなムラタさんにもいっぱい飲ませてあげますから!」
言うが早いか、バターケーキのようなものを見つけたらしく、歓声を上げて新しい皿を手にそちらに行ってしまった。
ただな、マイセル。その意地と気合と心意気は認めますので、せめてさっきの言葉の後半部分は伏せておいていただけたらとありがたかったと思う次第です。
「ムラタくん」
大騒ぎをしている大工仲間たちの方を見ながら、ちまちまとハンバーグに似た煮込み肉料理を食べていた時だった。
「……なにか、ご用ですか」
一応、貴族が俺に声をわざわざかけてきたのだから、素早く席を立ってみせる。
「ああ、気にしないでくれたまえ。私も適当に座らせてもらうからね」
そう言って、彼は倒れていた椅子を起こして席に着く。俺も少し間をおいて、席に座り直した。
彼は両手のシャンパンらしきグラスを見せて、「君は飲まないのかい?」と尋ねてきた。
「妻が飲みませんので、自分も飲みません」
「ふむ。妻に義理立てして飲まないのか。君は本当に愛妻家だね」
俺の隣に座っているリトリィを見て微笑むと、「では、私もこの場かぎりは遠慮しよう」と言って、フェクトールはグラスを二つとも、そっとテーブルに置いた。
ああこんちくしょう。一つ一つの動作がいちいち絵になる奴だよ本当に。
「さて、君に少し、相談があってね。心当たりがあるかを聞きたいのだ」
「心当たり、ですか?」
「そう。──鉄血党、という名に聞き覚えは?」
「鉄血党?」
言われて、首をかしげる。どこかの政党だろうか。なんだろう、戦前のドイツに似たような名前の政党があったような気がするが。
「……だんなさま。ずいぶん前に、おうちに短刀ひとつでわたしたちを襲いにきたならず者の男が、たしか──」
……ああ! リトリィが俺のコートを作るんだって言って、布をたくさん買い込んだ日の話! リトリィ、よく覚えていたなあ! えらいぞ!
「……話を続けていいかな?」
リトリィを抱きしめて頬ずりをしていた俺に、フェクトールの奴、苦笑いをしながら咳払いをする。
「やはりそうだったのだね……。冒険者ギルドの記録に君の名があったから、もしやと思ったのだが」
「何か聞かれても、答えようがないぞ? 確か、奴隷商人を潰したことに対する逆恨みを受けていたってだけだからな」
「そうか。……いや、君をどうこうしようというわけではないのだ。ただ、記録とすり合わせたかっただけでね。……また、君には世話になると思うが、そのときは悪く思わず、協力してくれたまえ」
どこか妙に引っかかる言い方をして、フェクトール公は席を立った。先ほどテーブルに置いたグラスの一つを手に取ると、あらためてリトリィに向けて慇懃に礼をしてみせる。
「私の生き方を大きく変えた、偉大なる奥方よ。あなたの深く、惜しみなく注ぎ続けられる愛に、私はいつまでも最大の敬意を表します。──では」
……くそう!
本当にいちいちカッコイイ奴だ!
そのまま肥壺にでも落ちやがれ!
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