第710話:足場崩落事件
日本で年末といえばやはり新年に向けての準備だろうか。大掃除、仕事じまい、家によってはおせちの準備に、こたつにみかん。
で、異世界に落っこちた俺はといえば。
『だんなさま、もうダメ、壊れちゃうよぉっ!』
足場の上に残り、最後まで皆に避難を呼びかけていたリノの悲鳴とともに、ついに足場が崩れ始める!
レリーフなどの破壊活動には遭ったが、足場の解体作業は順調──そう思っていた矢先にこれだ、本当に何なんだよちくしょう!
「リノ! もういい! お前もすぐに下りて──」
『ダメ、まだ残ってる人、いるもん!』
「遠耳の耳飾り」を通して、まだ数人の男たちが残っているのを確認し、奥歯を噛みしめる。
ちくしょう! これまで無事故でやってきたっていうのに!
『おじちゃん! こっち! こっちに跳び移って!』
リノは自分のしがみつく足場がぐらぐらと揺れ始めたというのに、まだ残っている中年の男に手を伸ばす!
「リノ! 無茶をするな!」
『ボクは平気!』
「平気なわけ無いだろ! すぐに──」
『まだおじちゃんが残ってるもん!』
分かってる……分かってるんだよ!
分かってて言ってるんだ。監督失格だって。それでもお前が……! 頼む、下りてきてくれよ!
リノの揺れる視界を通して、男たちが移動していくのが分かる。
とはいっても、どれもロープで括りつけられているから、これから連鎖して倒壊していくのは目に見えている!
ああ、もう、このままじゃ、リノは、リノは……!
その時だった。
彼女が、腰からナイフを引き抜いた。
「リノ、なにをしている?」
『だんなさま、ごめんね』
そう言うと、彼女は足場を固定するロープに、つぎつぎに切れ目を入れていく。
「り、リノ! 何をしている、早く……!」
『えへへ……あのね、ボク、だんなさまのお役に立ちたいの』
「十分役に立っているって! そんなことをしていないで、急いで下に──」
必死に訴える俺に、リノは、ぎしぎしと揺れる柱にしがみつくようにしている。切羽詰まっているはずなのに、ひどく穏やかな声で答えた。
『だんなさま、ボク、だんなさまが大好きなの』
「そんなことは分かってる! リノ、もう崩れて──!」
『ボク、お役に立って、早くだんなさまに認められて、お嫁さんになりたいの』
そう言って、リノはまた一つ、ロープに切り込みを入れる。
リノ、お前、まさか……!
「リノ! もういい! すぐにそこを離れろ!」
『大丈夫。ボク、飛び跳ねるのが得意って、だんなさま、知ってるでしょ?』
リノがそう言って、また一つ、ロープの結び目に切り込みを入れた瞬間だった。
バツッ──
激しい勢いで縄がはじけ飛ぶ!
頬をかすめる衝撃!
「……リノッ!」
かすめただけとはいえ、もう少しで目に当たるところだった!
『えへへ、ちょっとびっくりしちゃった』
「びっくりしちゃった、じゃない! すぐに離れるんだ! 倒れるぞ!」
『うん、大丈夫。ボク、こわくないよ。高いの、平気だもん』
平気とかじゃない! ああ、今も足場が崩壊していく!
リノはこれを見込んで、ロープに切り込みを入れていったんだ!
最後に逃げた男たちがいる足場と崩壊する足場を、切り離すために!
「監督っ! もうだめだ、倒れてくる!」
「みんな離れろっ!」
声を限りに叫ぶと、俺自身は足場に向かって走る!
「監督⁉」
「死にたいのか! いますぐ足場から離れろ!」
倒れてくる柱、落ちてくる丸太だって、どう跳ねるか分からないのだ。俺の怒鳴り声に押されたのか、まだ塔の周りで見守っていた野次馬、そして職人たちは、ようやく移動し始める。
「監督は⁉」
「俺はいいんだよ!」
竹や木材を縛ってあったロープが、嫌な軋みとともに弾け飛び、足場の丸太が躍るように投げ出され、そして足場を支えてきた柱が、空に向けて開いていくように崩壊していく!
ええいくそっ!
「リノっ! リノーっ!」
足がかりとなる場所が固くゆるぎないものであれば、リノは助走をつければ水平方向で五メートル近くは平気で跳ぶ。だが、リノが今しがみついている柱は、もう倒れるばかり──!
「こっちだ、リノっ!」
落ちてきた丸太を跳びすさってかわし、倒れてきた腕くらいの太さの竹の柱を払いのけながら、俺は両手を差し出す。
「だんなさま、だめ、危ないよ……っ!」
「いいから来い!」
顔を歪めるリノに怒鳴りつけると、改めて両手を差し出す。
彼女は少しだけためらった様子だったが、いよいよ柱が倒れ始めたのを感じたか、目をぎゅっと閉じると俺の方に向かって飛び降りた!
時間にして一秒ほどだったはずだ。
だけどその瞬間は、本当に長く感じた。
すべてがスローモーションに見えて、俺は不思議と
「ぐえっ!」
「だ、だんなさま⁉」
「だい、じょう……ぶっ!」
飛び降りてきた彼女は、小さな体でもやっぱり衝撃がすごかった!
もしこれがこの世界にやって来たばかりの俺だったら、間違いなく受け止めることなんてできずに、潰れていただろう。
しかし感慨になんて浸っていられない! 次々に崩れ落ちてくる足場の残骸に、俺はリノを抱えたまま、必死にその場から離れるだけで精いっぱいだった。
結局、足場の崩壊に巻き込まれて怪我をした者は多くいたのだけれど、多くは打撲どまりで、骨折まで行くような者は一人もいなかった。まずはそれが不幸中の幸いだった。
リノに誘導されて逃げた職人たちも、リノがナイフで、足場を固定するロープに切り込みを入れておいてくれたおかげで、そこから先の足場が崩壊に巻き込まれることもなかった。
リノは本当にいい仕事をしてくれた。ただ、見ていたこちらは、いったい何年分、寿命が縮まったことだろう! 下手をしたら大怪我をしていたはずで、まったく、素直に褒められない。
「それにしても、頑丈に造ってあったはずの足場が、こうも脆く崩れるとはな」
マレットさんが、ばりばりと頭をかきながら、目を細めて足場の残骸を見つめる。
「まるで、狙ったかのように綺麗に崩れやがった」
「まさか。フェクトール公が進める工事ですよ?」
俺も、崩れた残骸を見つめる。「それを妨害するなんて、よっぽど頭の中身を母親の胎内に置き忘れてきてしまった哀れな輩に違いありませんよ。そんな愚か者がこの街にいるとは、到底思えません」
「……そうだな」
マレットさんが、疲れたような表情で笑みを浮かべる。
「そういう輩が、この街に、そう多くいるとは思いたくねえな」
マレットさんの言葉に、俺もため息が出る。
そんな輩が、本当に存在するのかどうか、分からない。
だが、たしかにマレットさんの言う通り、脆く崩れた部分が、連鎖するように綺麗につながっているように見える。
もし、それが意図的なものだとしたなら……。この前の破壊活動といい、今回の件といい、面白くない輩がうろうろしているようだ。どこのどいつだ、ちくしょうめ。
「……それよりムラタさんよ。あんた、いつまでその子を抱っこしてるつもりだ?」
「えっ? ……あっ」
言われて気が付いた。俺、ずっとリノを抱っこしていた。
「えへへ……だんなさま、ボク、だんなさまのこと、だーい好きだよ」
頬を赤らめて、胸に頬をこすりつけてくる。
……まあ、いいか。さっきまで、本当に怖い思いをしたのだろうし。
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