第711話:夢と希望と

 突然起こった足場崩落事件。日本なら緊急ミーティング待った無し&警察による現場検証案件なんだけど、さすがここは異世界。現場保存もへったくれもなく、片付けが終わったその日の午後には、作業が再開してしまった。

 なるほど、ブラック企業ってのは、利益至上主義の特異な経営倫理かと思ったら、単に人権意識が後退しているだけってことなんだろうな。


 ただ、一つだけ心に救いがあるとするならば、我が家の女性陣による差し入れがあったことだろうか。


 この塔の現場の給食については、マイセルが出産を迎える頃から、ミネッタをはじめとしたフェクトール家の女性たちに業務を完全移管していたため、うちの女性たちが関わることは無くなっていた。


 だが、足場が崩れた時、どうもわざわざ俺の家に、連絡に走ってくれた奴がいたようだった。俺の無事も伝えてくれたようだったが、それでも大変なことになったと考えたマイセルとフェルミは、現場の人間をなんとか励まそうと考えたらしい。乾燥果実をたっぷり練り込んだ焼き菓子を、急遽大量に焼いて持ってきてくれたのだ。


「皆さん、大変なことになってしまいましたけど、がんばりましょう!」


 そう言って、マイセルはフェルミ、ヒッグス、ニューと共に、皆に焼き菓子を配って回っていた。大急ぎでこしらえられたそれは、軽く練っただけの生地をさっと焼いただけのものだから、形も不揃いで質素なものだった。

 けれど、寒さに凍えながら片づけをしていた俺たちにとって、それは格別なはからいだったんだ。


「わあい! マイセル姉ちゃんの焼き菓子、いつもより乾燥果実がいっぱい!」


 リノが歓声を上げる。まだ温もりが残っていた焼き菓子の感触と、乾燥果実のほんのりとした甘みは、しみいるようにありがたかった。


 何かが終わってしまったわけじゃない。もともと解体作業なのだ。それに、あの崩壊事故で、誰も大怪我をしなかった。それだけでも奇蹟なのだ。焼き菓子の温かみと甘みが、俺たちの胸に希望の火を灯したかのように、座り込んでいた面々が、立ち上がり始める。


 君たちの焼き菓子が、力をくれたみたいに。

 ──本当にできたお嫁さんだよ、うちの女性陣は。


 家族がそうやって俺を──俺たちを支えようと頑張ってくれているのに、俺が愚痴を言っていても始まらない。やるしかないというならやるだけだ。


「当たり前だろ。オレたちにできることっていったら、建てて、壊すことだけなんだからよ」


 リファルが腰をさすりつつ、焼き菓子で口をもごもごさせながら言う。崩落に巻き込まれたときに、彼はイチかバチかで飛び降りたらしいのだ。崩れ落ちる足場の木材などに巻き込まれなかったのは不幸中の幸いだったが、着地の衝撃はかなりのものだったらしい。


「リファル、腰は大丈夫か?」

「これくらいで根を上げてたら、大工なんてできねえよ」

「無理はするなよ」

「……ムラタのくせに気持ち悪いことを言うな」

「お前、人が心配しているってのに、気持ち悪いってなんだよ!」


 やいのやいの言いながら、俺たちは作業を再開し始めた。

 ただ、俺たちの仕事はあくまでも「足場の解体」だから、一部の作業者が怪我をしたことを除けば、むしろ俺たちの仕事を手伝ってもらったような形になった。どこの馬の骨が仕組んだことかは知らないが、妨害のつもりだったはずの今回の足場崩壊事件は、むしろ仕事の加速に利用させてもらった形だ。


 いや、今回の事件で怪我をした仲間のことを考えれば絶対にゆるさないが、ざまあみろってものだ。


「いいか、もしかしたらまだおかしな細工が残っているかもしれない。慎重に進めていこう。なあに、今回の足場崩壊を利用させてもらうことで、仕事はずいぶん進めることができたんだ。大丈夫、慎重すぎるくらいでもお釣りがくる!」

「おう! 監督の言う通りだ!」

「ムラタさんが大丈夫って言うなら大丈夫だ! みんな、手元足元に気を付けていこうぜ!」


 みんな、意気いき軒高けんこうといった様子でこぶしを突き上げ、ペアを組んで解体作業を進めていった。塔の周りをぐるりと囲んでいた足場が半周分ほど崩落して無くなってしまったため、バランス取りがかなり難しくなったが、そこは熟練の大工たちだ。互いに声を掛け合いつつ、むしろ本領発揮とばかりに作業が加速し始めた。

 みな、こんな大きな事故があったというのに、かえって意欲に満ちているようだったのを見て、いろいろと考えさせられてしまった。


 ひとの命は重い。

 だから安全のための対策は重要だ。

 俺が日本で学び、この世界でも今までずっと気を配ってきたこと。

 ただひとつだって、命を失わせるようなことはしない。

 もちろん、それを撤回するつもりはない。


 だが、この逆境にあって、むしろ生き生きしているこの大工たちは何なんだろう。

 もちろん、彼らは今もきちんと安全装備を身に着け、命綱をちゃんと足場の手すりにひっかけて作業をしてくれている。リノの目を通した俺の指示にも、しっかり従ってくれている。


 ただ、フルハーネスを身に着けているから大胆に、という意味ではなく、純粋に、おそらく彼らがこれまでやって来たかのようなダイナミックな動きをし始めたんだ。

 足場が不安定になった、今だからとでも言いたげに。

 希望に満ちた表情で、皆が力をみなぎらせて。


「おい、監督にまた説教を食らうぞ!」

「そのときは一緒にどやされてくれ!」

「しょうがねえヤツだな、ほらよっ!」

「リノちゃん、目をつぶっててくれよ」

「馬鹿、そんなことできるわけねえよ」


 互いに軽口を叩き合いながら、彼らはまるで曲芸でもやっているかのように、実に楽しげに、見ているこちらがひやりとするようなことを、本当に、生き生きと。すばやく命綱を手すりから手すりに付け替えながら。

 そんな作業をしている彼らを見て、安全への対策をおろそかにするつもりは今後も無いにしても、彼らが生き生きと働ける職場を作るっていうのも大事だと考えさせられた。

 ……いや、安全第一は絶対に譲らないぞ?




「俺は、もう、絶対にこんな作業場なんて作らないからな?」

「なに言ってんだ、お前も最後にはノリノリだったくせにさ」

「……うるさい、あれは十分に安全に配慮したからいいんだ」

「最後の最後の一本の柱が自分に向かって倒れてきたのに?」

「確かにそうだ、あれはリファルに向けて倒れるべきだった」

「そう言うと思ったぜムラタ、いい根性してやがるよお前は」


 日が地平の向こうの山に消えていき、急速に空が青紫色に染まってゆく。

 最後、大慌てで逃げて転んで、そのまま地面に倒れたまま、竹の束がすぐそばに倒れて死ぬかと思ったあと、どうしようもなく笑えてきて、俺はリファルに足のつま先でこづかれるまで、腹を抱えて笑っていた。


「安全第一って言ってたお前が『好きにやってくれ』、どういう気持ちの変化だ?」

「なあに、きっとみんな、俺の意図を組んでくれるって思っただけだよ」


 好きにやってくれ──俺がそう言ったとき、大工たちはみんな俺の方を向いて、いぶかしげな顔をして、けれど、彼らは結局、俺がこだわってきた「安全」を手放そうとはしなかった。多少動きがアグレッシブになりはしたけれど、それでも、安全装備を外そうとする奴はいなかったし、作業手順に互いの呼びかけを忘れるような姿は無かった。


「今まで一人も、現場に帰ってこれないような大怪我をさせなかった監督の顔に泥を塗るような真似、できませんよ」


 そう言ったのは、バーザルトだったか、それともレルフェンだったか。俺の家を建ててからの付き合いのヒヨッコも、もうヒヨッコとは言えない程度の経験を積んだ。


「なあ、ムラタ」


 リファルが、ふたたび雪がちらつき始めた空を見上げながら言う。


「ムラタ、お前は、すげえ奴だよ」

「なんだ急に、気持ち悪い奴だな」

「ひとが感心してるのにてめえ!」


 つま先で小突いてきたリファルの足をつかんで止めると、リファルは笑って、座り込んだ。


「お前が『好きにやれ』って言っても、お前の指揮のもとにいた連中は、お前の指揮してきたとおりに動きやがる。体で、それがいいんだって、お前はオレたちに分からせやがった」


 そして、奴は笑ったんだ。

 

「お前のやり方は確かにめんどくせえよ。まだるっこしいし、時間もかかるように見えるし」

「悪かったな、効率が悪くて。監督業って慣れてないんだよ、俺はやっぱりただの図面屋だ」

「そうじゃねえよ」


 リファルは、少しあきれたように微笑んだ。

 夕日の消えた残光に照らされた彼の顔が、心なしか赤い。


「お前のやり方の先に、誰もが幸せになれる道があるって、お前は教えてくれた。怒鳴り声とげんこつよりも、教え諭しとお前の背中に背負った『夢と希望』が、俺たちの未来としてそこに見えるってさ」

「夢と希望……?」

「うるせえよ、繰り返すな」


 リファルはそれ以上何も言わなかった。

 夕日はとっくに沈んだというのに、妙に赤い顔をして。



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